第8話【絶望に抗う意思】
「悪夢の繭かぁ」
次々と社を破壊する黒い大樹を遠くから見上げたグローリアの横顔は、真剣そのものだった。幻想的な色合いの紫眼には鋭い光を宿し、今回の敵である悪夢の繭を睨みつけている。口調だけは飄々としたものだが、きっと彼の頭の中では様々な戦術が組み立てられていることだろう。
急成長をし続ける悪夢の繭は、めきめきと『斗宿』全体を覆う結界までも破壊しようとしていた。頭上に広がる不思議なグラデーションを描く空が、悪夢の繭によって押し上げられて白い亀裂を生じさせる。今はまだ耐えている状況だが、あの状態がいつまで続くか。
『斗宿』を襲いかかった大地震によって右往左往していた狐巫女を全員捕まえて、悪夢の繭から遠く離れた地点まで逃げていたユフィーリアは、舌打ちと共に悪夢の繭を忌々しげに見やる。あれに対抗できる手段が、今のユフィーリアには思いつかない。それがなんとももどかしい。
「あれだけ大きくて得体の知れない敵を相手にするのは初めてだよ」
「……御主でもあれには勝てぬか?」
裏切り者の手によって負傷し、大量の血を失った八雲神が白い顔でグローリアの背中に問いかける。その額には大粒の汗が浮かび、今にも倒れてしまいそうな雰囲気がある。
グローリアは「まさか」と笑いながら言うが、その表情は硬い。
「僕たちに勝てない戦争はないんだよ。だから、今回も必ず勝つよ」
だけど、とグローリアの紫眼が静かに眇められる。
あれだけ巨大な敵を前に、使える戦力は圧倒的に少ない。疲れ切り、そして得体の知れない巨大な黒い樹木を前にして絶望する狐巫女たちは、もはや戦力として数えない方が賢明だろう。
グローリアは懐中時計が埋め込まれた死神の鎌の石突で足元の地面を叩き、全員に聞こえるように凛とした声を響かせる。
「この場にいる全員の指揮権は僕が預かる。まずは安全地帯の確保として、この辺り一帯を結界で覆ってほしい。八雲神殿を中心として結界を張ったのち、ダメ元でもいいから悪夢の繭の弱体化を図る術式を組み込んで」
「通じぬかもしれんぞ」
「ダメ元で、と言ったはずだよ。効かないことは目に見えているけれど、通用するかもしれないでしょ」
八雲神の苦言も一蹴したグローリアは、次いでユフィーリアとショウの第零遊撃隊に向き直る。
「君たちは最前線で、あれをなんとかして食い止めてほしい」
「無茶言うなよ。あれを破壊したらどうなるか分かったモンじゃねえぞ」
「破壊しても構わないよ」
あっけらかんと言い放つグローリアに、周辺が俄かにざわめいた。「頭がイかれたか」と狐巫女たちの一部がひそひそと声を潜めて言うが、そんな誹謗中傷も彼を傷つける刃とはならない。
「あれは成長の段階でしょ? 壊したところで、中から生まれてくるのは不完全ななにかだよ。世界に影響を与えるようなものが生まれるのであれば、もう少し成長していてもおかしくない」
「成長段階だから、壊しちまってもいいってか?」
「蝶々を殺したいなら、蛹を潰しちゃえば問題ないよね」
爽やかな笑みと共に人格を疑いたくなるような発言をしたグローリアに、ユフィーリアはやれやれと肩を竦めた。勝てないような敵が出てきて少しは怖気付くかと思いきや、天才と名高い最高総司令官殿はそんな弱い心を持っていなかった。
うん、それでこそグローリア・イーストエンドという青年だ。部下に無謀無茶を押しつけてくるところは、なに一つ変わらない。
そしてまた部下であるユフィーリアとショウも、そんな命懸けの任務を与えられたというのにもかかわらず実行しようとする辺り、だいぶ感覚が麻痺しているようだった。
「僕は【閉ざされた理想郷】まで戻って、奪還軍を全員連れてくるよ。それまでなんとか持ちこたえてて」
「自分だけ安全地帯ってかこの野郎」
「僕ってそんなに信用ないかな!? 少しの間、前線を任せるだけで親の仇でも見るような目をされたんだけど!?」
グローリアの『空間歪曲』があれば、奪還軍の兵士を一瞬で東の果てまで連れてくることは可能だ。だが、その間の指揮系統を丸投げ状態では困るのだ。
テメェ前線から離れんじゃねえよ、とばかりに上官を睨みつけるユフィーリアを、八雲神が「カカカカ!」と笑い飛ばす。
「全く、御主らは愉快じゃのう。笑いすぎて腹の傷が開いてしまったらどうする?」
「爺さん、笑えねえ冗談は言うモンじゃねえぞ」
ユフィーリアが唸るように言うと、八雲神は「カカカカ!」とやはり楽しそうに笑っていた。笑ったことによって、顔色は若干回復したようである。声にも覇気が戻ってきたような気がした。
まあ仕方がない。グローリアが命令を翻した試しはなく、どれだけ我儘を言ったところで彼の心は揺らがない。やれやれと肩を竦めたユフィーリアは、
「仕方ねえ、行くぞショウ坊。五分は持たせるぞ」
「了解した」
相棒であるショウは、相手が得体の知れない巨大な怪物でも気にしないらしい。即座に返答した彼は、炎からマスケット銃と回転式拳銃の二挺を生み出した。
戦う意思が本気であることを悟った八雲神が「待て」と二人を制止する。
「本気か、御主ら。もしかしたら死ぬやもしれんのじゃぞ」
「死ぬ訳ねえだろ」
八雲神の言葉を、ユフィーリアは間髪入れずに否定した。その声は自信に満ち溢れていた。
事実、ユフィーリアには『死ぬ』という選択肢はなかった。勝てるということは死なないことだ。勝つ為には、ユフィーリアはどんな手を使ってでも使う。
「生き汚いってのは、俺も同じようなモンだな」
小さく笑って肩を竦めたユフィーリアは、ショウの肩を叩いて崩れゆく社を目指す。
吹き荒ぶ風が黒い外套の裾をはためかせ、轟音で埋め尽くされた惨憺たる戦場に、彼女は迷いなく飛び込んでいく。
☆
轟音が耳に痛い。
足場は悪いし、今回の敵はどうやって倒すか攻略法が確立されていない。しかもその大きさは途方もなく、今なおも成長中だ。
崩れかけた社の屋根の上に飛び乗ったユフィーリアは、ごうごうと響く風の音を聞きながら「あーあ」とため息を吐く。
「なんで俺はいつもこんな損な役回りなんだろうな」
「傍観するしか能がない神様とやらが、貴様に試練を与えているのだろうな」
少し後ろにひっそりと立つショウは、鬱陶しそうに自分の長い髪を払う。そんなに鬱陶しいなら切ればいいのに、とは思ってしまうのだが、彼にもなにか理由があるのだろう。
さて。
悪夢の繭はなおも成長を止める気配はない。周辺の社の瓦礫を食らっては徐々に大きくなり、頭上を覆い隠す結界を突き破ろうとしている。だが中腹辺りのぽっこりと膨らんだ木の幹は変わらず、全身を赤い光線が駆け巡っている。さながら血潮のようだ。
ユフィーリアは一服しようかと迷ったが、強風の影響でうっかり手を滑らせて煙草を全部ぶち撒けたくなかったのでやめておいた。代わりにショウへこう命じた。
「一発、熱いのを見舞ってやれ」
「どの程度?」
「軽めの奴でいい。ジャブだ、ジャブ」
「しゃぶ?」
「悪い方向に聞き間違えてんじゃねえよ」
真剣な場面で最悪な聞き間違いをしたショウは、ユフィーリアの命令を遂行するべく回転式拳銃の銃口を悪夢の繭に向けた。なんの躊躇いもなく引き金を引き、拳大の火球が悪夢の繭めがけてすっ飛んでいく。
火球は幹の辺りにぶち当たったが、その全体を燃え上がらせることなく一瞬で飲み込まれてしまう。あれは生物ではなく、見た目が植物だから燃えないのだろうか。
「今回、お前は役立たずな」
「何故」
「術式が通用しねえんじゃ、お話にならねえだろうが」
広範囲を焼き尽くすショウの『火葬術』は、生物にしか適用されない。つまり、今回の戦いではその実力を発揮することができないのだ。少なくとも、あの悪夢の繭が生物であると断定できる要素がなければ。
ユフィーリアの言葉にぐうの音も出ないのか、ショウは不機嫌そうに口元を覆う布を引き上げた。それからなにかに気づいたように、彼は俯かせていた顔を上げる。
宵闇の空を背負うように浮かぶ、黒い髪の狐巫女。炯々と輝く紫色の瞳でユフィーリアとショウを睥睨して、彼女は妖しく笑う。
「おやおや。おやおやおや。――まさか、死ににきたんですか?」
黒い狐巫女――菖蒲は嘲るようにして言う。
彼女を睨み上げたユフィーリアは「まさか」とその嘲りを笑い飛ばした。
「あのデカブツを倒しにきたさ」
「それを人は『死ににくる』と言いますわ。もう一度問いますね、貴女様は本気で死にたいのですか?」
「俺は紳士だからな、何度同じ質問をされても怒らず答えてやるよ。――あのデカブツを倒しにきたんだよ」
二人の間に緊張感が走る。
黒い狐巫女は紫色の瞳を眇めて、口元に浮かべていた優雅な笑みを消した。ユフィーリアは逆に口の端を吊り上げ、大太刀の鯉口を切る。
ユフィーリアから一歩退がってマスケット銃を構えたショウは、変わらない淡々とした口調で問いかけた。
「……ユフィーリア、あれは確かに生きているな?」
「おう。ぶっちゃけた話、あいつを殺せば悪夢の繭に勝てたも同然だ」
「そうか」
「そして八雲の爺さんと同じような力を持ってらァな」
「そうか」
「驚かねえのな」
「相手が誰であれ、俺の炎に触れれば皆同じだ」
「そいつァ同感だ。俺も斬れれば問題ねえ」
そして。
その言葉で戦闘の火蓋が切って落とされる。
「「――――ぶっ殺す!!!!」」
援軍が到着するまで、およそ五分。




