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巫覡退魔伝  作者: シュナじろう
序章 終幕と開幕
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第3話 無知に与えられし洗礼

 

 あずさたちが火災現場で見出した手がかりを追ってたどり着いたのは、街の郊外にある森だった。

 ただ、その周辺はとても普通の森とは形容しがたい、まがまがしい雰囲気の森で、写真を取れば間違いなく心霊写真が量産できそうな妖しさがあった。

 だが、間違いはない、とあずさは断定する。

 家に張られた結界をキーに割り出した妖気は間違いなく、この森の中へと続いていると確信する。


「しかし、それであってもこれでは…………。…………鏑木様、ここは本当に危険です。私一人ならともかく、民間人であるあなたをこの先に連れて行くことはできません」

「……だから?」

「話を聞いてください! このまま行くと本当に危ないんですよ、鏑木様!」


 瞳が言うからには、森の中はそれほどまでに濃厚な妖気で満たされているということなのだろう。実際、澱んだ『ナニカ』は炎上した街並みに立ち込めていたそれよりもはるかに濃厚に感じられ、あずさの意識をじわじわと浸食している。魔法障壁を全力で張ってなお、その勢いは衰えない。しかし、それを知ったことかとあずさは彼女の警告をことごとく無視し、森の中へと突き進んでゆく。

 さすがにこれは本当にまずいなぁ、と思いながらも、瞳はあずさを止められずにいた。

 もし、瞳がここであずさを止めようとしたとして、おそらくは返り討ちに遭うのが関の山だろう。先ほどどこからともなくあらわれた剣を突き付けられたときに、それを思い知らされた。

 少なくとも、最初は善戦することはできてもジリ貧になるのは確実だと判断する。

 あの剣は、そういうたぐいの剣だ。相手にどれだけ敵意がなくとも、主が『敵』と認めたならば、徹底して無力化の策を潰しにかかってくる。すなわち、向けられた方は相手を気絶に誘いたい状況にあっても、自らは命を張った戦いしかできなくなる類のものだ。

 あずさが手にした『聖剣』を目にした瞳の分析結果は『敵に回すと非常に厄介』。その一言に尽きる。


 だが、その一方で霊的な力には弱い一面、またはそうでなくても干渉できる余地が十二分にあり得ると推測できるとも考える。そうでなければ、霊的エネルギーでもある妖気に、あずさが苦しめられることもないはずなのだから。ならば、それによって負荷を与えられている現状で、付け入る隙は確実にあるはずだ。


 それらのことを加味し、最終的に瞳は、若干危険はあっても、ここはあずさに付き従って行動したほうがいいかと判断をする。なにせ、実力が違いすぎるのだから仕方がない。

 付け入る隙があるとしても、それはあずさが限界を迎える頃でないとまずありえない。

 ならば、ここはとりあえずまずはあずさに付いていき、機を伺いつつここの調査をできるだけ進めておくのも一つの手だろう。

 そうして、これ以上ここにとどまるのは危ういと感じたら、その時は即刻霊能力を使って、強引にあずさをこの森から引き離してしまえばいい。そのあとはあずさを担いで脅威から逃げることだけを考えればいい。


 ――生きてさえいれば、再戦の余地は十分にあるのだから。


 若干苦い顔になりながら決断を下した瞳は、手に持っていた得物の包みを外し、いつでも抜けるように帯に挟み込んでから、少し先を歩くあずさに続く形で森――というよりは雑木林というべきか――の中へと足を踏み入れた。

 妖気から身を守るべく、霊力を纏う瞳。緊急時の備えとして一応、妖気を遮断するための札をあずさに渡したが、即応性に優れる符であっても、こういったものは霊力を流し続けていなければ長続きしない代物だ。当人に霊力の扱いがわからない以上は致し方がない。可哀想だが、あとは自前の防衛策でどうにか自我を保ってもらうしかないだろう。


 ――と、そうして森の中に立ち込める妖気への対応を終えたのを見計らうかのように。


「妖怪です。構えて……」


 あずさ達の前方に、数体の妖怪が姿を現し立ちはだかる。事前に察知した瞳があずさに警告をしていなければ、慣れていないあずさは対応が遅れて一撃もらっていたことだろう。

 何せ、その布陣がまずかった。

 虚空に浮き、目に見える妖気を刃に形成して今にも飛び掛からんとうなり声をあげているのはカマイタチ。

 その横合いからは猿をそのまま大きくした妖怪、(ましら)が姿を現し、近くの木をそのままへし折って武器のように構える。

 そして、それらの背後でおそらくは妖気で形成されたと思われる、火縄銃を構える落武者の類。

 遊撃に近接戦、後方支援とバランスが取れた組み合わせは、狙っていると思われてもおかしくはない。


(こんな昼間でも完全に姿を現している……それにこの組み合わせ。やはりここは、普通じゃない……)


 分析に相手の戦力を見極めながら、これは少し状況がまずいか、と顔をしかめる瞳。

 その前方であずさは、何事もないかのように聖剣を構えた。

 自然体を装った隙のないその姿勢は、型にとらわれ、今でも『きれい過ぎる』とたまに忠告されることがある瞳のそれと違って実戦で身に付けた泥臭さがある。

 見据える相手を分析しならどのように攻めようかと考えているのが手に取るようにわかるようだ。

 普通なら軍配は確実にあずさに上がっただろう。


 ――あくまでも、妖気で自我を保つのに意識を割かなければいけない、このような状況でなければ、の話だが。


「……うぅっ」


 突如、聖剣を構えていたあずさが、うめいてその場でえずき始めたことで、それはほぼ確実な『不可能』へ近づいた。

 妖気による自我喪失。その兆候が、見え始めている証拠だ。


「やっぱりこうなるか……」


 言いながら、瞳は己の得物――退魔用に作られた霊剣を構えた。懐から符を数枚取り出して人差し指と中指で挟み、投擲の構えを取る。

 敵の数は三体、瞳にとっては取るに足らない妖怪たち。しかし、至近距離には護衛対象を連れてきてしまっている。


「……私もいることをお忘れなく!」


 そこに少し厄介さを感じながら、隙を見せたあずさに襲い掛かる妖怪、カマイタチと猿にそうはさせまいと牽制のために符を放つ。

 吸い込まれるようにそれは二体の妖怪にそれぞれ数枚ずつ当たり、その途端に符に込められていた霊力が符ごと爆発した。


 衝撃で、一気に落武者の後方まで吹き飛ばされるカマイタチと猿。二体はその霊力に耐えきれなかったのか、そのまま姿を薄れさせ始めた。


「――ッ!」


 瞳はその二体に対する残心をしつつ、意識を落武者の方へも傾ける。符を放つのと同時くらいに、刀にも霊気を纏わせていたのだ。

 だが間に合うか。

 にやりと不気味な微笑みを浮かべながら、すでに発砲準備を終えた火縄銃の引き金を絞ろうとする落ち武者。

 だが、瞳は落ち着いて手に持つ刀に霊力を注ぎ続ける。

 落武者の打つ火縄銃は――火を、吹かない。弾丸は、発射されない。

 なぜなら。


「舐め、るなぁああああああっ!」


 その前に、気合一発、自我を失わせようとする妖気を一時的に発散させることに成功したあずさが、その勢いで聖剣から魔力弾を放出。

 聖剣の力により破邪の概念が込められた魔力により、落武者がその体の一部を消失させてしまったからだ。


「常世に戻りなさい――ッ」


 そのまま、今度は瞳が放った退魔剣術により、落ち武者は胴部で二つに切り分けられ、その身を構築していた妖気のすべてを、瞬く間に中和させられてしまう。あずさのえずきがいったん治まったのを確認した瞳はそれを予見して、次に放つ攻撃の準備をしていたのだ。

 時間にして、三分足らず。本来なら、護衛対象を引き連れた状態ではありえない時間で、瞳達はその脅威を排除することに成功した。


 乱入が入ることも想定し、しばらく残心の状態を維持する。そして、一応はもう大丈夫だろうと判断したところで、二人は再び向き合った。




 いったんは回復した意識がまた朦朧としてきたのだろう。再び頭を軽く押さえたあずさ。瞳はそんなあずさを険しい表情でただひたすら見据える。その目にはかたい決断の色が見て取れた。


 ――これ以上は限界ね。自我を失う前に保護して『支部』に行こう。


 そう思っての、その視線だ。

 その先にいるあずさはというと、妖気でひどく頭が痛むのだろう。森につくまではほぼ感情を感じさせない表情だったのが、今では疲れが見て取れて、極限状態がすぐそこまで迫ってきているのが目に見えている。

 だが、それでも瞳が放つ『敵意』くらいは、読み取ることができたのだろうか。瞳が見据えるあずさの眼もまた、絶対零度を彷彿とさせる、冷たい視線を瞳に送っていた。


「……っ、なんの、つも、り?」


 あずさが息を荒げさせながらも聖剣をゆらり、と構え直しながら瞳に問うが、今回は瞳も引き下がることなく、符を構えて抵抗の意思を示す。

 そして、その心の内を、隠すことなく口頭で伝えた。


「…………この先にいけば、間違いなく最悪の事態に陥る。そんな気がしてなりません。私も今回は調査を主目的とした装備で来たので、そろそろ引き上げたく思います。ついては――」

「そう……引き上げるんならご自由に。私はこのままこの先に……ッ!?」


 この先に進む。そう言おうとしたところで、


「そう、ですか……」


 では仕方がありませんね。そう言う瞳の心底残念そうな顔を見たのを境に、あずさの意識は突如微睡み始めた。


 地面に倒れ伏したあずさを見て、瞳は疲れたような顔つきになる。

 実際問題、あずさの行動を許し、あまつさえ付き従った末の結果とはいえ、無茶苦茶な行動のお陰で想定外の疲労を蓄積していたし、これから先のことを思えばため息すらつきたくなってしまう。

 この、一度妖気に誘導され、復讐にとらわれた少女は一体どのような道をたどることになるのか、と。

 だからか、そこまで疲れさせられても、瞳はどうしても彼女を突き放したり、見放したりするようなことはできなかったし、考えられなかった。単なる保護対象としてみることができなかった。

 保護した理由として、あずさが民間人だから、というのも確かにあった。どのような理由であれ、おそらくはどこの異能機関にも所属していないらしき少女であれば、仮ではあっても民間人だ。そして瞳は異能犯罪者や悪魔、荒魂、妖怪魑魅魍魎などの重畳的存在から民間人を守るのが仕事だ。

 そうである以上、そこに『見捨てる』という選択肢は存在しえない。

 そこにかつての自分と重なる部分が多分にあるから、というのも加われば尚更だ。


 あずさに作用したのは、何の変哲もない、睡魔の呪縛だ。付した相手を夢の世界へといざなう、無力化させるための呪縛の中では最も安全な呪縛。ただしあずさに悟られないように、発動者と指定者以外で範囲内にいるものを強制的に眠らせる、結界にも分類されるものを発動したが。

 あずさが持つ聖剣の力があれば、それほど効き目はないと思うかもしれないが、この妖気の渦の中にあり、聖剣もそちらの処理に力を回してでもいるのだろうか。荒神にも効く神道式退魔術の影響力は、どうやらその聖剣にもある程度は有効だったらしい。

 あとは単純に、あずさの精神的余裕が周囲の妖気でガリガリ削られていたのもその一端を担っただろう。

 あずさが瞳に完全な敵意を向ける前に、その術中に見事に陥れることに成功した。


「な、にを……」

「これ以上は命に係わると判断しましたため、やむなく術を行使させていただきました。あなたはさぞ憤慨するでしょうが……大人しく引いてもらうために、あえて言いましょう」


 あずさの表情に乏しかった顔。そこに初めて、恐怖の色が見えた気がした。

 瞳の怒気が、霊力に乗ってあずさの精神に直接作用しているためだ。


「この、自惚れが。良く聞きなさい。この森は、妖気に満ちているの。その空間そのものが、常人にとっては毒なの。あなたはあたしたち退魔師と違う。ゲームみたいななんでもありの魔法が使える? 術式を組まなきゃまともに発動しない魔法とは違う、夢のような魔法が使えるって? あぁ、それはようございましたね。けれど……この森は、この状況はそれごときの話で片づけられる場所じゃない! 霊力をまともに扱えない一般人が、いきがってんじゃないわよ!」


 それまで散々たまっていたうっぷんもあったかも知れない。

 下手をすれば、死んでしまっていたかもしれない。そのことへの恐怖が。瞳をここまでかきたてた。


「で、も……」

「なに? 何か言いたいの? だったらいくらでも聞いてあげようじゃない。ただし……あなたを『保護』し終わってから、だけれどね」


 保護し終わってから。その言葉の意味するところに、瞳に担がれたところでようやっと気付いたあずさが、それは嫌だ、と小声で、しかしはっきりと拒絶する。

 しかし瞳は無言でそれを一蹴する。ついで、本人が睡魔に意識の大半を取られているのをいいことに、いつの間にか消えていた聖剣の『気配』を探知。あずさの身体から反応があったことに驚きながらもあずさごと封印用の符でがんじがらめに封印する。


「ぁ……、ぃゃ…………この先、に、いる、のに……なん、で……」


 それにより、聖剣の加護が消えて本当に眠くなってしまったのだろう。途切れ途切れになりながらなおも食い下がるあずさを抱え、瞳はただひたすらに森から離れることだけを考えた。


「うらむ、から……。わたし……こんなにあわせたやつらと、いっしょに……あんた、も……うらんで、やる……」

「恨みたければ恨みなさい。いくらでも罵詈雑言は聞いてあげるから。ただし……これだけは言っておくわ。もし、あなたがその復讐を果たしたいのならね。その方法は一つしかない」

「…………な、に……?」


 もうほとんど思考が働かないのだろう。それでも、最後に瞳が放った言葉は気になって必至だろう。あずさ自身、あれだけ復讐心に燃え上がったのだから。

 その復讐の炎に直接語りかけるかのごとく、瞳はただ冷徹な声で、眠気ですっかりたどたどしくなったあずさの問いかけに返答した。


「――私に、着いて来なさい。あなたのご家族を襲った奴らを討ちたいのなら。確実に今回のような場所に潜ることになる。そうなったとき、今のあなたのままでは何もできないと断言できる。なぜなら、必要なのは他ならない『私達の技術』なのだから。だから、仇を取りたいのなら、黙って私に着いて来なさい」


 決して自身の力を過信しては駄目。

 その言葉を言ったのを最後に、あずさの双眸は完全に閉じられた。その眼尻には、天中に差し掛かる陽光を反射して光る雫が、今にも零れ落ちようとしていた。

 瞳はそんな彼女を見て、心の中で今すぐできるようなことを何もしてやれない自分を、ひどく責め立てた。

 


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