第2話【新たなる戦場へ】
眼下に広がる光景は、広大な平原と水平線を塞ぐように生い茂る森の群れ。空から降ってくる天魔が地面に叩きつけられるなり、我が物顔で大地を闊歩し始める。
それらを高みから見物――というより巨大な鴉によって高所へ連れてこられたユフィーリアとショウは、ただ呆然と立ち尽くしていた。ちなみに二人を連れてきた巨大な鴉はすぐそばで翼を落ち着かせて、毛繕いなどを始めてしまっている。鶏肉として捌いてやろうかと三度ほど思った。
「ようこそ、王都アルカディアの城壁へ」
波紋と共に虚空から現れたグローリアは、爽やかな笑みを浮かべて言った。その顔面を殴り飛ばしてやりたいと考えたユフィーリアは、密かに拳を握りしめた。
ユフィーリアとショウが連れてこられた高所とは、王都アルカディアを守る為にぐるりと囲っている頑丈な城壁の上だった。城壁は石かなにかの素材を使っているのか、ものすごく頑丈に作られている。厚みもあり、さしもの天魔でも城壁を壊すことは不可能だろう。
そんなところに連れてこられた理由が皆目見当もつかないので、ユフィーリアは優雅にやってきた上官相手に喧嘩腰で挑む。
「こんなところに連れてきて一体なにをするつもりだ? まさか城壁の除染作業をしろって話じゃねえよな?」
「ッ!?」
珍しく、本当に珍しく、ユフィーリアも初めて見るぐらいにショウが狼狽えた。赤い瞳を見開いて弾かれたようにグローリアを見る彼は無言で上官の命令を待つが、二人で城壁を掃除しろだなんて言われた暁にはどう反応するのか。
ところが、グローリアからの返答は違うものだった。彼は城壁の向こう側を指で示して、
「あれを見て」
つられて二人の視線が、城壁の外へと向けられる。
天魔が歩き回る中で、小さな影が覚束ない足取りで平原を突き進んでいる。その数は地上を闊歩する天魔よりも多く、それでいて格好も様々だ。綺麗なドレスを着た少女やボロボロに着古したシャツと履き潰した靴で足を引きずるようにして歩く老人など、年齢や性別はバラバラで統一性がない。そこら辺にいる人間を片っ端から選んだかのような――。
……人間?
「なにしてんだあいつら!? 外は天魔がうろついてるのに!?」
「それが分からないんだよね」
詰め寄ってきたユフィーリアに対して、グローリアはあっけらかんと言う。
「つい二日前のことだよ。【閉ざされた理想郷】から大勢の行方不明者が出たんだ。年齢や性別は問わず、貧富の差もない。金持ちばかりだったら身代金目的の誘拐も考えられたけど、中には孤児や住所不定の人もいるみたい。そして、全員の行方は【閉ざされた理想郷】の外だ」
ユフィーリアはもう一度、平原をふらふらと覚束ない足取りで彷徨い歩く人間どもを観察した。
天魔は彼らに襲いかからないようで、あれだけ襲ってくださいとばかりにゆったりとした歩みでどこかへ向かっているのに、空から降り注ぐ異形の怪物どもは無用心に外を歩く人間どもを襲わないでいる。それがまた奇妙で仕方がない。
散歩というには、全員して目指す方向が同じだ。その姿は誰かに操られているとも言えようか。
「…………なにかに取り憑かれた……いや操られてる……?」
「その原因すらも僕には見当もつかないんだよね」
天才と言わしめるほどの頭脳を有するグローリアでも、彼らが陥った状況を察することは不可能のようだった。「捕まえて調べてみたいんだけど、立場上、人間に乱暴を働くとうるさいからさ」と外道な理由を呟いていたが、この際だから聞かなかったことにしておこう。
ともあれ、これは異常事態である。行方不明者がふらふらと地上をほっつき歩いていれば、いつか天魔の餌食になりかねない。その原因があるのであれば、すぐに対処しなければ。
「奴らがどこへ向かうのか、見当はついているのか?」
「それはもちろん」
はっきりと頷いたグローリアは、担いでいた死神の鎌をくるりと一回転させる。歪曲した刃が示した先は、なんと森のさらに向こうだった。
「この先にある『アクティエラ』っていう人工島さ」
「あー、港湾都市とか言われてるあれか」
ユフィーリアの記憶の中にも、アクティエラという都市の名前はある。
蒼海に浮かぶ人類史最大の人工島と銘打たれたそこは、王都アルカディアに次ぐ規模を誇る。東西南北の有名店が鎬を削っており、人類が生み出した最も大きな商業都市だった。
アクティエラに店を出せば瞬く間に有名になれると言われ、商人であれば誰しもが憧れる海の都。月に五〇万人は訪れるほどの人気の都市で、季節ごとの催事が行われれば来訪客はもっと増えるとかなんとか。
アクティエラに関する知識は地上に捨てられていた雑誌がほとんどであり、ユフィーリア自身は行ったことがない。なので「どういうところなの?」と聞かれれば、答えとして用意してある台詞は「人類最大の人工島だってよ。知らんけど」だ。
天魔が地上を支配して久しいが、まさかアクティエラまでどこぞの天魔の根城になっているのか。
「もう少し情報はねえのか?」
「ないんだよね、これが」
グローリアはやれやれと言わんばかりに肩を竦めてみせた。
「実はスカイの使い魔が、アクティエラのことを探ろうとした瞬間に支配を解かれちゃうんだって」
「支配が?」
「解かれるだと?」
ユフィーリアとショウは、二人揃って背後で翼の毛繕いが終わって寝こけている巨大な鴉へと振り返った。二人分の視線を一身に受けた巨大な鴉は驚きのあまりビクリと震えるが、巨大な鴉を介して聞こえてくる青年の声だけは緊張感がないものだった。
【そーなんスよ。なんか知らねーけど、急に術式の支配下から外れるんスよね。目視で確認できる使い魔はまた術式の支配下に置いたけど、何匹かは行方知れずッス】
「それ危険じゃねえか」
スカイの使い魔は、普段こそスカイの術式である『共有術』の支配下に置かれている為に、その自由意志を封じ込まれている。だが元々スカイの使い魔は、スカイが契約した天魔が従えていた小型の天魔であり、それが野放しの状態になればどれだけ危険か分かったものではない。
ユフィーリアがジト目で睨みつけると、スカイは言い訳でもするように【仕方ねーッスよ】と言う。
【最悪、回収できねー使い魔は殺しても問題ねーッス。元より支配下から外れりゃその程度なんスから】
「思い入れとかねえのか」
【可愛くねー奴らに思い入れなんてねーッス】
意外と酷い奴だった。使い魔をそこまで大切にしていないのか。
脱線しつつある話を修正するように、グローリアが「とにかく!!」と声を張り上げる。
「君たちに命令するのは、行方不明者の調査だよ。その為にアクティエラまで行ってもらう」
「原因が分かったらどうすりゃいいんだ?」
「スカイの使い魔を経由して連絡して。一応、小さな鼠の使い魔は張りつかせておくから」
グローリアがそう言うと、ユフィーリアの足元から小さな鼠が這い上がってきて、肩の位置で落ち着いた。今度の鼠は眼球が二つあるが全身の毛の色が鮮やかな赤であり、血でも浴びたのかと思いたくなるほどの不気味さがあった。
尖った鼻先をふすふすとひくつかせる鼠をむんずと素手で鷲掴みにすると、ユフィーリアはおもむろにショウの頭へそっと置いてやった。鼠はショウのポニーテールの根元にごそごそと入り込み、その小さな身を潜ませた。
「何故」
「隠せるところがあってよかったな」
「外套に隠せばいいだろうに」
「外套の中は危ねえモンばっかなんだよ。引っ張り出したら尻尾だけ出てきたとか、そういうオチになったら嫌だろ。俺が」
自分のことしか考えていない発言だが、きちんとした理由である。
ユフィーリアの外套には様々な武器が収納されていて、もし使い魔の鼠がそれらに触れた場合は死に至ることが想定される。原因を突き止めていざ連絡しようと外套から引っ張り出したら、バラバラになった一部分しか出てこなかったとなった暁には、外套の中身を全てひっくり返してでも死骸を探さなければならない。
かといって、頭の上にずっと載せていると異変が分かってしまう。ユフィーリアは銀髪なので、鼠の赤い体を隠すには適していないのだ。その点、ショウなら毛量もあるので隠しやすいだろうと踏んだ訳である。
「さて、じゃあこれから二人にはアクティエラに向かってもらうね」
「移動手段はなんだ? まさか徒歩って訳じゃねえよな?」
アクティエラは海に浮かぶ人工島である。内陸部にある王都アルカディアから歩けば、どれほど時間がかかるか分かったものではない。
せめて四輪車で送ってくれねえかな、と思っているとグローリアが「大丈夫だよ」とニッコリとした笑みで言う。
「僕の『空間歪曲』で送るよ」
「…………それ信用できんのか?」
訝しげな表情を浮かべるユフィーリア。実際のところ、グローリア本人が使いこなしているのできっと大丈夫だろうとは思うのだが、ユフィーリアは『空間歪曲』自体を使ったことがないので信用ならない。
繋がった先が足場のない大空の上でした、なんてオチになったら笑えない。
当の本人であるグローリアは「大丈夫だよ」と笑う。
「ただ僕も『空間歪曲』を他の人に使ったことがないから、ちょっと自信はないんだけれど」
「おい待て。なんで自信がない方法で戦場に送り込もうとするんだ!? 殺すつもりか!?」
「大丈夫だよ、君たちなら高高度から落下しても生きてるよ」
「なにをもってンなことが言えんだ!?」
自分が自信を持って言うならまだしも、他人にそんな太鼓判を押されたくないものである。
高高度から落とされてなるものかとユフィーリアは上官に噛みつくが、ご命令とあらばどんなことでも遂行してしまう忠犬を通り越してもはや人形の相棒殿は、グローリアとユフィーリアの口論に対して特に疑問を抱かずに言う。
「命令であれば従う他はない。いつまでも文句を言っている場合ではないだろう」
「お前はことの重大さが分かってねえようだな!? どうなっても知らねえぞ俺は!!」
この野郎、危険性を全然理解してねえ。
頭を抱えたユフィーリアは、やっぱり相棒なんて必要ねえと心でそう思うのだった。片方が拒否しても片方が許諾してしまえば意味がないではないか、主に危険性について。
危険な未来を予測して上官に意見すら述べなかったお人形と一緒にいては、命がいくつあっても足りない。ユフィーリアはさっさとショウから離れて自力でアクティエラに向かおうかとしたが、
足を一歩踏み出したその時、ずぶりと石で作られた城壁に足が埋め込まれた。
「……………………あん?」
自分でも間抜けな声が出たと思う。
さながら底なし沼のようにずぶずぶと足が城壁に飲み込まれていくという奇妙な現象の理由へ辿り着くのに、ユフィーリアは五秒ほど時間を要した。気づいた時にはすでに両足どころか、腰元まで城壁に飲み込まれていた。
「は!? おいグローリア、待て!!」
「大丈夫、大丈夫」
懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を掲げたグローリアは、爽やかな笑みと共に言う。
「君たちなら上手くできるって信じてるよ」
「信じる信じないの問題じゃなくて確実な方法で行こうぜ!? つーかこの向こうに足場があるようには思えねえんだけど!?」
「適用『空間歪曲』」
無慈悲に下される、遠回しな死刑宣告。
抵抗虚しくユフィーリアは城壁の中に飲み込まれていった。――ちなみに「覚えとけこのクソ司令官」という呪詛は、どこかに消えてしまった。
☆
最強の精鋭部隊――第零遊撃隊。
高い身体能力と豊富な戦闘知識、視界に入った如何なるものでも切断できる『切断術』を行使する自他共に認める最強の天魔憑き――ユフィーリア・エイクトベル。
広範囲にまで及ぶ攻撃範囲と生者であれば燃やし尽くすことができる『火葬術』を行使し、飛び抜けた射撃の才能を有する天魔憑き――ショウ・アズマ。
選びに選び抜いて、たった二人だけで結成された精鋭部隊。それが第零遊撃隊だ。
「うん、きっと大丈夫」
グローリアは満足げに頷いた。
きっと彼らなら上手くやってくれるはず。今はまだ自分の能力だけで片付けてしまっているが、そのうち奪還軍でも類を見ないほどの強さを身につけることになるだろう。
「さて、僕も他の子たちに通達しなきゃ」
【あー、それなんスけど。グローリア、先に片付けなきゃいけねーことができたッスよ】
「え? なにが?」
こんな時にまで外に出ることを拒んだ自らの腹心――巨大な鴉を介して会話するスカイへと振り返る。巨大な鴉からでは表情を読み取ることはできないが、どこか彼は居心地が悪そうにしていた。
【ユフィーリアに言い訳を考えておいた方がいーッスよ】
「なんで?」
出撃すること自体には異論はなかったはず。
最後まで『空間歪曲』を使うことを拒まれたが、そこはそれ、変なところに飛ばされたとしても雑草並みの根性と生命力を持つ彼らなら上手くやってくれるだろうと予測したのだが。
首を傾げるグローリアに、スカイは呆れた様子で答えた。
【アイツら、高高度から自由落下をしてッスよ。ユフィーリアの予感が的中したッスね】
「……………………」
聡明なグローリアは思った。
――多分これ、言い訳しても任務のあとに殺されるんじゃないかな。




