死への合理性を考える親子という雇用関係
現代はですねお師匠さんのところで無給で修行するなんてことはもうありません
そんなことが近代科学と同居するはずもありません
合理的な雇用契約の関係で仕事をしてもらうのが当たり前です
しかし親子という関係は
無給である
こんな社会の最も大切なことが損なわれるようでは
もちろん碌な生活はできません
人権侵害である
正式な権限も無く予算もなく
智慧もなく経済力もなく自立も出来ず
親に生殺与奪の権を握られ
「親の方が先に死ぬんだからな」と、
親がいなければ生きる事さえ出来ない弱者の子供に対して優越を得て
自己存在感を得るために
気に入らない事をしたら死をちらつかせるような脅しをしかけ
恐怖や脅しで言う事を聞かせるようにする
親のご機嫌を取って生きられる位置につき虐げられる
親という飼い主に奴隷として子供は言われたことをするという
ことになり
しかし親子という関係においては
親という師匠を子が選べるわけもなく一方的な出生行為によって産み落とされ奴隷扱いをされる
しかし何か言い訳をしながら
子供に対して権利も与えないにも関わらず
何をするにも親の許可が必要になるが
ミスは子供の責任に押し付け
子供本人の業績や責任関係
日常の安全管理に至るまでまあいい加減
親子というものは子供が親を選べない時点で
子供が同意なしに世界に生み出される点
それゆえに子供を生むことは反道徳的な行為であり、
子供は生むべきではない