2話
大谷美代子視点
練習後の帰り道
大谷美代子、高校1年。背泳ぎのフォームは、肩から指先までが一直線に伸びる瞬間が特に美しいと評判だ。けれど本人は、ゴーグル越しに見える水面の揺らぎを追うのに必死で、褒められるたびに少し居心地が悪い。毎晩ストレッチを欠かさないのに、「そんなにすごくないよ」と笑ってしまうのが癖になっている。水泳部では面倒見がいいとよく言われるが、それは自然に体が動いてしまうだけ。――本当は、浅田哲也のことが気になって仕方がないから。
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練習が終わって、更衣室の鏡に映る自分の顔を見た。頬がほんのり赤いのは、泳ぎ疲れたせい……そう思いたいけれど、本当はさっき浅田くんにタオルを渡したときのことを思い出しているからだ。
「美代子、今日もフォームきれいだったね」
「でもさ、浅田くんって真面目すぎない? あれでリレーのアンカーとか大丈夫かな」
「美代子、浅田くんといい感じじゃない?」
友達が笑いながら軽口を飛ばす。私は慌てて「ち、違うよ!ただの部員仲間だって」と返した。悟られたくなくて、わざと笑顔を作ったけれど、胸の奥のざわめきは隠せない。
更衣室の床は少し湿っていて、足音がぺたぺた響く。髪を乾かす温風が頬に当たり、シャンプーの甘い匂いが混ざり合う。制服に着替える布の擦れる音が響き、日常の風景が広がる。けれど私の耳には、さっきの彼の呼吸の音がまだ残っていた。
校庭に出ると、夕暮れの空が茜色に染まっていた。誰かが「明日のリレー、浅田アンカーだってよ!」とからかうように叫ぶ。私はその声に反応して、自然と浅田くんの後ろ姿を目で追ってしまった。
濡れた髪が夕陽にきらめき、肩の揺れに合わせて滴が落ちる。その一瞬が、永遠に続くように感じられて、目を逸らそうとしても逸らせなかった。背筋を伸ばして歩く姿は、いつもより頼もしく見える。けれど、その笑顔は仲間に向けられたもので、私に特別な意味があるわけじゃない。そう思うと胸が少し痛む。
――浅田くんは、ただ真面目で、みんなに信頼されているだけ。
私にタオルを受け取ったときのぎこちなさも、きっと偶然。
でも、もし少しでも特別に思ってくれているなら……。
校門までの帰り道、私は歩きながら自分の胸に手を当てた。鼓動が速くて、落ち着かない。友達に悟られないようにわざと笑顔を作る。でも、笑顔の奥で心臓は暴れていた。言葉にできない焦りが、夕暮れの空に溶けていくようだった。
――私だって、浅田くんを好きにさせたい。
でも、自分の気持ちを悟られてはいけない。
彼が私に惹かれて、告白してくれる。それが理想。
夕暮れの空に、明日のリレーのことを思い浮かべる。浅田くんがアンカーを務める姿を想像するだけで、胸が高鳴った。




