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ラストバトル。

【????年。柊なゆた】




「ここが、……導きの園?」


 私達が旅立ってから3時間余、手元の目覚まし時計はすでに午前の10時を数えている。

 けれど辿り着いたこの地から見渡す空は一面、星の欠片に埋め尽くされていた。陽の温もりが一切感じられない。

 大げさなイルミネーションのような星明かりの下、前方には厳つい城、機械の丘、絶壁たる巨塔が在る。想い描いていた自然的な風景は此処には一片も無かった。全てが計算で出来ているような、そんな隙の無い世界だった。


「導きの園を完全に自分の物にしてしまった。……そういうことでしゅね」


 私の喉が音を立てた。それは宙を舞う木の葉を見て、だ。

 枯れ、虫に喰われ、風に翻弄されるその姿に。何故か震えた。


「家族達には消えてもらったよ」


 巻き起こった風の音に振り向く。私達の前に疾風の如く現れた影が在った。


「あまりにも無粋だろ? せっかくのデートを邪魔されたくないしね」


 ……その言葉に思い当たる。脳裏を理性が制御する。

 そうなのだ。この地に降りて、人っ子1人、兵器の1つも私は目にしていない。

 目の前にあるたった1つの影に、その1つだけの影の意味に愕然とした。


「……久しぶりだね」


 彼はこの地を汚す事無く仲間すら全て、――壊していたんだ。


「キミの事、あれからずっと考えてた。忘れた事なんて無かったよ」


 ――返り血を浴び、かつ赤い繋ぎを纏った全身真っ赤な飄々とした出で立ち。その右の手は鈍色の義手。

 紅き衣の青年、その姿だけが前には在った。彼は呟く。顔を伏せ絞り出すように声を吐き出した。


「……会いたかった」


 再度呟く。その声には感傷に通じるものがあった。私の心を恐怖がかき鳴らす。


 ――狂っている。そんな単語が導き出された。仲間すら彼の目には映っていないのだろうか。理解出来ない。したくない!


「会いたかったよ」


 顔を振り上げ、身体仰け反らせ、声を軋ませ、もがくように彼は叫んだ。


「まあかああああああ!!」


 刹那に間を詰める青年を前に、モカちゃんの言葉が大気を駆けた。


「紅。守護の衣、装填!」


【Yes,master!】


 一瞬にして真紅のマント、同色のリボンが風に舞う。モカちゃんの声が空を奔った。叫びが蒼い剣と共に私を叱咤している。


「いっか。先に行くでしゅ! 悪の権化を、全ての災厄を断つために!」


 その声を受け、いっくんは役に立たない私たちを後方へ押し遣った。


「……なゆた。そして由香。お前らは船に隠れていろ」


 厳しい表情は一転、見知ったものになる。彼の指は私の額を軽くつついた。


「後で必ず迎えに行く。それまで船を守ってくれ」


「……いっくん」


 私の肩をその腕で支えてこの眼を見つめる。私と由香ちゃんを交互に兄のような笑みで見守ってくれた。


「……お前の仕事だ。出来るな」


 私の頷きを確認すると踵を返した。風に靡くモカちゃんのリボンへ話しかけている。


「小娘」


 振り向かない彼女へ、いっくんの声が長く伸びた。前へと踏み出す彼の足が彼女、真紅の狩人とすれ違う。


「助けて欲しくば、……俺を呼べ」


 視線の先をいっくんが駆け抜けた。モカちゃんの背を追い越す風が機械の丘を越えていく。


「……」


 私は思った。いっくんは、幼馴染の桜壱貫は、




 ――モカちゃんが好きなんじゃないかな? って。

 頬を染めるモカちゃんを見て場違いにも、……微笑ましく感じていた。


「……おい」


 独り残された男は呟く。そして、刻、一瞬毎に遠のいていくいっくんを横目で見やった。

 赤き青年の銃が星に煌めく。顔に浮かぶ嫉妬の色が義手へ、腰の銃から先、いっくんの背を伝うように伸びていく。


「僕の真紅に、何吹き込んでるのさ?」


 煙り向く銃痕の先にモカちゃんの剣が生えていた。いっくんの背後で刃が燻ぶる。モカちゃんは一瞬で弾丸の飛び行く先、機械の大地を踏破したのだ。その蒼い剣でいっくんを襲う銀の弾を受け止めたのだ。

 逆手に構えた聖剣がモカちゃんの瞳を截然と映していた。


「ボーイ。お前の相手はこのボクでしゅ!」


 この瞬間、モカちゃんの倒すべき相手が定まったのかもしれない。

 私は自分に任された使命を果たす為、由香ちゃんと一緒に走り出した。恐かったけど、指から伝う由香ちゃんの温もりを強く、強く握りしめた。





【????年。桜壱貫】




 走る大地、金属の石畳に己の足音が響く。ちびの背を追い越し一里。俺の前方、高き塀の上にそいつが居た。


「……来たわね。あんた」


 煙と何かは高い所を好むというが、あながち間違いでは無いらしい。一目した後、足を踏み出す。……時間が無かった。


「退け」


 ピンクの服、篭手、鋼の胸当てで身を固めた、ヤツ、桃野恵が指を突きつけ喚きだす。その白い歯がかち鳴らされる。その細足が鉄床を打ち鳴らした。


「あんたねぇ。ガールを雑魚扱いするなんてなっちゃいないわよ! ってゆ~か、ガール雑魚じゃないわよっ!」


 ――甲高い声に耳を覆い顔をしかめた。

 騒がしい奴だと心底思う。しかし、どこかその奔放さはなゆたに似ていた。

 ふと俺の姿を見やって恵が大きく肩をすくめてみせる。


「素手? ガールのことなめてんの?」


 腰に手を当て不満そうな恵を前に細く息を吐き出す。右腕を、今にも落ちて来そうな頭上の恒星へ翳した。


「在りし手に宿れ。黒熊」


 遥か大空から声が来る。それは俺の意識へ干渉する響き。


【用意はいいかしら?】


 頷く。相棒、黒きクマ耳を額に巻き付けた。




「……もちろんだ。漆黒の女神」


 クマ耳はバンダナへと形を代え額に宿る。大気から響く声は意味深におどけ、ほくそ笑んだ。


【あら。懐かしい名前ね】


 やがて腕に黒く長い鉤爪が形を成した。その腕を高い空へと解き放つ。


「悪くはないだろう」


 口元を緩め言ってやる。


「……この、俺に呼ばれるのだから」


 一方、高い位置から足を踏み鳴らす恵。片手に構えた銃でパフパフと空砲を放っている。


「ムキィィィ! ガール無視して何話してんのよぉ!」


 その姿を脇目で認め、俺は頬を引きしめた。


「行くぞ。ブロウ」


 指の先、篭手の刃先が大気を振り抜く。


【OK】


 五つの刃が、遠く煙る星の光に煌めいていた。





【????年。柊なゆた】




 視界の先、時空船の遥か前方に薄い影が現れた。モカちゃん達とは反対の方向、金属の大地から立ち上る熱気を受けて、飛行船の前、月明かりが射す中を陽炎のように細い体躯が歩いてくる。


 人影だった。長い黒髪を風に孕ませ、濃紫のマントをはためかせ、その頬が光の先へ照らしだされる。




「ゆ、雪さん。ど、どうしてここに居るの?」


 無言で歩を進めていた。遠い道のりをただ私にだけ足を向けて。


「……」


 雪さんは口を開かない。無表情でその腕に白い剣を構えている。


「雪さん!」


 応えてくれない。私が見えていないのだろうか? そんなことは無い。絶対無いのに!


「……やだよ」


 私の泣き声にも答えてくれない。雪さんは近づいてくる。足音が私の前に1歩ずつ迫ってくる。


「嫌だよおおお!」


 ただ、雪さんの声が聞きたいのに、――聞こえ、近づいてきたのは機械のような規則的な足音だけだった。





【????年。ピンクガール】




 撃ち放った弾が弾かれ辺りへ飛び交う。三種の神器を模して作られた小銃ライセンで、時を止め敵の身体へ風穴を開けるべく撃ち放つ。けれど、目の前の奴、桜壱貫は止められた時間の中で、この1発1発を確認し叩き落していく。人間の技量じゃなかった。


「どんな眼してんのよ! あんたっ!」


 あたしの呻きを気に留めるでなく、奴は迫ってくる。

 あたしは後退しつつもこの、白虎『ライセン』で奴の身体の各所を狙い、放ち続けた。焦りつつもあたしは自分の勝利を疑っていない。


「……無駄だ」


 また11発。黒い鉤爪に弾き落とされた。

 戦闘が始まって18分。計75発の銃弾を放っている。弾の物質化を保つにはほぼ限界の数字だ。


 ――しかしこれも勝利の為の布石。

 今この75発の屍を以って、ライセンのライセン(自由)たる能力を解き放つのだ。

 距離を10メートルに縮められた今、私はこの歪む黒い時空へ体を仰け反り、満を持してライセンの機能を発現した。


「舞え兆弾! 白き虎の名の元に!」


 今まで放った弾丸、打ち落とされ、取り除かれた全ての銃弾が桃色の輝きと共に姿を現す。三種の神器を模して創られたこの武器の本来の能力。


『弾のオートホミング』で75の方位から、奴へ撃ち放った。


 けれど、奴は悠然の構え、驚きさえしなかった。

 ――これで終わりなのに……。


 降り注ぐ弾丸の嵐の中で意識が逆行した。

 なんでもないような事が。本当に何でも無いつまらない事が――思い出された。




 ――あれは何処だったのか。

 あたしの相手を何だかんだとして くれた男の、傍からみたら無関心な表情。

 そしてそこで聞いた、穏やかで心落ち着く名も無いピアノの調べ。――あのとき、癒され、苛立ち、そして初めて共感できた、苦しさ、愛しさ。

 歪んだ星の下、あたしの視界の先で弾の嵐の一方を弾き、他の全てを避けた男が居る。それでもまだ動く75発を悠然と対処する男を前に、……ピアノの調べを思い出していた。

 何故か、……腕から全ての力が抜けた。


「……何故止めた」


 声を荒げた。私自身が、自分の気持ちを一番理解出来なかった。


「分かんないわよ」


 たちの悪い病気のように、たった10数日の学園生活が頭を過ぎった。

 馬鹿みたいに普通の生活だった。けれど、初めてのことばかりだった。

 自分を叱るおじさん。隣で笑いかける同年代の女の子。初めての学校生活。

 初めて、同じ目線で見た子供達。自分に興味を寄せる男の子。自分の容姿を羨む女の子。

 馬鹿みたいな……恋話、……とか。

 全て、全てが初めてで、全て全てに憧れた。


「た、ただ……」


 その中に居た少年。父たる人に『必要があれば殺せ』そう言われた対象。そいつが見せた微笑みにどれだけ胸が痛くなっただろう。何故痛くなったのかは分からない。でも、すごく痛かった。


「なんで、なんであの時ガールを殺さなかったの! あんたを殺しにやってきた私を、……なんで殺さなかったのよっ!」


 彼は、目の前で動きを止める銃弾を掴み、指の先で転がして、


「……知るか」


 ため息と共にそんな言葉を吐き出した。

 横柄に、でも真顔であたしにもう片方の腕を伸ばす。


「聞きたくば、頭を下げて聞きに来い」


 静かにそんな暴言をあたしへ言った。

 あたしの前に、太く長い指先を差し出す男の子が居る。

 ――そいつの名は『桜壱貫』。すごく生意気なのに、真っ直ぐ過ぎた名前の男。


「……茶の1杯くらいは出してやろう」


 その腕を見つめた。……無防備で不器用なこいつの笑みをあたしはまた見ることが出来た。


 ――知らずあたしは笑っていた。この男の馬鹿さ加減に本当に可笑しくなって。




 ――もう充分だと思った。こんな奴らの世界がこの世のたった1カ所、何所かに1つくらいはあってもいい。あたしはそう思う。少しくらい残してあげても良いと思った。それにあたしは、ピンクガール、桃野恵は最高に楽しんで、ここまで精一杯生きてきたし。


 後悔じゃない。充分以上の満足と達成感を覚えた。

 己の額に愛銃を構える。無意識に彼へ笑いかけることが出来た。


「うん。いつかあんたに聞きにいくよ!」








 つんざくような彼の声を前に、あたしは引き金を引き絞った。





【????年。柊なゆた】




「雪さん! 怖いのやめて! 私怖いよっ!」


 私の叫びにも止まらない。雪さんは真っ直ぐに歩を進めてくる。無言で私を見つめていた。


 怖かった。どうしようもない程。けど、そんな私の叫びに応えた声が在った。


 ――どうしてだろう。いつの間に乗り込んだのだろう。船の中から家族の、みんなの怒涛の足音が轟いた。


「ぶっち、みいちゃん、パブロフ。みんな、みんなぁぁ!」


 私を助ける為に集まってくれた勇士に涙を溜めつつも笑顔を向ける。どこまでも癒される想いだった。

 家族と戯れる私を前に、雪さんの声が静かに響いた。とても悲しそうな声だった。


「私は、パープルマム。ホームホルダー、時の、世界の支配者たるブラックダドの脇に立つ者。玖条雪なんて、……初めから居ないのよ」


 雪さんの声に私は敢然と振り向いた。母親の名を持つという彼女、その意味なんて知らない。けれど別の確かな意味を持って言い切った。


「居た!」


 叫んだ。私には確かな想いが在ったから。私を見つめる多くの瞳が私の視界、この、世界中に在った。私には強くあれる理由が在った。


「雪さんは居たよ!」


 身体全部を使って手を大きく振り下げて雪さんに叫んだ。


「私の、モカちゃんの、いっくんの隣で、ずっと見守っていてくれたよっ!」


 雪さんは淡々と言葉を吐いた。無感動な言葉で。


「私はあなた達を欺くために、……居たの」


 気にも留めない! 想いを吐き続けた。


「笑っていてくれたよっ!」


 腕で、拳の先で、小さく張った胸で言葉にした。瞳に溜めた輝きを超え、


「なゆ。そう呼んでくれたよっ!」


 雪さんを視た。


「……」


 止まらない。止まりたくない! 私は身体全てを使って彼女を求めた。


「私、雪さんのこと」


 伝えたかった。初めて好きになった人に、この優しくも温かい気持ちを。強く為れる力の意味を。


「……大好きだよ! それは絶対だよっ!」








 その距離は2メートル。雪さんの指から白い凶器がゆっくり落ちた。

 歪んだ空からは雨が降っている。


 それは私と雪さんの顔を包むように、――優しく世界から隠してくれた。





【????年。柊モカ】




 斬撃、煌めく刃、絶え間ない銀色の乱舞。


「あはははは! 楽しい! 楽しいよ! 真紅ァ!」


 そのぎらついた瞳に気圧されるように剣が2度、3度と義手に弾かれる。

 フリーシーを使い時間を止めた。――灰色の世界、その皆を守る空間にも、彼、レッドボーイは止まらなかった。


「……僕はずっと子供だ。あの時から、あの人に拾われた時からずっと! だから止まらない。誰にも、どんな奴にだって、僕の時間は縛らせない!」


 狂おしくも彼は叫んでいた。


「あの人しか信じない! 家族はあの時から、ずっと4人だけでいいんだよ!」


 仲間を葬ったことをだろうか。彼は憎々しく世界すべてを恨んでいた。


「お前には分からないだろうけどな、みんな要らないんだよ。金も世界も、どんな命も。僕たちを邪魔するお前たちもな!」


 狂気を孕んだ眼差しは全て、家族の敵へ捧げられていた。たった4人を守る為に。


他人よそものはみんな邪魔なんだよ」


 彼は全てを認めていなかった。

 ボーイの右手、鈍色の義手が、左手の白い銃身が、笑みを宿す黒い瞳がボクを突き刺すように煌めいている。


「僕がお前を殺す理由、お前には解るか?」


「……」


 分からなかった。彼は言った。口を固く引きしめて。


「親父を殺す、その可能性があるからだよ。」


「それは、」


 彼はボクに話す間を与えなかった。


「誰が死んでも構わねぇよ」


 ボーイの銃、その口径が大きく膨れた。


「だがな、親父だけは殺させない」


 血のような色がその銃身を染めていく。


「もしいつか親父が死ぬことがあるとしたら、その原因は絶対にお前だ。だから、」


 掲げた大きな銃口がボクを示した。


「お前をぶっ殺す! お前の母親ごとな!」


 空から数滴の雫が降ってきた。奥歯を強く噛み締める。ボーイへ向かって駆けた。一瞬で駆け寄った先には義手の刃が待ち構えている。頭を反らし避ける。銃口が目の前に在った。


「マァマは殺させない!」


 剣を銃口に打ち付ける。激しい爆音。ゲイボルグが砕け散った。目の前が煙って見えない。ボクは足もとに在った角材を握る。


「ボクが守る」


 角材を力任せに持ちあげた。暴発によって肩に刺さった鉄片が目の奥を痛めつける。奥歯が軋んだ。


「ボクが救う」


 煙が消えていく。振り上げる角材の前で壊れたはずの銃口を構えたボーイが居た。


「うるせー、……死ねよ。」


「ふぃーしぃー!!」


 角材を銃口に叩きつけ深く突き入れた。眼前で再び起こる激しい爆発と閃光。ボクの腕は壊れたゲイボルグの柄を持っていた。止められなかった時を、今一瞬――固定する。


「りみっと1、GO!」


「朱雀『ラプチャー』!!」


 空に留まる雨粒のベールの中、壊れた銃から幾万の針がボクを襲う。ボクは、その針を見なかった。少年の両腕を産まれたばかりの刃で斬り払う。ボクの腕を、足を幾千の針が刺し貫く。


【Limit1,afterburst!】


「あの日、全てをマァマに貰った時に約束したんだっ!」


 ――この足は踏みとどまらない。願いの為だけに駆けてきた。万の針を受け紅く染まる体で最後、――少年を蒼の剣で刺し貫いた。


「……やっぱりイイねぇ。ま、……あか」


 満足気な言葉を覆いかぶさる彼から聞いた。触れ合う程の至近距離、交わった瞳の先には、何かをやり遂げたような彼の笑みが在った。――その笑顔の意味をボクは知らない。

 背後には現実に戻る為にある、一時だけの紅い空間。この腕から紅い身体が崩れ落ちていく。全てが赤の世界の中でボクは声を零した。


「……マァマ」


 地に落ちる少年を振り返る事無く、針に埋もれた腕を眺めた。


「ボク」


 ボクは、柊真紅は母親の仇を討ったのだ。やっと、やっと……。幾たびの時を追って、幾千の距離を超えて、幾万の家族の想いを受けて。


「あの時より強く、なれましたか?」


 母の死を打ち倒すことが出来たのだ。


 闇を漂う雲を背に星の光が徐々に広がる。霞むボクの視界にうつろう様な影が映る。幾つもの足音が、捨て身で駆けつけてくれた家族の声が耳を叩いた。


「み、みんな……っ」


 先。高い丘の上に立つ少年の姿。星光に翳される黒き鉤爪。その顔は影に隠れていたけれど、星に映された逞しい二の腕がボクの姿を待っている。


「いっか……。」


 彼が居るなら、




「……な、なぅぅぅぅぅ!!」


 泣きながらボクを待つ、彼女が見ていてくれるなら、


 みんな、みんなを守れるかもしれない。




 ――1つ、星が空を流れた。空の海を奔るように光の尾を引いて。






「……マァマ?」


 まるでボクを見守っているみたいに。





【????年。柊なゆた】




 鋼の大地、そして木々の丘を越え、その先。高い塀に囲われた機械のお城に着いた。

 中は、銀の棚、石の彫刻、繊細な木々のオブジェで飾られていた。機械だけでなく自然だけでなく、時代を超越した美の融合。そんな広い空間だった。

 ……それは、誰が望んだものなのだろう。


 流れ落ちる星の中、私達は目的の部屋までの距離を歩んだ。隔てる鋼の戸を幾数枚、広がる石床を超え、荘厳な銀の扉を開いた。

 静かに、音の伏せられた空間。玉座の前に私達はたどり着いた。

 王の椅子たる場所で赤いマントを背負った男性が足を解く。辺りには鈴を鳴らすような調べが響いている。それは耳の奥を癒すように流れている。心から落ちつきを覚えるような空間だった。


「……ついにやって来た。ということかな」


 いっくんが身構え耳飾りへその手を掛けた。全身を覆う包帯の上ぎこちなく犬耳を被るモカちゃん。全てがこの戦いで決まる。時間の流れも、世界の構図も、私達の運命も。私の胸を緊張という名の金づちが高々と打ち鳴らす。苦しかった。


「覚悟するでしゅ! もうこれ以上は自由にさせましぇん!」


 椅子に腰かけた男は、おそらくブラックダドという人。彼は目蓋を伏せて淡々と声を漏らした。


「自由、……か。」


 それは部屋の音色と同質の、鈴を奏でるような声だった。


「……私たちは自由を求めた。確かにそうなのではあろうな……」


 誰かに聞いて貰いたい、そんな言葉では無かったように感じた。


「自由を求めるために手に入れた力、……それが私たちの四神器。そしてその元になったのは君たちの三種の神器。

 蒼猫『ファジー』。

 黒熊『ブロウ』。

 紅狗『フリーシー』」


 彼の呟きに言い知れぬ恐怖を憶えた。悲しそうな、それでいて苦しそうな叫びを聞いているような気持ちになる。モカちゃんの細足が鋼の床を擦る音、それが気にも留めないくらい軽く響いた。


「……何が言いたいでしゅか」


 ダドと名乗る彼、その瞳は閉じられたままだった。言葉だけが淡々と流れた。


「偉大な力だ。全ての常識を覆す力だ。しかし、それを治める力が無くば争いは幾千と繰り返される。いわば、ただの凶器だ。」


 その伏せた瞳が虚空を見上げていた。


「我らの世界もそうだった」


 彼は指折り数える。


「全てを失わせし、飢饉主たる天災。そして浅はかな者による人災。全ては神が遣わした凶器だった。害なるものを遺憾なく潰し、大事なものを守ること。……それが私たちには大切だった」


 開いた指を彼は握り締める。徐々に開かれていく瞳が私達を視ていた。


「溢れる人口を、醜い思想の者どもを野放しにした為に、己が守るべき民を救うことが出来なかった。家族のように慕う彼らを救うことが、……私には出来なかった」


 いっくんが声を荒げる。火照る顔と身体を抑え、足をハの字に落ち着かせ込めた言葉を吐き出した。


「だから、人類を粛清したというのか? それは貴様の欺瞞だ。己を守りたかっただけではないか!」


 彼は頷いた。否定をしなかった。


「そう思ってもらっても構わない。私は私が選んだものを救う。何よりも誰よりも大事な、私だけの家族を救ってみせる」


 いっくんはその憤りの枷を解くように、隠れた大気に拳を翳した。ブロウの耳飾りを額に充てがう。


 もう、どんな人間にも止めることは出来なかったのだと思う。早鐘を鳴らすような心臓の響きに胸を抱きしめる。この場の皆の言葉が怖かった。


「御託はいい。行くぞ小娘!」


 向かい、歩を詰めるいっくんを前に彼は足を組み直す。指を立て、その指に飾られた金の指輪に口をあてがう。瞳を閉じたその姿が私の眼には何よりも強く映った。


「私は、全てを治める力を得た。暴力に為りえる力、三種の神器さえをも統べる力。……私が“ダド”になって得たこの力だ」


 蒲公英(たんぽぽ)の花弁に似た金の指飾りを彼は高く掲げる。


「降りて来い。皇器『王留』」


 雷が屋内、その先の天をも裂いた。


「!!」


 私達の前、煙燻ぶる中に居たのは、金と黒の色が紡ぐ兜、獅子の紋を持つ鎧を身に纏った、金色の王の姿だった。

 その重い腰が椅子を離れた。

 その瞬間、いっくんの体が鉤爪ごと、彼の右腕に撥ね飛ばされていた。腰に宿した剣は一切抜かれていない。

 次の瞬間、包帯だらけのモカちゃんの前に彼が居た。無造作、瞬間的にモカちゃんは蹴り上げられていた。


「王留、……行くぞ」


【イエス】


 元々の色が無かったんじゃないか? そう錯覚させるぐらいの速さで世界が一瞬にして鈍色に染まった。フリーシーが創る世界に似た空間で、宙を漂うモカちゃんがその遥か上に現れた彼と共に、銀のシャンデリラごと落下する。シャンデリラのガラスと一緒にモカちゃんが……、


 放射状に割れた大地にモカちゃんは居なかった。寸でのところでいっくんが助けていた。今度はいっくんが横薙ぎに吹き飛ばされる。




 ――全てが一瞬だった。


 いっくんが血を吐きだす。足を引きずる彼の姿を声なく追って、いっくんのその表情に私は愕然とした。


 今まで見たことが無かった。いっくんの唖然とした、理解の追いつかないような目でモノを見る瞳は。

 モカちゃんの腕と足は包帯の中で歪に脹らんでいた。在らぬ方向に捻じ曲がっていた。その顔を見ることが怖かった。悪夢を見ているようだった。モカちゃん、そしていっくんが何かに屈するイメージを、私には想像出来なかったのに。

 一時目を背けた私の耳に、彼の声が木霊した。


「……キミ達とは」


 目を開いた先で彼は憎々しげに言い放った。


「キミ達とは、歩んだものが違う」


 視ている者の奥歯を震わすような狂気を宿した瞳を、私達へ翳していた。


「守ってきたものが違うのだ!」


 王がその剣を鞘から捨てた。


「多くの人間、54億の人間を私たちは殺した。しかし、私たちは66億の人間を守ってきたのだ。五十四億の血を啜ったが、66億の人間を“確実に”救ってきたのだ!」


 まさしく、……王の咆哮だった。けれどモカちゃんはまだ負けていない。目を細めた私の前で、足を引きずり、眼光を衰えさせることなく、その蒼い剣を腕に構えた。




 ――曖昧な時間の流れに、“モノ”が壊れる音ばかりが響いた。モカちゃんもいっくんも、憎しみを込めるような彼の拳に幾十、幾百と打たれ叩かれる。のけ反り、骨を砕かれ、いっくんは鉤爪までも半ば叩き折られた。その腕のブロウの輝きと声が遠くか細くなっていく。


 今もまた、モカちゃんの腕から骨の外れる音が響いた。何もかもが絶望的で、自分には力なんて何も無くて。私の頬には涙ばかりが溢れた。


 何故だろう。王の鉄槌にも、その圧倒的な力を前にしても、モカちゃんは倒れなかった。折れ、伏せた腕を震わせ、歪なその腕の先、小さき拳に蒼い強さを握って。

 円らな瞳は未だ希望を望んでいたのだろうか。


「……真紅の狩人。すまないが、この王留を破ることは、キミにも到底出来ないだろう」


 彼の目は必死に立ち上がるモカちゃんの、その小さき体躯を見ている。


「……キミの手で、その母を、愛しい仲間を葬ってもらおうか」


 彼の腕が力無く立ち上がるモカちゃんの額へ押し当てられる。


 モカちゃんの体が切れる寸前の糸人形のように硬直した。力を持たない腕で糸に示されるように立ち上がっていた。……虚ろな目で私を見ていた。中腰にその蒼き剣を構える。




 ――激しい金属音。一瞬後の雷光が落ちるような響きに、私は恐る恐る目蓋を持ち上げた。


 眼前では青と黒の武器を交差させあうモカちゃんといっくんが居た。

 モカちゃんは定まらない眼差しで虚空を視ていた。


「どうした?! 何があった! 目を覚ませ小娘!」


 いっくんの叫びにも斬撃を止めない。赤く膨れ今にも弾けそうな二の腕で、2度3度と私をかばういっくんへ斬りかかる。モカちゃんの瞳から感情が感じとれない。


「俺が、なゆたが視えないのか、ちび! おい、聞こえているのか!」


 その時、いっくんが、モカちゃんと競い合った彼が、初めて呼んだ名前が在った。




「モカあああ!」


 初めて呼ばれた自分の名前に、ほんの僅かにだけ犬耳が揺れたように思える。

 私たちの遥か先、指を掲げる王を見据えて私は腰を持ち上げた。恐かったけど前を見つめる。

 私が頑張らなきゃ。私も負けちゃ駄目なんだ! 自分へ必死に言い聞かせた。

 いっくんの前に出る。眼前のモカちゃんの頬を、


「駄目だよ! こんなの駄目だよっ!」


 両手に挟んで包みこんで、夢中で言い募った。


 感情を表さないその琥珀の瞳を前に、体に鋭い痛みが奔った。


「なゆたっ!」


 体が燃えるように熱くなる。モカちゃんだけを想った。モカちゃんに、私たちは大事な家族なんだ! って言い聞かせた。


「だ、……駄目だよ? モカちゃんは、こういうことしたら、」


 全身が一瞬にして冷たくなるのを感じた。それでも必死にモカちゃんへしがみ付いた。その頬を強く抱き寄せた。


「また、」


 離れてゆく指を手繰り寄せるように、何度も胸元へ引き寄せて、


「い、一緒に、」


 王から彼女を取り戻すように、


「家族になりたいよ」


 赤く濡れる胸の前にその指を引き寄せた。


「……覚えてる?」


 私は口ずさむ。理由は分からない。何故か涙と一緒に零れていた。




「私たちが出会った日のこと。赤い夕日に名付けた貴女の名前。貴女がくれた、茶色い、たった一つの、」


 それが精いっぱいだった。


「……家族の匂い」


 それは何所か遠くの家族の出会い。私がいつか体験する貴重な出会い。私の記憶の奥底に眠るもの。――全てはそこまでだった。……私の意識は、……空へと落ちた。





【????年。ブラックダド】




 後に聖女と呼ばれる子供の声に、私は聞き入っていた。

 振り上げていた腕を下ろしていく。母の想いが込められた叫びを聞いていた。

 玉座の前、幾億の子から敬われることを望んだ。しかし、私のこの胸の内へ飛び込んできたのは3人だけ。

 私が今まで守ってきた幾億のモノ、起こした戦争で失った幾千の親子の影をこの二人の姿に重ねていた。今までの戦いの日々が、闘ってきた多くの家族の影が心へ虚ろに蘇る。

 雫が地面へ落ちていた。それは誰のものであったのだろうか。

 真紅の狩人の瞳が、涙を湛え聖女を少年の姿を見ている。己の掛けた戒めが解けるのを感じた。


 己が剣から問いかけがある。


【今、1番強イチカラヲ感ジマシタ】


 あの日、3人の子供たちを家族にした日。私の力となった最強の力、皇器『王留』。

 家族と共に望んだ星の下、“唯一で絶対の家族”という概念を礎に、全人類の幸せを望んだ自分の元へやって来た、彼の声が聞こえる。


「……私以上かい?」


【イエス】


 王留は強い想いを持つ者の力となる。その想いに比例し、猛き刃に身を変える。1番強い人間に1番強い力を与える。


「それは誰、なのかな」


【……誰デモアリマセン】


 王留はより強い、大きな意識へ惹かれる。彼は今の今まで、“世界を1つの家族にしよう”とした私へついてきてくれた。

 力たる彼、王留が私以上に選んだモノ、想いとは何だったのだろうか。

 ……彼は教えてくれた。


【ソレハ、1組ノ親子ノ絆デス】


 ……今、コノ瞬間ニオイテハ純粋デ1番強イ想イデス。


 王留が話したものは、自分が1番初めに望んだものだった。マァサを宿すため、妻と一緒に望んだ想い。そしてそれは、今の私からは1番遠い考えだった。

 私以上の想いを視たとき、王留は私を見放す。それが王留の存在の仕方。


「……力を失う、か。それでも、私はお前の力を借りたい。後少しだけでいい」


 私の懇願に王留は応えた。


【……イエス】


 ――有難かった。

 王留を宿した剣を拾い、壊れた四肢の少女と剣を交える。何度も弾き飛ばす。利き腕は完全に壊れているのに、彼女はまだ立ち向かってきた。彼女、真紅の狩人が時間を止めてくる。

 しかしこの王留は子供以外の時間を止める狩人の武器にも勝る。何ものからも干渉を受けず、子供だけでは無い、全ての時を数秒ではあるが止める事が可能なのだ。

 王留の柄を振る。その金の輝きにて全ての時間を止め返す。この金色の剣が彼女の力の源、髪に映える犬耳を斬り裂く。

 ――少女の最期。この凶器を振り下ろす一瞬。1つの死をもたらす直前に私は見た。彼女の頭部、耳の後ろに見つけてしまった。




 ――三日月型の痣を。……自分の本当の娘が産まれた時に彼女が負ったものを。それによく似た傷跡を。

 真紅の狩人、その瞳を重ねた剣の間に覗きこんだ。――娘と同じ琥珀の瞳。髪はそう、――娘と同じ茶の癖っ毛。




 体を熱いものが満たしていく。胸が焼き切れるほど熱い感情が、心を蝕んでいく。


「……私は忘れていたのだろうか……。全て、……全てを忘れていたのだろうか。私は! お前を私は、私は今も! 今だって!」


 心の中を狂う程の怒りが奔る。過去を捨て、感情を制御して、愛しい今の時間を手にしたのに。その全てを捨ててでも欲しいものが目の前には在った。眼前の敵、その瞳の中に我が子の痕を、親にしか気が付かないであろう、眼球の小さな赤いシミまで見つけてしまった。


「……何も、」


 瞳が得体の知れない涙に溢れた。止めた時間の中、涙ばかりが私を覆う。


「何も見えないよ。……全てが霞んで見える」


 もうこの子は斬れなかった。私の心は、恨みや野望以上の圧倒的幸福感に満たされた。全てを憎んだ。全てを手にしようとした。けれどそれ以上に、




 私は……我が子を想った。


 ……王留がこの身を離れるのが分かる。

 視界が感情の汗に覆われる。心は愛しさの海に埋もれてしまっていた。


 私は思い出していた。海岸で水をすくってはしゃぐ妻のあどけない横顔を。






 生まれてくる子の名前を私へ問いかける、彼女の笑みを……。





【????年。柊モカ】




 剣を交わした先でダドと呼ばれた男性が立ち尽していた。顔を俯かせ肩を震わせていた。彼の変化と同時にボクにも変化が起こっていた。


【新タナマスター、柊真紅。御身ニ全テヲ救ウチカラヲ】


 謎の力がボクのフリーシーを再生する。この体を覆っていく。一瞬ののち、体は金と黒の鎧で覆われていた。ゲイボルグが金色の2刀に代わる。


 ――けれど、この体はもう動かなかった。あまりの悔しさに吐瀉した。唇を胃液が伝う。涙が溢れる。

 俯き身を震わせる男、ダドが何もかもを無防備にする今、この今しか勝機が無いのにこの体が動かない。何度叱咤しても剣を掴むための指が開かない!




 ――この身体を撫でるものがあった。


「ぶ、……ぶっち」


 それは小柄な彼の温かな舌だった。


「……みぃちゃん」


 反対側から三毛の彼女がトゲトゲした体毛で身を寄せる。


「みんなああ!」


 長い距離を超えみんながボクにエールを送ってくれた。犬、猫、人間、その48の瞳がボクを見ていた。

 見上げると、いっかの腕がボクの頭を掴んでいた。


「お前は休んでいろ」


 その背を止めた。手を掴み懸命に彼を抑えた。


「……どうした?」


 眼前の王にいっかは勝てない。


「……いつもそうでしゅ。かっこいいところばかりいっかが持ってくでしゅ」


 笑って本音を誤魔化した。

 いっかの身体は動かない。武器も無い。王の彼との力の差は絶対。けれどボクには力がある。何故か彼は、ボクにだけその力をふるわない。だからボクなら彼を倒すことが出来る。いっかを見上げた。


「ボクだって、」


 この声にいっかが振り返る。ボクは懸命に彼に笑いかけた。


「好きな男の子に、」


 まじまじと見つめる彼をまっすぐ見据えて、ボクは精一杯、1番元気な顔を見せつけた。最高級の笑顔を彼に贈った。


「……かっこいいところ見せたいんだよ?」


 いっかの顔が真っ赤になった。




 ――ボクに、1歩を踏み出す、力が出来た。


「……」


 動きを止めるダド。その瞳は目の前、立ち向かうボクへと向けられている。


 何故だろう。その眼差しが虚ろにもどこか優しく感じられた。


 何故だろう、その腕はボクが近づくのを待っているように思えた。


 永遠にも感じられる一瞬の後、ダドは壁から装飾の剣を取り、礼節ある姿勢を見せた。王たる威厳を示すように。


 その瞳は、……何故だろう。とても穏やかに、ボクの目を見つめていた。


「モカお姉ちゃん!」


 由香ちゃんが叫ぶ。


「モカ!」


 いっかが後ろで叫ぶ。その顔を彼のテレた表情をもう1度見たい。


 ……そして、


「っ、……れっ」


 後方から彼女の声を聞いた。あの人が、ボクに、『頑張れ!』と言った。なぅはまだ助かる!


 金色の2刀を引き抜き駆けた。理屈じゃない、体が動いた。ボクは子供だけが歩める灰色の空間を駆け抜けた。


 時間にしてコンマ1秒。思い出したのは、なぅと交わした笑顔の記憶。いっかと交わした掛け替えの無い日々。夕陽に煌めく小さな、小さなカレーのルー。いっぱい、沢山の大事な思い出。


 ボクの前、優しく微笑む王が居た。視線を逸らさずボクは剣を交わす。

 王が大きな瞳に、本当に大粒の涙を見せた。

 迷わなかった。瞳を伏せず王を見据えた。重ねた刃で全てを断ち切る。

 灰色、フリーシーが創る子供の世界で、ボクの長剣が父の名を冠した王を、その鎧ごと十字に斬り裂い、……た。




 眼前から後方へと倒れていく。ボクを見ていた瞳が閉じていく。倒れ伏す彼の口が最後、




 ……ボクを呼んだような気がした。


 ――マァサ、……と。





【????年。柊なゆた】




 倒れたダドさんを前に、王の間が激しく揺らいだ。激しい争いの過程なのか、主たる彼の死に呼応するように建物が悲鳴を上げている。この世界の最期を、私は目で、耳で強く感じた。


「なゆた行くぞ!」


「なぅ! は、早くでしゅ!」


 もう動くことも困難な2人が私へ、その傷だらけ、折れ膨れ上がった片腕を伸ばした。


 私の目には、男性、ダドと呼ばれた彼の笑みが今でも強く鮮明に焼きついている。

 多くの人々を殺した人なのかも知れない。けれど、彼の生き方は守るべき人々を救う為の行動は、……無条件に悪い、そうは思えなかった。


 どうしてだろう。モカちゃんの行為を受け止めるように、彼女を見つめた彼の笑みに、私は自分が感じたものと同じ匂いを感じていた。


 家族、子犬子猫のみんなが、モカちゃんを、いっくんを、由香ちゃんをその背に乗せて待っている。ダドさんを、人一人を救う余裕、外に運び出す手段はもう、……ありえなかった。


 ……一際大きな瓦解音が響く。私の腕がいっくんに強く引かれる。駆け出す子犬達。




 ――それと入れ違いになるように、崩れ落ちる屋内へ静かに歩を進める姿が瞳を過ぎった。


「ゆ、雪さんっ!」


 私の手が届かない。崩れ落ちた岩盤がすれ違う彼女と私を遮る。夢中で伸ばした手の先、止められモカちゃんに抑えつけられた身体の向こうに、彼女、雪さんの笑顔が、ダドさんを慈しむように見守る女性の姿が在る。手が届かない! モカちゃんが邪魔をする。


「雪さ~~〜〜〜〜〜ん!!」


 私の声に気が付いたの?

 崩壊する建物の奥で、雪さんが親指を立てていたように思えた。最後のお別れをするかのように土埃の中、機械の屑の中から、


 ……その腕を私に向かって振っていたように、口がサヨナラを奏でていたように、


『……またね、なゆ。』


 嫌なのに、嫌なのに、……私にはハッキリ見えた。





【????年。レッドボーイ】



「……辿り付けたよ。やっと、」


 父を前に赤き息子たる僕が居る。四肢の2つを失いながらも辿り着いた。


「……あ、あんたもここに来たの?」


 ガールも居た。驚いた。というか呆れた。


「お前、見逃されたのか? あのデカブツに」


 ガールは言う。


「……壊されちゃった。」


「何を?」


 ガールが肩を落として言った。


「ライセン。全部の弾。跡形も無く」


 あの男は75方位からガールを襲う、その全てを捨て身で壊したと言う。そう語るガールがいつものようにあざけ笑った。


「……死ぬ『自由』すら壊された、……か。」


「あんた上手いこと言うわね」


 二人で泣いた。悔しくて、でも何故か満たされた気がして。

 いつの間にか、父の前にもう1人、誰よりも近い場所にマムが居る。


 僕たちは3人、いつかのように笑みを交わした。父を起こさないように、……そっと、そっと。

 穏やかに眠る父へ、自分の汚れた顔を見せないようにマムとガールへ目くばせる。


『――パパ、お誕生日おめでとう!』


 皆で言う。それは、例年行う記念日と同じ。僕たちは3人、4つの腕を掲げる。


 家族みんなで彼の目覚めを待った。

 土砂崩れ煙る中、いつかまた来る夜明けを、仄かに胸の奥――僕は信じた。





【????年。柊なゆた】




 戦いを終え、時間にして数十分が過ぎた。遠く城を望む地で私は吐いた。苦しくて、どうしようもなく悔しくて。溢れるものが抑えられない。


 ――大事な人が、雪という存在が助けられなかった。

 モカちゃんに有り合せの衣服を破いて傷口を塞いでもらう。地に伏せた足が血に、零れ落ちた涙に染まった。身体の痛み以上に心がつらかった。


 そこに、――何故だろう。場違いな感溢れる排気音が、賑やかさを振り撒くような聞き覚えのある笑い声が、静かに、でも徐々に大きく聞こえてきた。


「……っと、皆さん無事でしたかっ!」


「「サトウさんっ!!」」「何故お前が!」


 皆が叫んだ。連続する理解及ばぬ出来事と涙で、望む姿が正しく判別出来ない。それでも縋りついた。一縷の希望を望んでしまった。

 ばうばう、にゃーにゃー。家族の声を全て受け止めサトウさんは笑った。


「お疲れ様です皆さん。わ、ワタクシですか? ワタクシは……」


 サトウさんの長身の背後、船の中から、2人、疲れきった男性とため息を吐く女性の影が現れる。それは、いつもサトウさんと共に居た人。彼女を中心に微笑んでいた2人。


「なゆたさんの時代、貴女の御自宅付近で寝ていたところを僕たちが見つけたんです。お腹が空いて動けないとか、なんだかんだ言って、かなり困らせられました」


 皆を代表して言葉を紡ぐ。未だ理解が追い付かない。


「だ、だって存在の石を由香ちゃんに手渡して……」


 サトウさんが声高らかに笑い出す。何も知らないんですか? そうあざ笑うように身を仰け反らせて。


「ワタクシの別の次元のワタクシ、彼女が石を持ち続けていてくれたから。……実はワタクシ大丈夫だったんですよね!」


 胸を反らせ馬鹿みたいに。それは、




1つ、たった1つの希望だった。何も残らないこの世界に在った、1粒の輝きみたいに思えた。


「……あはは」


 初めてだった。


「あははははっ!」


 戦いを終えて初めて、


「凄いね! サトウさんらしいねっ!」


 初めて嬉しくなった。体を血だらけにしてしまったけど、それでも有難かった。最後、ここにだけは確かな希望が在ったように思えた。


 私の頬をあり得ない程の涙が伝った。私には人一人の命が、……何よりも嬉しかった!





【????年。柊なゆた】




 時空を超えて船は飛び行く。旅路の途中でサトウさんは由香ちゃんを彼女の母親の所へ連れて帰った。

 皆がお互いの傷を癒し衣服を着替え終えた頃。陽の光射す中、別れ際に由香ちゃんが私たちへ語ったセリフがある。


「由香ね。お母さんに会いに行く。元気な姿を確かめてくる。そして、そしてね。

 これから大事な誰かを助けなきゃいけないの。そんな気がするの。会わなきゃいけない人が居る。そんな気がするの!」


 由香ちゃんは振り返らない。その強い意志をもった瞳が、私の中の誰かとダブって見えた。何故かは分からない。誰かの覆面の下に、彼女と同じものを感じた。


 ――次元を越えた地、風に揺れる草原の一画で由香ちゃんはお母さんと再会を果たした。2人は強く抱き合っていた。その2人の後ろ姿を眺めるサトウさんの瞳が濡れていたのは何故なのだろうか。その瞳が優しかったのは何故なのだろうか。

 私たちの視線を避けるよう、サトウさんが船の奥に隠れている。その口から幾つもの嗚咽が聞こえたけれど、……私は聞こえなかった事にしてあげた。





【????年。柊なゆた】




 由香ちゃんを下ろした大地、その差し迫る夕暮れの中で移ろいゆく空を眺めていた。流れゆく雲を横に、この長い一日を振り返る。それは幾千の想いと、一切の虚無が混ざり合うような、不思議な気持ち。笑顔で、知らず流す涙のような。……この顔は、例えのそのままだった。


「これからこの世界は、どうなるの、かな?」


 私の声に背を合わせたサトウさんが答える。


「この世界は1度終わらせなければなりません」


 彼女は言った。繰り返し、弄られた時間軸を、1度、元の姿に戻さないといけない、と。それは、


「導きの園に遺された機能を用い、なゆたさんとモカさんの出逢い以前から全ての世界を、時間の流れを組み直さなければいけません」


 私とモカちゃんの別れを、


「全ての記憶は、思い出は、出来事は、……失くさなければなりません」


 ――永遠のサヨナラを意味した。


 私は、1つの疑問を口にする。




「貴女はお母さん?」


 その問いに……サトウさんは、少しだけ微笑んだ。





【????年。柊モカ】




 なぅ達を残し船の外へいっかを連れだした。

 時間はありふれた流れにして丑三つ。星が流れる。


 連れ出したのはいい。けれど目のやり場に困ってしまった。決意を前に彼を見据えるのが恐くなった。


 ……意を決し口を開いた。


「……い、いっか」


 開いたはいい。けれど続ける言葉が継げなくてどうでも良いことを口走ってしまった。


「いっかが新聞屋さんと交わした約束って、……結局なんだったんでしゅか」


 頭をかきまわす。こんな話ではないのだ。


「そ、そうじゃなくてでしゅね、……いっか」


 見上げた。高い位置、空と交わるような彼の顔を振り仰ぐ。


「いっか。ぼ、ボク、いっかのこと……」


 瞳を閉じて、震える声を吐き出した。もう逃げない!


「す、好きでしゅ」


 止まらなかった。震えながらも夢中で声を吐き出した。積み重ねた想いは抑え切れなかった。


「さよならするのにごめんなしゃい。けど、けど一言、いっかに……」


 彼はボクの言葉を遮り言った。外を眺め淡々と口にする。


「……俺に勝てたら」


 空に映る星々の欠片を眺めながら、


「創り直した世界で、新しい俺たちの世界で、俺に勝てたら」


 ボクに微笑んだ。


「……考えてやってもいい」


 そして照れくさそうに言葉を繋いで、


「さっきの質問だがな。アイツが言うには」


 その瞳の中にボクの目を映して、


「……独りの戦士」


 ボクのちっさい頭を、くしゃりと撫でた。


「ちびの力に成って欲しい。支えてやって欲しい。だそうだ」


 そして、最後は造ることない、満月のような笑みでボクを見た。


「今更、だな」


 彼は空が割れる程はっきりとした笑顔でボクを見た。この頭を再び強く掻き回す。


 その腕の中、ボクは泣いてしまった。我慢出来なくて、届いたのが本当に嬉しくて。

 別れ際、広い、広い涙のシミを彼の腕に残してしまった。





【★2015年★ 柊なゆた】




 繰り返されるサヨナラの中、私はモカちゃんへ手渡した。

 1冊の本。……絵本に成りたくて成れなかった私の記録、1冊の絵日記を。

 そして伝えた。


「これ、私たちが出逢った確かな意味だから、柊なゆたが、柊モカを拾ったっていう証だから。……モカちゃん。貴女だけでも覚えていてよ。お願いだよっ!」


 離れていく腕と腕、交し合った笑顔の先で、私の時間から一隻の船が離れていく。その窓から覗く笑顔を、私は、


 ……いつまでも、遠くどこまでも見つめ続けた。夏の匂い感じ始める闇夜の中を夢中になって、視界の先のモカちゃんを、彼女との思い出を自分の中から失ってしまわないように、真実が虚構に成り下がって仕舞わないように抗って、抗い続けて。




 ――そして数分後。いっくんが家へと帰り、夜空を駆ける1粒の星を独り眺めていた時。


「あ、あれれ? だよ」


 私は、……何か、……何か大事なものを無くした気がした。

 何かは分からない。だけど、


「あれれ? あれれ? 何で、何でかな?」


 とても、とても大事なものを無くした気がして、夢中で夜空の下を探し続けた。“冬”の香りがまだ残る風の中を、私は躓いて、転びそうになって、それでも求め走り続けた。


 とても穏やかで、愛しい日々。誰のものかも分からない、笑顔と涙の記憶が私の中を駆け巡る。頬を幾筋もの涙が伝った。記憶も、自分の行為も私には理解出来ない。


「苦しいよっ。……ちゃん、私苦しいよ! 分かんないよおおぉ!!」


 いつしか辿り着いた街のゴミ捨て場で、何度も、何度もその塀を、金網を叩いて言葉を吐いた。夜が明けようとする中、何も無いそのゴミ捨て場で、そこに何も無い事に、


 ――私は涙した。地に突っ伏し子供のように泣きじゃくる。怪我もしていないのに何故か、身体中がとても痛い。――痛くて涙が止まらなかった。



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