表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『兵装同調機構レゾナンス~神の穴~』  作者: 異原 世界
第0話

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/4

4、あの日のこと

「簪、着けてみたら?」


雫がそう言うと、レナは少しだけ首をかしげた。

手の中には、薄桃色の花を模した簪。

包みを開けたばかりのそれは、光を受けて小さく輝いていた。


「そう?」


髪を指でいじりながら、上目づかいで雫を見上げてくる。

その瞳は、どこか甘くとろけそうで、何かを待っているようにも見えた。


「うん」


雫は特に深い意味もなく答える。

その調子があまりに自然すぎて、レナの口が少し尖る。


「……うん、着ける」


少し怒ったような、拗ねたような声だった。

その反応に雫は首を傾げる。

着けたくないのか?

やっぱりもっとちゃんと選んだ方が


レナは袋から簪を取り出した。

やっぱり綺麗だ、と雫は思う。

花をモチーフにしたデザイン。

今こうして見ると、レナのために作られたようにしか思えない。


そのとき、レナが少しもじもじしながら言った。


「……どうやって着けるの?」


「え、俺に聞く?」


雫はちょっと笑いながら答える。


「俺、こういうの着けたことないからなぁ」


「そう……だよね」


少し残念そうな声だった。

レナは髪を後ろに流して、自分で着けようとする。

指先が慎重に動くけれど、髪がするりと逃げる。


「ん、ちょっと届かないかも」


そう言って、後ろを振り向く。

雫のすぐ目の前、肩越しに見えるうなじ。

街頭の光が差し込んで、細い髪が金色に光っている。


雫は、なぜか目が離せなかった。


「……前に着けた方が可愛いよ」


それは思わず口に出た言葉だった。

その瞬間、レナの唇がわずかに動いた。


「……ちがう」


ほんの小さな声。

風の音に紛れて、雫には届かなかった。


レナは再び簪を持ち直し、今度こそ自分で着けようとした。

けれど、その手が耳元に届く前に――

雫が、ふと何かに気づいたように動いた。


――もしかして、俺に着けてほしかったのか。


その瞬間、胸が熱くなった。

自分の鈍さに気づいて、焦りにも似た衝動で手を伸ばす。


「わ、悪い! 貸して!」


レナの手から簪を受け取る。

彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐに目を閉じ、小さく肩をすくめた。


雫は息を呑み、そっと髪をかき上げる。

指先がうなじに触れた瞬間、レナの身体がびくりと震えた。

香りが近い。距離が、近すぎる。


「……これで、いい?」


簪が、光を受けて小さく揺れた。

花弁の影が、頬に落ちる。


レナは一度、目を伏せてから、

ゆっくりと顔を上げて――少し頬を膨らませた。


「気づくの、遅い……!」


その声は小さく、けれど確かに拗ねていた。


「だ、だって分かんないよ……」


慌てて言い返す雫に、

レナはぷいと顔をそむけて、耳まで真っ赤に染めた。

うなじから首筋へとかけて、白い肌がじんわり熱を帯びていくのが見える。


「……バカ」


その一言が、風にさらわれていった。

けれど、その声の震え方は、怒りよりも照れの色が濃かった。


雫は思わず笑ってしまう。

ため息まじりの、どこか優しい笑みだった。

彼女のそういうところ――不器用で、正直で、少しだけ臆病なところ――が、

どうしようもなく愛おしかった。


レナはそんな雫の視線を感じ取ったのか、

横目でちらりと見て、さらに顔をそむける。


「……なに」


「いや……その、似合ってる」


言葉にした瞬間、胸の鼓動がどくりと大きく跳ねた。

思っていたよりもずっと本気の声になってしまった。


レナの肩がぴくりと動く。

沈黙が落ちる。

頬に触れる風の音だけが、やけに大きく聞こえた。


「……当たり前でしょ」


そう言いながら、レナはほんの少しだけこちらを向く。

その唇の端が、照れ隠しのようにわずかに上がった。

目を逸らしたまま、それでも笑っていた。


簪の花が光を受けて、小さく揺れる。

その影がレナの頬をやさしく撫でていた。

その光景があまりにも綺麗で、

雫は息をするのも忘れてしまいそうだった。


時間がゆっくりと流れていく。

風が二人の髪を揺らし、遠くで鳥の声が響いた。


――この瞬間が、ずっと続けばいいのに。


そんな願いが、

雫の胸の奥で、静かに芽を出した。



夜の空気には、まだ祭りの名残が漂っていた。

遠くから聞こえる太鼓の音が、風に乗って届く。

屋台の灯りはもう半分以上が消えて、道を照らすのは、点々と並ぶ提灯の柔らかな光だけだった。


並んで歩く二人の影が、石畳に揺れて重なったり離れたりする。


「今日は……ありがとう」


レナがぽつりと口を開いた。

振り返ると、彼女は少し俯き気味に笑っていた。

どこか申し訳なさそうで、けれど目の奥には小さな光がある。


「そんなこと気にしてたのか?」


雫は肩をすくめる。

まさか、そんなことで遠慮していたのか――と思うと、

どうにも笑ってしまいそうだった。


「ごめんね……無理させちゃって」


レナは指先で服の裾をいじりながら言った。

その仕草が小動物みたいで、雫はつい見とれてしまう。


「無理なんてしてないよ。約束しただろ?」


「約束?」


「幸せにするのは――誰だっけ?」


レナはその言葉に目を瞬かせる。

しばらく黙っていたが、やがて、唇をかすかに震わせながら言った。


「……神、さま?」


少し泣きそうな顔で、冗談めかして笑う。

その笑顔の奥に、ほんの少しの照れと安心が混ざっていた。


「ちょっと! 俺でしょ!」


雫が慌てて言うと、レナはぷっと吹き出した。

その笑い声は、まるで小さな鈴が転がるように澄んでいた。


「ごめんごめん」


笑いながらそう言って、レナはふっと顔を上げた。

夜風が彼女の髪を揺らす。簪の花が、提灯の光を受けて小さく光った。


「ありがと、雫」


その言葉は、まっすぐだった。

飾り気のない一言なのに、心の奥まで届いてくる。


雫は何も言わず、ただ小さくうなずいた。

隣を歩くレナの横顔を、ちらりと見る。

さっきまでの照れくさい空気が嘘のように、

二人の間に流れる風が、やけに穏やかだった。


遠くで最後の花火が上がった。

夜空に咲いた大輪の光が、二人の顔を照らす。

レナの横顔は、まるで夢の中のように美しかった。



夜の風が涼しかった。

人のざわめきが遠くへ薄れていく。

祭りの終わり――それは、ほんの少し寂しくて、けれど心地よい余韻を残す時間だ。


レナが並んで歩きながら、何度も空を見上げていた。

星が瞬き、灯籠の光がその間を漂う。

さっきまでの笑顔がまだ頬に残っているようで、雫は少しだけ胸が温かくなる。


「ねぇ、雫」

「ん?」

「音、聞こえる?」


レナが立ち止まって首を傾げる。

確かに、遠くの方から“ドン”という低い音が聞こえた。

花火の残りか、それとも太鼓の余韻か。

雫は何気なく笑って答えた。


「祭りの続きでもやってるんじゃない?」


「そっか……」

レナは小さく笑った。

風が髪を揺らし、簪の花がちいさく光を返す。


――ドン。


また音が響いた。

さっきより、少しだけ近い。

地面が微かに震えた気がする。


「ねぇ、今の……地鳴り?」

「気のせいだろ。明日の太鼓の練習じゃない?」


そう言いながら、雫も自分の声が妙に軽く響くのに気づいていた。

祭りの音にしては……長すぎる。

太鼓の音は、一定の間隔で、徐々に大きくなっていく。


――ドン。

――ドン。

――ドン。


胸の奥が、どくんどくんと共鳴する。

体の内側から震えるような、嫌な響き。


「……なんか、変だね」

「……うん」


雫がそう答えた瞬間――


――パッ。


目の前の景色が、一瞬で消えた。

街も、通りも。

そこにあったはずの街が、風船が割れたように一瞬で人が積み上げてきたものが消え失せ、次に目を開けたときには、広大な野原が広がっていた。


風が吹き抜ける。草の匂い。

足元には舗装の欠片すらない。

けれど、周囲には確かに他の人々が立っている。

みんな混乱した顔で辺りを見回していた。


「どこ……ここ……?」


レナの声が震える。

雫も声を出そうとして――止まった。


空を見上げた瞬間、理解した。

“街が消えた”んだ。


空にはいつも通りぽっかりと巨大な“穴”が開いている。

一面雲で覆われた夜空を食い破ったような黒の円。

そこから光が滲み出して、世界全体を異様な色に染めていた。


そして――そこに“いた”。


穴の真下、宙に浮かぶ“なにか”。

全長は軽く百メートルを超えている。

形は完全に人の形だが、女性と言われたら女性だし、男性と言われたら男性と答えてしまうような言い表し用のない体型。

背に六枚の翼を生やし、全身は裂けた口の集合体。

その口という口から笑い声が溢れ出している。

                


    「ははは」         「うふふ」

「あはははは」       「ひひ」

       「ふふふ」     

            「あはははは」

   「ははははは!」     「ひひひひひ」

「ほほほ」      「うふふ」




それと同時にその"なにか"の体がぐちゃり、ぐちゃりと肉のような音を立てながら、顔らしき部分がわずかに動く。

光が走り、雫は思わず目を覆った。


「笑ってる……?」


レナが息を詰めるように言った。


空気が震えた。

地面を見れば、その"なにか"の真下に、ビルほど

もある巨大な太鼓が鎮座していた。

音の出どころは、あれだ。

その太鼓の表面に、血のような赤黒い模様が脈打っていて、周りにはぐちゃぐちゃの固形物が散らばっている。まるで臓物を取り出しそれを投げつけたようなそんな生々しさを帯びている。


“なにか”の体の一部が、腐り落ちるように剥がれ、ゆっくりと落下していく。

そのまま太鼓に叩きつけられた瞬間――


 ドン!!!


世界が揺れた。

空気が弾け、風が吹き荒れる。

人々の悲鳴が響く。


雫はレナの腕を掴んだ。


「走るぞ!!」


「なにあれ、なにあれ!!」

「わからない! でも逃げなきゃ――!」


再び空から笑い声が降り注ぐ。

言葉にならない音が、まるで人間の悲鳴を嘲笑う

ように重なっていく。


そして、


 ドン!!! ドドドド!!!


体が朽ちて太鼓に

朽ちて太鼓に

朽ち。

太鼓。

朽ち。

太鼓。


太鼓が鳴るたび、地面が歪む。

光が走り、空が裂けた。

祭りの灯が消えた夜の代わりに、世界は今、なに かの“演奏”の晴れ舞台になっていた。


 ドン!!!


大地が跳ねた。

次の瞬間、雫の視界がぐにゃりと歪む。

足の裏から何かが抜け落ちたような感覚。

体が一瞬ふわりと浮いたかと思えば、膝から崩れ落ちる。


「……あれ?」

視界が下に傾く。

レナの足元がやけに遠い。


雫は地面に手をつき、足を見下ろした。


 ――何も、ない。


靴も、ズボンの裾も、皮膚も。

膝の下から先が、まるごと“消えて”いた。


「……え」


現実の認識が遅れて追いつく。

理解した瞬間、痛みが遅れてやってきた。

焼けるような熱が、腰の下から一気に広がる。


「っああああああああああ!!!」


出すつもりのない叫びが喉を裂く。

地面に爪を立てるが、掴めるものなど草と土だけ。


「雫!! しずくっ!!!」


レナが駆け寄る。

その顔が泣きそうに歪んでいる。


「な、にこれ……なにが……!」


自分でも言葉が出ない。

痛い。痛い。痛い。痛い。

“痛い”という言葉しか頭に浮かばない。


「動かないで! お願い、今、止血を――」

 

レナが言い終える前に言葉を止めた。

足を見ると血は流れていなかった。

脚があるはずの場所は、ただの“空白”だ。

光も影も、そこだけ滑らかに切り取られたように存在していない。


 ドン!!!


太鼓の音が、再び鳴る。

そのたびに、雫の身体の感覚が削がれていく。

皮膚の感覚が遠のき、視界の端が暗く滲んだ。


「しずく! ねぇ、やだ、やだよ! 置いてかないで!!」

 

叫びと同時にレナの髪にしていて簪が地面に音も

なく散る。


レナの叫びが耳に響く。

でも、もう音の輪郭が掴めない。

遠くの水の中から声を聴いているみたいだった。


「……なに」


雫は小さく呟いた。

痛みよりも、空気の薄さが苦しかった。

息が吸えない。


 ドン……


音が鳴るたびに、まぶたが重くなる。

心臓の鼓動と太鼓のリズムが混ざって、どちらが

どちらかわからなくなる。


(なんか……うるさいな……)

(眠い……)

(俺、なにしてたっけ……)


思考が、霧の中に沈んでいく。

太鼓の音は、今や子守唄のように聞こえた。


「しずく!! お願い!! まだ……なにも言えてない!!!」


レナの叫び。

その声に、少しだけ意識が戻る。

目を開けようとしたけど、まぶたはもう動かない。


(……そっか……)

(言えてないのは……)


最後に微かに笑った気がした。


「おやすみ」


その言葉を、誰に向けたのかもわからないまま――


 ――ドン!!!


 世界が、音に呑み込まれた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ