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巫覡退魔伝  作者: シュナじろう
序章 終幕と開幕
3/12

第1話 始まりの大火災

これより鬱展開の本格的な部分に入ります。

苦手な方はご注意ください。

 

 鏑木あずさの朝は結構早い。

 それは頻繁に悪夢にうなされるからであり、それ以上に朝に強いからだった。

 とはいえ、悪夢を見てそれにうなされれば、汗をかく。そうなれば、身だしなみを非常に気にする性格のあずさからすれば、シャワーを浴びてから食卓に着きたくもなるものである。

 よって、朝食をとり終わる頃には、高校に登校するのにちょうどいい時間になることがほとんどなのだが。


 寝床から這い出て着替える――前に、毎度のことながら寝ている間に悪夢にうなされて汗をかいていたのだろう。妙に汗臭く気だるい体を引きずって、あずさは風呂場へと向かっていく。

 すでに両親はあずさの行動パターンを熟知しているため、あらかじめ湯温は41度と、ほどよく高くしてある。

 シャワーを浴びると、眠気が完全になくなると同時に汗臭さも緩和される。

 それに顔をほころばせながら、しかし昨晩見た夢の内容を思い出していつも通り顔を(しか)める。


「……はぁ…………。つらい……」


 毎晩のように見る、悪夢。物心ついたころにはもう当たり前となっていた。

 けれども、辛いものは辛いものである。

 悪夢にうなされるのは慣れたといえば慣れたことだが、気持ちのいいものではないし、彼女の特殊な体質上、不可思議な事件をどうしても招きよせてしまうのも確か。

 例えば地縛霊が視えたり、怨霊や未だに現世をさまよう落ち武者の霊が視えたり。

 例えば生者に対して嫉妬を抱く悪霊に襲われたり、運悪くそういった存在の集合体、百鬼夜行に出くわしたり。

 そういった事態が、とにかくあずさの周辺では絶えなかった。


 もっとも、あずさの親はそういった第六感はもっていなかったので、気づかれることはなかったし、影響が出る前にあずさ自身の手で何とかしてしまう、ということを繰り返していたので気味悪がられることもなかったが。

 自身をこんな不幸体質に変えた遠い前世の自分に、恨みがないと言えばそれは大ウソである。

 しかしあずさは、その大嫌いな遠い前世の自分から受け継ぎ続けてきたその力だけは、あってよかったと思っている。


「魔法理力。……科学では実現不能、または困難なことも容易にたやすく出来てしまう、不可思議な法則による理の力。周りの人には言えないけれどね」


 好き嫌いは別として、使えるものは使ってゆく。それがあずさのやり方であり、『彼女たち』のやり方だ。

 本人の言うとおり、確かに人の見ているところでは大々的に扱うことはできない。自身の周囲でも、あずさが不可思議な現象を起こせることを知っているのは両親のみ。一人っ子のあずさにはほかに兄弟姉妹がいない以上、その二人にしか知り得る人がいないのは幸か不幸か。

 とはいえ。あずさ自身、周囲に人がいても、無理矢理『人が見ていない状況』を作り出すことは可能なので、実際には人前でも必要と考えれば躊躇なく使うことは多々あるのだが。

 主に、自己防衛的な意味で、だが。

 ひとしきりシャワーを浴びて汗を落とすと、そのまま浴室から出る。


「…………それにしても……最近は変な視線も感じるのよね……。悪質なストーカー、でなければいいのだけれど……」


 どこか楽観的な口調で、まるで気にしていないかのように呟くあずさ。

 しかしながら、ほぼ毎日といってもいい頻度で見る悪夢とはまた違った怖さを感じる近況を思い返して、思わずぶるり、と震えた。

 そして、右手の甲にできている、紋様のような痣を見やる。

 当人以外不可視の性質を持つその紋様は、あずさにとっては因縁深い、呪いの根源ともいえるものだ。


 ――前世でも、その前世でも。


 体のどこかに出現するその紋様が完成した、その瞬間。それが憎き魔王の呪いが、完全な発動のタイミングとなっている。

 今生では呪いの進行がいくらか遅いのか、その紋様の完成度はまだ一割にも満ちていないといったところ。しかし、油断はできない。あずさの周囲を取り巻く環境の変化次第では、呪いが一気に進行することだってあり得るのだから。

 ここ最近、あずさが頻繁に感じるようになっているその視線は、その前兆なのか。それとも違うのか。

 それは定かではないが、警戒しておくに越したことはないか、と心には止めておくことにして、考えを中断した。

 季節は二月。まだ寒さがかなり残るこの時期、シャワーを浴びれば当然湯冷めするのは早い。

 さっさと衣服を着て、脱衣所から出ることにする。


 あずさの家は資産家の家とはいえ、高級住宅街に建てられたわけではない。ごく普通の住宅街に建てられた、ごく普通の一般住宅だ。木造二階建て、一階と二階に六畳の和室が二部屋ずつ、一階にはそれに加えてダイニングキッチンが存在するこの家には、お手伝いさんなど不必要。資産家でありながら欲のない鏑木家は実のところ、その財はたまる一方だったりする。


「スッキリした?」

「えぇ、お母さん」

「そう。じゃ、ご飯できているから」


 家庭内でも、人がいる前では決して感情というものをほとんど表に出さないあずさは、両親に対してもそっけなさが目立つ反応をしている。

 しかし、それでも親というものか。そっけない対応を見せていても、それは本人がそうであると見せるための演技であると、見抜きつつある。

 というのも、所詮演技は演技で、デパートなどに行くとその端々でぼろを出し、その年ごとの相応の雰囲気を数瞬とはいえまき散らすのだから、見抜けなくはない話だ。勇者としての能力を受け継いでいるとはいえ、やはり中身はごく普通の少女でしかない。その証明といったところか。


「ごちそうさま」

「お粗末様」

「昨日言った通り、今日はこれからデパートに出かけてくる」

「そう。気を付けて行ってらっしゃい」

「わかった。ありがと……行ってくる」


 本日は土曜日。普段ならば惰眠をむさぼるか運動公園へ出かけて基礎トレーニングをする程度しかすることがない。

 本日は最寄りのデパートに出かけて、新しい衣服を買う予定である。ついでに気に入ったライトノベルの最新刊を購入しようとも思っているが、メインは衣料品だ。


 簡単な鞄に貴重品類を入れて身支度を手早く終えると、そのまま玄関を潜り抜ける。


 ――ありがと。行ってくる。


 そんなそっけない言葉が、親に対する最後の言葉になろうとは知る由もなく。


 ――あるいは今日がその呪いが効力を解放する日というべきか。


 今日というこの日に街に出たことで、あずさの中で停滞していた呪いはその発動準備を急速に整えていくこととなる。




 あずさがデパートの衣料品売り場にいながらその異変に気付いたのは、得体のしれない胸の高鳴りがしたから――ではない。

 それもあるが、異様な圧迫感を腕から感じて視線をそちらに移したことが最も大きい理由だ。気のせいなどではなく、まるで生気を奪い去るかのようにそのあたりがずきずきと痛むのも含まれている。


(これは……呪いが……うそ、でしょう…………)


 急速な呪いの完成。

 夢の中で幾度となく経験したことのあるソレは、彼女にとっては最大級の不幸を告げるサインだった。

 それがどのような形で襲ってくるかはその時によって異なるためわからないが、そのサインはふとした『不幸のきっかけ』に同調することによって引き起こされる。

 それをよく知るあずさが警戒レベルを一気に最大まで引き上げたのも無理はない話である。


「うぅ…………っ」

(今朝までは、ひどくてもまだささい(・・・)な不幸を招きよせるだけ、だったのに……なんて、禍々しい…………)


 ドクン、と脈打つように不吉な魔力を放つそれは、まるで今すぐ呪殺せんと手の中でうごめいているようだ。

 その激しい痛みに思わず呻き、紋様のある右手を抱き込んでしまうが、そうしている間にも呪いの紋様は完成度を増してゆく。紋様の赤い部分が、円グラフのように次第に黒くなってゆく。


「一体、何が……起きて…………っ!? まさ、か……!」


 『急転直下の呪い』。その身に宿る呪いの名を頭に思い浮かべる。それだけで、今起こっているであろう『不幸』はある程度予想がついた。

 ここ最近の『日常』を可能な限り思い出してみて、それらのなかに一つ思い当たることを発見したところではっとする。

 ここ最近常に感じていた、監視されているような視線。

 それが、今日家の玄関を出て以降は感じなかった。


 その時点ではささいなことか、と思い放置していたが、もし仮に。

 狙っていたのが、あずさではなくその『親』だとしたら、どうなるか。

 答えなど、わかりきっている。


 ――お父さんが、お母さんが危ない……!


 『急転直下の呪い』は真っ先に、あずさの運命を操って、間接的にあずさの両親の運命までも変えて見せるだろう。その呪いが急速に完成したときにはいつだって、そうした『ささいなきっかけ』が存在していた。

 そしてそれまでは何事も問題なく生活できていたあずさを、『勇者』を前世に持つ彼女を絶望の淵に追いやり、そこから立ち直らせないよう閉じ込めるのだ。『急転直下』の名にふさわしい最期にするために。


 ――そんなこと、させてたまるか!


 声には出さず、しかし心の中で叫ぶや否や、あずさは書店へと向けていた踵を返した。

 幸いにも会計は終えていて、あとは衣料品売り場から出るところだったのでぞんざいに扱っても問題はない。

 通路を走り抜け、階段は一息で降りきる。一階へとたどり着けば、最短ルートで家に最も近い出入口から外へと出る。

 そこであずさは思わず足を止めてしまう。なぜなら――。


「……火事…………あんなに大規模な……」


 あずさの家がある方角から、火の手が上がっている。黒い煙が、途切れることなく天へと昇っている。そんな光景が、距離があるはずのここからでも望めてしまったのだから。

 どうか、あれが自分の家をも巻き込んでいませんように。そう強く願いながら、あずさは認識疎外と身体強化の魔法を発動。疾風のごとく、自宅へと駆け出した。

 風を切り、車道を走る自動車と変わらない速さで道を駆ける。それでも、普段はバスを利用してデパートに来ていることもあり、十分以上時間はかかった。


(もう少し……もうちょっと……っ)


 焦る気持ちを無理やり抑え込み、一刻も早くと走るあずさ。そして、いよいよ煙が立ち上る区画へとたどり着く。

 そこは、もはや地獄絵図と化していた。

 火元がどこかは見分け付かないが、延焼が進んだのかかなり広範囲で火が上がっている。不思議と周囲に人がおらず、これだけの大火災が起きていても緊急車両が入ってくる気配もない。


「……ぁ、うそ、でしょう…………」


 あずさはそれらをみて、絶望に打ちひしがれた。ふとした油断から、自分ではなく最も身近な人が襲われた。

 呪いのせいでこうなったのか。それともこうなったのがきっかけで呪いが急速に完成したのか。どちらかはわからない。

 だが、こうなる運命にあったのなら、もっと積極的に視線の『主』を排除するべきだったのは間違いない。そうしていれば、少なくとも『延命』くらいはできただろうに。


 恐らくは、この事件は警察などの公共機関による究明では解決しない。

 あずさが扱ったことのない、未知な力なので大雑把にしかわからないが、それでも何かしらの『異質な力』がそこに働いているのは確かだ。

 でなければ、こうもここから離れたい、近づきたくない、などと思わないはずだし、これだけ盛大に燃えているならば通行人なり近隣住民なりが気づいて通報するはずだ。燃え盛る炎からも、得体のしれない何かを感じる。


 とにかく、まずは消火しなくてはなにもできない。

 大規模な認識疎外がかけられているのをいいことに、氷結魔法を使って燃焼している家屋から急速に熱を奪い去る。あずさの知る魔法の中でも、最も負担が少なく、最も現場を崩さずに済む魔法だ。

 得体のしれない何かによっておこされた火に通用するかはわからないが、何もしないよりかはましだろう。

 はたして、その効果は十二分といえるものであった。

 周囲の熱を急速に下げたことで、燃焼するにたる熱量が不足。火はその勢いを弱めていった。


 火が消えたのを確認すると、真っ先に自分の家があるあたりへと駆けつけた。

 普段ならば、近隣住宅も含めて防災用の結界を敷いているため、こうしたことがあったとしても安心していられただろう(幸いというべきか、今日この日までは火災は発生していなかったが)。しかし、『急転直下の呪い』が急速に成長した今は、それでも楽観視できない。むしろ、無意味だったと切り捨ててすらいるくらいだ。


 事実。

 あずさの自宅は、完全に燃え尽きていた。

 壁の一片、柱の一本残さず燃焼しきっており、自宅を構築していた材木はすべて灰とがれきになっていた。

 その上。


「あ、そんな……うそ、きゃあっ!?」


 ご丁寧に、あずさの家だけ人が出入りできないよう、結界が張られてすらいた。敷地に入ろうとして、体が弾き飛ばされたのだ。その拒絶力は魔法障壁を張っているあずさをして、数メートル飛ばすほど。

 魔法結界の気配はもうすでに消失している。

 うぬぼれではないが、あずさは自らの魔法理力に、ある程度の信頼を置いている。伊達に勇者の来世を続けてきたわけではないのだ。


「う、……くぅ…………ったぁ……ッ。なん、て、強力な結界……」


 一体誰が、何のためにこんな仕打ちをしてくれたのか。

 それが呪いの効果によって『引き寄せられた』モノだとしても、これだけ決定的証拠となるモノが見つかれば、犯人がいなくてはならない。

 次第に心が黒く塗りつぶされていくあずさ。

 その存在を決して許せないし、そうでなくてもこれだけの惨劇を引き起こせるナニカ、放っても置けないと心を震わせて、振り返る。


 突如背後に現れた、女性を視界に入れるために。

 


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