第25話 誰がいつくたばるかは、僕が決める
横一閃。
三日月の刃が空を裂けば、霧が渦を巻き。殺到していた綿毛たちが、バチンバチン、と弾け飛ぶ。
「……なるほど、こういうことか」
周囲、半径三歩の間合い。綿毛の軌道が歪む。
見えない坂を転がるように、一度僕の左手へ引き寄せられてから――凄まじい斥力で弾き出されているのだ。
吸われて、散っていく。
「お前ら、僕の傍を離れるなよ!」
今、最も安全なのは“僕の背後”だ。
前面は、最高に危険。綿毛は、明らかに僕を優先して狙ってるからな。皮肉にも、そのおかげでロダンやリュスへの降下密度が劇的に減った。
「――僕が、みんなの盾になってやる!」
「男爵っ!? 貴公、一体何をしているのだ!」
「磁場流を作ってるんだよ! ……たぶんな!」
左腕が、じわりじわりと疼き続ける。
透き通る刃へと霧が集中。糸のように絡みついては、刀身の形状を鋭く研ぎ澄ませていく。
(刃が魔素を吸っているのか。だが、これ――長くは保たないっ!)
ウロコの導きに従う。一番、流れ込む殺意が薄い穴を探す。
「一点突破だ、ロダン。こっちを抜けるぞっ!」
「ぬぅ、心得た!」
三日月の刃を、薙いだ。
手応えはない。だが、その軌跡に触れた綿毛はパァンと霧散する。
すかさず、ロダンは片腕で大剣を振るい、立ちふさがるタンポポゾンビ共を跳ねのけた。
「あの死の絨毯を、こんな容易く……?」
「リュス! お前もいつまで震えてやがる、やる気を出せっ!」
ベールの隙間からのぞく瞳は、依然として絶望に塗りつぶされている。
この女に何が見えているのかは知らない。だが。
「死ぬとか全滅するとか、勝手に決めんな! この地の主は僕だ。だから――誰がいつくたばるかは、僕が決める!」
「……アスタ様」
「いいから、僕の背中だけを見ていろ!」
ウロコが疼く。右、左、上っ!
腕をかざせば、死の綿毛が刃に吸い寄せられる。
感覚が告げるすべての殺意を、僕は三日月の刃で空間丸ごと斬り捨てて、強引に道を作る。
(狭くていい。一瞬でいい。ここを通り抜けられれば――っ!)
駆け抜けていくさなか、背中を強く押された。トンッ!
「えっ!? リュス、何を――」
僕がよろけた途端、嫌な、生々しい音がした。
――グチャリ。
リュスの左肘から先。
そこに、牛の頭ほどの巨大な綿毛が食らいついていた。
「……あ……ぁ…………ふ、ぅ……」
射出された根が、細腕の皮膚を、筋肉を、骨を。聖布ごとズタズタに引き裂き、急速に侵食していく。
「リュス!?」
「平気です、これは……すぐには死にはしません」
痛みを堪えるリュスは、剣を握り直すと、躊躇うことなく腕を切断。
焼灼の力が傷口を焼き、舞い上がった細腕が宙を舞う。
「はあ!? お前、何やって……!」
「……さあ、行きましょう。止まれば、無駄になります」
腕を一本切り捨てておいて「さあ行きましょう」だと!?
凄絶さに思考が止まりかけたが、左手のウロコが暴れるように脈動し、僕を現実に引き戻す。
「尋常じゃなく強力な……何かが迫って来る気配っ!? クソっ、急げっ!」
「無論だっ!」
「はい。あなたの背中を……見失いはしません」
僕はひたすら刃の磁場に巻き込んでは、綿毛を弾き飛ばした。霧の層が、わずかに薄くなる。
「あそこを抜けるぞっ! 全力で走れぇええっ!」
残った力を振り絞るように、最後の大振りを放ち。
僕たちは、もつれ合うようにして、たんぽぽ地獄から這い出した。幸い、魔物も追ってこない。
「はぁ、はぁ……っ! 死ぬかと思った……」
霧から離脱すると同時に、三日月の刃が霧散。猛烈な虚脱感が襲う。
「男爵、無事か」
ロダンが手を貸そうとしてくる。見れば、肩に刺さっていた綿毛は、不自然に枯れ落ちていた。
「それは……」
「ああ。『聖騎士の血清』は、魔術や魔物からの浸食への抵抗を生む。この程度の傷、吾輩にはかすり傷よ」
「それはよかったな。――って、それより、リュスっ!?」
慌てて、リュスに駆け寄る。当然、左腕の先がない。
「お前……腕、腕がっ! 僕を庇ったせいで」
「……問題、ありません」
「問題ないわけないだろ! 腕だぞ、一生治らないんだぞっ」
「治ります」
「――え?」
絶句する僕。
聖騎士ロダンがため息をつく。
「リュスにも、祓魔女用に調整された聖騎士の血清が投与されている。腕くらい、時間があれば生えて来るのだ」
「……そんなことある?」
「だからと言って、傷ついて欲しい訳ではないのだが。特にリュスは……」
どこか言いづらそうにする、聖騎士ロダン。
リュスは青白く揺らめく、剣を抱きしめてみせた。
「わたくしには、この恢復聖剣がありますから」
「恢復聖剣?」
「……どんな損傷を負っても、死にさえしなければ、また戦えるのです。そのための祓魔女ですから」
見れば、リュスの傷口から淡い光が漏れ、早くも肉が盛り上がり始めている。
(マジで、なんだこいつら。聖王教会の技術って、そこまで人体の限界を逸脱してるのか?)
これじゃ、早々死ぬことすら許されない。
僕は、頭を振った。
「なんにせよ、これで作戦会議の必要が出たな。……魔物たちが里に降りてきたのは、きっと、あのタンポポに追い立てられたせいだ」
そりゃ、あんなのがいたら棘山熊だって逃げ出す。そう結論付けた時。
ふと、森の奥から、笑い声が聞こえた気がした。
「……なんだ。ありゃ」
思わず、間の抜けた声が出た。
霧の海に浮いていたのは、巨大な綿帽子。
数百数千のタンポポの冠毛を丸めたような、純白で柔らかな球体。
だが、そんな球体から、ぶらり、ぶらりと。
しなだれる根が、不気味なシルエットを描いて揺れている。
絡み合い、縺れ合い、形作られたその姿は――。
「……人間、なのか?」
手足の先も曖昧な、ヒトを模した根の塊が、雲のような球体に吊るされて浮いていた。
ぶらり、ぶらりと。
「カエッチャウノ、オニーチャンタチ? ……アーア、ザンネンネ」
そいつは、かつて人間だった頃の名残を、残酷な声にだけ留めていた。
「オニーチャンタチ……マタネ」
魔物化した人間、即ち――魔人。




