その四
最初の幾日かは、そんなもんだろうって、……ほら、雨が続く季節ってあるだろうさ。だから、これもそうだって思ってたんさ。
お内儀も千沙様も良くしてくれて、三度の飯だの、風呂だの、洗濯だの、……雨が続くのに洗濯か、ってかい。そうなんだよ。でも不思議と夜までには乾いててさ、きちんとたたんで持ってきてくれるんさ。何でも、近くに洞窟みたいんがあって、そこで洗ってそこで干してんだそうな。風通しが良くてよく乾くらしいってさ。里の女衆は皆そこで洗うっていうんさ。
里の衆っていえば、仕事の合間なんだろうけどさ、良くわたしを訪ねて来てくれてねえ。雨ん中来てくれるから、部屋には上がんないけんど、笠かぶって中庭に立っててさ、わたしの話を聞いてけらけら笑うんさ。他愛もない話なんだけんどもね。世間から隔たっちまってんだなって思うと、なんだか気の毒になっちまったね。男衆にはいろんな宿場町のちょと艶っぽい話をしたよなあ。……なんだって? わたしがそんなにもてるわけが無いだろうって? 宿場で聞いた話なんだろうって言うのかい? 大きなお世話だよ! まったく、口が悪いねえ。
もちろん、女衆が子どもを連れてくることもあってさ、そん時は、手持ちの中からおもちゃを渡すんだ。……行商してると、子連れのおかみさん相手のことも多くてさ、子どもがぐずって話が終わりにならないようにって用心で、おもちゃを子どもに上げるんだよ。振るとかたかた鳴ったり、吹くとぴいぴい鳴ったりするつまんないものだけんどね…… そんでも里の子どもたちは喜んでくれてさ。そのうち子どもらだけで来るようになって。持ってたおもちゃ全部やっちまったな。かたかたぴいぴいって音が雨の音に混じってあちこちから聞こえてたよ。
雨っていえばさ、ちっとも上がんねえんだよ。もう幾日経ったかねえって感じでさ。さすがに気になりだしてね。それで、部屋で頂いた夕餉の膳の片づけに来て下さった千沙様に聞いたんだよ。
「千沙様、ここいらは長雨なんでございますか」
「どう言う事ですかえ?」
「いえ、そろそろ雨が止まないかと思いましてね……」
「雨は止みませぬ」
千沙様はいつものように笑顔でそうおっしゃったんだ。それでも、わたしは言ったんさ。
「左様で…… ですが、いつまでもご厄介になっているわけにはまいりますまい。それに、止まぬ雨などというものはございますまいし……」
そしたら千沙様むすっとしたお顔になりなさって、膳を持つとすっと立ち上がられて、一言も無く部屋から出て行ってしまわれてね。はて、何ぞお気を悪くするようなことを申し上げたかな、なんて思案していると、お内儀がお見えになってさ。
「千沙から聞きました。里を離れたいとか……」
何とも悲しそうなお顔で言うんさ。でも、わたしにも商売もあるしね。
「はい、ご厄介になりっぱなしで心苦しゅう思っとりますもんで…… それに、わたしも商いがござりますれば……」
「ここで商いをしても良いと申しましたが」
「いえいえ、皆様にこんなにお世話になっていますのに、皆様をお相手に商いなどできませぬ」
「……そうですか……」
お内儀は溜め息をつかれてさ。それでも気を取り直したか、すぐに笑顔のなられて。
「では、明後日に出立なされませ。明日の宵には里の者を集め、ささやかながら送別の宴を設けましょう」
「いえいえ、そのような勿体ないことは、為されませぬように、是非是非……」
わたしゃあわててそう言ったんだけんど、お内儀は聞く耳持たずで部屋を出て行かれてさ。もう取りつく島もありゃしなかったよ。……なんだって? わざと取りつかなかったんだろうって言うのかい? 相変わらず、大きなお世話だよ!
それで翌日さ。相変わらず雨が降っててね。まあ、いつものざあざあ降りではないんだけんど、それでも雨ってのはこうも続くと鬱陶しいやね。
まあそんなに強い降りではなかったんで、里の衆に今までのお礼かたがた、ご挨拶廻りでもしようかと思い立ってね。傘をお借りしようと部屋を出たら、千沙様にばったり出会ってね。かくかくしかじかと申し上げると、
「傘は玄関にあります」
との仰せだったんだけんど、考えてみたら、このお屋敷に招かれてから、一歩も外へ出ていないことを思い出してさ。
「……千沙様、ここへお招き頂いてからと言うもの、外へ出たことがついぞ無く、お屋敷で知っていまする所は、宛てがって下さったこのお部屋とお風呂と厠くらいなものでして……」
そんな言い訳をしたら、千沙様はからからとお笑いになってさ。
「その三か所を知っておれば事は足りるでしょうね」
なんて事をおっしゃって、またお笑いになるんだ。そのお顔が可愛らしくってねえ……
一渡りお笑いになると、
「では玄関まで案内いたしまする」
って、自ら先に歩かれてさ。