第48話 十九歳の拗らせ。恋と呼ばぬが、そなたが運命。
二年前の後悔、僕は手を伸ばさなかったことを悔やんだ。
ずっと、心残りだった。
大嫌いな三代目サキオンのようにはなりたくない。
ヤバマーズの領民を、苦境に立たせたくない。
そんなもっともらしい、言い訳が足を竦ませた。
「でも、今は。僕は、王太子殿下を敵に回したとしても……たった一人でも、隣に立てばよかったと、そう思っている」
遠くから見守るだけでは、何も守れない。
指の間から零れ落ちる砂を、眺めるだけの無力さは、もう、こりごりだった。
すると、オノレはなぜか嬉しそうに目を細めた。
「なんだい。前よりずっと、素直で可愛いじゃないか、アスタ」
「……うるさい。茶化すな」
「いや、いい傾向だよ。リュシエンヌが、王都から追放されてから、君ときたらいつも暗い顔をしていたからね」
淹れたてのコーヒー。
差し出されたカップを、ソーサーごと受け取った。
「ただ、僕は……所縁があった女性を、気に掛けていただけだ」
「えっ……恋心は、まだ認めないの?!」
「――断じて、恋なんてしてない!」
「やれやれ。十九歳。世間一般では立派な成人のはずだが……君、いくらなんでも拗らせすぎじゃないかな」
「お前と同い年だろうが。どの口が言うんだ」
この自称スパイの神経を疑った。
なんで、上から目線なんだよ、コイツ。僕は繊細に、できてるんだぞ。土足で踏み荒らすな。
「まあ、いい。話を本筋に戻そう。まず、君が何より警戒すべきは、リュシエンヌの持つ『回帰』の力について、だ」
「……ああ。誰にも、知られてはいけない力だな」
「そう。もし知られれば、聖王教会本部は手段を選ばなくなる。だがね、状況はもっと深刻だよ」
「なんだと?」
オノレの瞳から、ふわりと熱が引いた。底知れない青が、僕を映す。
「誰だって、喉から手が出るほど欲しがる。ありとあらゆる権力者が、君の首を撥ね飛ばしてでも彼女を手中に収め、細胞の一片まで研究し尽くすだろう」
――そこまで、考えが及んでいなかった。
「やり直しの力……誰にとっても垂涎ものの果実ってことか」
「むしろ、彼女を手元に置きながら、喜んで利用しようとしない君の方が、おかしいとさえ思う」
「……まさか、オノレ。僕を裏切るとは言わないよな。ラプラスのスパイ殿?」
「確かに、確定未来予測はラプラス家の悲願であり、研究命題だけど……うーん。俺は実現について否定派なんだよね。あはは、リュシエンヌを見てもなお、未来の完全予測なんてできるわけがないと思ってる」
オノレは、いつもの軽薄な笑い飛ばし方で緊迫感を散らした。
僕は、思わず肩の力を抜く。
「お前の言い分はわかった。だが、あまりに彼女の扱いが雑すぎないか。教会にとっての重要資産なのだろう? なのに……まるで消耗品だ」
一番、許せない点だった。
「知ってるか? 聖騎士ロダン、祓魔女リュスの調査任務はまだ解除されていない」
つまり、未だにヤバマーズの魔境を彷徨えという命令が継続中。
価値ある資産を、消耗させる理由がわからない。
「そう、それだね。……そこが、あまりにも不自然で奇妙なんだ」
「しかも、フルーレスの公爵令嬢だぞ。あのやんごとなき血筋を、どうしてあんな扱いが出来る? 多少、力を落としたとはいえ、未だ家門は健在。ましてや――」
「フルーレス公爵。あのご夫妻が、愛娘のこんな扱いを認めるはずがない、と」
「……そうだ。愛情の深い方たちだからな」
僕は、熱いコーヒーを、一口流し込んだ。
野草茶の淡い苦みに慣れた舌には、貴族の嗜好品はあまりに刺激が強い。顔をしかめていたら、オノレが追加の砂糖を勧めてきた。
「ほら、遠慮せずどうぞ」
ちゃぽん。純白の塊が、漆黒に沈む。
「公爵家の現在の立場は、まだ読めない。ただ、僕個人の見解としては――あのご夫妻はこの事態を『知らない』のではないか、と思っている」
「……そんな馬鹿なことが、ありえるか?」
「リュシエンヌは髪を黒く染め、容貌も様変わりした。ラプラス伯爵家ですら、彼女の足取りは追いきれなかった」
「その割には……お前は、彼女の正体に、妙に確信がありそうに見えたが」
「あえて言うなら、聖王教会も一枚岩ではない、と言うことさ。それ以上は……内緒だよ、アスタ」
人差し指を唇に当てる、オノレ。
遠回しに、教会内部に有力な内通者がいることを匂わせた。
ならば、リュスを守るための隙は、その亀裂のなかにこそあるはずだ。
「オノレ。もしかしたら……フルーレス公爵家に直接知らせれば、力添えを下さるのでは?」
「確証がないうちは、やめておきたまえ。事を為すには、慎重さが肝要だ」
「……なら、僕はどうすればいい。お前なら、何かしらの方策を考えてから話を切り出してるんだろ?」
「おやおや。人使いが荒いな、貧乏男爵様。……でも、まあ、道は一つしかないんだよね」
オノレは言う。カップの縁を、指でなぞりながら。
「――聖王教会ですら、容易に手出しできない存在に、君自身がなることだ。それも、出来る限り急いでね」




