第16話 地獄の釜はからっぽ、熊鍋にしてやるぜ!
棘山熊の登場に、さすがのヤバマーズ領民たちにも動揺が走った。
「旦那様っ! こいつはやべぇですだよ!」
「くそっ、なんで人里に降りて来たんだよ!?」
ゴブリン程度なら気炎を上げる彼らも、棘山熊となると話は別だ。
分厚い皮膚、馬並みの突進速度、前肢の一撃で人体粉砕。この地の住人にとって、魔熊は災厄の象徴だ。
「グダグダ抜かすなっ、覚悟を決めろっ! ――槍団子を組めっ!」
僕の怒声に、領民たちは即座に反応。
先ほどまでの列を解き、予め決められた仲間と組んで、隙間なく槍の穂先を揃える。
数々の修羅場を越えたベテランが吠えた。
「忘れるなッ、槍の石突を地面に突き立てろ! 逃げても無駄だ、奴は馬より速い! 背中を見せた瞬間、死ぬと思えっ!」
脅し文句混じりの鼓舞。いいぞ、その意気だ。
巨体の重さと突進力を利用し、奴自身のパワーで串刺しにする。原始的だが、棘山熊にも有効な杭となる。
「そいつの言う通りだ! 奴が突っ込んできたら、束になって耐えろ! オラぁっ、腹から声を出せっ! ビビってるとバレたら村まで食いに来るぞっ!」
僕が命じると、木柵の裏から、守られていたはずの女や老人たちまでもが、大声を張り上げ始めた。
鍋や太鼓、木笛まで持ち寄って、狂ったように騒音を鳴らす。村には決して近づけさせない、そんな気迫と熱気が立ち上った。
「グルルルルル……!」
すると、棘山熊はますます興奮した様子で、地面を前脚で激しく叩き始める。
こうなったら我慢比べ、にらみ合いだ。
「……こ、これは。吾輩はどうしたらいいのだ?」
さなか、聖騎士ロダンは、戦ってよいのかどうか戸惑っているようだった。
だが、指導者である僕は、戸惑った顔など誰にも見せられない。
張り上げられる大声に騒音、歯を鳴らす棘山熊。
本当なら、奴が根を上げるまで待ちたいが……。
(僕にはわかる。……これ以上の長丁場に、領民が耐えられない。ゴブリンを撃退したと思ったら、この状況。もはや精神疲労はピーク。そろそろ動きがないと、緊張の糸が切れてしまう)
極限状況下では、ジッとしてる方がキツい。一人でも限界を迎えたら総崩れだ。
だから、僕は……棘山熊が退かぬなら、やるしかないと腹を決めた。
「みんな……」
「お待ちくださいっ!」
すると、リュスが引き留めて来た。
「アスタ様、聞いてください! 今回ばかりは、アスタ様の計算通りにはいかぬのです」
「はあ? なにを――」
「信じてください! なぜかはわかりませんが、“いつもと違う”のですっ!」
たいして面識のない女が、知ったような口で言うのだ。未来を言い当てるように。
「――ッ、構わずやれ! ゆっくりと『地獄の釜』に追い込むぞ!」
「お願い信じてっ!」
「うるさいっ! こんな状況で、僕を迷わせるな!」
覆すわけにはいかない。領民に、いつもと違う行動なんかできるわけがない。
ここで下手に陣形を解けば、ただの肉塊として蹂躙されるだけ。
「そうだっ、みんな僕を信じろっ! 必ずなんとかなる!」
村の境界線には、あらかじめ用意された大型獣用の落とし穴。通称、地獄の釜がある。そこへ誘導し、串刺しにしてやるのだ。
「地獄の釜まであと二十歩! 逃げるな、むしろ突っ込んでくるのを待ってやるくらいの気持ちで詰めろ! 熊鍋にしてやれ!」
「――っ!? 旦那様! 熊の様子が!」
僕が叫び、領民たちが息を呑む。
目の前の棘山熊が、ピタリと足を止めた。
あざ笑うかのような沈黙。奴は、土を蹴って罠を確認すると、大きく横へと跳躍した。
「避けた? 嘘だろ、穴の位置がわかったっていうのか!?」
魔熊は猛然と回り込み、領民たちの槍団子をみるみる避けて、指揮系統の中心――つまり、僕とリュス、聖騎士ロダンが固まっている一点に向かって、弾丸のごとく肉薄してきた。
「狙いが……僕らだけだと!?」
慌てた領民らが狙うが、背中への攻撃は、無数の角が阻んで通らない。
魔熊は被弾を厭わず、真っ直ぐ僕の顔面へと目掛け、腕を振り下ろす。
「させるかっ! 下がっていろ、男爵!」
なんと聖騎士ロダンは、大剣で一撃を受け止めた。
だが、刀身が軋む悲鳴と共に、足が地面へとめり込む。
「ぬぐぅぅうっ……膂力では敵わぬかぁっ!」
「ロダン、退いて!」
リュスが切りかかれば、奴は煙たそうに払う動作で反撃。
おかしい。明らかに挙動が……。
「アスタ様! 聞いてくださいっ! この魔熊はわたくしたち三人を、明確な敵として認識しているのです!」
「そんなバカなことがあってたまるか! 魔物に変異しようが、野生動物としての知性が変わるわけじゃ――熱っ!?」
左手のウロコが、焼けるように熱い。
「お、おい……熊が、笑ってやがる」
誰かが呟いた。
棘山熊の口角は吊り上がり、剥き出しになった牙が、不気味なほど白く輝いていた。
続いて、巨体を不自然に揺らすと、背中の角がメキメキと伸長。
「――は? なにそれ、知らないやつ」
本来、奴の角は身を守るための防具に過ぎない。しかし、その棘の隙間から――禍々しい赤黒い蒸気が噴き出している。
「角から排熱してる? ……だから、なんだそれ? あ、ヤバッ、全員っ!?」
続く、空気にバリバリと走った静電気。
奴は突進してこない。代わりに僕を見下すと、爪を地面に深々と突き立てた。
「伏せろぉぉぉっ!!」
僕が叫ぶのと、雷鳴が轟くのがほぼ同時だった。
――視界が真っ白に染まる。
「が、はっ……!?」
耳鳴りがひどい。だが、泥を噛みながら顔を上げると、信じられない光景が広がっていた。
最前列の領民たちが、紙屑のように吹き飛ばされていた。地面に倒れてうめいている。そんななか、ただ一人――。
「……下がれと言った、はずだぞ。ヤバマーズ男爵」
聖騎士ロダンが、巨躯を震わせながら踏み止まっていたのだ。甲冑の隙間から、バチバチと火花が散る。
なんて凄まじい耐久力。だが、もう立っているだけでやっとなのは明らかだった。




