それぞれの価値
アイギスがダンジョンに潜り始めてから一体どれくらいの時間が経っただろう。ダンジョンの外では夕暮れの光が辺り一面を照らしていた。すると突如として、エントランス内の空気がざわ付き始める。
思い当たる理由は一つしかない。
地下のダンジョンへと続く階段から、土埃とモンスターの返り血で汚れた5人組がゆっくりと上がってくる。やり切れない顔をしたジークの手には、血濡れた布ひ巻かれた包みが握られているのを見て若い冒険者を含め、それを眺めていた全員が事情を察する。
「すまない。これだけしか回収できなかった…」
若い冒険者の元へ真っ直ぐやって来たジークが、苦悶の表情を浮かべながら血濡れた包みを差し出す。包みを受け取った戦士職の少年は震えた手で布の一部をめくると、そこには引き裂かれた腕と、それに巻かれた羽を模した鉄細工のブレスレットが覗いた。ブレスレットを見て仲間の死を確信した戦士職の少年は、嗚咽を漏らしながらその腕を抱き締める。側で一緒に見ていた神官の少年は、あまりの悲惨な光景に胃の内容物をぶち撒けながら崩れ落ちた。目の前の痛ましい状況に、アイギスの面々も掛ける言葉が見つからずただ立ち尽くすばかりだった。
いつもの定位置で壁にもたれ掛かり、側から事の結末を眺めていたロキが興味を失った様にその場から立ち去ろうとすると、その背中にジークが声を掛ける。
「おい待てよ!!君はこの状況を見て何も思わないのか!?」
「彼等の依頼を請けたのはあんた等だ。俺には関係の無い」
ジークの呼び掛けに足を止めたロキが振り返り答える。
「ふざけるな!!君なら俺達よりも早く救出に向かう事が出来たはずだ!君は救う力を持っていながら見殺しにしたんだぞ、無責任だと思わないのか!?」
「俺が無責任ならあんた等はどうなんだ?」
「何だと?」
「潜る以上俺にだって死のリスクがある。それを人事だと思って「力を持ってるんだから助けに行け」「報酬は要求するな」って、好き勝手なこと言ってるあんた等は無責任じゃないのか?」
「ッ……それは」
「俺にとって金は対価であり信用だ。金を払わない奴、ましてや綺麗事で依頼料を反故にしようとする奴を俺は絶対信用しない」
「でも…だからと言って…ッ」
言葉に詰まったジークは目を伏せる。
「その辺にしときリーダー。彼方さんの言う事も一理あるわ」
「カイネは彼じゃなくて俺が間違ってるって言うのか!?」
「ジークとアイリスの『助けたい』って優しいは美徳や、ウチは仲間やから構へんけど他人に押し付けたらアカンわ」
「……」
しゅんと肩を落とすジークを、カイネと呼ばれた薄桃色の髪を後ろで束ねた射手の少女が窘める。ロキの方に向き直ったカイネは両手を合わせ頭を下げる。
「うちのメンバーが迷惑掛けてもうてスマン!堪忍したってや!」
今までのメンバーと違うカイネの気さくな態度に、ロキは何やら毒気を抜かれた様な気分になる。
「でもリーダーの言う通り、依頼料にもう少し手心を加えてくれると助かるんやけど…どうやろ?」
カイネは少し顔を上げると、申し訳無さそうな表情は崩さず片目を開けてチラリとロキを見る。そんな様子にロキは軽くため息を吐き告げる。
「気を悪くするかも知れないけど、あんたは自分の命に金貨10枚以上の価値があると思うかい?」
「いや、誰が金貨10枚の安い女やねん!!ウチみたいな容姿端麗で弓の扱いに長けた女の子、金貨2億枚あっても足らんわ!!」
面識の浅いロキ相手にカイネはくみ気味にノリツッコミを放つ。カイネの距離の詰め方にロキは少々戸惑いつつも続ける。
「2億枚かはともかく、俺もあんたも自分の命を安く見積もってない事は確かだ。だから依頼料を安くする事はしない。俺を雇いたいなら最低でも金貨200枚、もしくは同等の対価を用意しろ」
そう言い残すとロキはダンジョンのエントランスから出ていく。アイギスの面々は互いに目配せし肩の力を抜く、そして今後の方針を模索するのだった。
商業都市アレストスは今日も活気に満ちていた。商取引が盛んなこの街では王国領土内の様々な物品が集まり、昼間は食料品や雑貨品、その他の骨董品や武具等を買い求める客で賑わう市場として、夜になると行商人や旅人が疲れを癒す為の酒場やレストラン、娼館が立ち並ぶ歓楽街としての一面を見せる。
日が落ち街頭で照らされたアレストス街中をロキは歩いていた。周囲を見ると仕事終わりの行商人や冒険者達と、それ勧誘する居酒屋のキャッチや娼館の女性達が通りに並んでいた。そんな人々を横目に人通りの少ない方へと進むと暗い路地裏へと入って行く。路地裏を更に奥へ進み人の気が完全に途絶えたのを確認すると、纏っていたフード付きのアウターと仮面を外し背負っていたバックパックに詰め込む。仮面の息苦しさから解放され何度か深く呼吸を繰り返すと、路地裏を抜けて歓楽街から居住区画へと出る。
居住区画を十分程歩くと一軒の古い集合住宅に辿り着く。ロキはこの集合住宅の一室を寝床にしており、家の前では大家である年配の女性がゴミ出しをしている最中であった。
「あら、ロイじゃない。お帰りなさい」
「ただいま、アネットさん」
アネットはロキの名前を『ロイ』と呼んでいた。それは決して名前を呼び間違えた訳では無く、仕事上いらぬ恨みや因縁を買ってしまう事が多い為、仕事とプライベートでロキとロイの二つの姿を使い分けているのだった。
「今日は帰りが遅かったねぇ?」
「えぇ、少し入り用でしたので」
「そうかいそうかい、そいつは難儀だったねぇ。そうだ!夕飯のスープを作りすぎちまってね、良かったら食べておくれよ!」
ニコニコと笑うアネットは一度部屋の中に戻りると、暫くしてから鉄鍋を持って戻ってくる。そして返答も待たずにその鍋をロキに手渡す。
「あ、ありがとうございます。でも、えっと…こんなに申し訳ないですよ」
「何言ってんだい!あんたは線が細いんだから沢山食べなきゃダメだよ!」
少し遠慮しがちに笑うロキの背中をバンバンと叩き屈託のない笑みを見せる。アネットは孫ほど歳の離れているロキを放って置けないらしく、多少強引ではあるが時折こうしてお節介を焼いていた。そんなアネットの善意にロキは鬱陶しさこそ感じるものの、不思議と嫌悪感を感じる事は無かった。
「それじゃあ、お休みなさい」
アネットは満足そうに笑うと部屋へと戻っていった。やや腰の曲がった弱々しい背中を部屋の扉が閉まるまで見送ると、手に持った鍋に視線を落としため息を吐き、ロキもまた自身の部屋へと続く階段を上がって行く。
部屋の前に着き鍋を床の上に置くと、ポケットから鍵を取り出し扉を開ける。部屋の中は外観通りの古びたワンルームであり壁や床が所々剥げ、置いてあるものも机と椅子とベッドのみと、踏んだくった仕事料と比べるとかなり質素なものであった。手に持った鍋を台所まで運び蓋を開けると、中には沢山の野菜と鶏肉を煮込んだスープが入っていた。引き出しからオタマを取り出すとスープを掬って口元に運ぶ、しかし唇が触れるよりも前にオタマの中身を鍋に戻す。そして少し悩んだ末に鍋の中身を全て流し台へと捨てると、バックパックと脱いだ靴を雑に床へ転がしベッドへと倒れ込む。
そして今日の出来事を思い返しながら静かに眠りに着くのだった。