第8話【開戦の狼煙】
「諸君、よく集まってくれた」
ピッタリと閉ざされた鋼鉄の門に、グローリアの朗々とした声が響く。諸君とか普段使わない偉そうな口調まで持ち出してくる辺り、相当な気合が入っているようだ。
頭上を塞ぐように寝そべる鋼鉄の門扉の前に集められた天魔憑きの数は、およそ五〇〇にも達していた。人数で見れば少ないだろうが、その一人一人が一騎当千の戦力を有していると考えると強力な軍隊のようにも思えてくる。もっとも、実際は軍隊と呼べるような人数はいないのだが。
その五〇〇人の兵士に混ざるようにして、ユフィーリアとショウは横並びになって立っていた。ユフィーリアは姿勢を崩してだらしなく立っているのに対し、ショウは背筋をピンと伸ばして休めの姿勢を維持している。これだけの兵士がいるのだから少しぐらい力を抜いたって誰も咎めはしないのに、どうして彼はこうも息が詰まるような生き方しかできないのか。
真面目に最高総司令官であるグローリアを見据えて作戦の概要に耳を傾けているショウを一瞥して、ユフィーリアは誰にも気づかれない程度にため息を吐いた。戦場では大いに役に立つ相棒であるが、やはり普段はあまり一緒にいない方が互いに疲れないだろう。
さて。
改めてグローリアの話に意識を集中させると、どうやら本当に王都アルカディア奪還作戦を執り行うらしかった。その為に一〇〇年以上開くことがなかった大正門を使い、王都の内部に突撃するようである。
「よくもまあ、騎士団団長様が許したモンだな」
ポツリと呟いた一言が隣のショウにも聞こえていたようで、不思議そうに首を傾げた。おそらくあの赤い瞳は「何故?」と問うているのだろう。
答えてやるべきか悩んだが、直立不動を維持し続けるショウにそっと近寄って一方的に話すことにした。
「大正門の開閉は騎士団の管轄だ。騎士団の団長様が頷かなけりゃ門が開くなんてことはねえ」
「最高総司令官が説得したのだろう」
「グローリアと騎士団団長様の仲はすこぶる悪いんだよ。一体どんな脅し方をしたのか知らねえけど、普通に頼めば鼻で笑われてもおかしくねえことだぞ」
なにせ大正門は人類を一〇〇年以上に渡って守ってきた、最後の盾だ。それを開くということは、人類の平和を脅かすことに繋がりかねない。
【閉ざされた理想郷】の治安維持を主な仕事とする騎士団――それも多くの騎士を従える騎士団団長がすぐさま首を縦に振るなんてことは、ユフィーリアは到底考えられなかった。少なくとも弱みを握って頷かせたに違いない。
ショウは特にグローリアに対して疑問を抱くことはなく、そして別段反応も見せずに「そうか」とだけ納得してグローリアの話に戻った。
グローリアは大正門を使って云々と話しているが、要は暴れ回って王都に居座る天魔の気を逸らすことをしようとしているようだ。その道順の確認のようなものを地図を広げながらやっているのだが、五〇〇人の前で地図を広げたところで見えない。滅多にやらないことに手を出してしまったからか、ちょっとばかり慌てているのだろうか。あれはもう収拾がつかなくなっている。
周囲の同僚も「グローリアさん、なんかいつもより混乱してね?」「初っ端から『諸君』とか使うからなんだと思った」とグローリア自身の異変にも気づいているようだった。思わず苦笑が浮かぶ。
すでに色々と手遅れの状態を無理やり締めくくるように「終わりッ!!」と半ばヤケクソ気味に叫んだグローリアは、僅かに紫色の瞳を羞恥に潤ませて続ける。
「あと第零遊撃隊はちょっと話があるから、すぐに僕のところまできて」
「うわ」
反射的にユフィーリアは呻いた。この最高総司令官、まさか部下に八つ当たりでもする気か。
他の兵士たちは同じ部隊同士で集まって、グローリアの説明を反芻しているようだった。多分助けてくれるような雰囲気ではない。
よし、逃げよう。逃げることも戦術の内である。八つ当たりされるぐらいなら単騎で王都に居座り続けるという天魔の元へ特攻した方がマシだ。
そうと決めたユフィーリアは抜き足差し足でそっと集団から離れようとしたが、それを阻害するようにぐわしッ!! とショウの手がユフィーリアの胸倉を掴む。
「行くぞ」
「ぎゃああああッ!! 絶対に八つ当たりされるパターンなのに自ら火の中へ飛び込むと言うのかお前はーッ!?」
嫌だーッ!! と抵抗するユフィーリアを無視して、ショウはずるずると華奢な体に見合わない剛腕で引きずっていく。「駄々を捏ねる子供か」「往生際が悪いぞ最強」と野次が飛んでくるが、そいつらは全員ぶちのめしてやると心の中で決めた。
有無を言わさず最高総司令官たるグローリアの前まで連れてこられたユフィーリアは、一体どうやって八つ当たりされるのか想像して顔を覆って泣きたくなった。おそらく泣いたって誰も助けてはくれないのだが、大の大人でも泣きたくなる時があるのだ。
ところが、ユフィーリアの予想とは裏腹に、グローリアの表情は深刻なものだった。幻想的な紫色の瞳に真剣な光を宿した彼は、厳かに「ユフィーリア、ショウ君」とそれぞれの名を口にする。ただならぬ気配を感じ取ったユフィーリアは、地面に転がって駄々を捏ねる子供の真似をやめて居住まいを正した。
「最初に言っておく。これは多分、君たちが経験した仕事の中で最も危険な部類だと思う。だからこの任務を遂行するにあたって、制限時間を設けるよ。君たちの、命の為に」
いつになく真剣な声音に、ユファーリアも自然と表情が引き締まる。
任務に制限時間が設けられるとは珍しい。今まではそんなことはなかったはずなのだが、一体どういう風の吹き回しか。
そこでふと、ユフィーリアはアイゼルネの話を思い出した。
――天魔が寄りつかない仕組みがある。
――王宮に馬鹿みたいに巨大な天魔がいた。
「王宮に居座るでかい天魔と関係あるってのか?」
「ユフィーリアが僕の話を聞いてるなんて珍しいね」
「いや、確かにお前の話は大半聞いてなかったけど、アイゼから聞いた」
グローリアの湿った視線が投げかけられるが、そこはあえて無視した。あんな小っ恥ずかしい演説など忘れてしまった方が彼にとっても嬉しいはずだ、と自分に言い聞かせて。
「アイゼルネ君から聞いているならいいかな。今、王宮には高濃度の毒素が漂っているんだ。一般人なら吸っただけで確実に死ぬぐらいのね」
ああ、だからか。
ユフィーリアは納得した。
アイゼルネは王宮に近づけなかったと言っていた。それはひとえに、王宮に居座る天魔が邪魔していた訳ではなく、王宮から漏れ出る猛毒によって近づくことすらままならなかったのだ。天魔憑きとて寿命による死を超越したとはいえ、構造上は人間に程近い。腕をもがれれば痛いし、毒を吸えばすぐに死に絶えることはなくとも相当苦しい。毒耐性をつけていなければ、猛毒の中で行動などできやしないだろう。
グローリアは「だからこその制限時間だ」と言う。
「制限時間は一〇分、それ以上は君たちの体がもたない。一〇分以内に王宮に侵入して、天魔を討伐してほしい。それが君たちに与える任務だよ」
一〇分といういやに現実的な数字に、ユフィーリアは思わず口笛を吹いた。王宮がどの程度の広さを有しているのか不明だが、一〇分で天魔を倒せとは無茶を言ってくれる。
任務と名のつくものを与えられた空っぽと名高いショウは、すぐさま「了解した」と返していた。彼にとっては一〇分の制限時間も、猛毒の中で行動する危険性も、何も考えていないらしい。
逆にユフィーリアは色々と思考を巡らせていた。毒に対する耐性があるとはいえ、どの程度の強さを有する毒なのか。毒の範囲はどの程度の広さなのか。件の天魔はどんな姿をし、弱点はあるのか――そしてなおかつ、味方と連携が取れるか。
「グローリア、それってショウ坊と一緒じゃなきゃダメなのか?」
「え?」
「俺一人で王宮に侵入しちゃダメかって聞いてんだよ」
天魔撃破数第一位を誇るユフィーリアの思考回路が弾き出した回答は、自分一人で王宮に乗り込むことだった。ユフィーリアは毒に対する耐性を身につけているし、いざとなれば常日頃から吸っている煙草で毒素を中和できる可能性もある。わざわざショウと一緒に行動せずとも、天魔の撃破だけであればユフィーリア一人で事足りる。
毒の耐性を身につけていないと予測されるショウを、たとえ一〇分という制約がついていても猛毒の中に晒すなんて真似は避けるべきだ。天魔憑きの人数はただでさえ少ない。王都奪還を皮切りに地上の制圧を目論むのであれば、優秀な人材は残しておくべきではなかろうか。
ユフィーリアの一言で彼女の考えを読み取ったのか、グローリアの紫色の瞳が音もなく眇められる。少し考えるそぶりを見せた彼は、しばらくして首を横に振った。
「許可できない」
「なんで」
「君も大切だからさ」
やはり読まれていたか、さすが最高総司令官。
チッとわざと大きめに舌打ちをしたユフィーリアは、単騎での突撃を素直に諦めた。グローリアを口で言い負かす自信はないし、第一、ショウがいてくれるならそれに越したことはない。彼の実力はユフィーリアも認めている。もし相手が相当やばいのであれば、どちらか無事な方が片方を引きずって撤退するということも選択できる。
隣から視線を感じ、振り向くとショウがなにやらじっとユフィーリアを見つめていた。赤い双眸は「俺は不要か?」と心配するような雰囲気を滲ませていて、ユフィーリアはそんな彼の脇腹を軽く小突いた。
「一〇分だってよ、ショウ坊。気ィ引き締めていくぞ」
「――――ああ、了解した」
二人で行動できる安堵からか、無表情ながらショウの雰囲気が少しだけ緩んだ。別に心底嫌っている訳ではないので、部隊解消とはならないのだが。
さて。
まだ見ぬ天魔にどうやって立ち回ってやろうかと、ユフィーリアは思考を巡らせるのだった。
☆
――――ガ、コン。
重々しい音が蒼穹に響き渡り、幾千もの歯車が噛み合わさった仕掛けが動いて、一〇〇年以上に渡って人類を守り続けた大正門がついに開かれた。
ゆっくりと鋼鉄の門扉が左右に割れて、その向こうにある青空と陽光が長年明かりが差さなかった【閉ざされた理想郷】の第一層を覗き込んでくる。
門の前に整列したのは、見た目こそ脆弱な人間に見える――しかしながら誰もが単騎で怪物と渡り合えるほどの実力を有する猛者たちだ。誰かはこれより行われる戦争に胸を躍らせ、誰かは死地に向かう己の境遇を悲嘆した。十人十色の心境を抱える人の道を外した彼らを率いる青年は、死神の鎌を想起させる杖を掲げた。
「――進めッ!!」
声高に命令を下すと、開け放たれた大正門から天魔を殲滅せんとする猛者どもがわっと飛び出していく。
此度の戦地はかつて人類最大の都市として栄え、今や無人となった王都アルカディア――栄枯盛衰を物語る彼の地の奪還である。
「おーおーおー、こうして見ると壮観だな」
ぱっくりと大胆に開かれた大正門を、遠くに聳え立つ教会の鐘楼から望遠鏡を使って見下ろしていたユフィーリアは、同僚が一気に飛び出してくる様を軽い調子で片付けた。南に存在するディアンテ広場の石畳が左右に割れて、そこからぞろぞろと仲間の天魔憑きたちが出てくる様子は、さながら働きに出かける蟻のようである。
望遠鏡をしまいながら、ユフィーリアは背後を振り返った。ぼんやりと空を見上げていた黒髪赤眼の少年――ショウ・アズマもまたユフィーリアの視線に気づいたのか、こちらに赤い瞳を向けてくる。
王宮への突撃を命じられた第零遊撃隊は、一足先に昇降機を使って地上までやってきていた。仲間たちが【閉ざされた理想郷】から出てくる瞬間を見計らって行動を開始し、王宮に居座る天魔を討伐というのが大雑把な流れである。要するに大多数の天魔憑きは陽動、ユフィーリアたちが本命という訳だ。
「さてショウ坊。俺らの任務内容を復唱しろ」
ユフィーリアは、あえてショウに命令口調で言った。「命令だ」というお決まりの言葉を省略できる為だ。
彼女の思惑を読み取ったのか、それとも単に命令であると認識したのか、ショウはすぐさま「了解した」とお決まりの答えを返すと簡潔にまとめて復唱した。
「王宮への突撃及び天魔の撃破だ」
「任務の制限時間は」
「一〇分」
「よし」
一〇分の感覚がよく分からないので、グローリアに頼んで制限時間がきたら鐘を鳴らす手筈になっている。一〇分という制限を提示してきたのだから、せめてそれぐらいはやってくれていいだろう。
王都の周辺を彷徨う天魔に気づかれてしまう可能性が大いにあるかと思うが、そこはそれ、天魔憑きの一騎当千の力を見せつけてやる時だ。五〇〇人もの猛者たちが廃墟と化しつつある王都をうろついているのだ、見つけ次第殺害という手段も使える。
一服してから王宮へと向かおうと思ったが、これから毒素の漂う王宮へと突撃するのだ。いくらでも煙草など吸う機会はあるだろう。ユフィーリアは取り出しかけた煙草の箱を外套の内側に押し戻して、王都の街並みを見やる。
「王都を見るのは初めてだけど、随分と広いんだな」
「人類最大の都市と呼ばれている。広大な領土を誇るのは当然だと思うが」
「それが今や廃墟ってか。やれやれだ」
煉瓦造りの建物がずらりと並ぶ先、王都の中心に位置するそこに目的のものが聳え立っていた。
蒼穹を貫かんばかりに高い尖塔、空にたなびく赤い国旗には王冠を戴く竜の紋章が描かれている。おとぎ話にでも出てきそうな白亜の巨大な城が、どんと中心に鎮座していた。
パレスレジーナ城と呼ばれる王城である。世界最大の城として有名であり、数々のおとぎ話に出てくる城の見本にもなっているほどだ。今回の戦場はあの白亜の城ということになる。
「ンじゃ、ぼちぼち行くか」
「ああ」
腰から佩いた大太刀の位置を確かめて、ついでに外套の内側に忍ばせる数多の武器も確認する。装備も万全である。
さてパレスレジーナ城へ向かうか、と鐘楼から飛び降りて距離を短縮しようと考えたユフィーリアは、鐘楼の柵に足を引っかけて――やめた。
「おい、ショウ坊」
「なんだ」
「そりゃ一体なんの真似だ?」
はて、と首を傾げるショウ。
頭痛を訴えるこめかみをグリグリと指先で揉みながら、ユフィーリアは言う。
「お前の得物は回転式拳銃だろ。なんで旗なんだよ」
ショウが両手で握りしめていたのは、薄紅色の旗竿を持つ軍旗だった。形状はユフィーリアが以前使った『輝ける栄光を捧げる勝利の旗』と似通っていて、旗の部分はごうごうと燃え盛る炎である。穂先が尖っている訳でもないので、槍の代わりにすらなり得ない。
ユフィーリアが得物の指摘をすると、ショウはツイと視線を逸らした。軍旗を守るように両手で握りしめると、まるでバレたいたずらに対して言い訳をする子供のように拗ねた雰囲気で呟く。
「……武器は、修繕に出してる……」
「ンな訳ねえだろ。お前の武器は火葬術から生み出してんの知ってるからな」
ショウの武器は回転式拳銃に限った話ではなく、変幻自在にその形状を変える炎を操って様々な武器の形を成すのだ。以前は二挺の回転式拳銃を使っていたが、今日はどうしてか軍旗の形状をしている。
別に他人の武器に対して口を挟む訳ではないのだが、今から死地へと向かうのに使い慣れていない武器で突撃するのは危険すぎる。ユフィーリアは「二丁拳銃にしろ」と命令口調で言うと、渋々といったような雰囲気でショウは炎の軍旗を消した。
さて、気を取り直して。
ユフィーリアはやれやれと小さくため息を吐くと、
「そんじゃ、行くぞ」
「ああ」
「おう待て。そこの馬鹿たれ」
再び待ったをかけたユフィーリア。
無表情ではあるがどこか不満げなショウは「なんだ」と応じるが、止めた理由はやはり彼の持つ武器にあった。
「確かに二丁拳銃にしろと言ったのは俺だ。だけど誰がマスケット銃を持てって言ったよ」
「ダメか?」
「使い慣れてる奴にしろ。マスケット銃なんざ使っても一発撃ったら弾切れで自滅するのがオチだぞ」
ユフィーリアのように多く手数を持っている訳ではなく、しかもショウの場合は術式に関して制限がある。あまり使い過ぎてしまうと空腹によって行動不能となってしまうのだ。毒素で満たされた空間でそんなポカをやらかせば、二人仲良く冥府行きである。
両手に構えたマスケット銃を大切そうに抱えたショウが視線だけで訴えてくるが、ユフィーリアは容赦なく「ダメだ」と却下した。ダメなものはダメである。捨て猫を拾ってきて「飼ってもいいか」と駄々を捏ねるどころではないのだ。
しばらく無言の訴えをしていたショウだが、ユフィーリアが「命令だ。回転式拳銃を装備しろ」と言うと、やはり渋々とマスケット銃から回転式拳銃に変化させた。
「よし、行くぞショウ坊」
「…………ああ」
「おい、なんでそんなにテンションが低いんだよ。正論だろ、遊びじゃねえんだぞ!?」
「…………別に普通だ。気にしないでくれ」
「大丈夫だろうな!? 俺背中預けていいんだよな!?」
明らかにしょんぼりとした様子の相棒に一抹の不安を抱きながらも、ユフィーリアはパレスレジーナ城へ向かうべく教会の鐘楼から飛び降りた。




