星に願いを
ベガ、デネブ、アルタイル。三つの星を繋げれば夏の大三角。それは分かる。一等星のベガから西に目をやると、いくつかの星が繋がり、ヘラクレス座があるそう。
いや、さっぱり分からん。
勇者ヘラクレスが星空にいるらしい。その他にもわし、こぐま、へび、きりんなど実はたくさんの動物が星空に紛れているらしい。
点と点を繋いで、それが何かに見えるとは。ただのいびつな多角形でしょう。最初に星座を考えた人の妄想力のたくましさよ。恐れいったわ。
湿っぽい冷たくも無い風が頬を撫でて行き、煙が夜に溶け、天に上って行った。
今日は星が良く見える。いや、いつでも良く見えるか。アパートの裏には小さな山がある。本当は山ではなく、古墳らしい。誰かのお墓。興味も無いので誰が眠っているのかは知らない。そしてアパートの住民達も寝静まっている。夜中でもパーリナイで騒いでいるのは蛙や虫達で、途切れることなく鳴いている。その音が静かな夜には良く響く。
気分の良い夜だった。
街灯もないこの辺りは天の川は見えないけれど星が良く見える。
家の電気を消せば、さらに星空が見えるかしら。 家の中に入り、ついでにさっきまでくわえていた煙草をテーブルの上にあった灰皿に押しつけて電気を消す。途端に部屋は真っ暗になった。暗闇に目が慣れず、テーブルをゆっくりとつたい外へ出る。
さてさて、ベランダから見えるプラネタリウムはどんなものか。
ベガ、デネブ、アルタイル。夏の大三角は先ほどよりもくっきりはっきり見えている気がする。その他の星達も、はっきり見えている気がする。……気がする。つまり、あまり変わらないってこと。まあこんなもんだよねと、蚊に刺されるのも嫌なので部屋の中に戻ろうとした。
その時、しゃらんといくつかの鈴が重なったような聞き慣れない高貴な音がした。振り向くと、畦道の真ん中に象に乗った人がいた。象の前後には大きな団扇を持つ人がいて、象の上の人に向かって扇いでいる。他にも、ハープを持つ人、トライアングルのような楽器を持つ人もいた。けっこうな人数がいて、ゆっくりと列を作って畦道を進んでいる。大名行列のようだと思った。着ている服装は着物ではなくて、ゆったりとしたアラブ系の服だったけど。
これは田舎の畦道にいちゃいけない御一行だ。付き人っぽい人達が奏でるエキゾチックな音楽がそろそろ聞こえて来たので、私は関わらないように、早く家の中に入ろうとした。すると、しゃらんしゃらんと音楽がより一層激しく鳴り、象と付き人達がこちらに向かって走り出した。
いやいやいやいや、怖い怖い怖い。
一瞬でも目を離してしまえば取って食われる気がしてじっとその様子を見ていたら、象はあっという間に私のいるアパートまで来てしまった。
象に乗る人と、私はばっちり視線があった。象の背の上と、アパートの2階はちょうど同じくらいの高さらしい。
「ヤマトナデシクデスネ?」
褐色の肌をした、彫りの深いイケメンは私にそう尋ねた。
「ジャパニーズノヤマトナデシクデスネ?」
なでしく?
大和撫子のことかな。この人、日本語上手だな。
「ワタシハ、トアル油田ヲモテイル石油王デス。ジャパニーズナデシクヲ嫁サンニ欲シイデスノデ、貴方ヲ見初メマシタ。今」
付き人はやたらとロマンチックな曲をゆったりと控えめに奏でている。お香の香りがふわんと漂って、何とも言えない不思議な気持ちになった。
どうでも良いけど、石油王って、自分のこと「王」って名乗るものなのかな。
「嫁サンニ来テクレマスカ?」
石油王は色素の薄い瞳を真っ直ぐに向けて来る。石油王の肩書きが例え無くても綺麗な瞳の持ち主だった。あら?
素敵な人なんじゃないの。
この人のお国はどこだろう。私は知らない国でやっていけるのかな。親には何て紹介すれば良いのかな。友達はびっくりするだろうな。彼氏は石油王って何だかドラマ化しそうなタイトルだな。結婚式は国を貸し切りしちゃうのかな。名前は何とかサラーム3世みたいな雰囲気の名前かな。自家用ジェットで、世界5周旅行できるかな。エルメス、ヴィトン、グッチ、ハリーウィンストン、ルブタン、ジミーチュウ。
私、今、最高に幸せな瞬間なんじゃない?
「よろしくお願いし──」
耳元でぷーんと羽音がした。
黒い小さな物体はふらふらと飛んで来て、ベランダの手すりに置いていた私の手に止まった。私はもう反射的に、パチンと蚊をたたいた。
すると、急に世界が反転して気が付けば私は部屋の床で寝転がっていた。
石油王は?
むくりと起き上がり、部屋の電気をつける。そのままベランダに出てみても、象に乗った人もいなければ、しゃらんと鈴の音もしない。お香の匂いもしなかった。
相変わらず蛙や虫達の音ばかりが聞こえている。
「なぁんだ、夢か」
石油王が求婚して来るだなんて、私も妄想が過ぎるわ。
「ヘルクレス座」が正しいようです。
2021年7月作成。