第142話 芽吹く野心、不毛の地に返り咲く。ヤバマーズの空気は、人々を自由にしますから。
辺り一面。端から端までを埋め尽くす、タンポポ。
かつて死を振りまいたはずのタンポポは、今は無邪気に揺れている。
「へえ~、思ったよりいいところじゃないっすか♪」
「長閑な場所ですねぇ。とても魔物が跋扈する森とは思えないや」
目印となる巨木が今も静かに、僕らを見下ろしている。
ジルが感心したようにポニーテールを揺らし、ヘイホーがのんびりと空を仰ぐ。
「そうだろう? ……魔物が絡まなければ、ここは本当に美しい場所なんだと思うよ」
かつての激闘に、想いを馳せる。
綿毛の魔人エグレットが帰郷願望を糧に、孤独な花を咲かせた楽園。
それも主を失った今では、すっかり平和なお花畑。
すると、祓魔女装束姿のリュスが言う。
「とはいえここまでの道中は、なかなかに大変でしたね」
大変と言いながらも、その法衣に返り血一つ浴びていないが。
「まさか、タンポポゾンビが健在だったとはな」
「数は知れていますが、放置すれば異変の切っ掛けになりかねませんよ」
「そうだな、定期的な間引きと巡回は必須だろう」
ここに来るまでに遭遇したのは、植物の根に寄生された動物の死骸。
親玉を失っても、活動には支障がないらしい。
「……早急に、要注意生物のリストでも作らないとな」
本格的な拠点設営には時間がかかる。
だが、まずは起点となる前線キャンプを張り、安全の確保だ。
無論、作業の中心は、僕の誇る猟兵たち。
彼らはご自慢の紋章鎧を脱ぎ捨て、いつもの着古した外套を羽織り、鼻歌まじりに杭を打ち込む。
だが、その輪の中に、意外な顔ぶれが混じっていた。
「アスタ男爵様、こちらの荷物はどこに運びましょうかっ!」
「オラたちにも、なにかお手伝いをさせてくださいまし!」
汗水たらして声を張り上げるのは、ドラクロワ男爵領から逃げ込んできた農奴たち。
つい先日まで、飢えと怪我で死にかけていたとは思えないほどの活力。
特に目立っていたのは、僕よりいくつか年下であろう一人の少年だった。
「アスタ様! オイラがお休みできる場所をご用意しますから、待っててくださいね!」
「はは、助かるよ。あまり無理をするな」
「無理なんてしてません! これから生まれてくる弟? か、妹のためですから!」
この少年は、農奴のまとめ役の息子。
父親は仲間と魔物に立ち向かったが、凶爪に倒れた。農奴たちの心を折った、きっかけの事件の被害者。
(父親を失ったばかりなのに、健気だよなあ……)
そんな少年は今、身重の母親を養い。
新しい家族のためにと、自ら志願して開拓作業に加わっている。
「皆、ずいぶんと活気づいているな」
「ヤバマーズの空気は、人々を自由にしますから」
「なんだ、その言い回しは」
リュスの私的な物言いに、思わずツッコんでしまった。
「ああ、きっと“都市の空気は自由にする”の間違いだ」
「いいえ、合っていますよ。ヤバマーズの空気こそ自由です」
「いや! こんな不毛の地に逃げたからって、自由な気持ちになれるわけがない! ……むしろ、不自由に決まっている」
農奴は都市に逃げ込んで、一年と一日耐えれば自由な身分となる。
そんな慣習的な扱いなら聞いたことがあった。
すると、リュスは出来が悪い生徒を諭す女教師のように。
どこか楽し気に口元を緩める。
「おや、アスタ様はご自覚が足りないようですね」
「自覚だって?」
「よろしいですか、農奴の仕事とはなんですか?」
「そりゃ、土を耕して税を納めることだろ」
「ええ。つまり……自らの志しで剣を持つことも、領主が直轄する事業で手柄を立てることも、彼らの常識にはなかったのです」
「……それは、うちが農民と兵士があやふやなくらい野蛮人だからだっての」
ここでは生きるために、民草が鍬を投げ出し。
弓や狩猟刀を握るのが当然の風景だ。
猟兵たちに至っては、本来なら居場所のない鼻つまみ者。
そう思っていたのだが……。
「本当にそう思いますか? どうぞ、耳を澄ませてください」
そのはずが、実際に耳を澄ませてみると――。
「オラたちも、あの立派な紅白の鎧を着て戦えるだか?」
「守ってもらうだけの農奴じゃ、いざって言う時どうにもならねえ」
そんな声が、農奴たちから聞こえる。
紅白の華やかな紋章鎧を纏い、誇らしげに振る舞う私兵たちは……農奴たちにとって衝撃以外の何物でもなかったらしい。
「どうですか、アスタ様。ヤバマーズは、腕一本で名誉と栄光を勝ち取れるチャンスの地に見えているのですよ」
「……名誉と栄光ね。そんな立派なもの、ヤバマーズにはないぞ」
「なるほど。……アスタ様、一つお教えします」
「なにを、だ?」
「まさか、猟兵たちが、本当に“楽をしたい”という欲に目が眩み、あなたの従者になりたがったとお思いですか? あの派手な鎧が格好良いからだと?」
「違うってのか。あいつら、魔物の換金特権を維持しろって、めちゃくちゃがめつい要求してきたんだぞ」
「もちろん、実益も欲しがるでしょう。しかし、あなた様はほんの表面しか見ておられません」
リュスが目線を促したので、僕も釣られる。
視線の先。
慣れぬ手つきで杭を打とうとしていた少年に、眼帯の猟兵がぶっきらぼうに声をかけた。
「おい、小僧。そんな腰の入ってねぇ叩き方じゃ、明日の朝には引っこ抜けるぞ。貸してみな」
猟兵は大きな木槌をひったくると、自慢の剛腕をひと振り。
――ズドン!
力強い一撃。
杭は深く、固く、ヤバマーズの強情な土へと……その意思を刻み込むようにして突き刺さる。
「うっわぁ……すっげぇや、おじさん!」
「へっ、当たり前だ。これでも旦那様から『地獄の番人』なんて物騒な二つ名を貰った精鋭だからな。……ほれ、次はお前がやってみろ」
教える猟兵の、鼻の下をこする照れ隠しの仕草。
彼は無意識か、誇らしげに胸の角笛紋章を張っている。
少年の瞳には、英雄を仰ぎ見る憧れが見えた。
「わかりましたか、アスタ様」
「なにがだよ」
「……本当に、どうにも鈍感な御方なのですね」
リュスの呆れるような、冷ややかな目。
え、やめて、なんかゾクゾクするから。
その目で見られると、ちょっと嬉しいのはなんで!?
「よいですか。彼らは『誇り』を手に入れてしまったのです」
「誇り、だって?」
「そうです。爪はじき者だった密猟者が、領主の盾となる。あの紋章鎧へ袖に通した瞬間、彼らは初めて、社会の寄生虫ではなく……正当なる戦士となったのです」
薄汚れた狩人ではなく、誇り高き領主の戦士となる。
これによって、人生の意味が塗り替えられたのだと、リュスは言う。
「猟兵だけではありませんよ、屋敷の使用人たちも、です。あのお仕着せは、単なる制服ではありませんでした。アスタ様が彼らを認めた……いわば、栄光の証」
「栄光の、証。でも、あれは――」
「商人を接待するための、策に過ぎなかった?」
「そうだ」
「だとしても。彼らにとって、その体験は……“人生が逆転する”ほどの感動だったのです。一度、味わってしまえば、もう捨てることは出来ません」
僕が打算で作り上げたはずの、厚化粧の布陣。
それが人々の心に、火を点けたっていうのか。
「……この地に流れる空気は、停滞した過去を清算し、新たな自分に生まれ変わる機会を与えている。それをわたくしは、自由と呼んだのです」
「それが……この難民たちにすら、影響を与えている、と?」
「はい。彼らは今、新たな歴史を築くため、槌を握ることを喜んでいる。励めばより良き未来が……“名誉と栄光”があると信じているのですよ」
リュスの言葉は、耳を激しく叩く。
お前が夢を見せたのは、商人たちではなかったぞ、と。
これが、お前が引き起こした結果だぞ、と。
「そんな立派な話じゃない。みんな買い被りすぎだよ。……僕は、嘘つきな男なのに」
「では、その嘘を貫くしかありませんね」
「……え?」
「もう一度見てください。あなた様の目には見えませんか? 気高く、誇りを胸に抱いて生きてみたい、と願う人々が」
だが、僕がどれだけ否定しても、人々の活気は盛り上がるばかり。
「あなた様は、ヤバマーズの民には気高さがないと仰るでしょう。しかし、今や、あなた様自身が、ヤバマーズの気高さを担っているのです。だから――その嘘は貫き通すしかありません」
リュスは、不毛の地ヤバマーズに“名誉と栄光”が息づいているとそう言ってはばからなかった。
それから簡易工房が建つと、すぐに大きな発見があった。
綿毛の魔人エグレットが残した地、ここに群生するタンポポ。
解析したオノレはこう言った。
「動物の血と臓物よりはさすがに少ないが。このタンポポには、どうやら魔素が低濃度ながら含まれているね」
「残されたタンポポは、普通じゃないのか」
「そのようだ。さすがは魔人の置き土産。……土壌から、魔素を吸い上げて蓄積しているのかもしれないな」
「黒銀結晶への変換効率は?」
「かなり低い。でも、安定供給を模索する手がかりとしては十分だよ」
自生する、その数は圧倒的。
魔人が遺したこの黄金の遺産は、確実に僕らを前に進ませた。
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