第8話【祈りを受けた葬送歌】
「五分持たせてくれ。作戦というか、悪夢の繭を打倒する方法があると思う」
ザリザリ、と瓦礫の上を滑り落ちていくユフィーリアは、舌で唇を湿らせる。青い瞳をぎらりと輝かせて、神宮『斗宿』の中心に居座り続ける邪悪な巨木を睨めつける。
戦場へ舞い戻った相棒は、こともあろうに「五分持たせてくれ」と宣った。一分耐え忍ぶことすら危ういのに、五分間も持たせろとお達しである。無茶なお願いは上官のグローリアだけかと思ったのだが、ショウもそこそこの無茶をお願いしてくるとは驚きだ。
「あいつ、なーんか吹っ切れたか?」
独りごちる。
空気を引き裂いて襲いかかってきた悪夢の繭の根を間一髪で回避して、ユフィーリアは切断術を発動させる。薄青の刃が空中に煌めいて、根っこが容易く切断される。氾濫した川に落下した根っこは水飛沫を散らしてバタバタと水の中でもがいているが、その上に銀色の体毛を持つ狼が降ってきたことがトドメとなって大人しくなる。
走りながら開いた片手を外套の中に突っ込み、ユフィーリアは閃光弾を引っ張り出す。銀の筒の上部を塞ぐ栓を口に咥えて引き抜き、悪夢の繭めがけて投げつけた。
「うおっとい」
すぐそばに転がっていた瓦礫の裏側に隠れたユフィーリアの隣に、狼が滑り込んでくる。背後で閃光の乱舞が発生し、爆風がユフィーリアの銀髪と狼の毛皮を激しく揺らした。
まともに閃光の乱舞を目の当たりにすれば、ユフィーリアは切断術が使えなくなっていただろう。あの閃光弾は意外と威力が強いのだ。
抵抗するようにユフィーリアと狼が隠れる瓦礫に、悪夢の繭の根が襲いかかってくる。瓦礫の壁を突き崩した根っこに、ユフィーリアは大太刀を叩きつけて即死の軌道を逸らした。
「あー、くそ!! 俺ってば本当に美人のお願いには弱いな!!」
「今に始まったことじゃないでしょぉ!!」
弾かれたように立ち上がり走り出すユフィーリアに、狼姿のエドワードが追随する。あれだけ駆け回ったのにまだ走る余力を残しているとは、さすが狼の天魔憑きである。
正直言って、ユフィーリアも先ほどの呪符の余韻がまだ抜けきっていないのだ。それなのに、こうして走っている。まさか自分がここまで被虐体質のきらいがあるとは思わなかった。
「でもまあ、ユーリってば満更でもないんでしょぉ?」
「まあな」
「だって、俺ちゃんと一緒に戦ってた時よりも動きがいいし、生き生きしてるもんね」
「罪悪感に駆られなくてもよくなったからな」
「屑だねぇ」
「今更だろ!!」
足元を通り過ぎた悪夢の繭の根っこをハードルよろしく飛び越えて、ユフィーリアとエドワードは瓦礫の山へと駆け上がる。
駆け上がった直後、待ってましたとばかりに三本の根っこが襲いかかってくる。そのうちの一本は、ユフィーリアが外套の内側から抜き放ったマスケット銃に撃ち抜かれて爆散した。そして二本目はエドワードの鋭い爪の餌食にされ、残りの三本目はビタリと虚空で時間が止められる。
「――悪いけどッ!!」
懐中時計が埋め込まれた大鎌をくるりと回した黒髪紫眼の青年――グローリア・イーストエンドは朗らかに笑いながら、吐き捨てるように言う。
「僕も結構、今回ばかりは怒ってるんだよねぇ!!」
「お前が怒るとか、明日は槍が降るんじゃねえか!?」
ユフィーリアは大太刀を鞘へ納めて、再び切断術を発動する。
虚空で止まった悪夢の繭の根など、ただの的に過ぎない。容易くすっぱりと切断されて、時間が動き始めた時にはすでに根っこは暴れることはなくなっていた。
滅多なことでは怒らないグローリアが怒るのも、分かる気がする。悪夢の繭のせいで作戦はめちゃくちゃにされ、彼が用意した第二第三の作戦は通用しない。根っからの指揮官である彼からすれば、この上なく面倒な敵であることには変わりない。
犠牲者はまだ出ていないけれど、損害はかなりのものを被ったことだろう。
「僕だって生きているんだから、怒る時は怒るよ!! あんな訳の分からない敵なんか初めてだもん!! 話が通じるようなものでもないし!!」
「それでも勝つって言ったんだろ!? なんとかしろよ司令官!!」
「僕じゃなくてなんとかするのは君たちだからね!?」
現実は非情である。
グローリア・イーストエンドが扱うものは攻撃性を有した術式ではなく、完全に補助系統の術式だ。時間を戻して、時間を止めて、空間と空間を繋げるという離れ業をしてのける。彼は何度か「僕も攻撃できるような術式だったらなぁ」と嘆いていたが、それでも彼は自分の術式すら作戦に組み込む。
そんな彼だから、なんとかするのは自分たち下っ端なのだ。
そんな彼だから、ユフィーリアたちはついていこうと決めたのだ。
「はははははッ!! いいぜいいぜ、やったろうじゃねえか!! こちとら【銀月鬼】だ、天魔最強のステキな名前を背負ってんだ、絶望がなんだ悪夢の繭がどうしたそんなの片っ端からまとめて切り捨ててやらァくそったれええええ!!」
やけくそ気味に叫んだユフィーリアは、力任せに足元の瓦礫を悪夢の繭めがけて蹴飛ばしてやった。
天魔最強を謳う【銀月鬼】の脚力によって撃ち出された一抱えほどもある瓦礫は虚空を引き裂いて飛んでいき、ぽっこりと膨れ上がった悪夢の繭の幹へと突き刺さる。
ッッッッドン!!!! と轟音が遅れて鼓膜を振動させる。ユフィーリアは壊れたように笑いながら、半泣きでひた走る。
相手に通用しなくてもいい。それでも一矢報いる為にやってやる。
「ユーリ、なんかあっちの方がやばくなってきたような気がするんだけどぉ!?」
「あ? ――は、もう五分かよ。結構短かったんじゃねえの?」
苦笑を浮かべたユフィーリアは、急いで悪夢の繭から離れることにする。
慌ててついてきたエドワードが、背後から「いいのぉ!?」という質問をぶつけてきた。それに対してユフィーリアは「いいんだよ!!」と応じる。
「巻き込まれるぞ!! 狼のステーキになりたくなかったら全速力で走れ!!」
「ひえええ、嫌な単語を聞いたよぉ!?」
ユフィーリアとエドワードが悪夢の繭から離れた瞬間、背後で強烈な熱気が世界を舐めた。
☆
まだ足りない。
まだ足りない。
今ある火葬術では全然足りない。
「くそ、これでは足りない……全然!!」
赤々とその手で存在を主張する回転式拳銃――綺風に祈りを捧げながら、ショウは舌打ちをする。
自分の中にある【火神】による火葬術は、その半分以上を悪夢の繭によって奪われた。今は制限された状態で悪夢の繭をどうにかしなくてはならない。
五分持たせてくれ、とショウは相棒たる彼女に言った。その啖呵を切ったのであれば、筋は通さなければならないと思っている。
「【火神】……!! もっと力を寄越すことはできんのか!!」
【できんな。貴様の体を維持する為に大半を割いている。出せるものはせいぜいが火球――紅蓮星程度だ】
「紅蓮葬送歌を使いたい」
【無理だな。諦めろ】
悪夢の繭をどうにかするには、ショウの有する最大にして最後の切り札『紅蓮葬送歌』しかない。だが、それを出す為の余力がないのでどれだけ集中したとしても、絞りカスすら出てこない。
ユフィーリアの期待に応えたいのに、ここで躓くのか。
赤い瞳を輝かせたショウは、悪夢の繭を睨みつけ――そして閃く。
「やく、も、八雲神!! 八雲神はいるか!?」
「なんじゃい小童!! せめて様をつけんかい!!」
思ったよりもすぐそばにいた銀髪の狐巫女――八雲神が勢いよく振り返る。
薄紅色の瞳に苛立ちを滲ませた彼だが、ショウから感じられた気迫に息を飲む。八雲神は納得いかなさそうな表情を浮かべたが、低く唸るような声で「なんじゃい」と再び応じる。
「俺の――俺の火葬術を、増幅させることは可能か?」
「御主は……なにをしようとして」
「術式の遠隔操作をして、悪夢の繭を内側から破壊する」
奪われた力を遠隔操作するという手段を思いつかなかったが、遠隔操作するという方法自体は何度か試したことがある。火葬術は多様性があり、地雷のように隠して対象が通りがかった時に起爆するという手法もあるのだ。
八雲神は薄紅色の瞳を瞬かせ、それから「ふぅん」となにやら楽しげに微笑んだ。
「いい面構えじゃな、御主。いいじゃろう。――だがのう、ただ儂一人が増幅するだけじゃ楽しくないわい」
八雲神はいそいそとショウの背後に回ると、その背中に手のひらをかざした。
なにをするのかと思えば、莫大な力がショウの中に流し込まれている。勢いよく流れてくるその力は、下手をすれば膨らんだ風船が破裂しないぐらいだった。
目を白黒させたショウは、背後に控える八雲神へ視線をやる。「なにをした?」と口に出すより先に、歪んだ笑みを浮かべた八雲神が先制で言う。
「儂一人だけでなく、神宮『斗宿』に所属する全ての狐巫女からの願いじゃ。心して受け取れよ、【火神】の契約者よ」
「――――ああ、これなら問題なさそうだ」
自分の内側へ急速に流し込まれる力は、八雲神のみならず『斗宿』の狐巫女全員からのもので。
その膨大な力を操り、変質させ、そしてショウは真っ直ぐに悪夢の繭を見据えた。
ぽっこりと膨れ上がった妊婦の腹のような木の幹に、赤い光が縦横無尽に駆け巡る。きっとショウから奪った【火神】の能力を動力源として使っているのだろうが、奪った時に気づくべきだったのだ。
それは、地雷に過ぎないのだと。
「一矢報いてやる。ただの女狐如きが、火葬を司る死の神に敵うとでも思っているのか」
綺風に祈りを捧げ、ショウは茜色と紺碧が混ざり合う不思議な色合いの空へと銃口を突きつける。
熱気がショウの髪を揺らし、ちりんと髪紐に括られた鈴が音を奏でる。
「開け、冥府の門よ。此方に生きる彼の者を煉獄へと導き、罪過の炎にその身を委ねろ!!」
悪夢の繭の中心が、赤く輝く。
めらめらと内側から燃え始め、ショウはその奥で確かに女の悲鳴を聞いた。自分から能力を奪った、愚者の断末魔を。
煌々と赤い瞳を輝かせ、狐巫女から貰い受けた膨大な力を放出するように、引き金を引く。
「――紅蓮葬送歌」
撃鉄が落ちる。
次の瞬間。
地面からぐわりと持ち上がった大量の炎の腕が、悪夢の繭を容赦なく掻き抱いた。




