第6話【記憶の回廊・下】
カーンカーン、という音が規則的に聞こえてくる。
子供だった少年は、今やすっかり大人びていた。おそらくショウよりも年上であることが分かる。艶のない黒髪は後ろ髪だけばっさり切り、前髪だけやや長いという、少しばかり特徴的な髪型をしていた。陽光に照らされるしなやかな肉体が実に羨ましく、ショウは己の華奢で肉付きの悪い体をじっと眺めて悲しい気持ちになった。
割った薪を積み上げると、少年は額に浮かんだ汗を拭った。それから大量の薪を抱えると、森の中にひっそりと存在する小屋に運んでいく。
軒先に割ったばかりの薪を積み重ね、少年は小屋の中に入っていく。
『ししょーう、薪割り終わったぞー』
小屋の中に呼びかけるも、応答はない。必要最低限の家財しか置かれていない小屋には、人の影すらない。
少年は首を傾げ、汗に濡れた黒髪を掻く。『留守か』と呟くと、大きな欠伸してから小屋の外に広がる空を見上げる。
枝葉が生い茂っていてよく見えないが、晴れ渡った空が広がっている。太陽も登っていて、燦々《さんさん》と明るい光を大地に落としていた。眩しそうに太陽を見上げた少年は、
『大体一〇時前後か。少し早いけど昼飯でも作ってるか』
太陽の位置から時間を算出するとは、すごい技をやってのけるものである。
少年の能力に感心するショウは、鏡の向こうで「すごいな」とポツリと呟いた。当然ながらその言葉は少年の耳に届かず、鏡の向こうで調理台に立って燻製肉を片手になにを作るか悩んでいるようだった。
古くなったパンを発見したらしい少年は、燻製肉と野菜を使ってサンドイッチを作ることに決めたらしい。カチカチになりつつあるパンを調理台に叩きつけて、
『これ牛乳に浸して焼いた方がいいか? まあいいか』
独り言はやたら大きく響く。
少年の料理の腕前はなかなかのものであり、器用に包丁を使いながら硬くなったパンに切れ込みを入れていく。鼻歌交じりに巧みな包丁捌きを披露する少年は、唐突にバターンッ!! と開いた扉に『うおおおおあッ!?』と驚いた。
使っていた包丁を逆手に持ち、小屋に入ってきた相手と向き合う。小屋の扉を蹴り飛ばして入ってきたのは、襤褸切れを被った背の高い誰かだった。細長い武器のようなものを持っているので、強盗と判断できる。
『どちら様ですか。うちに金はねえぞ』
少年の声が、自然と低くなる。警戒心を露わにして、襤褸切れを被った相手の出方を観察する。
すると、襤褸切れを被った強盗と思しき人物は、唐突に『うははッ』と笑い出した。聞き覚えのある笑い方に少年も、そして鏡の向こうで傍観するショウも脱力しかける。
『……いつから強盗に転職したんだ、師匠』
『カッコいいだろィ』
『いや、浮浪者に見える』
『ンだと、馬鹿弟子。オメェにこの襤褸切れの良さが分からねえたァ見る目がねえな』
襤褸の下から現れたのは、褐色肌の男の顔だった。ボサボサになった白金色の髪を手櫛で整えて、琥珀色の瞳には愉悦が滲む。闖入者の正体が師匠であり、少年も傍観しているショウも安堵した。
少年は呆れたようにため息を吐くと、昼食の準備に戻った。燻製肉を手に取ったところで、師匠が作業を中断させるように『馬鹿弟子』と呼びかける。
『ンだよ、馬鹿師匠。昼飯作ってんだから待ってろっての』
『ちょっとこい』
『…………あ?』
師匠である褐色肌の男から発されたただならぬ気配に、少年は料理の手を止めて振り返る。
男は外を示すように、顎を持ち上げた。外へ出ろ、ということだろう。先に男が黙って出て行き、少年も大人しく師匠の言葉に従った。
『なんだよ、師匠』
『ほらよ』
『うわッ』
外へ出るなり、男は持っていた細長い武器を少年へ投げ渡した。
反射的に武器を受け止めた少年は、それが黒鞘に納められた大太刀であると認識する。驚きと困惑に瞳を瞬かせた少年は、師である男を見やった。
気恥ずかしさからか、男は少年と視線を合わせようとしない。白金色の髪をガシガシと乱暴に掻くと、
『一八の誕生日、おめでとうよ』
『…………師匠、変なモンでも食った?』
『失礼な奴だなオメェは!? オイラだってやる時はやるんだよィ』
『だっていつも俺の誕生日のことなんざ忘れて出かけるし。てっきりボケて覚えてねえのかと思った』
『まだボケるような年齢じゃねえやィ。舐めんじゃねえクソガキ』
少年は、初めて貰ったらしい誕生日プレゼントを繁々《しげしげ》と観察する。大太刀の長さは子供の身長程度はあり、ずっしりと重たい。鞘から引き抜くと、冷水と鋼を混ぜ合わせて鍛えたような美しい薄青の刀身が顔を覗かせた。
試しに大太刀を振り回すと、やはり重たいようで体ごと振り回されてしまう様子だった。少年は黒曜石の瞳を輝かせて、師匠から贈られた大太刀を大切そうに握りしめる。
そんな彼を横目で見守っていた師匠は、なにやら唐突に咳払いするとこう切り出した。
『馬鹿弟子も、もう一八になったしな。そろそろ一人で買い物ぐれえできんだろィ』
『やっぱり耄碌したか、クソジジイ。昨日の食材の買い出しは誰が行ったと思ってるんだ』
『つー訳で、オメェにはこれからこの店に行って、オイラが預けてきたモンを取ってこい。歩いてそれほど時間はかからねえだろうよィ』
『本当にいきなりだな!? ――あー、もう分かったっての。じゃあ代わりに昼飯作っといてくれ』
『師匠を顎でコキ使おうなんざ一億年早ェ、二度ほど死んで出直してこい』
『だったらお前は一億年ちゃんと生きてろよ耄碌ジジイ』
唐突にお使いの命令を出された少年は、ぶつくさと文句を言いながらも小屋を出発する。もちろん、その手にはあの大太刀が握られていた。
森の奥に消えていく少年の背中を見送って、師匠である褐色肌の男は感慨深げに呟いた。
『――本当、オイラにはもったいねえぐらいに成長しやがったなァ』
その言葉を最後に、鏡はフッと消え失せた。
中途半端なところで終わってしまったことに、ショウは憤りを感じた。
「何故そんなところで終わる……!?」
これらの記憶は、もはや娯楽と化していた。これでは話の完結を待たずして打ち切りになられた小説のようである。
だが、鏡は再び現れた。どうやら先程の続きのようで、森の中を歩いていた少年が、今度は人々が行き交う街の中を歩いている。
「二枚の鏡に分かれたのか?」
ショウは鏡を覗き込んで、少年の行く末を追いかける。
街の中を歩いていた少年は、師匠である男から提示された店の前に辿り着いた。店の看板には旧語で『オーグレイ洋裁店』とある。
『服に頓着しねえ師匠が洋裁店に……!?』
少年は驚愕しているようだった。それでも師匠の言いつけは守るスタンスのようで、洋裁店の扉をおそるおそる開ける。
カランカラン、というドアベルが少年を出迎えた。様々な服が人形に着せられた状態で展示されていて、着古したシャツで大太刀を引っ提げた少年など場違いなことこの上ない。幸いなことは、店内に客の気配がなかったことだろうか。
さっさの用件を済ませて帰ろうと、少年は足早に会計まで近づいた。新聞を読んでいた年老いた店主が、少年の存在に気づいて顔を上げる。
『師匠――アルベルド・ソニックバーンズが預けたものを取りにきました』
『おお、おお、話は伺っているよ。お前さんがお弟子さんか』
『はあ、まあ』
店主は小さな丸眼鏡の位置を直し、店の奥に引っ込んでいく。しばらくして、白いベルトと黒い布の塊を手にして戻ってきた。
台座に黒い布とベルトを並べて、最初に店主は黒い布を指で示す。
『広げてみなさい』
店主の言う通りに、少年は黒い布を広げてみた。
ばさり、と布が空気を叩く音がして、目の前に黒い外套が広がった。丈の長さは少年の膝下ぐらいまであり、かなり長い外套である。装飾品の類はなく、ただ夜の闇よりも深い外套だった。
『そいつはお前さんのお師匠さんが、お前さんにとあれこれ注文をつけてくれてのぅ。いやいや、久々に腕が鳴ったわい』
『師匠が……?』
『このベルトも、お前さんのものだ。帯刀ベルトとは、また粋なものよな』
からからと軽い調子で笑う店主。
外套に視線を落とした少年は、試しに黒い外套の袖を通してみる。少し大きいかと思うが、まだ少年が成長すると見込んでこの大きさにしたのだろう。大人になれば、きっとピッタリになるはずだ。
羽織った外套の上から純白の帯刀ベルトを巻き、師匠から貰った大太刀を吊り下げる。黒い外套に帯刀ベルト、大太刀――それらはまさしく、ショウの知るユフィーリアの格好そのものだった。
自分の格好を姿見で観察する少年に、優しく微笑んだ店主が言う。
『いいお師匠さんを持ったね』
『…………はい』
少年はそこで初めて、笑った。
『子供の時から育ててもらったので、いい奴だってのは俺が一番よく分かってます』
その時だ。
店の外から絹を裂くような悲鳴が上がる。轟音、そして肉の塊が叩きつけられるような生々しい音がいくつも聞こえてきた。店主が外の様子を窺うように窓の外を見やると、少年が『外を見てくる』と言って店を飛び出した。
『……なんだよ、あれ』
呆然と少年は呟く。
彼の目の前には、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。空から降ってくる得体の知れない魔物に人々が蹂躙され、悲鳴を上げて逃げ惑う。獣にも似た魔物が女性の死体を食らっていて、巨大な人間のような怪物は虫を踏み潰すように人間も潰していく。
天より落ちて、人々を蹂躙した魔物――天魔。
それらを前に、少年は立ち尽くすしかできなかった。
『一体……なんだ……?』
すると、背後にあった洋裁店が空から降ってきた怪物によって押し潰されてしまった。
落ちた時の衝撃で少年は吹き飛ばされ、砂塵が舞う石畳に背中から叩きつけられる。かろうじて立ち上がると、確かにあったはずの洋裁店は青い肌の巨人の足に潰されていた。
『あ――ぁ』
少年はなにを思っただろうか。
じろりと高みから睨めつけてくる天魔を前に、なにを感じたか。
腰から佩いた大太刀に手を添えるも、その刀身を抜けずにいる。本当に少年の実力だけで、目の前の怪物を倒せるのか考えあぐねているようだった。
『たすけ……たすけて……』
少年の近くに、体をぐちゃぐちゃに叩き潰された女が転がっている。腕や足はあらぬ方向へ折れ曲がり、骨が皮膚を突き破り、ぺしゃんこになってしまっている。
座り込む少年へ懸命に手を伸ばし、女性は掠れた声で助けを求めた。
『おねが……たすけ……』
しかし、次の瞬間。
洋裁店を潰した巨人の足が、女性を完全に踏み潰した。『ぎゃッ』という短い断末魔を最後に、少年の目の前で女性の命が潰えてしまう。
助けられなかった。
助けることができなかった。
断末魔で満ち、鮮血の臭いが空気に混じり、地獄と化した街から少年は逃げることだけしかできなかった。天魔の蹂躙から誰一人として助けられず、ただその場から逃げ出すしかなかった。
『はあ、はぁッ』
悲鳴から逃げ、断末魔から目を逸らし、助けての言葉に耳を塞いで、少年はひたすら逃げた。
やがて、少年は根城にしている小屋まで辿り着く。地獄と化した街とは打って変わって、森の中はやけに静かだ。気味が悪くて、そして――。
『――嘘、だろ』
愕然と呟く少年。
命からがら逃げてきた少年の目の前には、潰れて粉々になった小屋の残骸しかなかった。屋根は踏み抜かれ、家財は外にも散乱し、あの平穏な生活を送った小屋の面影はない。
この小屋には、少年の師匠がいるはずだった。師匠が帰りを待っているはずだったのに。
『師匠……?』
潰された小屋に呼びかけても、応じる声はない。あの飄々《ひょうひょう》とした『馬鹿弟子ィ』の声すらも、聞こえてこない。
立ち尽くす少年は、師匠の行方を探すべく小屋に背を向ける。迷子が親を探す時の泣きそうな表情を浮かべ、自分の師である褐色肌の男がどこかに倒れていないかと森の中に視線を彷徨わせる。
『――――』
いつのまに、いたのだろう。
鰐なのか、蛇なのか、蜥蜴なのか。四足歩行の謎めいた怪物が、長い尻尾を左右に振ってのっしのっしと歩いてきていた。左右に引き裂かれた大きな口には棘のような牙がずらりと並び、その隙間に見覚えのある襤褸切れが挟まっていた。
それは、少年の師匠が『かっこいいだろ?』と言った布で。
『……お前が、師匠を……!!』
少年の声には憎悪が込められていた。
師匠はこの怪物と戦った末に、食われて死んだのだ。少年の手は腰から佩いた大太刀に添えられ、その鯉口が切られる。
『よくも……!!』
少年が怪物に飛びかかるその直前、怪物の頭上が僅かにキラリと光った。なにかが風を切って落ちてきて、怪物の頭上から襲いかかる。
森に差し込む陽の光を反射する、赤い色をした刀身。ボロボロになった布をまとい、甚平に血を染み込ませ、しかしその琥珀色の瞳から闘志は消えない。逆手に握りしめた刀を怪物の脳天に突き刺し、上からやってきたそれは、褐色の頬に飛んだ血を拭った。
生きていた。
少年の師匠は、生きていたのだ。
『師匠……!!』
少年は安堵する。
しかし、師匠たる男は警戒を解いていない様子だった。それもそのはず、脳天に刀が突き刺さった怪物は、まだ生きているのだ。
『ンなところで突っ立ってねえで、さっさと逃げろ馬鹿弟子ィ!!』
弟子へと振り返った師匠は、鬼気迫る表情で叫んだ。
しかし、弟子は首を横に振って拒否の姿勢を示す。
『断る!! 俺も戦う!!』
『オメェじゃ無理だ!!』
『なんの為の弟子だ!!』
『少なくとも、オメェを死なせる為に戦うことを教えた訳じゃねえやィ!!』
残る残らないの押し問答を繰り広げる師弟のやり取りに焦れたのか、鰐のような怪物は『うがああああああッ!!』と咆哮を轟かせる。怒りを全身に漲らせて、師弟めがけて突進してきた。
少年は怪物に立ち向かおうとしたが、師匠である男が少年を突き飛ばす。怪物の進路から外れた少年は、確かにその瞬間を目撃した。
『――ぁぁあああッ!!』
男の右腕が食い千切られる。ぼとぼとと鮮血を流し、激痛に男の表情は歪む。
突き飛ばされて地面に座り込んだ少年は『師匠!!』と手を伸ばすが、その手はあえなく振り払われた。男は震える左手で弟子の頭を、乱暴に撫でる。
『いいか、馬鹿弟子。お師匠様からの最後の教えだ。心して聞けよ』
美味そうに食い千切った腕を咀嚼する怪物を背に、男は不敵に笑った。
『――生きろ、ユフィーリア』
くしゃり、と頭を撫でて、
『生きて、自分の信じたいモンを貫け』
それは教訓であり、
それは意思であり、
それは遺言であった。
少年は言葉を飲み込み、立ち上がる。師匠の言葉を受け取り、少年は師匠の教えを守る為に走り出した。
走って、走って、生きる為に走って――それでも師である男が気になって、少年は振り返る。
『――――ぁ』
少年は、男の最期を見た。見てしまった。
利き腕ではない左腕一本で、ただの人間が怪物に敵うはずがなかったのだ。師匠は呆気なく鰐の口の中に飲み込まれて、見えなくなってしまった。
死んだ。
師匠が、死んだ。
『――――ああああああああああああああああああああッ!!!!』
少年の慟哭が虚しく響く。




