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SkyFall/Fantasma  作者: 山下愁
Wars:2 蒼海の実験場

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第9話【隣室の存在】

「あ、おねーちゃんだ!」


 宿泊している宿屋まで戻ってくると、退屈そうに受付で肘をついていた少女が華やかな笑顔と共に出迎えてくれる。初日とは違ってだいぶ懐いてくれて、今ではすっかり母親と同程度に抱きつかれている始末である。

 抱きついてきた少女の小さな頭を撫でてやり、ユフィーリアは「おう、ただいま」と言って彼女にチラシを預ける。


「ちらし、へったね」

「結構ばら撒いてきたんだけどな。成果がなかったら悪いな」

「とんでもない、あんたたちはよく働いてるよ」


 宿屋の厨房から女将が出てきて、快活な笑みを浮かべた。つられてユフィーリアも笑いながら女将に「いやいやそんな」と謙遜した。


「タダで泊めさせてもらってんのに、料金に見合ってるか分かんねえすよ」

「なーに言ってるんだい。こんな美人と美形に誘われてついてこない奴はただの腑抜けさね」

「そして宿屋には美人な女将がいるしな。これで誘われねえ奴は腰抜けだよなァ」

「やだねあんた、口が上手いったら!!」


 ばしん、と思い切り背中を叩かれてユフィーリアは「イテェ」と呻いた。傭兵だから鍛えているとでも思っているのだろうが、実のところ天魔憑てんまつきだから人間とは違って体が頑丈なだけであり、痛覚はきちんと人並み程度に存在するのだ。

 こりゃ背中に手の跡がついてるな、とユフィーリアは内心で顔をしかめる。いまだにヒリヒリと痛みを主張する背中をさすって、ユフィーリアは部屋に戻ることを告げた。朝から客引きと()()()()で動き回っていたので、ちょっとばかり疲れたのである。

 狭い階段を上れば、すぐに二階に到達する。二階は全てが客間であり、部屋の数は一〇室ほど等間隔に並んでいた。古ぼけた廊下の両脇に二部屋あって、ユフィーリアたちの部屋は右側の奥から二番目の部屋だ。


「そういえば、何故タダにこだわった?」

「あん? 理由は簡単だ、金が払えねえから」

「貴様も無一文なのか。財布を忘れたとか?」

「単純に賭博で給金を全部擦っちまったって訳だ。おかげで次の給料日までは水で生活しなきゃいけねえ」


 まーた家賃が払えねえや、とはあえて言わなかった。家主とは月々の家賃で揉めに揉めていて、終いには「払わないなら出て行け」と言われて追い出されたこともある。今住んでいるところもそろそろ限界かもしれない。

 事情を察したのか、それとも金を使った理由が悪いのか不明だが、ショウがゴミを見るような視線を背中から突き刺してくる。時折、彼には屑を見るような視線を送られるのだが、エドワードやハーゲンやアイゼルネと違ってちょっと心が折れかける。

 やっぱり賭博にまで手を出すのはやめるべきかなァなどと思うのだが、あのスリルを味わうのはなんとも心地がいいのだ。負けなければいいだけで、勝てば賭け金の倍以上は手に入るのだから、戦場にも似た緊張感が堪らないのである。――なんというか、見た目の割に屑と呼ばれるだけはあるような気がする。


「…………?」


 自分たちの部屋のドアノブを掴んだところで、ユフィーリアは隣の部屋の存在に今更気づいた。

 隣の部屋の扉はぴったりと閉ざされていて、部屋の前には無造作に積み重ねられた食器が放置されている。おそらく食事を部屋で摂ったのだろうが、不気味な空気が醸し出されている。


「なあ、ショウ坊」

「なんだ」

「隣の部屋の存在って気づいてたか?」

「ここが四番目の部屋なのだから、隣の部屋があるのは必然だろう」

「俺の聞き方が悪かったな。隣の部屋に誰かが泊まってるって気づいてたか?」

「それは――いや、気づいていなかった。物音一つ立たない故に、てっきり空室なのだと思ったが」

「だよな」

「ああ」


 互いに顔を見合わせる。それから切り出したのはユフィーリアの方だった。


「気にならねえ?」

「しかし」

「俺はめちゃくちゃ気になる。正直、この疑問を残したままいると夜も眠れなくなるぐらい」

「そんなに」

「それほどだよ。気にならねえなら別にいい、俺一人で確かめてくる」

「気にならないとは言ってない」

「ンだよはっきりしねえなァ。じゃあ確かめに行くんか」

「他人の生活空間を覗き見するような行為は控えた方がいいと思う」

「馬鹿お前、もし部屋で隣人が自殺してたらどうするんだよ。嫌でも生活空間に足を踏み入れなきゃいけねえだろ」


 それらしい台詞を並べ立てているが、要は隣人がどんな人物なのか見てみたいのだ。別に扉をノックするだけならユフィーリアだけでも事足りるし、ショウが行動を渋れば一人で突撃してもいいのだが。

 気になるようだが行動に踏み切ることができないクソ真面目な少年に「命令だ」と魔法の言葉を使うことすら面倒なので、ユフィーリアはもう無視して一人で突撃することにした。「ついてくるんなら勝手についてこいよ」とだけ告げる。

 と言っても、ただ隣の部屋の前に行くだけだ。ユフィーリアは大股で隣の部屋の前までやってくると、軽くその扉の表面を叩いた。それから少しだけ声の調子を変えて、子供特有の甲高い声で部屋の中にいるだろう相手に話しかけた。


「お客さーん。お部屋の前の食器、片付けちゃうね?」


 呼びかけてみるが反応はない。

 追い打ちをかけるように再びノックをして、ユフィーリアはなおも呼びかけてみる。

「まだお部屋の中に食器は残ってない? あれば持って行っちゃうから出してほしいな」

 しかし、部屋の主はうんともすんとも言わなかった。反応すらなかった。

 さすがに部屋の主の生存が気になったユフィーリアは、扉にそっと耳を近づける。怪訝な表情を浮かべるショウと目が合うが、空気を読んだ彼は口を噤んで黙っていた。


「……………………」


 気配は確かに感じるのだが、じっとその場から動く気配がない。おそらく眠っているのだろうが、それにしては呼気すら感じ取れないのは何故なのか。

 お世辞にも防音設備が整っているようには見えないこの古めかしい宿屋で、果たして息遣いを感じることなく眠ることはできるだろうか。しかも、自称であるが『最強』であるユフィーリアにだ。


(どちらにせよ、不気味なことには変わりねえか)


 無理に扉を開けて襲いかかられても嫌なものだ。不気味な雰囲気を残した扉を――そしてその先にいる何者かに、ユフィーリアはこれ以上深く関わることはなかった。

 何事もなかったかのようにくるりと踵を返すと、ショウが「なにかあったのか?」と問いかけてくる。


「ありすぎるから、これ以上は深く関わらねえようにするんだよ。面倒だろ」


 ユフィーリアの頓珍漢な言い分は理解できなかったようだが、なんとなく状況を察することができたショウは「了解した」とそれ以上追及することはなかった。


 ☆


「――んえ? ウチらの隣の部屋?」

「お前は日がな部屋に引きこもってんだから、誰か帰ってきたりとかしたら分かるだろ」


 比較的賑やかな食堂の隅にて、ユフィーリアは声を潜めてシズクに問いかけた。

 夕飯時になって宿屋の看板娘に呼ばれた三人は、宿屋の女将が手ずから作った魚料理に舌鼓を打っていた。海に浮かぶアクティエラは魚介類に恵まれていて、季節ごとの魚が刺身や煮付けなどで食べられるのだ。店舗ごとに料理の特徴があり、店内に生簀いけすを設置して釣った魚をその場で捌いて食べられるという遊び心に溢れた店まで存在している。

 今日の献立は焼き魚であり、塩焼きにされた真鯵まあじがなんとも美味である。天魔によって大地を奪われ、農作や畜産ができない状況となっているが、海を支配する天魔は限られてくる為に魚は比較的獲りやすくなっている。

 天魔を狩っていたと豪語するサバイバル系女子のシズクは、フォークでぐっさりと真鯵を突き刺して、バリバリと骨も取らずにかじりつく。さすがに小骨が喉にチクチクと刺さるのか、魚の破片を口の端から飛ばしながらケタケタと笑って「めっちゃ喉がイテエ!!」と叫んだ。


「でも確かに、隣の部屋からは一切の音が聞こえないね。結構壁が薄いから生活音とか聞こえてもいいのに、動く気配が全くないんだから」

「姿を見たとかあるか?」

「ないね。だって部屋から出てないから」


 自信満々に慎ましい胸を張るシズクに、はす向かいに座ったショウの手刀が飛んだ。本人は感情のこもっていない平坦な声で「ああすまない手が滑った」と言っていたが、果たしてわざわざ席から立ち上がって斜向かいのシズクにまで手を伸ばして手刀を落とした行為を手が滑ったで片付けられる話なのか。


「……………………あのね、ショウちゃん。わざわざこっちまで手を伸ばして殴ってくることを、常識では『手が滑った』で片付けないと思うの」

「わざとだから仕方がないだろう?」

「この子わざとって言ったよ!? ちょっとオネーサン!? この子調教してるのキミだよね!? 暴力は変態の元だって教えてくれない!?」

「俺が調教してる訳じゃねえんだよな。上官に言ってくれ」


 自分から話を振っておいてあれだが、ユフィーリアもユフィーリアで真鯵の小骨と格闘している最中だった。これ全部取り切ったのか心配になってくる。

 シズクが一方的にぎゃあぎゃあと喧しく騒ぎ立て、ショウが黙々と食事を再開するという混沌とし始めた食卓に、ちょうどこの宿屋の看板娘が大量の食器を抱えて覚束ない足取りで調理場を目指していた。真鯵の塩焼きをようやく半分ほど平らげたユフィーリアは、幼い少女が運ぶ食器に見覚えがあり、不気味な空気を醸す隣の部屋の前に置かれていたものであると気がついた。

 少女は女将に「おかあさーん、しょっきここにおいとくねー」と声をかけてからなにかの上に食器を乗せて、忙しそうに調理場を飛び出していった。まだ部屋の前には食器が残されているのだろう。


「お嬢ちゃん、ちょっといいか?」

「あ、おねーちゃん」


 ユフィーリアの呼び声に反応を示した少女は、パタリと足を止めてユフィーリアに向き直る。


「どうしたの?」

「俺らの隣の部屋って誰か泊まってるのか?」

「うん。でも、わたしもだれがとまってるのか、みたことがないんだ」


 少女は困ったような表情を浮かべて、


「まいあさ、うけつけにおてがみがおいてあって、そのときにおかねもおいてあるの。おそうじはひつようかなっておもったんだけど、とんとんしてもだれもでてこないから」

「料金をきちんと支払っている以上は、深く追及できねえって?」

「あんまりしつこくすると、その、おへやのひとがおこっちゃうから、おこらせないようにしようって」


 少女たちは最奥の部屋の謎を解くよりも、部屋の主を逆上させないようにしようという保身に走ったのだ。その方が賢明だろう。誰も姿を知らない以上、変に刺激すると殺されてしまう可能性がある。

 それに、今のアクティエラには『引き裂き魔』という連続殺人鬼が存在する。誰が連続殺人鬼か分からないし、もしかしたらあの部屋に泊まっている者こそが引き裂き魔かもしれない。

 丁寧に説明してくれた少女に礼を述べ、ユフィーリアは食事に戻った。それでもやはり、隣の部屋の事情が気になるのだが。


(――なにかがあるってことは間違いない。でもそのなにかが分からねえ)


 こういう時『最強』としての勘はよく当たるのだ。主に悪い方向にだが。

 思い過ごしであってほしいとどこかで願いながら、ついに誰も反応してくれなくなったことに嘆くシズクを慰めにかかった。意外と面倒な女だ、こいつ。

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