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戯言を言う転生者

戯れ言を吐く転生者は知る

作者: 秋澤 えで

カラリコロリ、窓の外から聞こえる下駄。


「買ってうれしい花一匁、」


がやがやと、夕べとは違う喧騒がある。


「負けて悔しい花一匁、」


ゆるりゆるりと流れる時は、速いのか、遅いのか。


「あの子が欲しい、」


いつ現れるのか、具体的にはわからない。


「あの子じゃわからん、」


それでも、きっともうそう長くはないと信じて。



「辛気くせェ歌ァ歌ってんなァ、青藍。」



気まぐれに口遊んでいた歌は襖の開く音と共にかき消される。



「辛気臭いも何も、ただの遊び歌でしょう?佐吉。」

「花そのもののお前が歌ってっと笑えねェだろうが。」



ズカズカと座敷に上がり込み茶と菓子の乗った盆を置く。



「そのすあまはどうしたの?あんたが甘いものなんて珍しい。」

「あァ、兄さんたちとチンチロしたんだ。仲間内だから金じゃなくて適当なもん賭けてさ。そいで勝っちまったんだがすあまが来てもしゃあねェ。お前も消費してくんな。」

「売り物の私の体型が崩れたらどうするのよ?」

「青藍は多少太っても十分きれえだ。問題ねェ。」



我が物顔で部屋に居座りすあまを食べる佐吉に笑いを零す。一つ手に取り齧れば満足そうに茶を啜っていた。





佐吉はこの廓、牡丹灯籠の男衆の一人だ。それと同時に私の昔の客でもある。


佐吉は変わった客だった。


私のことを買ったのに、抱くこともなく、触れることもなく、ただ一晩語り明かした。意味のない徒然の時間。それだけだった。


そのことだけでも変わってるのに、店から出て数日後、佐吉は用心棒兼太鼓持ちとして牡丹灯籠の男衆となった。


何を考えているのかと訝しがったが、何かあるわけでもない。ストーカーのように実害があるわけでもなく、ただあの夜と同じように時間があると私の元へきて話すことが多かった。


何を思ってこの牡丹灯籠に居座っているのかわからない。だがその理由の一端を私が担っていることは否が応でも知れた。でもだからと言って、私がどうするということはない。


何も変わらないのだ。


私がここでいつか来る華々しく優しい世界を待っているから。

その時私は手を引かれこの街の外に出ることができるのだ。





親の付けた名前は忘れてしまった。

その名で呼ばれた時間は短く、私もまたあまりに幼かった。親の顔すら覚えていない。


小さな村だった。

友達もいた。

朧ながらも、慎ましく幸せな生活だった気がする。


それも飢饉が訪れるまでだった。

働き手にもなれないただの穀潰しだった私は、兄弟の中で真っ先に間引かれたのだろう。


私は見知らぬ男に手を引かれ、生まれ育った田舎を後にした。

私を見送る、家族だった人たちが、売ってしまってすまないと泣いていたのか、食い扶持が減ったと笑っていたのか、私はそれも覚えていない。


借金の形に売られた私は、禿として青藍という名をもらった。

何もわからないままに、幼い日の私は牡丹灯籠で学び、働いた。

田舎では見たことのなかった綺麗なべべを来た姉さんたち。どこからともなく聞こえてくる弦の音。初めて触れる教養としての文学。


そのどれも新鮮だった。私はただそれを楽しいと思っていた。




いつのことだっただろうか。前世と思わしきものが鮮明に蘇ったのは。

ああ、あれはちょうど折檻を受けていた時だった。


何をやらかしたのかも覚えていない。ただ何か悪さをしてやり手の姉さんに怒られた。そして簀巻きにされて使われていない納戸に閉じ込められたのだ。


寒い雪の日だった。小さな窓から雪がちらつくのを、見上げていた。

寒い部屋、凍える手足。この程度の折檻など誰だって経験しているだろう。もしかしたら悪さをしてもしていなくても何か理由を付けて一度は折檻を受けているんじゃないか。


ただタイミングが悪かったようで、一晩納戸に閉じ込められただけで私は高熱を出したようだった。


ようだった、というのも、私が目を覚ましたのはすでに暖かい部屋の布団の中だったからだ。様子を見に来た誰かが私の異変に気付き看病できる部屋に運んだらしかった。


朦朧とした意識の中、私は幼いながらもその身体の奥に激烈な感情が湧き上がった。



「死にたく、ないっ……!」



ただそう、姿もなくはっきりと感じられる死に激しい恐怖を抱いた。


そして皮肉にも、死を恐れたその瞬間、私は『私』が死を迎えたときを思い出した。


死んだその時から、まるでビデオを巻き戻すように『私』という人間の一生を、私は見た。


幼い日の記憶はほとんどない。だが私が生まれる前。私がまだ私でなかったときの記憶は、鮮明に今も覚えている。



禿として座敷に出るようになってから、いずれ私もこの身を売る日が来るのだと気づいた。

気づいても、できることは何もない。私は借金の形に売られた。借金をこの身で返し終わるまでいったい何年かかるだろう。こっそり、帳簿を盗み見たことがあった。それは到底数年で返せるような額ではなくて。きっと遊女としての価値がなくなっても返し終わらない。私は死ぬまでここで働き続けるのだろう。


たとえ前世を知っていても、何のアドバンテージもなかった。

私は現世で生きる術こそあれ、このお江戸で生きる術など知らないのだから。



それでも遊女に身を落としながらも絶望することなく生き続けることができたのは、この世界が私の知っている世界だったから。



『牡丹灯籠』『青藍』



それは私がかつて遊んだことのあるゲームの世界のワードだった。


乙女ゲーム『花蝶白夜』の舞台は江戸時代のとある花街にある『牡丹灯籠』。その花魁であるヒロイン『青藍』は遊女としてさまざまな男性に買われる。遊女のため花街から出ることを諦めていた『青藍』は仕事として男性たちと話をしているうちに、縛るもののない外の世界へ憧れ始める。


エンドはキャラクターごとにいくつもあったが、トゥルーエンドはメインヒーローである大名が『青藍』を身請けし、『青藍』は花街から出て日のあたる場所を歩けるようになる、そんな話だった。



遊女としての私から見て、そんなことはあり得ないと感じていた。遊女は遊女。たとえ身請けされても堂々と表を歩くことは簡単ではない。どこからもそういう者を見る目で見られる。おまけに大名の妻、といっても下賤な身の上である以上なれて側室。子供が産めなければそれこそ勘当されたっておかしくない。



馬鹿馬鹿しい。

馬鹿馬鹿しいと知りながら、心のどこかで期待してしまっていた。



それこそ、後ろ姿がメインヒーローに似ていた男の袖を無意識に引いてしまうくらいには。


『牡丹灯籠』でもらった『青藍』という名。それだけが唯一前を向いていられる理由だった。希望だった。


シンデレラ、白雪姫のように、不遇の場所から掬い上げてくれる王子様が欲しかった。


幼い少女が夢見るように、『青藍』は夢を見ていた。いつか必ず、彼の人がここから連れ出してくれると。



夢見なくては、信じていなくては、私は笑っていられなかった。



彼女のように、笑顔を絶やさず、優しさと純朴な性根を持つ花魁になるために。


私は笑った。まるで純粋に振る舞った。今は花魁でなくても、早く花魁になれるよう。


そうすれば、きっと早く王子様が迎えに来るでしょう?


どうか私をここから出して。


そうして私は信じ続けた。大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら。


でもいつだって現実は、残酷だ。


この街の『牡丹灯籠』に勤める『太夫の青藍』は、この世界の主人公(ヒロイン)などではなかったんだ。

そう気づいたのは、隣国の若い大名が、異例にも花街の廓から花魁を身請けしたという瓦版が売られた時だった。


人相書きなど、私にはわからない。


でも廓の名『牡丹灯籠』、それから『花魁の青藍』。この二つの言葉だけで、私は全てを理解した。


何年も見続けた夢は、紙一枚であっさりと崩れ去ってしまった。



「青藍、青藍、」

「っ……、」

「青藍、何で泣いてんだ、」

「も、う……、」

「そいつァお前の知り合いだったのか?」



いつの間にか入ってきていたのか、へたり込む私の横に佐吉がいた。眉をハの字にしながら覗きこむその顔をぐいと押し遣る。



「そいつが、お前を迎えに来るはずだったオウジサマなのか?」

「っふ、ふふふ……ううん、違った。全部、全部……私の勘違いだった。」



笑うしかない。滑稽だった。ヒロインが私だと信じて疑わなかった私が。


シンデレラを王子が迎えに来たのはシンデレラがシンデレラだったから。

白雪姫を王子が迎えに来たのは白雪姫だったから。


その隣町の不遇な女を迎えに来る王子様なんて、最初からいなかったんだ。


ヒーローが助けてくれるのはヒロインだけなんだから。



「私が、勝手に思い込んでる、だけだった……!」



喉が焼け付き、こみ上げる嗚咽と涙を抑えることさえ馬鹿馬鹿しくなって。自身の口から出た言葉がのしかかる。現実じゃあり得ないんなんて、百も承知のはずだったのに。



「そうかい。」



化粧も何もしてない昼の顔を、無造作に佐吉は手拭いで拭く。文句を言おうとしても、口から出るのは言葉にならない声だけ。私が何を言っているのか、佐吉にはわからないだろう。外に出たこともない私がなぜ見ず知らずの人間の輿入れを知り泣き崩れているのかを。



「じゃあもう、青藍を迎えに来る奴はいねェんだな?」

「っうるさい!そうだよ!誰も来ないっ最初から私を迎えに来てくれる人なんていなかった!」



カッとなり掴みかかり泣きながらそう叫んだ。

みっともないっていっそ笑ってほしい。

いつもみたいに軽々しく、小馬鹿にするみたいに。

だからそんな、そんな本気で私を憐れむような、気遣うような顔で私を見ないで。



「なら、俺が攫ってっても問題ねェんだな?」


「……え?」


「迎えにきてほしかったっていうより外に出たかったんだろ?お前のいうオウジサマじゃねェのは我慢してくんな。花街から出る方法くらいいくらでも考える。腕に自信はある。追っ手なんてどうとでもできるし、刀で食っていける程度なら問題ねェ。落ち着くまでは苦労掛けるかもしんねェ、でも俺ならお前は泣かせねェ。」



立て板に水を掛けるようにつらつらと言葉を紡ぐ佐吉に目を丸くする。唐突な言葉に涙さえも引っ込んだ。



「なあ、一緒に生きてくれねェか?」



そう言って手を握る佐吉に、私は考える間もなくその手を握り返した。




**********




ゆらりゆらり、葛籠が揺れる。息をつめ、ドキドキと音を鳴らす心臓を抑えながら、私は大きな葛籠のそこで身を縮めていた。壁越しに昼の喧騒が聞こえてくる。


借金の形に売られた私と牡丹灯籠に拾ってもらった佐吉。二人そろって散々世話になったというのに恩を仇で返すような真似をすることに胸が痛まないわけじゃない。でもそれ以上に、私は何のしがらみもない外の世界へ行きたかった。


佐吉は私の代金にいくらか金子を置いてきたらしい。もちろん遊女一人身請けするには到底届かない額。申し訳なさそうにしながら書置きと共に置いてきたそれ。廊主が知れば怒り狂うだろう。何よりばれれば私も佐吉もただでは済まない。男衆と太夫が足抜けなど御法度だ。私は折檻で済むだろうが、佐吉はおそらく廓者に殺される。一度だけ本当に良いのか、そう訊いたが佐吉は笑って大丈夫だと言った。それだけで、大丈夫な気がしてくるから、それ以上何も言わなかった。いざとなれば心中でも私は構わない。言葉にこそすることはないが、私はそれでよかった。今まで夢ばかり見て相手になどしたこともなかったのに急にこれ。随分と安いと自嘲する。


一生出られるはずがないと思っていた廓から、街から出るのは本当に一瞬だった。


ゆらりゆらりと揺られながら私はただ耳を傍立てながら佐吉に運ばれる。


階段を下りて、番頭に一声を掛ける。花街から出るようがあるが何か遣いはあるか、としれっと聞きごくごく自然に牡丹灯籠を後にした。


花街の門番には当然のように疑われるがのらりくらりとそれも躱し、いとも簡単に花街の門を、私はくぐってしまった。夢にまで見た街の外。こんなにも簡単に、出られてしまうものなのか。驚愕する、というより目から鱗が落ちる気分だった。



葛籠の中で聞いていたが、佐吉という男はどうも私の知っている佐吉ではないらしい。

私の前にいた佐吉はもっと素朴でどこにでもいるような男だった。軽々しく口を叩き、へらりと笑い、たまに少し困ったような、優しい顔をする。だが番頭や門番に対する態度は知っている者とまるで違っていて。のらりくらり飄々としており、どことなく胡散臭い空気を漂わせる。反応を見る限り、それが佐吉の常らしいが、私にはなじみのないものだった。


ゆらりゆらりと葛籠が揺れる。


花街を出たせいか、葛籠の外はたくさんの活気ある声で溢れていた。魚の振り売り、値下げ交渉、女たちの井戸端会議、大道芸人の猿回し。廓を出る時とは違う種類の拍動に、つい葛籠のふたを開けたくなってしまうがなんとか押しとどめる。ここでばれてしまえばすべてが水の泡だ。


耳慣れない喧騒の中から、はっきりと佐吉の声が聞こえた。



「あんま荷物は持ってこれなかったな。」

「まあある程度金はあるし、当面は問題ねェ。必要いなりゃ、嫌がるかもしんねェけどどこぞの誰かから拝借するかもなァ。悪ィ奴ほどため込んでやがるし。」



返事をするように指先でトントンと壁を叩く。


喧騒が次第に遠のいてくるのを感じた。




*********




「青藍、青藍、」

「ああ……聞こえてるよ。」

「開けるぞ。」



暗かった葛籠のふたが開けられる。狭い空に不安そうにこちらを見る佐吉が慣れない目に映ってくすくすと笑う。少しだけ痛む折りたたんでいた身体を伸ばす。


それは見たことのない景色だった。

右にも左にも、壁は見えない。後ろを見ると豆粒のような街が微かに見えた。


息を吸えばすぅと肺の中に空気が入り、香に咽ることもない。


空はどこまでも広く、どこまでも高かった。



「やっと……自由に……、」



空が微かにぼやけ、化粧もしてない頬を温かいものがつたった。

佐吉は素知らぬ顔をして、私と同じように空を見上げた。



「なあ、お前の名前はなんて言うんだ?」

「……青藍。」

「そっちじゃねェよ。源氏名じゃなくて元の名前だ。何かあったろ。そのままの名前じゃァ人に見つかるかもしれねェ。」



ないなら何か呼び名考えるけど、という佐吉。その口ぶりからして、折角だから何か名前を付けたいという思いが伝わってきて、おかしかった。


なんでもなく。本当になんでもなく、私はこの男に愛されている。



「そうだね……昔、呼ばれた名前でいい?もう誰もそうやって私を呼ぶ人はいないの。」



前世の知識なんてものがあったから、いつまでもシナリオを待っていた。逃げ出すこともせず、身請けの話も蹴ってきた。やってみれば、こんなにも簡単に逃げ出すことができたのに。短くはない間、あの鳥かごの中で馬鹿みたいに待っていた。そしてそれは裏切られた。


それでも、今こうして自分を好いてくれる男と居られる未来に繋がったなら、輪廻転生もあながち悪くないかもしれない。



「私の名前は、千世(ちせ)。私とあんた以外誰も知らない名前。」



皮肉な名前。全てを思い出したときそう思った。

そんな名前も、今では呼ばれたいと思えた。



「……俺と一緒に生きてくれ、千世。」

「もちろん、佐吉。」



少しだけ困ったように見える笑顔で、佐吉は笑った。


この瞬間は私は全ての意味でたぶん、自由になった。


鳥かごから逃れ、暗い未来から逃れ、そしてあるはずもなかった虚構のシナリオからも逃れた。


もう、躊躇させるものは何もない。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[一言] 続編、ありがとうございますm(_ _)m 青藍さんが、大名に嫁ぐよりも幸せになりますように。
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