第7話【その意思は誰が為のものである】
鏡が消え失せる。
闇が訪れる。
立ち尽くすショウは、ポツリと呟いていた。
「……なんだあれは」
今まではずっと平穏だった。
師匠と共にいる少年の人生は平穏そのもので、文句を垂れることはあっても少年は楽しそうだった。剣術大会で優勝して、師匠との修行に励んで、誕生日を祝って貰えて、普通のありふれた記憶だったのに。
今まで見せられていたのは悪夢そのもので、本当は幸せな日々を送っているのではないかと思いたい。それでも誰かが『現実を見ろ』と囁いて、ショウの現実逃避を阻止してくる。
だって、こんなのあんまりではないか。
「そんな……あれは……現実だったのか?」
「そーのとーりィ」
闇の中にショウ以外の声が、朗々と響き渡った。
振り返ると、そこには黒い外套を身につけた黒髪の男がニヤニヤと楽しそうに笑いながら立っている。艶のない黒髪に黒い外套、そして腰にはあの大太刀。――まさしく、今まで見てきた記憶の少年ではないか。
男は大仰に両腕を広げると、さながら舞台役者のような一礼をして見せる。
「ようこそ。我が相棒、ショウ・アズマ殿。ユフィーリア・エイクトベルの記憶の回廊へ」
「……やはりここは、ユフィーリアの記憶の中なのか」
「そうであって、そうではない。ここはユフィーリア・エイクトベルの記憶を再生する劇場であり、本人の深層意識ではない。深層意識にいけば【銀月鬼】の奴が居座っているから、手が出せねえんだけどな」
男は軽い調子で笑い飛ばし、それからくるりと周囲を見渡した。どこまでも続く闇を一瞥すると、彼はフンとつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「こんな辛気くせえ場所にいたら、積もる話もできやしねえ」
そう言うと、男は外套の内側から一枚のカードを取り出した。表面に赤と黒の格子模様が描かれて、そしてデカデカとしたハートが一つだけの数字札である。
男が闇の中にカードを放ると、次の瞬間、深淵が塗り替えられてしまう。ぐるりと座席が一面を取り囲み、全て同じ方向で設置されている。座席が注目しているのは、分厚い天幕が降りた舞台だった。
どっかりと座席に腰掛けて、男は優雅に足を組む。立ち尽くすショウに隣の座席を指差すと「まあ座れよ」と促してきた。
「ここからの舞台は成長した俺の話。そうだな、具体的に言えば【閉ざされた理想郷】に到達するより前の話だな」
「それはいつのものだ?」
「さあ? もう永遠に二八歳をやってるから分かんねえよ。」
適当なことを言っているうちに、舞台の幕が上がる。
ショウは男が座る位置から一つ間隔を置いて、静かに座席へ腰掛けた。
舞台は森の中、そこに一人の銀髪の女が満身創痍の状態で寝そべっている。手足も人間ではあらぬ方向に折れ曲がっていて、息をしていることがもはや奇跡と呼べた。
そこにやってきたのは、ショウの記憶に新しい黒髪の男である。黒い外套を翻し、寝転がった銀髪の女にとどめを刺そうと長い刀を構えた。
『私と契約をしないか』
銀髪の女は、男に契約を持ちかけた。
その言葉で、ショウは理解する。
あの銀髪の女は天魔である。だからあんなボロボロの状態でも生きていられるし、手足があらぬ方向に折れ曲がっていても流暢に喋ることができるのだ。
『内容による』
それに対して、男の返答は実に簡素なものだった。
銀髪の天魔は男へ自分の全てを明け渡す代わりに、自分の憎悪も背負って欲しいと言った。天魔が差し出した手を、男は迷わず手に取った。
すると、どうだろうか。銀髪の天魔が光の粒子になると同時に、男の体に異変が表れた。すらりと高かった背丈は縮み、艶のない黒髪は肩口まで伸びると色が抜け落ちて銀髪となる。筋肉質だった体は女性らしく丸みを帯び、銀髪碧眼の女となる。
男は――いや、銀髪碧眼の女は変わり果てた自分の姿を見下ろすと、
『――なんじゃこりゃああああああああああああッ!?!?』
鈴を転がすような声で、絶叫した。
舞台の照明が落ちる。いつのまにか壇上には誰もいなくなり、無人となっていた。
「……あれは、ユフィーリアなのか」
「【銀月鬼】との契約の瞬間ですねェ。え?感動的じゃない? それは残念」
なにやら楽しそうに舞台の行く末を見守っていた黒髪の男は、やれやれと肩を竦めた。別にショウはなにも言っていないのだが、彼は誰を相手にしているのだろう。
再び舞台の照明が点灯する。【銀月鬼】との契約によって銀髪碧眼の女となってしまった男――ユフィーリアが、荒れ果てた街の中を歩いている。倒壊した建物を眺めながら歩いていると、小さな子供が天魔に追いかけられていた。
見覚えのある、鰐のような姿の天魔だ。大きな口を開けて子供を頭から丸呑みしようとし、子供は食われない為に一生懸命走って逃げている。
『あー、ありゃ死んだな』
ユフィーリアは薄情にも、あの子供を見捨てる気でいたようだ。逃げる子供から視線を逸らして、自分も巻き込まれないように逃げようとして、
『誰か……誰か助けて!!』
子供は叫ぶ。
その『助けて』の一言でユフィーリアは足を止めて、子供へと振り返る。足を縺れさせて転んでしまった子供は、今まさに鰐の怪物に食べられようとしていた。
その光景に、果たして彼女はなにを見たのだろうか。ギリ、と強く歯を噛み締めると、腰から佩いた大太刀の鯉口を切る。
『ああ、任せろ』
ユフィーリアは、一太刀で鰐の怪物を両断した。【銀月鬼】と契約したことで得た異能力――切断術を発動させる。
ぱっかりと左右に割れてしまった鰐の怪物は、再生することなくあっさりと絶命する。子供は涙で濡れた瞳でユフィーリアを見上げて、それから首を傾げた。
『おねーさん、だれ?』
『名前を聞きてえならお前から先に名乗るべきだろ』
『え、エド、エドワード・ヴォルスラム……』
『うん、呼びにくい。エドでいいな。俺はユフィーリア・エイクトベルだ』
『ゆふぃー、りあ?』
『呼びにくそうだな。あー、じゃあユーリでいいよ。そっちの方が呼びやすいだろ』
銀髪を掻きながら言う彼女は、エドワードと名乗った子供へ手を差し伸べた。
『一人なら一緒にこいよ。ちょうど一人旅にも飽きてきたところだ』
おずおずと差し出された子供の手を取り、ユフィーリアは歩き出す。
そして舞台の照明が落ちた。真っ暗になってしまった舞台へ、男が喝采を送る。
「『助けて』に応じるようになったのは、まあこの時からだな。あの時、街で天魔に襲われた奴らを助けることができなかったから、天魔憑きになってから助けようと思ったんだろ。ほら、俺ってば超強いし」
「…………」
「無反応!? 超寂しいんですけど!!」
無視したショウに、男は半泣きになりながら縋り付いてくる。
三度目の演劇が始まった。今度は小さな子供が、なにやら布の塊を抱えてユフィーリアと対峙している。ユフィーリアは難しい顔で腕組みをし、低い声で唸っていた。
『その赤ん坊をどうするつもりだ?』
『……で、でもこのまま外に放置していたら……』
『ああ、確実に死ぬだろうな』
あの布の塊は赤ん坊のようで、ユフィーリアは赤ん坊を拾うことに反対しているようだ。
それでも子供はこの世界で最も弱い存在である赤ん坊を見捨てたくないようで、首を横に振って拒否をした。ユフィーリアは深々とため息を吐くと、
『……助けてやりてえのか?』
『うん……』
『じゃあ、助けてやるか』
ユフィーリアの言葉は軽かった。
拍子抜けした子供は赤ん坊を取り落としそうになるが、ユフィーリアが子供から赤ん坊をさっと取り上げてしまう。布を掻き分けて『あー、うー』と小さな手を伸ばしてくる赤ん坊は、
『こいつの名前はなんてしようか』
『え、ええ……そんな愛玩動物感覚で……?』
『名前なきゃなんて呼べばいいんだよ? ポチ?』
赤ん坊が不満そうに『うあー!!』と火がついたように泣き叫ぶ。
ユフィーリアが『なんで泣くんだよォ』と困惑し、子供が焦った様子で赤ん坊をあやそうとしている。
『そうだな。ハーゲンって名前にすっか』
『どういう由来なのぉ?』
『俺の故郷でそんな子供がいた。よく遊んでたんだよ』
そこで舞台の照明が落ちた。無人となった舞台に、男が「いい話だなァ!!」と歓声を送る。
「いや、本当にハーゲンって名前の子供がいたんだぜ? 修行の合間とかに遊んでたんだよ。一五の時から見なくなったけど、どっか行ったんかね?」
あっけらかんと言う男は、まるで他人事である。
ショウは男の言葉を無視して、舞台に集中する。舞台の照明が点灯し、今度は痩せぎすの男が鉄格子の中に閉じ込められていた。そこに、ユフィーリアが歩み寄っていく。
痩せぎすの男は、薄汚れた伸びっぱなしの緑色の髪を揺らして顔を上げる。鉄格子の向こう側に立つユフィーリアを見やると、彼はおもむろに口を開く。
『愉悦をご所望ですカ♪』
『なにそのふざけた喋り方』
『それしか教えられてこなかっタ♪』
骸骨のような腕を繊細に動かしてみせるも、その指先からいつも魔法のように飛び出してくるカードはない。牢獄に囚われた彼に、手品を披露する術はない。
ユフィーリアは少し考えて、素手で牢獄をぶっ壊した。
『助けてほしいんだろ。だからふざけた喋り方で気を引きたかった』
『テメェ様がそう感じたんなら、そう判断すればいイ♪ こんな見目の悪い、スープの出汁の代わりにすらならない奴がお気に召せバ♪』
『愉悦を与えてくれるんだろ? だったらお前の言う愉悦ってのを見せてみろよ』
強引に牢獄から痩せぎすの男を連れ去ると同時に、舞台の照明は消えた。
無人となった舞台に、男は「素晴らしいな!!」と称賛する。
「アイゼルネはそんなに見た目悪くないんだぜ? ただ少し痩せちゃって、あと、こう」
「次が始まる。静かにしてくれ」
「あ、はい」
男の言葉を遮って、最後の演劇が始まった。
舞台の照明が点灯すると、銀髪碧眼の女は多くの人間を率いていた。おそらく移動民族だろう。天魔の目から逃れて集団で移動し、安全地帯を探す集団がこの時期に急増したと聞く。
彼女の前に現れたのは、黒髪紫眼の青年だった。にこやかな笑みを浮かべた彼は、お決まりの勧誘文句を口にする。
『僕に利用されてくれないかな?』
『お前、それ本気か?』
『本気だよ。僕は他人の力を利用しなければ勝てないほど弱いからね、素直に欲を目的を言ったつもりだけど』
『…………ふーん』
それから少し考える素振りを見せて、
『それがお前の「助けて」ということなら、利用されてやる』
『ありがとう。君のような強い人材がいてくれると、助かるよ』
舞台の幕が降りた。演劇が終了したのだ。
万雷の喝采を受けることはなく、男も最後の演劇が終わってもなにも言わなかった。今まではうるさいぐらいだったのに、驚くほど静かだ。
「なあ、ショウ坊よ。少し背負いすぎだとは思わねえか?」
男は分厚い幕の向こうに隠されてしまった舞台を眺めながら、
「エドの命を背負い、ハーゲンの命を背負い、アイゼの命を背負い、そして今度は人類の命を背負った。――ユフィーリア・エイクトベルはもう限界だよ」
「……俺も、少しは背負えていると思ったのだが」
ユフィーリアの苦しさは、分かっているつもりでいた。
最強としての重圧も感じていたことだろう。だからその荷が軽くなるように、相棒であるショウも背負えているものだと思い込んでいた。
実際、そんなことはなかったのだ。ユフィーリアは全てを背負い、誰にも自分の重荷を背負わせようとしなかった。
彼女は悲鳴を上げたくても、天魔最強としての名前が悲鳴を上げることを許さないのだ。
「だからさ、ショウ坊」
男は――ユフィーリアは、ショウの頭を撫でると、
「ユフィーリア・エイクトベルを助けてやってくれ」
ショウの答えは簡潔だった。
「当然だ。俺は、ユフィーリアの相棒なのだから」
まさかその回答が得られるとは思っていなかったらしく、男のユフィーリアは少し驚いたような表情を浮かべ、そしてすぐに快活な笑みを見せる。
くしゃくしゃとショウの頭を撫でて「頼んだぞ」と言葉を最後に、男は消えた。
☆
「――ショウ君? ショウ君、大丈夫?」
「……イーストエンド司令官?」
気がつくと、ショウは鏡の廊下に戻っていた。あの男の姿はなく、廊下を覗き込んでも姿は見えない。
確かに男は――ユフィーリアは言った。「ユフィーリア・エイクトベルを助けてほしい」と。
相棒として、ショウはユフィーリアの願いに応じるべきだ。その重荷を、少しぐらいは背負いたい。
「イーストエンド司令官」
「なにかな?」
「俺は気絶をしていたのか?」
ずっとユフィーリアの記憶を覗いている合間、グローリアはどうなっていたのだろう。もし一人にしてしまったのだとしたら、敵は襲いかかってこなかっただろうか。
グローリアは不思議そうに首を傾げて、
「ちょっとぼーっとしていただけだよ。ほんの数十秒だけど……なにかあったの?」
「ああ、少し頼まれた」
グローリアにユフィーリアの追憶を覗いていたことは報告せず、ショウは先を急ぐように促した。
「行こう。ユフィーリアを助けようと」
「そうだね。行こうか」
ショウとグローリアは先を急ぐ。
ユフィーリアを助ける為、長い長い鏡の廊下を突き進んでいく。
彼らの背中を、黒髪の男が見送った。




