第8話 先達を悩ませる悔恨
日本全国、四十七都道府県すべてにそれぞれ一か所から数か所の支部を持つ退魔館。郊外にその施設が建てられているケースがほとんどで、また現代社会において妖怪の存在を信じる者が少数という理由もあり、その存在は意外と知られておらず、事実上閉ざされた業界と化している組織だ。
その退魔館のとある支部、その敷地内にある保護施設に、うなり声をあげている少女が一人いる。
妖怪の手によって住宅街もろとも住むところと拠所を無くされてしまった、鏑木あずさその人である。
彼女は本日、普段とは違う悪夢にうなされて、いつも以上に目覚めの悪い朝を迎えた挙句、季節外れの行水を敢行して風邪をひきかけ、その帰りに再び妖怪に襲われるという癒しがまったくない出来事ばかりの時間を過ごしていたわけだが。
そんなストレスがマッハでたまるような不幸の連鎖が続いていた彼女は今、同居人の鈴森瞳という巫覡退魔師が席を外しているため一時の休息を取るべく、あてがわれた部屋でくつろいでいた。
「……うーん、とはいえ、やることがない……」
ここは退魔館の支部内にある保護施設である。
本来保護することだけを念頭に置いたこの施設に娯楽というものはない。
一応、幼児や児童向けの娯楽用具や遊具がないわけでもないが、それ以降の年代にとっては暇を持て余すようになってくる。
それを何とかするには自分で娯楽品を用意するしかないのだが、あずさにはそれをするためのお金も現状ではほとんど持っていないため、それを購入することもできず、ただ体を動かすことくらいしかやることはなかった。
ならば外にでも出ようか、そこまで考えたところで。
「……いや、霊力の扱いでも練習してみるかな?」
いや、それ以外にもできることはあったと思い直し、その場で瞑想――神道関係者には御魂鎮めと呼ばれるそれを行うための姿勢になる。
まずあずさが試してみたのは、霊力を動かしてみることだ。
心なしか、行水を経て若干強まったかのように思える。
とはいえ、これがどれほど強いのかは比較対象がないためわからないが。
そんなことを考えながら、あずさは意識を己の内側へと埋没させていった。瞑目することで生まれる暗闇の中。しかしその中でその意識は深く、とても深く沈み込んでゆく。
そして、ある程度潜ったところで、とても力強い息吹を放つ、力の根源だろう一帯へとたどり着いた――ように、感じた。
(…………なんだろう。すごく……感覚が研ぎ澄まされる、気がする……)
それは己の感情が作用してのことだろうとすぐにわかった。霊力というからには、自らの霊魂――精神状態に限りない接点があるだろうとすぐに推測できるからだ。
しかし、感じたのはそれだけではない。
最初に感じたのは、とても眩く、強く、それが現実の光だったなら間違いなく目を焼かれるのではないかというほどの光だった。妙になじむ剣の形をしたそれは己が宿す聖剣だと、これも直感で理解する。
聖剣を納刀しているときはこのような感じになるのだな、と初めて知った瞬間だった。
が、同時に間近でそれに触れたあずさは、違和感をぬぐうことができなかった。
本来なら清浄でなければならないはずのそれ。しかし、今感じているそれには、なにやら感じていて気分を害するようなものがまとわりついていた。
いや、正確には違うだろうか。まとわりついているのではなく、聖剣がそれを吸着、取り込んでいるのかもしれない。
本人は無意識にそれをシャットアウトしているからそれだけで済んでいるものの、それは現在進行形であずさを苛んでいる、妖気そのものだった。
肝心のあずさ自身の霊力はと言えば、その聖剣に守られているかのように、こぢんまりとした領域に存在していた。何となくそれが、聖剣のそれよりもさらによく自身になじむように感じたのですぐにわかったのだ。
ただ漂っているというわけではなく、霊力と魔力の塊となっている聖剣に縋り付きながら、必死に妖気に対抗しているような印象を受ける。
だが、その小さい霊力の塊の動きを阻害するかのように冷たい、鈍い光を放つ糸のようなモノがまとわりついているのも確かに確認できた。
(……でも…………これ以上はまだわかんないな……)
もっと霊力や霊能関連の技能を身に付ければ、これらにさらなる色が見いだせるのかもしれないが、今わかるのは対外的に己の身に宿っている霊力の波長くらいだった。
今はそれが実力的に限界、ということだろう。
それに、(あくまでも体感時間だが)ほんのわずかにしか見ていないのにもかかわらず、もう精神的にばててしまっている。
これでは先が思いやられるなどと内心愚痴りながらも、ひとまず疲れてきたのでここで休憩をはさんでおくか、と意識を浮上させた。
「集中していたようですね。想定していたよりも落ち着いて行動してくれているようで、なによりです」
「……、誰?」
そして、眼を開ければそこには巫女装束の見知らぬ女性。
それにびっくりしてしまったあずさは、飛び退って臨戦態勢になりながら警戒心をあらわにした。
瞳は先輩にあたる巫覡退魔師と肩を並べながら、後輩兼教え子となりそうな保護対象にあてがわれた部屋へ向かうべく、保護施設の廊下を歩いていた。
「しかし本当に興味があります。妖気自体は弱小だったもののあの厄介な経凛々をたった一息で倒せるなど……ぜひとも欲しい人材です」
「性格には難あり、ですけれどね」
そもそも対外的にはとても無愛想で、人付き合いが得意とは思えない、と瞳のあずさに対す評価はひどいものだった。
表情もよくよく見てみれば眼元にその時その時の感情が若干表れているものの、ほぼ無表情で何を考えているのか読みづらいだの、年齢の割に行動が妙に大人びていて、なにか裏がありそうだの、よく見ていると言えばそう評価できるものだが、先輩巫覡退魔師の表情はどこかひきつっている。
「そ、それをあなたが言いますか……大人びている、という点はともかく、他は大体あなたにも当てはまって……いえいえ、過去形で言うならその部分も含めてすべて当てはまっていたではないですか!」
「……否定はしません」
「なに考えているかわからないばかりか、私があれだけ口を酸っぱくして行うようにと言っておいた禊をほったらかしにした挙句、半分怪人と化していたじゃない! 今あなたが見ているその娘とどこが違うというんですか!」
「ぅ……それも、否定しませ――」
「むしろ肯定するしかないのではありませんか? ありませんよね!? あれだけ気にかけておいたにも拘らず、あっけなく妖怪になりかけてしまったあなたがどの口そろえて否定するっていうんですか!」
ある意味で感情が振り切れたのだろう。
瞳の先輩は瞳の二度目の返答を予期していたかのようにまくし立てて、あなたに任せていても不安が募るばかりですとどこか瞳に対してひどい物言いでさっさと先に行ってしまう。
「あ…………はぁ……。やっちゃったか……」
残された瞳の顔には、やってしまったという後悔の色が強く出ていた。
彼女とて、別に過去にとった行動の結果を受け入れていないわけではない。自分の中ではすでに踏ん切りはついている。はずだった。
しかし、必要性に駆られてあずさを諭しにかかったときはその少し前に感情的になってしまっていたこともあって饒舌になり、はっきりと自分の過ちを口に出して認めることができたものの、平時ではむしろ逆で、過ちを受け入れてこそいるものの他人から言われれば反射的に受け入れ切れていないかのような返答をしてしまう。
その要因はもっぱら、今の瞳が過去の自分を嫌っているからだった。
自らの感情にとらわれ、それが妖気によって増幅され続けているとも知らず、ただがむしゃらに己を鍛え上げ続ける日々。なにもかもが無味乾燥とした日常で、それに色彩を持たせようという意欲すらいつの日か失ってしまい。
当時、瞳の監察担当にあたっていた今の先輩巫覡退魔師からするように言われていた禊はあと何分、あと何分と先延ばしにするばかり。
しまいには自分が人とはかけ離れた姿形に成り果てていることも気づかずに、ただ模擬刀を振るっていた。
それを再び救ってくれた件の巫覡退魔師は、瞳にとって頭が当たらない存在だ。
だが、同時に瞳はトラウマを持ってしまってもいる。
未だにそのトラウマは消えることなく彼女の中にあり、そのせいで彼女は過去の自分がこの上なく嫌いになってしまったのだ。
なんだかんだで最後まで私情に付き添ってくれた尊い人物に対し、決して直すことのできない傷を負わせてしまった。その罪があるからこそ、余計に。
「…………受け入れられないわけ、ないじゃ、ないですか……」
さらには、その罪があるからこそ、なにもかもを受け入れるしかなかったのだから。
――そして。時はめぐり、今度はその役目が自分に廻ってくるだなんて。思いもしなかった。
あずさという少女は、自分の生き写しのような存在だ。
初めて見る彼女なりの魔法や、銘も知らないが聖剣とわかる西洋剣など、瞳にとって理解不能な力を持っているが、そんなのは半妖で怪人たる瞳にとってはささいな違いでしかない。
どこがどう違えど、彼女が妖怪の存在を知った理由は瞳と同じで、辿っている道も今のところはほぼ同じなのだから生き写しと言って何が悪い。そう瞳は一人ごちる。
だが、だからこそ。
彼女には歩ませたくない、と瞳は思ったのだ。
自分と同じにはなってほしくはないと思ったのだ。
そうでないならば、どうして先輩退魔師が命じた任に率先して取り組んだというのだろうか。
「でも……受けたはいいけど、実際、どうしたらいいんだろうね……」
自分と同じにはなってほしくないのは確かだ。
だが――どうにも、嫌な予感はぬぐえない。悪い意味で、自分とは違う結末が待ち構えているように思えてならなかった。
――それに気になるといえば、彼女が抱えている大きな闇もそう。本当に、彼女が何を抱えているのか、それ次第によっては私が取れる行動も変わってくるからね……。
今の任を言い渡された当初は乗り気で取り組もうとしていたものの、いざ同居してみれば一癖も二癖もありそうな予感。
世の中、うまくいかないことばかりで不条理だ、と瞳は心中でそう嘆いて、自身の今の住居でもあるあずさの部屋へと歩を進めた。
場所は再びあずさの部屋に戻る。
いつでも応戦できるような姿勢を維持したまま、あずさは前にもこんなことがあったようなと思いながら、目の前の巫女が何者なのかを考え始めていた。
「え、えぇっと、この場合、私はどうすればいいのかな……」
しかも、これ見よがしにその姿勢を維持したまま考え込んでいるという内情もかもしだしているが、実際警戒心よりも困惑の感情の方がかなり強い。
臨戦態勢をとってしまったのは反射のようなもので、あずさ自身は驚いて身構えてしまったものの、敵対する気はほとんどなかった。
ただ、そのプレッシャーは相当なもので、自分と比べればただの少女と大差ないだろうと思い込んでアプローチしようとしていたのだろう巫女は、出鼻をくじかれて別の意味で混乱していたが。
しかし、その双方ともに困惑し、微妙な空気が漂うその状態は、長くは続かなかった。
双方の間で緊張が高まるなか、新たに闖入者――もとい、もう一人の居住者にしてあずさの監察担当を任されている巫覡退魔師、鈴森瞳がまさかこのような状況になっているとも知らない顔で現れたことで、突然の終わりと向かえたのだ。
「まったく、先にいかないでくださいよせんぱ――って、何やってるんですか二人して」
あずさは身構えて対峙している相手がどう動いても対応できるよう備えているが、顔の中で唯一感情を読み取れる眼元を見てみれば、瞳に困惑の色が混じった、助けを求めるような視線を送ってきていることが見て取れる。
一方で巫女も似たようなもので、アプローチに失敗して相手を警戒させてしまったのをどうにかしてほしい、と切願するような顔を瞳に向けている。
どうしたものか、と頭を押さえながらとりあえずは仲裁するために間に入って二人を宥めはじめた。
「……はぁ。何をしていたのかは知りませんし、誰彼構わず無警戒になれとも言いませんが、そうやって誰にも過度な警戒を向けるのは良くないと思いますよ?」
「………………善処は、する」
「…………本当に、あなたは……はぁ~。……それで、先輩は先輩で、勝手にひとり先走った挙句、何してるんですか」
「いや、その……御魂鎮めに集中していたみたいでして、声かけるのは野暮かな~、と思いまして。こう、見守っていたら、急に眼を開けて、それで……」
「警戒されてしまって、今に至るわけですか……」
まったく、頭が痛いですね、と呟きながら痛くもないだろう頭に手を当てて、頭を振る様子は困り果てている様子を如実に表している。
というのも、まず、聞きたいことが一つできてしまったからだ。
「呼び鈴ならしたのですか先輩は」
保護施設と言えどその形態はどちらかと言えばマンションやアパートに近い形式をとっている。よって、部屋ごとに呼び鈴はあり、部屋を訪れる客は基本的にこれを鳴らすのがマナーとなっている。
「鳴らしましたよ」
「……本当?」
「はい。三度ほど鳴らして返答がなかったので、なにかあったのだとしたらまずいと思い、防犯と防衛のために入った次第です」
「…………はあぁ~、本当に頭が痛いです……まったく…………」
これでは本当にどこに責があるのかが分からない。
瞑想をしていて半ばトランス状態にあったというなら、まったく周囲の情報が入ってきていなかったのもうなずける。だからあずさを咎めようにも咎めることはできない。
一応、そういう状態になることも念頭に入れて、一人の時または全員でやる時は戸締りをきちんとすべきではないのかと一応注意はしておくが、結局のところ今回は事故のようなものだろうとあたりを付けた。
「とりあえず鏑木様」
「ん?」
「一人で御魂鎮め……瞑想をやる時は、こういうこともあり得ますから戸締りはきちんとしておきましょう」
「うん。わかった」
「本件はこれで手打ちです。双方よろしいですね?」
「……まぁ、そうするほどのことでも、ないと思うけどね」
「それは同感。私も少し落ち着いて行動すべきだった」
「では、これにて」
それでいったん場の空気を入れ替えようとしているかのように一度目を閉じ、深呼吸をしてから再度目を開けた。
「……さて、少し慌ただしかったですが、鏑木様。実は先刻妖怪の襲撃に遭った兼について報告したところ、私の上司であり先輩でもある退魔師があなたと直接話をしてみたいと突如言い出しまして……」
「こうして紹介も兼ねて、こちらの鈴森に同伴する形で訪問した次第なのですが……ご都合はいかがでしたでしょうか?」
「……私と直接?」
なんでいきなり。
視線でそう瞳に問いかけたところ、瞳はあずさのそれをどう受け取ったのか。
「一応先輩はあずささんにとっての私とほぼ同じ立場にありますからね。私の時と同じ道をほぼそのまま辿っていると感じたらしくて、頼んでもいないのにわざわざ足を運んでくださった、というのがいきさつです」
「……ふーん…………」
話を聞いてみれば行動が先に出るタイプのお節介焼きなのだろうかと思い、これまでの会話で思い当たる節があったので多分そうだろうと判断して正面に正座する巫女を再度見た。
艶のある黒い髪は背中ほどまで。あずさの髪もそれくらいはあるが、手入れの仕方が違うのか、段違いにきれいに見えた。
日本人らしいのっぺりとした顔立ちはしかし、大和撫子を体現したようなつくりをしており、紅白の巫女装束がよく映えている。
自らを観察しているのに気付いたのだろう、整った顔立ちをほにゃっと崩せば、誰もが虜になるだろう微笑みに切り替わった。
「……で、誰?」
「藤城葵衣と申します。紹介にあったとおり君を保護した鈴森の、上司にあたる者です」
「上司……って、巫覡退魔係っていうところの係長的な?」
「いえ。係長ではありません。その一つ下の、班長に当たります」
「へぇ……。話っていうのは?」
「まぁ、特に決めていたわけではなく、適当にあれこれと雑談をしたいと思いまして……」
「ふぅん……」
一応聞き流しているかいないか程度に話の内容を聞きはしたものの、特にこれと言って用事はなく、本当に会いに来ただけという目の前の巫覡退魔師――葵衣にどう接しようかと悩む。
他者をできるだけ自分の呪いに巻き込まないようにとできるだけ人を遠ざけて生活してきたせいか、コミュニケーションが苦手なあずさだった。
ちなみに瞳は例外である。口喧嘩したかと思えば手のひらを返したかのようにぽっかりと空いた心の穴に入り込むようなことをされれば、あずさの凍てついた心でもその存在を暖かいものとして認識してしまう。
結果、あずさにとって瞳は出会って三日目にして、早くも円滑にコミュニケーションを取れる相手の一人となりかけていた。彼女にとっては非常にたぐいまれなケースである。
「別に話すことなんてない」
閑話休題。
さんざん考えた挙句、口下手な少女から出てきたのはそんな言葉だった。
あずさとしてはそれは別段突き放すでもなく、話の種がないので雑談をしようにも何を話せばいいかわからないという意味で言ったのだが。
それを言われた葵衣と、そばで成り行きを見守っていた瞳はそんな彼女をの言葉を聞いて『べにもない』と思ってしまったようだ。
「……そう…………。まぁ、あなたは保護されてから二日目でしょうし、無理もできないでしょうからね……」
「私からもお詫びいたします。申し訳ありません鏑木様。本当ならあなたのことを考えて、控えてほしいと進言すべきでしたのに」
「………………?」
「とりあえず、今日のところはごあいさつ程度で暇させていただきますね。突然の来訪、申し訳ありませんでした」
ではこれにて失礼します、と葵衣は本当に申し訳なさそうな顔で謝辞を述べ、そのままそそくさと部屋から立ち去ってしまう。
繰り返すようだがあずさは突き放す気など微塵もなく、自分で敷いた一線(=親しいとは言えないが知り合いとはいえる間柄)を踏み越えない範囲で懇意に接しようとは思っていた。
放たれた言葉が思いのほかきつかったために、勘違いさせてしまっただけなのである。
「……はぁ。もう少し、私以外に心を開いてほしいものです……」
「……えっと、……んん? 私、なにか失敗した……?」
「へ? ……もしかして、あれ……素だったんですか?」
「ん。雑談っていっても、何も話題がなかったから」
「…………はあ~、頭痛い……」
そしてそれに気づかない限り、あずさのコミュ障は相当なものだった。
瞳は思わず頭を抱えてそうつぶやかずにはいられなかった。




