第19話 名誉(オノレ)を捨てたスパイ
幸い、領民たちは軽症ばかりで、命に別状はなかった。
「魔熊を倒せたのは、旦那様のおかげですっ!」
「さすがは、ヤバマーズの若き男爵様!」
「家督を継がれたばかりなのに、なんと勇敢な……」
能天気な連中だよな。
僕からしてみれば、上手くいかなかったから、大立ち回りしたわけで。それでも、彼らから見れば大活躍に映るんだから。
「……結局、領主の威厳ってのは、いざという時に頼れるかどうかで決まってるんだよな」
みんなの世話やら、免税やらで点数を稼いでも、陣頭に立たないなら腰抜け扱い。
それが地方領主というものだ。
一番、容態が芳しくないのは、聖騎士ロダンだった。今も、教会で手当てを受けている。
しばらく、大人しくしてくれればありがたいが。
「……で、オノレ。お前、なんでこんなに早く着いてるんだ?」
屋敷の客間。すっかり色あせたソファに腰を下ろして、僕は尋ねた。
青髪の青年、オノレ・ド・ラプラスは、茶を一口啜り、露骨に顔を顰めている。
「酷い味だね、アスタ。これがお茶だって?」
「贅沢を言うな。それは、うちで出せる最高級品だ」
「てっきり、泥水と間違えたのかと思ったら、本気でこれなんだ。よほど困ってるんだね」
「うるさい」
僕がしかめっ面になると、オノレは嬉しそうにした。
「まあ、いいや。質問の答えだけど、簡単さ。君の商会……マッケンジーの馬車を待ってたら、この『謎』が他の誰かに横取りされてしまうかもしれないだろう?」
「それで?」
「宿場で馬を買い取っては、乗り捨てるのを繰り返したんだ」
「……ずいぶん金のかかることをする」
「別に、お金に困ってないからね」
伯爵家の三男坊が、護衛も連れず魔物が出る街道を突っ走ってきたというのか。
「たかが好奇心のために、命の値札を見るのをやめたのか?」
「命は支払いに使うものであって、値切るものじゃないからね。でも、たかが好奇心ではないよ」
たっぷりとお茶を飲み残して、ティーカップをソーサーに戻す。
そして、オノレは上品に微笑んだ。
「なにせ、友人からの招待状だからね。何をおいても行くさ」
「……狂ってるな、お前も」
名誉という名前の癖に、投げ捨てているものが多すぎる。
「ヤバマーズの当主に言われるとはなあ。もしかして、最高の賛辞かい?」
「純粋に、呆れてんだよ」
「あはは」
オノレはひとしきり笑ってから、再び、小瓶を取り出した。『黒銀結晶』だ。
「アスタ、改めて聞くよ。これ、君が作ったのかい?」
「……偶然の産物だ」
「製法は?」
一瞬、言おうか迷う。が、正直に話した。
「魔物の臓物と血液、うちの特産キノコの煮汁を混ぜたら、急激な熱反応と毒ガスをまき散らし……最後にこれが残った」
「それって、いわゆる白骨茸? ヤバマーズ・デッドキャップと、君の先祖が書き残したとか言う?」
「そうだ」
ふむ、と考えこむオノレ。
「大気中にある魔素を、高密度、かつ、安定した状態で固定化するのは難しい」
「魔晶石があるだろう」
「確かに魔晶石なら、自然界でも見つかることがあるけれど――あれは被爆リスクが高い」
魔晶石。青白く光る、透き通ったクリスタル。
これもまた、魔素の結晶ではないかと言われているのだが、常にエネルギーを放出しており、安全に扱うことが難しい。
「ああ、そう言えば……黒銀結晶の被爆リスクは考えてなかったな」
「黒銀結晶?」
オノレは、不満そうにした。
「なんていうか……センスがないネーミングだね?」
「名付ける段階になる前に、お前が来たんだよっ!」
「それは失敬」
僕が怒ると、まったく心のこもっていない謝罪が返って来る。
「でも、これは大丈夫だよ。素手で扱っても問題ない。本当に、それくらい安定している」
「既存のものとは違うんだな?」
「そうだね、はっきり違う」
「そうなると……注目されてしまうかもな」
「そう。周囲に死をまき散らすことなく、まるで眠ったように力を秘める。もし、これを大量に精製できるとしたら……アスタ。君はこの不毛の地を、王国で最も巨大な『魔力資源の供給地』に変えるかもしれない。わかるかい?」
随分と話が壮大になって来たぞ。いや、でも待ってくれ!
「……理屈はな、わかるぞ。だが、量産はどう考えても無理だ」
「うん。最低限、白骨茸の人工栽培と、魔物の家畜化くらいはできないと、大きな産業にはならないよね」
「その通り。机上の空論だ」
「でも、他の貴族はそう思ってくれるかな?」
「……どういう意味だよ」
「手紙を、ばら撒いたのは失敗だったね。これからは、スパイや暗殺者を覚悟した方がいい。欲に駆られる人間は、一人や二人ではないだろう」
ゾッとした。食生活を良くしたいだけで、命を狙われたいわけじゃない。
すると、オノレが言う。
「そんな顔しないでよ。俺も、ラプラス伯爵家のスパイだからさ」
「なんだと!」
思わず、僕は声を荒げて立ち上がってしまった。




