第13話 絶望を実験材料(ネタ)に変えろと、血が叫ぶ
瞼は重く、指先一つ動かせない。
……これが死か。思ったよりも、心地が良かった。
でも、浮かんでは消えていくのは、嫌な記憶ばかり。
(父上。……正直、最後まで好きになれなかったな)
なにが、領主としての誇りだ。
息子である僕よりも、領地の行方を心配していた背中。
「我らは、この地の領民に生かされてきたのだ」
いつも滑稽だった。みんなの手本になろうとして、あるべき規範を示そうとして、損をしまくって。
最期には、やせ細って発狂して死んだ。
「ヤバマーズの未来は明るいぞ」
死ぬ間際に、濁った眼で笑った顔。――ああ反吐が出る。
あんな男の背中を追いかけるなんて、死んでも御免だと思っていた。
(そうさ、ヤバマーズの領民も好きじゃなかったんだ)
都会の詩人たちが歌う、純朴で清らかな農民なんて、この世にいない。
あいつらは頑固で疑い深くて。自分のためになら、どんな嘘も暴力も辞さない恥知らずどもだ。
「あっしは母ちゃんが病気の時に、薬代を立て替えてもらいますた」
こいつは、酒を飲んだくって暴れて、妻のためにお金を使わなかった酒乱野郎。
「おいらは娘を売らずに済んだ」
こいつも、息子は働き手になるからと、真っ先に娘を売ろうとした間抜け。
「獣が悪さをしたら退治をしてもらった」
こいつだって、隠れて密漁していた。コソコソ僕に隠れて、獲物を盗んで闇市で売りさばいてやがった奴だ。
(みんな、都合の良いときだけ善人のフリをしている。なんで、こんな奴らのために、命を張らないといけない?)
放って置いたら勝手に集まって、気に入らない誰かを村八分にしたり、私刑を加えようとする。
暴力でも、略奪でも、辱める行為でも。なんでもする。税もちょろまかすし、輪に入れない奴には非道な要求をする。
孤児たちにだって、「さっさと遠くの炭鉱にでも、追い出せばいいのに」と陰口をたたいているのを、僕は知っている。
(ああ、この地に正義なんてないんだ。なのに、僕はどうして――)
どうして、沈みゆく泥船に、しがみついている?
王都での学生生活もそうだ。そこは自由で、華やかな場所だと思っていた。
(……でも、実際はどうだった?)
ヤバマーズと名を聞いただけで、級友たちはクスクスと笑い、講師たちは同情のまなざしを向けてくる。
「あの不毛の地の?」
「呪われた家系の?」
「全員が、もれなく変死のヤバマーズ!」
都会のスープを喉に通しても、故郷の風が鼻奥にこびりついている気がした。
どこにいても、僕は結局、ヤバマーズという呪縛から一歩も外に出ていない。
(ああ。どこに行っても、ろくなもんじゃないんだよなぁ。そう、なのにどうして――)
なのに、どうして僕はここにいる?
どうして、あんなゴミのような廃棄物を口に流し込んだのか。
よぎる子供らの顔、愚直な執事、母上の眠る墓石。添えられた花。痩せて軽かった――父上の遺体。
……いや、誰かを言い訳にしたりなんかしない。
答えは簡単だろう――僕が“ヤバマーズ”だからさ。
この呪われた血が、絶望を実験材料に変えろと叫んでいるんだっ!
状況を打破せよ。さあ、抗え、と。
「ああ、坊や……」
しっとり、じめついた声が聞こえる。
「死ぬには、まだ早いのですよ」
ドクン、と。
心臓が、大きく跳ねた気がした。そう。まだ、早い。
(そうだ。僕はまだ、あの結晶の正体を突き止めていない)
沈殿した、あの黒銀色の砂。
父上も、歴代のバカな先祖たちも辿り着けなかった、未知の領域。
あんな面白いものを放置して、すやすや寝ていられるかっ!
――このクソみたいな現実、全部ひっくり返してやるっ!
***
「――がはっ!!」
肺に溜まった毒素が、一気に吐き出されたかと錯覚する。
視界が明滅。手指の軽く痙攣して、冷汗をかいていた。
誰かが、僕の背中を強く叩いている。叩き続けている。
「アスタ様っ! アスタ様、しっかりしてくださいっ! 息をして!」
ベール越しでもわかる、リュスの必死な声。
目を開けると、僕の胸ぐらをつかんで揺さぶる『暗渠の瞳』の女がいた。
「……五月蠅い、ぞ。死ぬか、と思った。……いや、死んでたか?」
「死んでいませんよ! 数分、ぐったりなさってたから――」
「なんだ、なら……ちょっと意識が飛んだだけじゃないか。騒ぎ過ぎだ」
「ちょっと意識が飛んだ、だけ……?」
ふむふむ。口の中に残る、ザラザラ感。酷い金属味。苦み。口内粘膜の痛み。鼻に抜ける強烈な生臭さ、腐敗臭。
「腐ったレバーをアンモニアで煮て、しこたま鉄粉を混ぜて、廃油と一緒に発酵させたら、こんな感じかもしれん」
味以前に、全身が拒絶してる。生物が口にしちゃダメなやつって、本能が訴えてる。
これはもはや、圧倒的な化学の暴力や……。(食レポ)
胃液が逆流してくるのを噛み締めながら、ふらふらと立ち上がろうとした。
が、リュスに引き留められる。
「お待ちください。味って……結局、なにを口に入れたんですか?」
おそるおそると言った様子で、リュスが尋ねて来る。
どうやら、僕がなにをしたのか正確には理解していないらしい。これ、答えたら、異端判定になるのかなあ。
「さっきの鍋に入ってた、内臓の切れ端」
「……なんのために?」
「魔素が残留しているかと、食用に適するかの確認。味も、臨床診断の基本だろ」
「魔素?」
ああ、そうか。そもそもゴブリンの臓物と血液を、使った実験だとピンときていないのか。
僕が捌いているところ、見たはずなんだがな。
「わたくしには、よく理解できませんが……貴方は異端というより、単に無謀な方なのではないかと思いました」
「男爵にそんな口の利き方できるほど、えらいのか。祓魔女とやらは」
「とりあえず。いったん屋敷に行きましょう、なにか薬はありますか?」
「……たぶん、大量に水を摂取するのが妥当だ。と言うか、早く口をゆすぎたい」
肩を貸してくれたのだが、すげー、ヤバいやつを見る目で見られてる気がする。
異端判定は保留されているけど、何も嬉しくないぞ。
おい、リュス。お前、ヤバマーズ家が成り上がった暁には、ぎゃふんと言わせてやるからな?(でも、出世の予定はない)
そこで違和感。なんか、変じゃね。
「ん? なんだ、こりゃ」
「む、どうかされました?」
「いや、なんか硬いものが……手にくっついてる?」
左手の手の甲に、硬質な感触。くるりと、視界に向けた。
「……え?」
――手の甲に、ウロコみたいのが生えとるッ!?
「え、まさか……?」
「先ほどから、どうされたのです。やはり具合が悪いのですか?」
怪訝そうに、リュスが問いかけてきた。
「えっ! いや、なんでもないぞっ! ふははは、すこぶる調子がいいだけだ!」
調子いいわけねえだろっ、マズいぞ! これ、魔物化か?!
今度こそ、異端判定っ!? バレたら、殺られるッ!!?




