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怪談 雨の里   作者: 伸神 紳
2/6

その二

 里まで下りる道ってのは細い下りの獣道でさ。しかも雨でぬかるんでてな。わたしゃ周りの枝やら幹やらを掴みながら、そろりそろりと一足ずつ踏み出すのがやっとでね。それでも滑ってひっくり返りそうになってさ。

 お内儀が隣で付き切りでわたしに傘を差して下さるんだが、つたない足取りのわたしにいやな顔一つしないのがお気の毒になってね。それに、道の端に寄って草ん中をお進みになっててね、綺麗なお着物の裾が汚れてしまってさ、それも申し訳なくってね。ついつい言ったんだ。

「お内儀様、わたしにかまわずに先へお進みくださりませ」

「ですが……」

「お内儀様とお会いする前よりの濡れ鼠。それにわたしに合わせていらしては、何時お里に辿り着けますやら」

 そう言ったらさ、お内儀が笑い出したんだよ。と言ったって、その辺の女みたいに歯をむき出してげらげら笑うんとは違ってさ、なんちゅうか、手の甲を、こう、口元に当ててさ、……そんなに笑うこたぁないだろうが…… 声を忍ばせて笑うんだよ。その仕草が何とも品が良くってさ。雨の中なのに見とれちまったね。

「……わかりました」

 お内儀はそう言うと、するすると下りて行くんだよ。よろけも滑りもしないんだ。驚いたけど、何度もここを行き来されてたんだなって思ったよ。それで、あっというに道を曲がって姿が見えなくなったんさ。

 一人になると、いきなり不安になってね。聞こえるのは葉を打つ雨の音だけだし、木々のせいで薄暗いし…… ひょっとして狐にでも化かされたんかって気になってさ、とにかく早く下りちまおうって、滑るのも構わず歩いたよ。途中で何度か尻もちもついたかな。

 で、やっとの思いで下りるとさ、お内儀が待っていてくれててね。

「大丈夫でしたか」わたしの様を見て心配してくれたんだな。「申し訳ないことをいたしました……」

 言いながら頭を下げるんさ。わたしゃ慌てたね。

「いえいえいえいえ、お内儀様。お気になさらず。単に濡れ鼠が泥鼠になっただけで……」

「あなたは楽しいお方ですね……」

 そう言って傘を差し出してくれたんだけど、本当にこっちは濡れ鼠の泥鼠。

「お内儀様、わたしにかまわず、お進みくださりませ。こうなっちまったら、雨が降りかからないと物足りなくて仕方ありませんので」

「まあ……」

 そう言ってさ、さっきの品の良い笑いをしてみせるんだよ。ひょっとして、わたしゃそれが見たかったのかもな。

 傘を差すお内儀の後にわたしが従って歩く。狭くても人里だね。今まで歩いてきた道と比べりゃ歩きやすい。歩いていると、それを察したのか、幾つかある小屋の中から人がばらばらと出てきてさ。

 頑丈なからだと鋭い眼光の男衆たち、品の良さと強さとを感じさせる女衆たち、しっかりした躾をされているってわかる子どもたち。身なりは粗末だけど、さすがお侍って思ったよ。

 そして皆がさ、「お帰りなされませ」とか言って、お内儀に頭を下げるんだよ。お内儀も皆に笑顔を向けてさ。なんか、絆の深さってのを感じたな。

 わたしも皆様にご挨拶をする。小さい子はわたしを指さして笑ってたけど、わたしゃおどけた仕草で返したよ。そしたら皆が笑い出してね。……え、どんな風にってかい。こう、前歯をむき出しにして、両手を首ん所でだらりと下げてさ、「濡れ鼠、泥鼠」って言いながら、その子にちょこちょこ小走りしながら向かったんさ。きゃいきゃい言いながらその子は走り回ったかな。……なんだね、あんたらまでも笑うかね…… ま、あれで打ち解けたんだろうね。男衆も女衆も、お内儀も笑ってたよ。

 お内儀に案内されてお屋敷の玄関に立った。

外からの様子とは打って変わって、立派な拵えだったね。よくあれだけのお屋敷を建てたものだって、感心したよ。……え? 何を知ったかぶってんだってのかい? お生憎様、こう見えて、わたしはあちこちのお武家様との商いもあるんでね。結構詳しいんだよ。

 玄関へ入ってお内儀が傘をたたんでさ。

「ただいま帰りました。……千沙、千沙はおりませぬか」

 凛とした声で、お内儀が奥に向かって呼ばわってさ。するとね、十四、五くらいの娘が走り出てきて、座り直すや、さっと頭を下げてさ。

「お帰りなさいませ」

 元気のいい声で答えるんだな。

「千沙、なんとお転婆な……」

 お内儀が困った顔をしてわたしに振り返る。わたしは一向気にしないといった素振りをする。他にやり様がないわな。

 娘が顔を上げるとさ、にこにこしててさ、お内儀そっくりなんだ。こりゃ、お内儀の良い所ばかりを持って産まれたんだな。わたしはそう思ったね。着ている物は粗末な町娘のような物だったし、お転婆な感じはあるんだけんど、なんてんだろうね、やっぱり、品があるんだよなあ。

「富、戻ったか」

 いきなり後ろから大声がして驚いて振り返ると、全身から雨滴がぼたぼたと垂れてて、着ている物を尻端折った姿の、里の方々以上に筋骨隆々として背が高く浅黒く陽に焼けた男衆が立っててさ。

「殿、今戻りましてございます」

 お内儀がその男衆にお辞儀をする。驚いたけんど、この里に落ち延びてきた武将ってのは、このお方なわけだな。


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