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「ごきげんよう」
そんな時代錯誤じみた挨拶が日常としてかわされるのは、日本広しと言えどここだけではないだろうか。
誰もが知る超名門校『豊四季学園』
通称「シキガク」
優秀な人材育成の目的で創設した都内最大の学校。小学部から大学部まで併設されており、寮制を取っている。裕福な一族の子女からなる「自費生」と、庶民でも才能を見出されて通う「奨学生」で大別されている。
広大な敷地内は、さながら一つの街のようだ。建物は一般校舎、食堂、特別棟、体育館、図書館、教員棟、寮、購買などと区分され、屋外も庭園、グラウンドはもちろん自給自足も可能なのではと思うほどの畑や小山を有していた。
「ごきげんよう、乙宮さん」
「ごきげんよう」
クラスメイトの挨拶に、にっこり微笑む。
女子にしてはスラリと高い身長とアンバランスな幼なげな顔立ち、腰ほど長い癖のある髪をハーフアップにした少女、もとい私、乙宮蝶々の人生は。
極々平凡なモノだったのです。
そう、ついこの間までは。
両親が交通事故で亡くなり、途方に暮れていた時、彼は現れた。
「蝶々さん?」
年の頃は、二十代後半だろうか。黒髪を後ろに流し、長身を喪服に包んでいる。目元が涼しげな整った顔立ちの男性だ。
「私は龍宮蜻蛉。あなたの兄です」
蜻蛉さんは事情を語った。
両親は、駆け落ち同然で結婚したのだという。しかし母の蛍火はとんでもない名家である龍宮家のお嬢様で、その血を継いだ長男である蜻蛉さんは、小学生の頃そちらに引き取られたらしい。
母の父、つまり私たちにとっての祖父にあたる人に頑なに会うことを禁止されていたが、両親が亡くなったことで居てもたってもいられず、会いに来たそうだ。
「急な事で戸惑うだろう。どうか君さえ良ければ、これからは兄妹として力にならせてくれないか?」
私は、彼の瞳が潤んで赤らんでいるのを気付いていた。きっと、父と母のために泣いてくれたのでしょう。優しくて、誠実な人だと思った。
実際、両親が残してくれた蓄えでは今後の生活は不安しかなかったので、正直とても助かる。
こくん、とひとつ頷くと彼、蜻蛉さんはここへ来て初めて顔を綻ばせた。
そしてあれよあれよと話は進み、今に至る。
まさか一年間通った高校からこんなお金持ち学校に転校させられるとは!
我ながらとんでもないシンデレラストーリーだと思います。
しかし。
挨拶は「ごきげんよう」
設備は全て最新で、調度品も見るからに一級品。
食事も朝昼晩、一流シェフによる至高のメニュー。
どちらかというと清く貧しい暮らしをしていた私にとっては、何もかも未知のことだらけで戸惑うことばかりだ。
2年A組が私のクラス。2学年からという半端なタイミングで編入してきた私に心よく接してくれるありがたいクラスだ。
「おはよう、乙宮さん。こないだのテスト結果、3位だったね!張り出し見たよ」
「さすがは編入試験を突破した乙宮さんだわ!今度勉強教えてくださいね」
「私で良ければ、もちろん」
あはは、うふふ。
和やかな朝の一場面である。
ちなみにこの学園での私は、龍宮家の遠縁であたる深窓のご令嬢、という設定。幼い頃から体が弱く田舎で療養生活をしていた、とか。家庭教師を何人も抱えて今まで一人で勉学に励んでいた、とか。
え?誰です?
蜻蛉さん曰く、私が龍宮家の直系だと知られると色々と面倒らしい。詳しく聞いてないけど、お家騒動ってやつですかね。
…うん、知りたくない!
そうして私は、悪目立ちせず安全で平穏な学園生活を送るために、お嬢様として過ごしているのです。