第23話 不幸な色ボケ、幸せなタンポポ
「なんというか、サキオンなんて随分と古い名前を持ち出すんだな」
その名を他人の口から聞くのは、ひどく奇妙な感覚だった。
なにせ、我が家では、半ば禁句に近い名前なのだから。
「まったく。教会のエリート様が、うちの恥さらしに何の用だって? まさか三代目の不祥事は、教会の教本にまで載ってるってのか?」
「……恥さらし、ですか」
「そうさ。先祖の不始末を話させて楽しむのは、さすがに趣味が悪いぞ」
「わたくしは、そんなつもりではありませんっ!」
祓魔女リュスは声を荒げたが、言い淀む素振りを見せた。
「サキオン様は、不幸な最期を遂げられたと聞いておりますが。ヤバマーズの地では、実際にどのように伝わっているのか。……それが知りたいのです」
そんなこと、今さら知ってどうするのだろう。死人に口なし、記録に慈悲なしだ。
「不幸、ねえ。自業自得の方がしっくりくるけどな」
「そのような、言い方は――」
「アンタは他人だろ。僕は身内なんだよ」
「……そう、ですね」
なぜ、他人でしかないこの女が、サキオンの肩を持とうとするのか。
あまり、深く考えたくない。頭の中で警鐘が鳴る。
(やはり――リュスと話していると、どうにもあの公爵令嬢と重なる)
王都の大学時代、遠くから眺めることしかできなかった、あの高嶺の花に。
気に掛けながらも、ほとんど関わることが出来なかった――あの女性に。
(……本当に嫌な思い出だ。何もしてやれなかった)
どうしてか、聖騎士ロダンは口を挟んでこない。
ちらちら、探るような視線を寄こすものの、妙な静観の姿勢をとっている。
「サキオンは……要するに、救いようのないバカだったんだよ。ただし、バカはバカでも家を潰しかけた『最低の害悪』だ」
そう、バカはまだ許せるが、害悪は許されない。
当時、二十代前半の若さで家督を継いだ子爵サキオン。
隣国ロザリス公国との緊張が高まった時代。
ロザリスの公女リュディヴィーヌは、和平の大使として、我が王国へ訪れたのだが……。
「そんな公女様に、式典で顔を合わせただけで、三代目は運命を感じちゃったらしい。よほどの美女だったんだろうな。あろうことか矢文を放つほどに、イカれちまったってわけだ」
平和の大使に武器を向ける。それがどれほどの外交的愚行か、子供でもわかることだ。
「……他に、なにか伝わっていないのですか? 語られていない真実のようなものは」
「伝わる? なにがさ。事件後、サキオンはこの森にある湖で、無惨な溺死体となって見つかった。……それがすべてだよ」
それこそが、誰もが知る事件の顛末。
王家は激怒し、ヤバマーズ家は男爵へ降格。領地はさらなる困窮に喘ぐことになった。
で、のちに公女様は、第二王子に見初められ華々しく結婚。
そうとも、めでたしめでたしってわけだ――ヤバマーズ以外はな!
「後を継いだのが、僕の曽祖父さ。サキオンの弟だったせいで、貧乏くじの人生。さすがに哀れだ」
「……きっと、ご苦労をされたのでしょうね」
「はっ、苦労なんてもんじゃないだろうね。この不祥事のせいで、王都から兵隊まで来たって聞いたな。未だに親族の集まりがありゃ、三代目の悪口で酒が進む」
僕は生い茂るシダを狩猟刀で乱暴に払いのけた。この話は、いつだって胸糞が悪い。
おかげで、色ボケの血筋だと後ろ指をさされている。
「ならば。もしも――恋文ではなかったとしたら?」
「……なんだって?」
「サキオン様の行いに、誰にも言えぬ事情があったとしたら。……少しは、心のしこりが消えますか?」
ピリついた。
……無責任な部外者の妄想。さすがにイライラする。
僕は握る狩猟刀を振り抜いて、切っ先をリュスへと向けた。
「――っ!?」
「貴公っ、何をする!」
ロダンが叫び、大剣に手をかける。だが――。
スパァァンッ!
リュスの足元に、うねうねとのたうち回る赤黒いツタが落ちた。
「吸血植物だ。死にたくなければ、余計な喋りに熱中するな」
切断面からねっとりとした汁が溢れ出す。リュスは息を呑んだ。
「……また、助けられた」
「ああ?」
リュスの呟きに思わず、怪訝そうにしてしまう。
すると、聖騎士ロダンが怒鳴った。
「事前に警告しろ、男爵! 突然、刃を向けるなど、礼を失しているぞっ!」
「はあ。礼儀で腹が膨れるなら、今頃うちの領民は全員肥満児だっつの」
「……貴公」
「チッ、悪かったよ。この辺りは植生の変化が激しい。僕でも予測がつきにくいんだ。警戒はしてくれ」
今は、こいつらと揉めたいわけじゃない。
危険地帯で、仲違いするのはさすがに命取りになるし。
「いいか、リュス。仮に、もし仮にだ。サキオンに事情があったとしても、ヤバマーズは没落したし。もう過去の話だ。……今さら、こだわって何になる」
リュスは何も答えない。
「男爵の言う通りではある。……リュス、今は感傷に浸る時ではありませんぞ」
ロダンは、より警戒を強めた。どこか過剰な張り切りようには見えるが。
(それでも、ロダンのやつ。……前より、態度が柔らかい気がするな)
進むにつれ、空気が急速に変質していく。
足元には乾いた霧が、這うように流れ始めた。視界が濁り、光と闇の境界がますます曖昧になっていく。
そこに見えた、光景は――。
「なんだ、こりゃ……」
僕にも理解不能な光景。
まず感じたのは、青臭さ。
道を埋め尽くすのは、ゴブリンや変異狼、名も無き異形の物言わぬ屍骸。
裂けた腹、眼窩、抉れた傷口から、太い茎が這い出し――先端には、陽だまりみたいな黄色の花が咲く。
だが、冒涜的な光景に揺れる花々は……驚くほど、のどか。まさに平穏と幸せの象徴。
ふわふわりと、綿毛が飛んでいた。
「嗚呼、聖王よ……」
そいつは、死を糧に増殖する、忌むべきタンポポの群生。
――ズルッ。
死んだ魔物たちが立ち上がろうとしていた。茎を血管のように張り巡らせたまま。




