下編
「つっても、異世界からきた奴をどうやって帰せばいいんだよ」
ユフィーリアの素朴な疑問によって、六人での作戦会議が第二層の定食屋にて行われた。
愛想のない店主は嫌な顔をしたが、どうせ奥まったところに建てた影響で客が入ってこないのだ。摘めるものを注文して、ユフィーリアたち五人は真剣に蒼空を元の世界へ帰す方法を考える。
しかし、いかんせん初めてのことなので、対処の仕方が分からない。こういう時に頼りになるのは上官のグローリア・イーストエンドだが、万年忙しそうにしている彼に頼ることはちょっと気が引ける。
「――そういえば、創作小説で同じような題材を取り扱っているのを何度か見たことがある」
ポツリとショウが呟いた。
全員の視線が黒髪赤眼の少年に集まる中、彼は枝豆をもそもそと口に運びながら言う。
「異世界からの来訪者は、誰も彼も事故などの拍子にこちらへくるらしい。四輪車に轢かれそうになったり、高所から落とされたりなどの危機的状況に陥るようだ。それを応用すれば、元の世界へ帰還することも可能ではないか?」
「でもねぇ。四輪車に乗るには免許が必要だし、あれって地上に持ち運べないのよねぇ」
エドワードが肩を竦めると、ユフィーリアたちは「あー」とやけに納得したように頷く。
地上へ行く為の昇降機は狭く、四輪車を乗せられるほどの重量にも耐えられない。なので、四輪車を使うという話は強制的になくなる。
ならば、残された道は一つだけだ。
「じゃあ突き落とすか」
「賛成だ」
「いいねぇ」
「それしかねえもんな」
「それがいーナ♪」
「待って!? それ俺死ぬ奴じゃないの!?」
早くも二度目の命の危機に晒されている蒼空は帰還方法に抗議するが、残念ながら聞き入れてもらえることはなかった。異世界からの来訪者というこの上なく面倒な爆弾を抱えているので、さっさと解決したいという本音が雑な扱いを招いた。
――おそらく、二条蒼空は数多ある異世界転移の物語の中でも、とりわけ不幸な部類に属するだろう。
なにせ、彼ら五人のうち四人は、奪還軍の中でも問題児と密かに囁かれているのだ。ユフィーリアは見ての通りの屑美人であり、エドワードは悪ノリがすぎるし、ハーゲンは馬鹿だから危険であることを認識できず、アイゼルネには常識が通用しない。唯一まともなショウは、屑な相棒に感化されつつあって、屑というより常識知らずの箱入り坊ちゃんの影響でとんでもねー爆弾をぶち込んでくる始末である。
「よーし、じゃあ王都の城壁に行くか。あそこなら飛びやすいだろ」
「待って!? 本当に待って!? 上から突き落とされるのはもう決定事項なの!? ――あ、ちょ、待っていやああああ助けてええええ」
嫌がる蒼空を無理やり引きずり、悪ノリが過ぎる四人の馬鹿とやらかしてしまったことに自覚がない一人のクソ真面目は店から出て行った。
余談ではあるが、巨大オムライスを完食すれば同行者も含めて料金が無料になるようなので、金は一切払わなかった。――最後まで無愛想な店主は不満そうにしていたが、こればかりは自分で決めたことなので仕方がない。
☆
ひゅうおお……と不穏な風が頬を撫でる。
嫌がる蒼空を無理やり引きずって、ユフィーリアたちは王都の城壁までやってきた。神宮『斗宿』よりやってきた防衛線の要である狐巫女――【白面九尾】の天魔憑き、八雲神によって結界が張られている為、王都には天魔が寄ってこない。
澄み渡った青空から、今日もポロポロと雨の如く異形の怪物が降り注ぐ。ユフィーリアは遠い目でそれらを眺めながら、
「おう、今日もいい天気だ。天魔も降ってるなァ」
「いやあああああ!! お家帰して!! 死にたくなああああい!!」
「うるせえな、これからお家に帰してやろうって思ってんのに」
足に縋り付いて泣き叫ぶ蒼空を引き剥がそうとするユフィーリアだが、一体どこからそんな力が出てくるのか、なかなか引き剥がすことができない。意外と腕力が強いのかもしれない。
エドワードやハーゲンは「この高さなら帰れるかねぇ」「その前に気絶するんじゃね?」と議論していて、ショウは降り注ぐ天魔を眺めて首を傾げ、アイゼルネに至ってはユフィーリアの足にしがみつく蒼空のシャツを引っ張って遊んでいた。引っ張るたびに蒼空が「いやああああああ!!」と強姦される少女張りに悲鳴を上げるので、そろそろ耳がおかしくなりそうだった。
これで本当に帰れるか保証はできないが、まあやるだけならばタダだ。ユフィーリアは蒼空の頭を軽くポンポンと叩きながら、
「ほら、飛べよ。大丈夫だって、下で受け止めてやるよ。――多分」
「多分!? 命の保証はどこにある!?」
「命綱がご所望かよ。お前の首にぶら下がってる紐はなんの為にあるんだ」
「ネクタイのこと言ってる!? それは俺も知らない!! 少なくとも命綱として機能するものじゃない!!」
「じゃあ鎖で繋いでやるから」
「首が絞まるパターンですね!!」
ぎゃあぎゃあと騒がしい蒼空に、ユフィーリアはもうこのまま飛び降りてしまおうかなと考える。ユフィーリアは人間よりも体が頑丈なので多少のことであれば問題ないが、それだと蒼空と一緒に異世界へ転移しないだろうか。
そう思った直後のこと、すぐそばで熱気が爆発した。見れば網膜を焼かんばかりの業火を操るショウが、王都の城壁付近を彷徨う小さな天魔を焼き殺しているところだった。
「おい、ショウ坊。いきなり術式を使うなよ、危ねえだろ」
「すまない。あの天魔がどうにも怪しくて」
ショウが静かに城壁の上から睨みつける天魔に、全員が注目する。
小型の天魔だろうが、異様に小さすぎる。成人男性と同じ体格のそれは、白い人形のようなものだった。頭髪はなく、全裸なのに生殖器すら見当たらない。つるりとした気味の悪い白い肌は、病的を通り越してもはや紙のようである。ガラス玉のような眼球はなにかを探すように動き、しかし表情は能面のように変わらない。
異常とも言えるべき点は外見だけでなく、その量もとんでもないものだった。よく見れば空から降り注いでくる天魔の正体は、その白い肌の全裸人間だった。男とも女とも分からない全身真っ白な人間は、ぞろぞろと王都の城壁を目指して歩いてくる。
「うわあ、気持ち悪いねぇ」
「夢に出てきそうな奴だぜ」
「やべー匂いしかしねーナ♪」
エドワード、ハーゲン、アイゼルネが呑気に言うが、ユフィーリアだけは違った。
足にしがみついていた蒼空の反応が変わったのだ。今までは城壁から突き飛ばされないように命乞いをしていたのに、借りてきた猫のように大人しくなるどころか、地上を犇めく白い人形を見つめたままガタガタと震え出したのだ。その震え方が異変を感じるほどで、あの人形に怯えているようだった。
確かに人間であれば天魔を前に怯えてることも考えられるが、彼の場合はそんな様子ではなさそうだ。例えるなら、逃げていたのに追いつかれてしまった時のような。
「おい、少年。正直に答えろよ」
ユフィーリアは蒼空を見下ろして、
「お前、本当はあれに追いかけられてるんじゃねえのか?」
蒼空が便所に逃げ込んだのは、友人に追いかけられていたと言っていた。
だが、あれは嘘なのだ。本当は、あの得体の知れない奇妙な怪物の集団に追いかけられていた。そうでなければ、こんな異常な怯え方はしないだろう。
案の定、蒼空は小さく頷いた。「なんで追いかけられたのか分かるか?」と問えば、彼は首を横に振った。
「分かんない……いきなり、放課後になってあいつらが現れて……追いかけられて……便所に逃げ込んで、女神様に助けてもらったのは覚えてるけど……」
「そうか」
なんとなくだが、ユフィーリアはこの異世界転移に予測がついた。
蒼空の言う便所の女神様は、得体の知れない怪物に追いかけられた彼を助ける為に、異世界へと一時的に避難させたのだ。だが、あの怪物はもうここまで追いついてしまった。女神の加護が見込めない今、蒼空はこの世界の誰かに頼るしかないのだ。
「分かんない……もうなにがなんだか分かんねえんだよ!! 俺はなにもしてない!! あいつらが出てくる理由なんて分かんない!!」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟る蒼空は、いつしか魔法の言葉を叫んでいた。
「誰でもいいから、俺を助けてくれ!!」
その叫びに対して、返答はあった。
「――おう、任せろ」
今までの冷遇が嘘のように、あっさりと助けに応じた。
拍子抜けとでも言いたげな表情を見せる蒼空の頭を、ユフィーリアは乱暴な手つきでぐしゃぐしゃと撫で回してやる。自分で掻き毟った影響もあり、彼の黒髪は鳥の巣のようにもしゃもしゃになってしまった。
その魔法の言葉は、確かに『最強』と名高い彼女を動かすに値する。命令だと言われるよりも、その言葉は強い思いを発する。
それは、ユフィーリアだけに留まらなかった。
すでに彼女がやる気であると察するや、エドワードはやれやれと肩を竦めると、四つん這いになって狼に変身する。彼の契約した天魔は【銀狼】と呼ばれ、その名の通り銀色の体毛を持つ高潔な狼だ。だが、天魔憑きとなったエドワードは銀色の体毛ではなく、灰色の体毛となってしまっている。契約したことで劣化したのだろうが、風のように走ることができる俊足は健在だ。
ハーゲンもまた、自爆用の手榴弾の数を念入りに確認していた。彼は【屍人】という天魔と契約し、死んでも蘇ることができる術式を行使する。致命傷を負ってもたちまち回復してしまうので、あまり頭を使うことが得意ではない彼は爆薬を持って突撃するという自爆戦法を覚えてしまった。
アイゼルネはいつも通り、ただ楽しそうに笑っていた。戯けた調子でいる彼だが、すでに頭の中ではどうやって相手を欺くかを考えていることだろう。アイゼルネは【道化師】と呼ばれる天魔と契約し、相手の認識を逸らす術式を行使する。高度な幻術は敵はおろか味方さえも欺き、故に自分を見失わない為にわざとカボチャの被り物などの奇抜な格好をしている。
ここにいる誰もが、名のある天魔憑きだった。作戦も命令もないけれど、彼らであればあの異形の人間どもを一掃できる。
「よし、じゃあやってやろうぜショウ坊」
「ああ、了解した」
『最強』と名高い【銀月鬼】の天魔憑きであるユフィーリアは、大胆不敵に笑い飛ばす。その隣に並ぶ葬儀屋一族に名を連ねる【火神】の天魔憑きのショウは、赤々と輝く回転式拳銃を装備した。
怪しむように白い人間たちが一斉に顔を上げ、少年を守る為に立ち上がった化け物のなり損ないどもと視線が交錯する。
そして、
「――じゃ、お先♪」
「走るから捕まっといてねぇ!!」
エドワードに飛び乗ったアイゼルネが、先んじて飛び出していく。その姿は、いつのまにかカボチャ頭のディーラー姿から変わっていた。
風に靡く黒い髪、澄み渡った空のような瞳。制服の仔細すらも完璧に再現し、二条蒼空という名の幻術に身を包んだ彼は、意気揚々と叫ぶ。
「おーにさーんこーちらー♪」
「暴れんなよぉ!! 落とすでしょぉ!?」
二条蒼空に化けたアイゼルネは、凄まじい速度で爆走するエドワードに跨ってケラケラと楽しそうに笑っている。あれで振り落とされないのが逆にすごい。
案の定、白い人間たちは蒼空に化けたアイゼルネにつられて、大多数の人間がエドワードに乗ったアイゼルネを追いかけていく。今まで散歩でもするかのような速度で歩いていたのに、エドワードを追いかける為に陸上競技の選手のような走り方で追いかける。さすがのエドワードも「なんでそんなにカッコいい走り方なのぉ!?」と悲鳴を上げていた。
しかし、数人は全く惑わされることなく王都を守る城壁に登ろうと爪でガリガリと引っ掻いている。その姿があまりにも必死で、ユフィーリアは鼻で笑い飛ばした。
「ショウ坊」
「了解した」
短い単語でのやり取りで、ショウは城壁の縁ギリギリまで歩み寄る。高みから爪を立てて登ってこようとする白い人間を見下ろし、回転式拳銃を突きつける。
「紅蓮走星」
銃口から放たれた炎が、城壁を滑り落ちていく。
城壁に登ろうとしていた白い人間たちは、残らず燃えていく。悲鳴も断末魔も上げなければ、暴れ狂うこともない。炎に包まれた途端、ばたりとその場に倒れて動かなくなっただけだ。
意外と呆気ない終わりに、ユフィーリアは拍子抜けした。再生でもするのかと思ったのだが、再生せずに黒焦げになっただけだった。
「どこかの誰かのように再生してくれりゃいいのにな」
「なんでこっち見てんだ?」
同じように白い人間が燃えていく様を観察していたハーゲンは、全身で感じ取った視線に眉根を寄せた。どこかの誰か、という言葉に心当たりはないようだった。
回転式拳銃を構え直したショウは、
「ユフィーリア、行ってくれ。二条蒼空の守護は俺だけでも十分だ」
「おう、任せたぞ」
ショウの肩を軽く叩いて、ユフィーリアは城壁から飛び降りる。
重力に従って落下し、難なく着地。足元には物言わぬ屍どもがゴロゴロと転がっているのだが、残っている白い人間たちと目が合うと、ユフィーリアは恭しくお辞儀をする。
「ようこそ、気色の悪い人間ども」
腰から佩いた大太刀の鯉口を切り、
「――じゃあ、さようなら」
抜き放つ。
陽光を受けて輝く薄青の刃が虚空に青い軌道を描き、距離を飛び越えて白い人間どもの首を刈り取る。熟れた果実のように首が転がり落ちて、頭部をなくした胴体は糸が切れた操り人形のように頽れる。
「ははははは!! 意外と呆気ねえなァ!!」
高らかに笑うと、ユフィーリアは走り出す。
頭をなくした屍を通り過ぎて、いまだ生きている白い人間に肉薄する。抜いたままの大太刀を脳天めがけて振り下ろすと、頭蓋骨が簡単に割れてしまった。脳味噌を潰されたことで機能を停止し、人間は静かにこの世を去る。
飛びかかってきた人間の脇腹に回し蹴りを叩き込み、挟撃を仕掛けてきた人間二人の片方を殴りつけてから、もう片方に大太刀の切っ先を突き入れる。鮮血が飛び散り、鉄臭さが鼻孔を掠める。
東戦線で無双していた時を思い出した。有象無象の天魔を相手に、ユフィーリアはひたすら虐殺を繰り返した。
あの時はあてもなく目的もなくただの作業だったが、今は蒼空を助けるという大義名分がある。少なくとも手加減してやるつもりは毛頭ない!
「――お?」
ドドド、という足音を聞いたのは、ユフィーリアが通算三〇人目の白い人間を無造作に放り投げた時だった。
見れば広々とした平地の向こうから、狼に乗った少年がケラケラと楽しそうに笑いながら走ってくる。その後ろには大量の白い人間が追いかけてきていて、走っている狼の方はなんだか泣きそうだった。
「いやああああ!! こいつら気持ち悪いいいいい!!」
エドワードが少女のように甲高い悲鳴を上げながら戻ってくるので、ユフィーリアはふと城壁へと振り返る。
そこにはすでにショウと蒼空しかおらず、ハーゲンの姿がどこにもなかった。
「――やってきました自爆するぜ逝ってきまーす!!」
ユフィーリアの横を、弾んだ声と共に走り去っていく赤茶色の影が一つ。口に手榴弾を咥えた短髪の少年が、妙なテンションで走っていた。
囮として働いたエドワードとアイゼルネと入れ違いに、ハーゲンが白い人間たちに向かって突っ込んでいく。獲物を狙って走っていた人間の海に飲み込まれたハーゲンだが、その直後に爆発する。
「おー、すげえ。でけえ花火だな」
残党を処理しながら、ユフィーリアがそんな感想を述べる。
大量の人間を巻き込んで自爆したハーゲンは、上半身を粉々にされた状態だったが、下半身だけで動き回っていた。徐々に再生しているようで、もこもこと肉が蠢いている光景は気持ち悪いの一言に尽きるが、それでもなんで動けないはずの下半身だけで逃げ回ることができるのか。
ハーゲンによる自爆特攻が功を奏したのか、白い人間たちは足を止めてしまう。そのままハーゲンでも追いかけて動き回っていれば、まだ死ぬ可能性はなかったかもしれない。
彼らの地獄は、空からやってくる。
「――紅蓮滅星」
澄み渡った空から、太陽が落ちてくる。
ごうごうと燃える超巨大な炎の塊がゆっくりと落下してきて、白い人間たちを残さず押し潰す。爆風が砂埃を舞い上げて、熱気が容赦なく肌を撫で、鮮烈な赤が網膜を焼く。
断末魔すら上げずに火葬されて死んだ彼らは、黒ずんだ状態で地面に転がった。再生する気配も増殖する気配もないので、おそらくこれで終わりだろう。
「あー、ようやく口が再生された」
「ハーゲン、お前それどうなってんの」
「頭の再生がまだ」
ちょうど頭蓋骨が再生し始めたらしいハーゲンがやってきて、なんか気持ち悪い状態を晒しているのでユフィーリアは少しだけ引いた。ドン引きとまではいかないが、その状態で喋らないでほしい。
エドワードもようやく白い人間から解放されて、一息つけたようだった。背中に乗った蒼空の姿をしたアイゼルネが毛皮で遊んでいても気にならないほど、彼は精神的に疲れたようである。
城壁を見上げれば、大量の炎を使ったことで空腹状態となってしまった影響で座り込んだショウと、そんな状態の彼を見てオロオロしている蒼空がいた。きちんと蒼空も無事だったようだ。
その時である。
「――ああ、勇敢なる戦士たちよ。ありがとうございます」
物腰柔らかな声が聞こえたと思ったら、どこからか光が降ってきて人の姿となる。一際強く輝いたと思ったら、半透明の女性が静かに佇んでいた。
煌々と輝く金色の髪に、檸檬色の瞳。透き通るような肌に、桜色の唇には笑みが浮かぶ。佇まいまでもが美しく、一枚の絵画になってもおかしくないほどだ。
女性はにこやかに微笑むと、
「彼を助けてくれたことに感謝を。か弱き異世界の子を、私の守護する世界の子を助けてくれたことに、心からの感謝を」
「感謝ってんなら物品で示してほしい。具体的に言えばバイト代寄越せ」
「それでは彼は連れて帰ります。あの悍ましい怪物たちの脅威に晒されることはなくなったので」
「聞け、人の話を。無視か」
朗らかに笑う女性は、ほっそりとした右腕を一度だけ振った。
すると、城壁の上でオロオロと狼狽えていた蒼空が、金色の光に包まれると同時に、ふわりと重力に逆らって浮かび始める。「うわわ、うわわわ!?」と蒼空は慌てている様子で、なんとか地上に戻ろうと必死になってもがいていた。
「え、これどうすればいいの!?」
「そのまま連れて帰ってくれるんだとよ。さっさと帰れ」
「酷くない!? こっちは突き落とされそうになったのに!?」
「酷くねえ。むしろ命張ったってのに、謝金すら出さねえお前らの神経を疑う」
異世界からの来訪者に金銭の期待をしてはいけないという教訓が身についた瞬間だった。
ユフィーリアはつまらなさそうに舌打ちをするが、蒼空にひらりと手を振ってやる。
「気が向いたらまたこいよ。今度は世界でも救えるような力を身につけてきてくれ」
「そうしたら俺がこの世界で無双することになって、女の子にモテモテになっちゃうかもよ?」
「はははは、面白い冗談だな。奪還軍は九割男だぞ、ハーレム思考は諦めろ」
「なんだとぅ!?」
あからさまにショックを受ける蒼空を笑い飛ばしたユフィーリアは、透明になりつつある蒼空に拳を掲げた。
青い瞳を瞬かせた蒼空は彼女の意図を確かに拾い、ユフィーリアが掲げた拳に自分の拳をぶつけた。
「またな、蒼空」
「うん、またな。ユフィーリアさん」
そうして。
女神と共に、異世界からの来訪者は姿を消した。
残光が視界の端でちらついて、ユフィーリアは目をこする。すぐに女神が残した光は消えたが、拳をぶつけ合った感覚だけは消えなかった。
欠伸をしてから煙草の箱を外套の内側から取り出したユフィーリアは、
「ンじゃま、帰ろうぜ。ショウ坊拾ってかねえと」
「結局、なにがしたかったんだろうねぇ」
「え? 一時的に逃げてきたんじゃねえの?」
「終わりよければ全てよシ♪」
異世界からの来訪者がきても、世界は変わらず崩壊しかけている。
他人に知れることなく、歴史にも残らない異世界転移の物語は、これにて終幕を迎えるのだった。




