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巫覡退魔伝  作者: シュナじろう
序章 終幕と開幕
7/12

第5話 先達が語る末路


 その後、昼食の時間まであずさの慟哭は続いた。

 夢で、前世からの記憶で、そう言ったのは幾度となく経験したつもりだった。だが、所詮は他人事だった。

 実際にそうなって、初めてその辛さというものが、空虚さというものが実感できてしまった。


「……ひどい有り様ですね。大丈夫……なわけないですね」


 一人になってしまったのですから当然でしょうか。

 背後からそれらの言葉を投げかけられ、ギョッとして振り向いてみれば、そこにはいつの間にか瞳が佇んでいた。

 どうやら宣言した通り、昼食の時間になったようで呼びに来たようだが、それにも気づかないほどあずさは泣き崩れていたらしい。


「勝手に……決めつけないで……」

「いいえ。決めつけてなんかいません。経験則です」


 私も同じだったと言いましたよね、と問われれば、そういえばとあずさは気づく。

 そういえば目の前にいる少女もかつて、同じ状況にとらわれていたのだったと。


「……思えば辛かったはずですよね。そんなこと、わかりきっていたはずなのに…………。なのに私は……あなたにきつく当たってしまいました」

「それは……もう、いいよ。事実は、事実だから……。それに、もうそろそろ泣き止もうと思っていたところだから」


 そう言って無理やりにでも踏ん切りをつけ、気持ちを入れ替えて少しでも早く涙を止めようとしたあずさだったが、その前にぽふっと背後から重みがかかってきた。

 背後には一人しかいないのだから説明するまでもないが、瞳があずさに抱きついたのである。

 まるで慈しむかのように、あずさの背後から彼女を抱き込む瞳。そしてその目は、あずさの顔を覗き込むようにして見つめている。


「今は我慢をなさらずともいいと私は思います。あなたのそれは……抱え込むべきではない。泣けるときに思いっきり泣いても、まだ足りないくらいです」

「で、でも……」

「でも……?」


 食い下がろうとするあずさだったが、その次につなげるべき言葉が見つからず、そこで口を止めてしまう。

 無理やり泣くのをやめようとしていたのは事実だし、親を殺し、街を焼いた妖怪に対する復讐心が消えたわけでもない。彼女の凍てついた心は、まだ溶けてなどいない。それでいて烈火のごとく燃え盛る憎悪も健在だ。だからか、こうして泣き寝入りをしかけている自分を責めている自分もいる。


 だが、同時に予想外の行動に対し心地よさを感じてしまっているのも確かで、しばらくはそれに縋り付いていたいと思っているのも確かである。

 引きはがせばいいのか身を任せればいいのか。どちらを選ぶべきか、二つの選択肢の間で思考はさまよっているが、体はそれ以上に正直だった。


「……ううん。……もう少し、このままでいさせて……」


 気づけば、そう言葉を発してしまうくらいに。

 背中に回された手が、あずさの傷だらけの心を癒すように撫でる。それは、失ったばかりの母親とどこか似た抱擁感を生み出している。

 そう答えを返した自分に驚きながら、彼女はしばらく、瞳の腕の中で静かに泣き続けた。そして、そのまま泣き疲れて瞼が重くなるのを感じ始めてきた。

 このまま、眠気に負けて二度寝をしてしまおうか――などと考えたものの、同時に聞こえてきたのはなんとも可愛い空腹の鳴き声。


「…………ふふ、どうやら落ち着いてきたようですね……」

「う…………」


 間近にいたせいでまともにそれを瞳に聞かれてしまったあずさはそのまま赤面。それを見て、さらに笑われたのは言うまでもない。


「ではお待たせしました。昼食のお支度が整い――もとい、整っておりますので食堂へご案内いたします」

「この施設の案内じゃないの?」

「いえ、それも兼ねていますが……もしかして、言い忘れていましたか?」

「……そういえばそうだった」

「あ、伝わっていましたか。それならばよかったです」


 ついうっかり、という顔であずさが正直に答えれば、それをどこか微笑ましい顔でフォローする瞳。

 ついで、それでは参りましょうとあずさの手を取り、自然な動きで自ら先導して歩き始めた。


「もっとも、案内といっても大してする場所はないんですけどね……。私自身もお世話になったことはありますが、基本的に幼児向け以外の娯楽設備はないんです。自分で何かしら用意しなければ」

「そうなんだ」

「えぇ。特に私の場合は……まぁ、今のあなたと似たような感じでしたね。埋めようのない喪失感と煮えたぎる復讐心。最初は特に、早く復讐してやりたいって思っていましたし、あなたと違って、似たような過去を持つセンパイ、なんていうのもいなかったのでことさら施設内で浮いてしまいまして……」

「早い話が、ぼっちだったと……」

「……状況が状況なのであなたもそうなる可能性は高いですけどね」

「うるさい。放っといて、自分でも自覚がある、割と切実な問題なんだから」


 もっとも、妖怪という存在に対して生じた憎悪はとてつもなくどす黒いもので、それが晴れるまでは友達などといったものとは無縁となりそうな予感がしてならないあずさであったが。

 どうやら同じ道をたどる可能性は少しは減りそうですね、と意地悪っぽく微笑みながら、瞳はなぜそう言いだしたのか、その理由を話し出す。


「実のところ、過去の私や今のあなたと同じ境遇にある方は当施設内には多数います」

「……ふぅん」

「なかでも街郊外の、妖怪や怨霊、モンスターの手に落ちやすい村落などで保護された人は特に多いですが――」


 自分が運び込まれたのも大方そのための施設だからで、ここにいるのは皆何かしらの事情で何かを失ってしまった人達なのだろう、という予想を可能性の一つとして立てていたあずさにとって、それは別段驚くようなことでもなかった。

 だが、それで自分のように明確な復讐心を持つ輩は一体どれだけいるのだろうか、とそこでまず疑問を浮かべる。


「――しかし、全員が全員、復讐を企てるということはまずありません。比較的無傷(・・)で済んでいる方たちはその後の生計をどうやって立てていくかで悩みを抱えますからそれどころではありませんし、例えそれ以上に被害をこうむって、きちんと成人して職にありつけるまではここにとどまるしかないような人であっても、そう考える人はやはりいません。そもそもがもともと一般人な彼らは書いて字のごとく人外な妖怪に対して敵意を持つことすらありません」


 そこで瞳は、敵意を持つことができませんといった方がいいでしょうか。と自らの言を改めて、一度言葉を切る。

 あずさが話についてきているかを確かめてから、再度口を開く。あずさとしても、まったく関心がない話ということもなかったので、一つ頷いてその先を促した。


「普通妖怪というのは例外を除いて恐怖の象徴であり、あなたも体験したからわかると思いますが妖怪がまき散らす妖気はあらゆる負の感情を増長する作用があります。大抵の人は、それらのなかでもやはり、『怖さ』『畏怖』などの感情を刺激され、本能の部分に『敵対してはならない存在だ』という認識を植え付けられてしまう傾向にあります。ですから、復讐などという選択肢自体が存在しえなくなってしまうのです」

「へぇ……そういう事情があったんだ……」

「はい。」


 あずさの反応を窺いながら、瞳は言葉を続けてゆく。

 その横であずさも、普通はそうだよね、とそれをすんなりと飲み込んで見せる。そもそもあずさは普通ではない過去を持っている。故にあずさ自身も普通ではないのだから、一般的ではない行動を起こしうる可能性は少なからず増えるはずだ。

 その結果、あずさの自己基準では規格外ながらも、この世界においては中途半端と判断されるような力を過信して、今につながっているわけだが。

 別にその力がなかったからといって復讐を誓った可能性は否定できないだろうが、おそらくはこうもすんなりと事態が運ぶなんてことはなかっただろう。

 むしろ、その可能性は低いのではないか、と考えるあずさは、自身は勇者としての記憶やら魔王の呪いやらという因子を持って生まれてしまったがために、いろいろな部分が歪んでこういう結果になったが、それらがなければおそらくは、鏑木あずさという人物は精神崩壊を起こしてしまってもおかしくはないほど弱かっただろうと自己分析する。


 今のあずさと同じ境遇の人が何人もいたとして、その全員が復讐の道を選ぶことがないというのは、至極当然のことだ、と判断するのにほとんど時間はかからなかった。

 それほど、復讐をするというのは(いろんな意味で)勇気がいる行動なのだから。


「そう言った中で、ただ一人――といえるかどうかはその時その時で変わりますが、復讐を望む人が出たらどうなるか。英雄視されるなら、まだいいでしょうね……」

「うん。普通なら……変人扱いされるか、最悪同一視される?」

「それも可能性の一人でしょう。幾人か、そういう目で見られていた人たちも、私の知り合いの中にはいます。しかし――私の場合は、他人と一線を逸しているでしょうね……」


 いいながら瞳は、身に付けていた首飾りに手で触ろうとして――パチン、という音に弾かれ、顔をしかめた。


(つう)ぅ……」

「あんた……それ…………」

「見ましたでしょう……? 私が身に付けているこれも、あなたが付けられているそれと全く同じもの――霊的封印を維持するための、触媒となっています」

「……なんで…………」

「それは……私が、私という『精神』を維持するのに必要だからですよ……」

「どういう、こと……?」


 正直、ここから先はあまり踏み込まない方がいいのではないか、とあずさは感じてならなかった。

 ここでいったん話を切り替えるべきではないのか。そうでなくても、その先を聞いてもいいのかどうか、確認するべきではないのか。そう躊躇しまうのは、瞳の表情がこれまでとは違い、どこか遠くを見るような目で、それでいて深い懊悩に苦しんでいるような色を含んでいることに気付いてしまったからか。


 しかし口から出たのは、それだった。


 しまった、と思った時にはすでに遅く、見つめ返してくる瞳の顔は見るに堪えないほど取り繕ったような、ありあわせの笑顔。

 あ、と声をこぼす間もなく、その表情のまま言葉を選ぶように、瞳はその続きを紡ぎだした。


「……私の時は……狂人扱いから、始まりました」

「狂人……」


 瞳の独白に一瞬、『いきなりなにを?』と思ったが、そもそもの話の流れからそれは瞳が復讐を誓っていた時の話だ、と気づく。

 瞳の場合は狂人――恐怖と絶望のあまり、気が触れて狂ってしまったのだ、と周囲から見られていたという。

 その当時を思い返すように、瞳は再び遠くを見るような目で語りだした。


「妖怪たちと渡り合えるようにと、霊力を纏わせた棒を振るいまくっていた時期もありましたねぇ。でも、それ以外は無駄な行動だと言わんばかりに鍛錬ばかりしていた私に周囲から向けられたのは奇異の視線だけ。腫物を扱うような接し方をされていましたから誰も話しかけては来ませんでした。いわゆる、『完全な孤立状態』の出来上がりですね。そして……それでも一途に復讐を誓い続けた私は、次第に妖気を纏うようにもなりました」


 確かにあずさのような特別な事情でも抱えていない限り、あるいは代々続く退魔師の家系に生まれたという事情でもない限り、妖怪相手にまともにやりあうのはほぼ不可能だろう。それはあずさも身に染みて理解できている。

 しかし、それでもなお、一心不乱に打倒を誓い続けて身を粉にする姿を見れば、狂人扱いされる可能性も否定はし切れないだろう。

 本人は、ただ、真に退魔師を目指して剣の道を究めようとしていただけ、だったのだろうが。

 そのような考えを思考の片隅で考えながら瞳の話を聞いているあずさであったが、その話を聞いていくうちに、驚愕しか浮かばないという顔つきに代わる。

 なんで、普通のヒトであるはずの瞳が、妖気を纏わなければならないのか。


「よう、き……? なんで…………」

「早い話が、祓い切れていなかった妖気に影響されて、自らも妖怪に変質し始めていたんです。あなたと一緒に森にいた時、私が危険と訴えた理由も実はそこにありました……と、着きました。ここが食堂になります」


 指示された扉には、確かに食堂と書かれていた。

 すでに扉は開かれており、中にはそれなりの人数がすでに着席し、食事を取り始めていた。

 鼻腔をくすぐるのは味噌汁の匂い。どうやら、和食中心のメニューとなっているようだ。


 空腹をこらえてカウンターに行き、昼食を受け取って空いている席へと移動する。その間にも、話は続いていた。


 いわく、あずさが起こした行為が危険と言った理由はあずさ自身の命の危機は勿論のこと、あのままあの場にとどまり続けていれば、負の感情の中でも比較的妖気と同質化しやすい『憎悪』の感情が、増幅され続けてしまう状況にあったという事情もあったのだという。


 そうして妖気と同質化した憎悪はその感情を生み出した当人独自の波長として定着し、お祓いは勿論のこと、禊や座禅、お祈りなどをして自発的に浄化をしない限りその身に残り続ける。

 その感情はやがて、新たな妖気となり、当人を『鬼』を始めとする厄介極まりない妖怪へと変貌させるに至るという。


 当時できるだけ早く退魔術を身に付けるべく身を粉にしていた瞳は禊にあてる時間をおろそかにし、残っていた妖気は浄化されるどころか悪意を増加させ続け、知らぬ間にそれは自身の独自の波長をもつ妖気として生まれ変わっていたという。

 そして警護にあたっていた退魔師達が気づいた時にはすでに遅すぎて――瞳は怪人になりかけていた、と言って、そこで瞳はいったん言葉をきった。

 その内容を、あずさは決して他人事とは思わない。なにしろ、あずさ自身、つい最近そうなりかけた自覚があるからだ。

 今の瞳の話を聞けば、もしあのまま妖気に自我を奪われていたならば、そのまま妖怪と化していたかもしれない、という推測に至ってもおかしくはない。


「その時の記憶は妖気に精神を混濁させられていた影響なのか、曖昧なので思い出せませんけど……それからですね。私が誰にも相手にされなくなった――というより、迫害を受け始めたのは」

「迫害? いじめとかそういうんじゃなくて……?」

「あれをいじめというなら世の中で迫害というべき行為のほとんどがそれに納まりますよ……」


 早い話が、スケープゴートにされたという話だ。

 災厄をもたらした妖怪との同一視。そんな人と一緒にいられないという理由から、精神的に追い詰めて、施設内に居場所を作れなくされた。

 一応妖怪としての彼女は現在進行形で封じられてこそいるし、力を解き放ったところで今現在は完全に自分を御することができるようになってはいるものの、健在なのは健在で、油断すれば破壊衝動に意識を持っていかれることもあるのだという。


「……なんていうかそれ、自業自得も含まれてない? 私にどうこう言える立場でもない気がするんだけど……五十歩百歩って言葉、知ってる?」

「あはは……言われてしまいましたね。自業自得だとか、五十歩百歩だとか言われればそれまでです。私自身、それを否定するつもりもありません。それに、復讐も捨てきれず、結局敵討ちまで果たしてしまいましたが……そのあと残ったのは、何一つなかった。あったのは、半分でも化け物となりかけてしまったという事実だけ」

「…………」

「結局のところ、そんな人生を送っていたのだから施設内で独りぼっちになってしまったのは必然なのかもしれませんね」

「……そう」


 壮絶。

 あずさにとって、瞳の過去話はあまりにも壮絶な話だった。

 それだけの事態になってなお、復讐を望んだ瞳。一つ間違えば、今の瞳は自分が辿る可能性の一つだとすら思えてしまう。

 それだけに今朝の折檻のこともあって最後の方では茶々を入れてしまった(半分本気ではあったが)が、これからの身の振り方について考えさせられる何かを感じたのは間違いではないだろう。


「あなたは――」

「……ッ!」


 生半可な覚悟では聞くべきではなかった話を聞いた後で、今の感情にどう折り合いをつけるか考えようとしていた矢先、その話をした当人から向き直られて、言葉を詰まらせた。

 その顔は変わりようのない作り笑いだが、過去話を聞いた直後の今のそれは、未だに癒えていない、視えない傷が数えきれないほどにあるように感じさせられる。


 ――まだ、話は終わっていない。


 気持ちだけ終わったように態度を崩しかけていた矢先に、それを聞き逃してはならないような予感がして、あずさは慌てて聞き逃しなく話を聞けるような姿勢に戻った。


「あなたは大丈夫ですよ。状況が状況だっただけに、祓い切れていない妖気は強く残っていると思われますが、私が何とかしますから」

「…………それだけの後悔があるというのに。やっぱり、止めようとはしないんだ……」

「あなたがそれ(・・)をしたいというのなら、私に止める資格も権利もありません。本来なら止めてしかるべきなのでしょうが……ぶっちゃけてしまえば、ある意味では閉ざされた業界ですからね。慢性的な人手不足は必然です。保護施設にいる人からは私達みたいな人種は拒絶されますが、退魔館の実動員たちからは逆に歓迎されると思いますよ。それに、あなたの場合はむしろ、止めても無駄でしょう?」

「…………うん……よく、わかったね……」


 事実、止められた場合は制止を振り切ってでも一人で行動を起こそうとしていた。否定できるはずがない。

 なんとなく、そうだと言い切れた理由がわかるような気がして、若干苦笑しながらあずさはそう言葉をこぼした。


「同じ、でしたからね」


 もっとも、私の場合は積極的すぎて、手遅れになるようなところまでいってしまいましたけど。冗談混じりにそういう瞳。

 とりあえずはもう少し考えさせてほしい、と返答だけして、あずさは部屋へ戻る旨を伝えた。

 


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