<5>始まりの鐘
あくる日の朝、祖母の作ってくれる朝食がある居間へと寝ぼけ眼で寝癖の酷い状態のままフラフラと現れた香那はトーストをほおばりながらテレビの音に耳をすませていた。とはいえ低血圧の彼女の耳にはほとんど内容は届いておらず、食事時のバックグラウンドミュージック程度の役割しか果たしていない。
新聞を広げて眼鏡と虫眼鏡を併用しながら渋い顔で文字とにらめっこする祖父、明松源次郎<かがり げんじろう>とパタパタと忙しなく動き回っているのを中断してあらあらと微笑みながら香那の寝癖を直す祖母、明松美代<かがり みよ>。香那が幼少のときから何ら変わらない明松家朝の情景である。
「それはそれとして孫よ」
「どれはどれとしてだよ、じいちゃん」
「今日は何事もしでかさずに帰るんじゃろうな」
「……何のことやら」
「嫁入り前の娘が危なっかしいマネばかりしおってからに……やるならバレんようにやれ」
「耄碌爺が何言ってんだ」
「いや、止めてくださいよおじいさん」
そんな会話の後だらだらと身支度を整えて居間を通過し、ふすまを挟んで隣の部屋に入ると先ほどまでの猫背もピシッとまっすぐになり、仏壇のお鈴を鳴らして手を合わせる。彼女は幼少のときから毎朝仏壇に手を合わせることを遅刻しようが風邪だろうが関係なく一度たりとも欠かしたことはない。彼女なりの今は亡き親への最大限の敬意であり、気合を入れる儀式なのである。
「それじゃ、今日も元気に行ってきます」
孫を見送ると源次郎はまた新聞に目を落とし、美代はニュース番組をお茶を飲みながら眺める。
「……もう十二年になるのか」
「そうですねぇ……」
老夫婦の顔に一瞬、影が落ちたがそのあとは何事もなかったように彼らも日常へと帰っていく。変わらない穏やかな日々へと──────
時間は進み、昼休み。本日も三人娘の会合が屋上にて執り行われていた。話は例の『ゴミ掃除』の話になったのだが、珍しいことにいつも饒舌な渚が明らかにバツが悪い顔をして口を閉ざしていた。
「珍しいわね。口から生まれたような渚がしぶるなんて。ご自慢のよく回る舌は修理にでも出したの?」
「いやぁ、そういうわけじゃぁねぇんですけどねぇ……」
渚の目が泳ぐ。こんなやりとりがもう五分ほど続いていた。そんなやり取りに痺れを切らせた香那が渚の顔を無理やり自分の真正面へと向けさせ、笑顔で『お願い』をした。
「まどろっこしいのは無し。いいから話してよナギ」
「カナっち怖い怖い。目が、目が笑ってないから!」
流石に観念した渚は大きなため息をつき、普段はあまり見せないまじめな顔で友人たちの顔を見据えて重い口を開いた。
「……いやー、ね?今回の件はひじょーに言いにくい話なんですけれどもね?」
「前置きはいいから」
「デスヨネー……とりあえず大前提、昨日私たちというか二人は『ゴミ掃除』をしましたと」
「したな」
「したわね」
「うんうん。んで、気絶した犯人は念のために一度病院に運ばれたわけなんですけども、えー…………どうやら脱走した模様です」
「「は?」」
「なお、今のところ行方は不明。んで、今のところ警察からの発表はなし。世間様にバレる前に内々で片をつける気なんでしょうけど、情報規制が甘い甘い。直近の関係者だけ言い含めたところで火のない所に煙は立たぬってね。『風の噂』はいくらでも流れてくるし、やろうと思えばこんなもんですよ」
渚はポケットから二枚の写真を取り出して彼女たちの前の置いた。一枚目には規制テープの張られた部屋が写っており、若干写った部屋の内部は一部見るだけでもわかるほど凄惨たる有様だった。二枚目には暗い路地らしき場所に昨日捕まえた男が写っている。香那と北斗は顔を見合わせ、渚に視線を戻す。
「犯人が脱走したのは十七時頃。ほいでこっちが十九時半くらいにコイツを捕まえた駅裏の路地で撮った写真ね。撮ってくれた『お友達』はかすり傷程度らしいけどケガしたらしい。とりあえずまたどっかで刃物は仕入れてきたくさいねぇ、コイツは。アッハッハッハッハー……笑ってる場合じゃないかにゃー?」
三人は嫌な予感が頭をよぎり、冷や汗を流した。無言の彼女たちの耳には昼休みが終わることを告げるチャイムの音が鳴り響いていた。