第2話「魔王軍の新人研修が雑すぎる件」
魔王軍の雑用係としての初日。俺は鉄板運び、死体の一時処理、謎液体の拭き取りと、あらゆる“やりたくない仕事”を体当たりでこなしていた。
中でも一番キツかったのは、臭い。
腐ったスライムと焼け焦げたワーウルフの死骸の山。そこに誰かが魔法で間違えてぶっかけた粘着油が混ざるという、地獄のフルコース。嗅覚が死んだ。
何がファンタジーだ。どこが夢の異世界だ。これはもう、異臭界だ。
「うっぷ……っ、まじでキツい……」
「おう、バケツの場所はそこの角。胃袋ぶちまける前に片しとけ」
隣で眠たげに作業していたのは、昨日ゴルザーク中隊長に呼ばれてきた現場監督・ネムス。肩にかけたタオルがすでに黒く染まっている。血か、油か、それともどっちもか。衛生観念は、死んでる。
「そういや、お前。名前は?」
「高槻優。通勤途中に鉄骨にやられて死んだら、ここにいた。たぶん転生」
「ああ、あるある。うちの部署、八割それ」
「そんなに事故物件集めてんの!?」
「だってほら、戦闘要員って訳でもないし。スキル無しだと前線に出せないし。だからこういうとこに」
「適材適所、という名の厄介払いですね……」
「ま、俺も似たようなもん。昔は魔法部隊だったけど、報告書出すのがめんどくて降格」
「異動理由が終わってる!」
この人たち、本気で組織回してる気があるのか? ……いや、たぶん、ない。無いからこうなってる。
そう、何から何まで、現場がとにかく雑。
工具は出しっぱなし。危険物も無造作に放置。破損してる階段、抜けてる床板、火薬庫の横に喫煙所。いつ爆発してもおかしくない。
(どこから手をつければいいんだ、これ……)
気が遠くなりかけたそのとき、いきなり頭上で「バキッ」と不穏な音がした。
「おい待て、それ梁……!」
ネムスの言葉が終わる前に、天井の一部が崩落。鋼の梁がミシミシと悲鳴を上げながら、俺たちのいる作業スペースへ――
「危ないっ!」
咄嗟にネムスを引っ張って、その場から転がるように逃げた。
直後、ズドン、と耳をつんざく衝撃音。埃と瓦礫が舞い上がり、空間が一瞬、白くなる。
……生きてる?
「げほっ……おい、ネムスさん、生きてます?」
「うぇー……助かったわー……。危機察知スキルでもあんの?」
「ありません。これは、“勘”と“予測”です。梁の下に柱がない、ネズミが逃げてた、そして……腐食臭。危険信号、全部出てたんで」
「おまえ……なんかすげぇな……」
「いえ、ただの現場観察力です。あ、あの。もしかして、定期点検とかやってません?」
「ていき……? なんだっけそれ」
「…………」
――想像以上だった。魔王軍、点検という概念が存在していない。
思わず天を仰ぎたくなったが、天井は崩れたばかりだ。冗談抜きで危ない。
その場にいた作業員たちがざわつき始め、あっという間に騒動に。
「誰か死んだのか!?」「またかよ……」「記録係、記録係どこいった!?」「記録係、昨日辞めたよ」
ダメだこの職場。
だが、その混乱の中でも、俺の頭は回っていた。
この状況、ある意味では――“チャンス”だ。
(今なら、この現場の異常を“初日”の新入りの視点で指摘できる……!)
何年もこの現場にいる奴らは、たぶんこのカオスに“慣れ”てる。だが、俺は違う。これは明らかに――異常だ。
「ネムスさん、今回の崩落、報告書出します?」
「う~ん……誰か死んでないし、放っといてもバレないっしょ?」
「“バレないから”じゃなく、“次に死人が出る前に対処する”んです。これ、普通の会社じゃ、通用しませんよ?」
「会社……?」
「いや、気にしないでください。ともかく俺が報告書、まとめます。危険箇所と原因、簡単な改善案も添えて」
「え、お前が? 誰に?」
「知りませんけど、“出しておくこと”が大事なんです。証拠は、誰の味方にもなれるんで」
元・社畜は、記録と証拠が命。ブラック企業で生き残るには、“言った言わない”の泥沼を避ける力が必要だった。
「まじか……なんか、お前、すげぇ……」
呆気に取られるネムスを横目に、俺はガレキのそばにしゃがみ込み、持っていた木片に現場図を描き始める。
異世界初日。ここは明らかにおかしい。
でも、改善の余地は――ありすぎるほど、ある。
(なら、やる価値はあるだろ)
俺は木片に「危険エリア」って文字を書き込みながら、小さく笑った。
この魔王軍というブラックな異世界で、まず俺が手をつけるのは――
“職場環境”からだ。