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ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~  作者: 裃 左右


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37/62

第37話 天国でピクニック。幼気タンポポ大好きっ娘の首を獲れ。

 安全ピン。

 それは王都にある消火装置から着想を得た、加圧装置のカラクリだ。

 引いたが最後、樽内部で硫酸と重曹が反応。爆発的に発生した炭酸ガスが、限界まで内圧を引き上げる。


 ただし、今までにない噴射と引き換えに、噴霧器はもう自壊するまで止まらない。文字通りのオーバードライブ。


「その隙に、僕が魔人の首を獲ってきてやる! ――行くぞッ!」

「応よぉっ、旦那様! 魔人とのダンス、リードを譲るんじゃねえぞッ!」


 視界の先、白く濁った霧の深淵が、巨大な顎を開けて僕たちを待ち構えている。

 最後に、僕ら三人は互いに頷き合い――「今だっ!」と叫んだ。


 一斉に、安全ピンが弾き飛ばされる。


 ――シュゴォォォォォォォッ!!!


 鼓膜を(つんざ)く高圧蒸気音が、森を震わせる。

 白骨の息吹は、もはやミストではなく、暴力的な濁流となって綿毛の吹雪を押し戻し、タンポポゾンビをまとめて薙ぎ払った。


「コイツも食らいやがれっ!」


 猟兵(シャスール)たちは、ギリギリまで最前線に踏みとどまった。

 残された陶器瓶も、毒を塗ったボルトも、すべてが霧の深淵へと放たれていく。


「二人とも、遅れるなよっ! 僕の背中だけを見てろっ!」


 僕は左手の甲を疼かせて、三日月の刃を顕現させた。

 毒のカーテンが切り開いた、絶望の隙間へと飛び込むために。


 背後で、一台、また一台と噴霧器(スプレイヤー)が爆発する。


(ああ、これで完全に退路が断たれてしまったな)


 死地への片道通行証(チケット)を握りしめた自分を、どこか冷めた意識が俯瞰していた。


「あはは……本当に、3%の心中ですね、アスタ様!」


 風を切って走る、僕のすぐ後ろで。

 リュスが、戦場に不似合いなほど鈴の鳴るような声で笑った。


 何がそんなに楽しいのかは、わからない。だけど、今だけでも彼女が笑えるのなら、それだけで救われた気がした。


「面白いのはこれからだぞ、リュスっ!」


 足元のタンポポが劇薬を浴びて腐り果てる。その死骸を踏み越えて、さらにさらに奥へ、深淵へと突き進む。



***



 どれほど走っただろうか。

 決死の強行。前線を喰らい破り、迷霧を強引に突破した途端――世界が劇的に、変貌した。


「……これは」


 リュスが、引き攣った吐息を漏らす。

 そこには、この世のものとは思えない――美しくも、背筋が凍るほど穏やかな絶景(・・)が広がっていた。


 開けた空間、立ち込める乾いた霧。

 中央にそびえ立つ、一本の巨木。周辺を埋め尽くす、数千、数万のタンポポ。

 陽光の届かないはずの深淵で、そこだけは敷き詰めたように、黄色い花が……愛らしくも、さざ波を打って揺れていた


「まるで、ピクニックにでも来たみたいだな」


 そう。それは死後の世界――天国とやらを、誰かが悪意たっぷりに模倣したような光景だった。


 一歩外にある陰鬱な森とは対照的な、出来過ぎたほどに――皮肉めいた長閑(のどか)さ。

 冗談にしては、趣味が悪すぎる。


「アスタ様……あそこに。巨木の根元を」


 リュスの視線を追う。

 黄金の花畑に座り込み、無邪気にタンポポを摘んで遊ぶ、小さな影。

 細く伸びた指先が、一つ、また一つと花を千切り、その冠毛(パップス)を優しく風に散らしている。


 ふぅ――。


 花を吹く、透き通るような吐息。

 仕草だけなら、どこにでもいる幼子そのものだった。


 だが、ソレ(・・)がこちらに気付き、緩慢に振り向いた途端。総毛が立った。


 その顔には、目も鼻もなかった。

 ただ、びっしりと敷き詰められた白い綿毛の隙間から、三日月の形をした裂目(さけめ)が不気味に開き、歓びを孕む歪な声で言ったのだ。


「……オニイチャン、キタネ。迎エニキテ、クレタノ?」


 呼応するように。

 視界を埋めつくす、タンポポのすべて(・・・)が、いっせいに鎌首をもたげて、こちらを向く。


「アハ、アハハッ。オニーチャン、ホントニ、ホントニ来テクレタンダネ♪」


 花を摘んでいたソレ(・・)は、ふわりと重力を無視して浮き上がった。

 綿毛の球体と化した異形の頭。そこから、根で編み込まれた胴や手足が、不格好にぶら下がっている。

 かつて人間だった――そう、おそらくは、僕よりも遥かに幼かった少女の、あまりに無惨な成れの果て。


「アタチ、待チクタビレチャッタノ……。早ク、オウチニ帰リタイナァ……」


 寂しげな声。僕は不覚にも、哀れになった。


「それは悪かったな、お姫様。……でも、お前にはもう、帰る場所なんてどこにもないんだ」

「……貴公、妙な情けは無用だ。一度、魔人と化した以上、魂を解き放ってやることだけが唯一の慈悲」

「わかってる、ロダン。……僕らに油断してやれる余裕はない」


 左手のウロコは、もはや熱いを通り越して、痛いほどに拍動している。

 目の前の魔人が放つ魔素(プレッシャー)は、今までのどんな危機とも比較にならない。高密度のエネルギーが、明確な指向性をもって、僕の喉元を突き刺している。


「オカーサンガネ、イッテタノ。迎エニ来ルマデ、ココデ遊ンデナサイッテ。

オニイチャンモ、イツカ、帰ッテ来ルッテ……」


 会話は成立しない。人類と決して交わらない、乖離(かいり)

 僕は、左手の三日月の刃を正対させ、一歩ずつ、死線を見極めるように、じりじり間合いを詰める。


「アスタ様、気をつけて! あの子の周囲、空気がおかしいです!」

「ああ、わかってる。……たぶん、この花畑ぜんぶが、あいつの感覚器官(センサー)だ」


 咲くタンポポの一輪一輪。空を舞う綿毛の一つ一つ。

 このすべてが魔人と繋がっている。僕らの一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく、呼吸の乱れすら、この花園は逃さない。


「で、リュス。貴女が経験した『満開』が来るとどうなる?」

「わたくしも、滅びの結末を視ただけで、その理屈まで把握しているわけではありません。……ですが、おそらく」


 リュスは喉をごくりと言わせ、剣の柄を握り直した。


「ここに敷き詰められた、万を超えるタンポポ。これらが爆発的な増殖と共に冠毛(パップス)を広げ、村へ種子を放つのでしょう。――その時、世界は白く塗り潰され、すべての命は死に絶える」

「それで、やがて、村はここと同じように、幻想的なタンポポ畑になるってことか。それは、なんて――」


 綿毛(エグレット)の魔人は、根で編まれた両手を広げた。待ちわびた時が来たと、幸せそうに。


「フワフワ、オ空ヲ、飛ベタライイノニ。ソシタラ、スグ、オウチニ帰レルヨネ。……ネェ、オカーサン♪」


 これからヤバマーズを、そこに生きるすべてを滅ぼす――冒涜的な超繁殖(パンデミック)

 その根源たる、情念が……。


「そいつは。誰もが抱く、あまりに無垢な――『帰郷願望』だ」


 そう、それはなんて――痛ましく、救いがないのだろう。


 瞬間、魔人の綿毛が、針鼠みたいに逆立った。

 黄金の絨毯が、次第に白色へと変わり始める。万に至る花々が、破滅を運ぶ綿帽子(パップス)へと姿を変えつつあった。


「来るぞ! リュス、ロダン! ここで食い止められなきゃ……僕らに明日は来ないッ!」


 表面だけの長閑(のどか)さが剥がれ落ち、真の終焉(しゅうえん)……『満開』が幕を開けようとしている。

 空を埋め尽くそうと、舞い上がり始める綿毛の吹雪。あまりに幻想的で優美な、死の群れだった。


「オニーチャン! アタチネ……タンポポ、ダーイスキ♪」


 魔人は無邪気に笑うと、無数の触手状の蔓を高速で伸ばし、空間を縦横無尽に蹂躙し始める!


 綿毛の魔人エグレット――討伐開始。

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