第2話【永遠の凍土】
この世界の文明は、空から降り注いだ異形の怪物――天魔によって滅ぼされた。
人類の八割は天魔との戦いによって死亡もしくは行方不明となり、天魔と戦うことを放棄した残りの二割は地中深くに全三階層からなる巨大な地下都市【閉ざされた理想郷】を築き、地上を捨て去った。それから一〇〇年近くを【閉ざされた理想郷】にて過ごした彼らは、天魔に見つかることを恐れて生活していた。
そんな人類の希望を担っているのが、異形の怪物と契約を果たした化け物もどき――天魔憑きである。天魔と契約をした彼らは術式と呼ばれる異能力を駆使して、天魔から地上を取り返すべく日夜戦っているのだった。
「ゼルム雪原? あの年中無休で雪が降ってるあそこか?」
「うん、君の言う通りのあそこだね」
分厚い戦術書やらすでに終わった作戦の指示書なんかが散らばった最高総司令官の執務室に呼び出されたユフィーリアとショウの二人は、本日も見目麗しい黒髪紫眼の上官殿から難関任務の説明を受けていた。
艶やかな黒い髪をハーフアップにまとめ、幻想的に輝く紫色の瞳は引き込まれそうな魅力を感じる。中性的な顔立ちは男にも女にも見えてしまうが、声と口調からかろうじて男であると判断できようか。最高総司令官という立派な肩書きを有しているにもかかわらず、彼の格好は白いシャツに細身のズボンという実に簡素なものだった。
最高総司令官――グローリア・イーストエンドは「説明を続けるね」と広げた羊皮紙に視線を落とした。
「ゼルム雪原は、およそ一〇〇年前までは寒い時期にしか雪が降ってなかったところだけど、天魔が出てきてからは年中無休で雪が降る永久の凍土と化したんだ。まあ、吹雪は天魔にとっては欠点でしかなくて、ゼルム雪原に降り立った途端に凍結耐性の持たない天魔以外は凍りつくようになっちゃったんだ」
「何故いきなり永久凍土の世界となってしまったのだろうか?」
「ゼルム雪原に昔からいる天魔が原因だとされているね」
ショウの質問に対して、グローリアは平然と答えた。あたかもその知識を有していることが当たり前だとばかりに。
ユフィーリアも適当に「ふーん、そうなんだ」と相槌を打って、任務の内容が簡単であればいいなと祈るばかりだった。
朗らかな笑みを浮かべたグローリアは、今回の任務の内容を告げる。
「実は、そのゼルム雪原の雪が全部溶けちゃったんだよね」
「溶けた?」
「うん。全部」
グローリアは朗らかな笑みを浮かべたままなんでもない風に言うが、それって結構やばいことなのではないのだろうか。
ユフィーリアとショウで顔を見合わせて、それから二人して首を傾げる。永久凍土と呼ばれるゼルム雪原のことは学のないユフィーリアでも知っているが、でもなんで溶けたのか。
――異常気象の四文字が浮かんだのは、その時だ。
「それやばくねえか? いくら【閉ざされた理想郷】が地中に埋まってる都市だからって、異常気象がこっちにまでやってきたら」
「うーん、それよりもまずいのはゼルム雪原を天魔によって支配されることなんだよね」
グローリアは地図を一瞥して、
「ゼルム雪原は広大だ。天魔が蔓延るようになったら、取り戻すことが難しくなる。だから、手っ取り早く異常気象をどうにかしてもらおうと思って」
「異常気象をどうにかって……まさか吹雪を起こせとか言うんじゃねえだろうな?」
「あはは」
「笑ってんじゃねえぞこの馬鹿司令官。いくらなんでも異常気象を起こしてこいって任務には応じかねるぞ、お前の頭が異常だよ」
異常気象を起こしてまた永久凍土に戻してこいとか言われたら、さすがにユフィーリアでもできる気がしない。そもそも天候の発生条件すら分からないのだ、猛吹雪を起こせとか馬鹿か。
前回の悪夢の繭との戦いによってようやく自分の意思を持つことを理解したショウは、グローリアのあまりに無茶な要求(推定)に否定の姿勢を示す。
「イーストエンド司令官。世の中には己の実力のみで実行可能なものと不可能なものがある。今回の任務は不可能に分類すると思うのだが」
「ショウ坊にまで否定されるとかよっぽどだぞ、グローリア。実現不可能なことを押しつけるんだったら、俺は仕事しねえからな」
「ええ……部下がいきなり反旗を翻してきたんだけど、僕は一体どういう反応をしたら……?」
笑顔のまま困惑した様子を見せるグローリアは、「異常気象を起こせってことが命令じゃないよ」と否定する。
「今回、君たちに頼みたいのは異常気象の原因となったものの調査だよ。最初に言ったと思うんだけど、ゼルム雪原の猛吹雪はあそこに昔からいる天魔が原因だとされてる。その天魔を見つけて交渉することができればいいんだけど、現状では調査で大丈夫だよ」
「調査なら、まあいいか」
調べてくるだけであれば問題はないだろうが、そうやって調査を命じられて港湾都市で大変なことになったのは記憶に新しい。ユフィーリアは「面倒なことにならなきゃいいな……」と呟き、その隣でショウが不思議そうに首を傾げていた。大変な目に遭ったの代表格なのに、彼には自覚がないのか。
ともあれ、異常気象を起こしてこいなどというふざけた内容の任務でなくてよかった。ユフィーリアはやれやれと肩を竦めると、
「で、ゼルム雪原へはなにで行けばいいんだ? お前の『空間歪曲』で飛ぶってんなら今すぐ逃げる」
「そんなことしないよ。今日は別の乗り物を地上に用意してあるから、それで行ってきてくれるかな?」
以前に『空間歪曲』を使って高高度から自由落下させた恨みつらみを晴らしたことが記憶に根強く残っているのか、グローリアは別の乗り物を用意するという賢明な判断を講じた。
命の保証がされているのであれば文句はないが、上官に対して不信感しかないユフィーリアは「大丈夫なんだろうな……」と疑った。
☆
地上に出てみると、そこには馬車があった。
しかも馬車に繋がれていた馬は、八本の足を持つ変な馬だった。
ユフィーリアとショウは八本足の馬を目の当たりにして、それから口を揃えて言った。
「「チェンジ」」
【なんでッスか】
八本足の馬を介して、気怠げな青年の声が飛んできた。
気の抜けそうな青年の声の正体は、グローリア・イーストエンドを補佐することが仕事の補佐官、スカイ・エルクラシスである。数多の使い魔を使役して世界中を監視する彼は、どうやらまた面倒な雑用を押しつけられて辟易しているようだった。
【ボクはグローリアと違って、安全運転で行きますんで安心してくだせーッス】
「まあ、スカイならまだ信用はあるな」
真面目そうに見えて実は意外と大雑把なところがあるグローリアとは違い、極めて面倒くさがりではあるものの仕事はきちんとこなすスカイの方が安心できようか。
スカイは馬を介して【酷い言われよーッスね。同情はしねーッスけど】と同じく酷い言い様だった。
「にしても、なんで八本も足があるんだ? 普通は四本だろ」
【スレイプニルっつー使い魔ッスよ。どこでも早く走ることができる馬ッス】
「なんか神々しいんだけど、そんな奴をお前のようなぐーたらが従えてるの? 可哀想じゃない?」
【ボクのことを普段からぐーたらだと思ってんスね、この若白髪】
「あ? お前の真っ赤なマリモをマジで赤く染めてやろうか」
「喧嘩はよせ、ユフィーリア。争っていても仕方がないだろう」
年下に喧嘩を宥められるという事案が発生し、ユフィーリアは大人しく口を閉ざした。収穫祭が近づいているのと秘匿していた年齢をあっさりとバラされた苛立ちで、いつもより他人に五割り増しで喧嘩を売っ払うようになってしまった。
スカイは【やれやれ】とため息を吐くと、
【あ、ショウ君の為に馬車の中に弁当用意してあるんで、道すがら食べてくだせーッス。大衆食堂の料理長に頼んでおいたッス】
「弁当!!」
「あ、目ェ輝いた」
赤い瞳を輝かせたショウは、足早に馬車の中へと乗り込む。
今回は調査だけだろうし、仕事も楽そうだ。適当に切り上げることにしよう。
ユフィーリアは先に馬車に乗ったショウを追いかけて、用意された荷台に乗り込むのだった。




