第22話 相変異、変わるのはゴブリンだけじゃない
屋敷に戻って一息つく暇もなく、事態は動き出した。
訪ねて来たのは、シスター・マグダリア。不穏な空気が漂うヤバマーズにおいて、マグダリアの存在は僕にとって数少ない心の癒しだ。
「あなたがわざわざ訪ねて来て下さるなんて。ゲロハルト、お茶をお出しして」
「やめるんだ、アスタ。あのお茶は、人間に飲ませていい代物じゃない」
「なんだと!?」
すかさず止めてくるオノレ。最高級品だと言っているだろうが。
「うふふ、男爵様ったら。あたくしのことを、そんなに歓迎してくださるなんて光栄ですわ♡」
糸のように細められた瞳、柔らかな口元。
マグダリアに、男爵様と呼ばれるのはさすがにこそばゆい。
「そりゃ、今までお世話になっているから、ね」
気恥ずかしくなって声を潜めてしまう。
すると、オノレが品定めするように、彼女を眺めた。
「ところでアスタ。この、妙に色香を振りまくご婦人は誰だい?」
「言葉を選べ。うちの教会のシスター・マグダリアだ。……マグダリア、こいつは腐れ縁のオノレ・ド・ラプラス。王都から来た自称スパイだ」
「あらぁ、スパイ様ですか。クスクス……」
マグダリアは、優雅に会釈した。彼女が近づくと、特有の湿った土と甘い蜜を混ぜたような香りが漂う。
ヤバマーズの教会で使われている虫除けの香りだが、オノレは微妙に距離を置いている。都会の繊細な鼻には、田舎の香料はキツすぎるのかもしれない。
「そういえば、マグダリア。聖騎士ロダンの容態はどうなんだ?」
「ええ、あの方ったら、本当に頑丈で。あたくしの、ほんの少しのお世話で、今朝にはもうピンピンしておられましたわ。今は、リュス様と一緒にお祈りを……」
「それは良かった。ロダンが死んだら、教会と揉めただろうからな。さすがはマグダリア、助かったよ」
僕は、マグダリアの肩を軽くたたき労った。幼い頃から僕を気にかけてくれる、姉であり母のような大切な身内。
だが、そのやり取りを、オノレは冷ややかに見つめていた。
「若き男爵様にお褒めいただけて、あたくし、胸がいっぱいですわ♡」
「……男爵様はやめてくれ。むず痒い」
「では、坊や?」
「……それも勘弁して。僕はもう十九歳だぞ」
くすくす、笑われてしまった。なんだ、この羞恥プレイ。
だが、マグダリアは不意に表情を引き締め、僕の袖を引いた。
「実は、坊やにお願いがあって参りましたの」
「お願い?」
「はい。……ロダン様たちの調査に、協力してあげて欲しいのです」
「……うん?」
なんで、そんな面倒なことを。思わず眉をひそめた。
出来れば、関わりたくない。
「マグダリア。悪いが、あの二人とは――」
「わかっておりますわ。でも、今の村の空気をご覧なさい」
「村の空気?」
「ええ。皆、あの二人は災いを連れて来た余所者である、と囁きあっておりますわ」
ヤバマーズの領民は、元々閉鎖的だ。中央の教会から来た連中なんて、敵意の的。
「もちろん、村人を守ってくれた立派な方だ。……なんて声もあります。でも、余所者への恐怖が、いつ怒りに変わるかはわかりません」
「……アイツらが領民に襲われでもしたら、次はもっと大規模な調査団が来てしまうだろうな」
いや、家宅捜索どころか、反逆を疑われ軍が来るかもしれない。
……痛いところを突いてくる。適度に、あいつらの立場を慮る必要があった。
「で、具体的にどう協力しろと言うんだ?」
「大丈夫よ、坊や。心配なさらないで。あたくし、ロダン様にお話しておきましたのよ」
……だから、なにを?
***
そして現在、僕は西の森の入り口に立っていた。
「遅かったな、ヤバマーズ男爵」
「うるせぇな。男爵をこんなところに呼び出しやがって」
ロダンは腕を組み、仁王立ちで待っていた。
……なんだこいつ、本当に元気だな。顔色も艶があるし、声に張りがありすぎる。雷撃で焼かれた人間の様子じゃないぞ。
そして、その後ろに、ベールで顔を隠す祓魔女リュス。
「……おはようございます。アスタ様」
どこか、リュスの態度は僕を観察するような気配を帯びている気がした。
ロダンは鼻を鳴らし、目的を告げてくる。
「今、吾輩たちが調査したいのは、あの棘山熊が姿を現した原因だ」
「原因?」
「然り。リュスが言うには、魔熊はなんらかの誘導をされた可能性があるという」
「ふん、お前たち自身のせいだとは考えないわけか」
確かに、人里に棘山熊が降りて来るだけならまだしも、領民が布陣しているところに、襲撃をするなんて不自然すぎたんだよな。
「吾輩は、シスター・マグダリアから聞いた。男爵である貴公が、最も優れた森の案内人であると」
「そりゃ。基本的に、森の奥へは立ち入りを禁止してるからな」
面倒だが、外に原因があるという考えは僕にとっても都合がいい。
僕の変異のせいで寄ってきた、なんて思われるよりは。
「いいだろう。案内してやる。ただし、僕の指示には絶対に従えよ」
道中、グリーンゴブリンをちらほら見かけるが、僕を見つけた途端に、脱兎のごとく逃げていく。
ぽつりと、祓魔女リュスが零した。
「……ゴブリンたちが、怯えている。わたくしの知る狂暴な魔物とは、あまりにかけ離れていますね」
「ああ。この辺の奴らは樹上生活者で、普段は臆病なんだ。先日みたいな例外もあるけど」
そう、ゴブリンは人間を怖がる。
ふははは、特に僕をなっ!(ゴブリンの天敵)
「それは……わたくしの知っているゴブリンとは、違います」
「そうか? んー、アイツらの主食は木の実や山菜、キノコ。昆虫。女子供が無防備に森に入れば、そりゃ襲われるけど」
僕は、繁みや木陰に隠れるゴブリンを指さす。
「見ろよ。体色が緑で、保護色になってるだろ?」
「……ええ、そうですね」
「手足を伸ばし、俊敏な小柄であることを生かして木登りして。体色を活かして、隠れ住む」
「ゴブリンが……木登り?」
「そう。でも、群れを追われた個体は、地上に住むようになり、色がくすんで狂暴になる。これを相変異って言うんだ、魔物学の初歩だぜ」
で、洞窟や荒野に住むゴブリンが狂暴なのは、樹上という安全地帯がなくて、常に天敵への恐怖に怯えているからだとも言う。
が、あまり詳しく話すと、魔物オタクだと思われて、キモがられるんでやめとく。(既にオタクっぽさヤバいって? うるせぇな!)
「……物知りなのですね。アスタ様は」
「そうか。こんなの普通だ」
社交辞令か皮肉か判断に迷うけど、リュスはわりと会話が成立するな。目が死んでて、頭がおかしい女っぽいけど。
「まあ、わからないことがあったら気軽に聞いてくれよ」
「では、教えて欲しいことがあります」
「おっ、なんだ?」
「かつてのヤバマーズ領主……サキオン様のことなのですが」
「――は? サキオン?」
飛び出したのは、あまりにも突拍子もない質問。
「……はい。あの御方はこの地で、どのような最期を迎えられたのですか?」
サキオン・ド・ヤバマーズ。我らが三代目。
隣国の姫に矢文を飛ばして国際問題を起こし、ヤバマーズ子爵家を男爵へと格下げした、一族の恥さらし。
我が一族の没落の元凶、大バカ野郎の名前だった。
(リュス、お前……もしかして、本当に?)
いいや、そんなこと……ありえない。
あの令嬢が、こんなことになっているはずがないのだから。




