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怪談 雨の里   作者: 伸神 紳
1/6

その一

 まあ、今日も晩飯までご厄介になったんで、お返しと言うのではないけんど、思い出した話があってさ、聞いてくれるかね…… そうかい、聞いてくれるかい。じゃ、話させてもらうかね……

 前の年のことなんだけんど、ま、見ての通りわたしゃ行商でね、ここからだいぶ遠く…… そうさなあ、山五つくらい隔てておるかなあ…… そんな所を歩いていたんだ。そんな辺鄙な所だけんど、わたしにとっちゃ馴染みの場所でさ、わたしを待ってくれてるお馴染みさんも少なくない。でもそん時に、ちょっと欲を出して、新しいお客でも作ってみるべえって気になってね、今まで通ったことのない道を行くことにしたんさ。

 初めての道だったから、思うようには進まれん。熊でも出た日にゃ、お陀仏だからな。……え、そんなひどい道だったのかってかい。……そうなんだよ。いつも通い慣れてる道があってさ、その時まで気づかなんだけんど、脇道があってね。その入り口は立派な道だったんだよ。……え? そうなんだよ、通い慣れてた道だってのに、その脇道は、そん時初めて気が付いたんだ。……情けない行商だって言うのかい? ふん、大きなお世話だよ!

 そんでね、その脇道を黙々と歩いて行くとさ、だんだんと細くなるし、木の茂りも増えて来るし、さっきまでの青空がすっかり曇っちまうし、その内、忌々しいことに雨が降り出しやがってさ。

 その時期は雨は降らない所だったもんで、笠も雨合羽も用意してなくてさ、道端の木の下で、背負っていた葛籠を置いてさ、その上に腰かけてしのいでたんだけんど、すっかり濡れ鼠さ。……え? 商売道具を尻に敷くなんて、商人の風上にも置けないって? さっきも言ったけんど、大きなお世話だよ!

 そんで、これじゃこの先は行けそうにないと思って、引き返そうと決めたんだ。

 そしたら、行こうとしてた道の先から人が来るじゃないか。近付いてきて分かったけんど、傘差した女人だったよ。伏し目に傘を差してるから顔は見えなかったけんど、見えてる着物から思うに、お百姓には見えなかったな。庄屋の内儀か娘かって感じだったな。こんな所に庄屋の屋敷があったんだ。ここいらは庭だってくらい知ってるつもりだったけんど、まだまだわたしの知らないことがあるもんだ、って思い知らされたよ。天狗になっちゃ、いけないね…… ここ、笑い所なんだけど、ま、いいや…… そしたらその女人、わたしの前で足を止めてさ、傘をすっと上げたんだ。

 もの凄い別嬪で艶っぽい年増でさ、わたしに笑顔を向けたんだよ。

「お困りのようですわね」

 わたしの声じゃわかんないだろうけどさ、珠を転がしたような声って、あれを言うんだろうね。

「はいはい、この雨で難儀しております」

「では、雨の止むまで当家にお越しくだされませ」

「ですが、お出かけの途中ではござりませぬのか」

「急ぎではございませぬ。日を改めても構わない程の用事ゆえ……」

「恐れ入りましてござります…… それにしましても、ここいらにお庄屋様のお屋敷があるとは、存じ上げとりませんでした」

「当家は庄屋ではございませぬ。……ささ、傘の中へ」

「でも、お内儀様のお着物が濡れてしまいます」

「乾けば済む事です。ご遠慮なさらず……」

 笑顔のままで、傘を、こう高々と掲げてさ、わたしを待ってるんだよ。もう嫌とは言えないわなあ。

 で、お内儀の差した傘に入ったんだ。

 お内儀が言うには、先の戦乱を…… そうそう、あの十五年前のあれさ…… 落ち延びた武将様と御家来衆とでこさえた集落らしいんだ。で、この女人は武将様のお内儀様とのことでさ。

「くれぐれも御他言は御無用に……」

 なんかさ、逆らえない、威厳があってさ。わたしゃ何度もうなずきながら答えたよ。

「そりゃ、もう、心得ましてござります」

 落ち延びたとはいえ、武将様のお内儀ってのはさすがだって思ったよ。でも、お供もつかないんだから。落ちぶれるってのは悲しいものだわな。いや、それ以上に、お気の毒だって思ったよ。身なりがしっかりしてるだけに、余計痛々しく見えてなぁ。

わたしのことも聞かれたんで、行商で、新しくお客ができないものかとここへ来たって、正直にお話ししたよ。

「ならば、ここで巡り合ったも縁でございましょう。当家の者たちを相手に御商売もなされませ」

「よろしいのですか」

「そなたの売り物やら話しやらは、きっと里の者も喜びましょう。……何せ、他の里との往来がない所なれば……」

「左様でございますか」

 いやはや、落ち延びるってのは、こんなにも厳しいものだとは思ってなかったさ。わたしゃ、お内儀や御家来衆たちが気の毒になってね、商売っ気抜きにして、楽しんでもらおうって気になったんさ。

 どれほど歩いたか覚えちゃいないが、ま、こんな綺麗なお内儀と連れ立ってんだから、時の経つのも忘れたって事もあるけどな……ここも、笑い所なんだけど、ま、いいや…… 里が見えてきた。

 里って言ってもさ、山間の低くて狭い平地に、少しの田畑と、いくつかの掘っ立て小屋みたいなのと、それに比べりゃ大きいけども、いかにも素人集が建てたって感じのお屋敷のような物があるきりさ。それを見たとたん、正直、気持ちが萎えちまったよ。

「さぞがっかりされたでしょう……」

 お内儀はわたしの心中を見透かしたように、申し訳なさそうに言ってさ。

 いや、きっと顔に出てたんだろうな。わたしゃこうやって、自分の顔をぱんぱんと叩いてさ、……おいおい、ここは笑いどころじゃないよ、ま、いいや…… 誤魔化してみせたんだ。

「いえいえ、皆様の御苦労に思わず涙が溢れそうになりました次第で……」

「そうですか。お心のお優しい方……」

 お内儀は言いながら袖で涙を拭っておいでだったな。

 それから、その里に下りて行ったのさ。




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