桜壱貫。
【2015年、春。柊なゆた】
見下ろした校庭には以前目にした蟻型兵器が10数体。
その巨大な十数の個体が奏でる音は鬱陶しい以外の何ものでもなかった。そしてこの光景はある意味滑稽。何しろこの現代日本の1高校に巨大な蟻が群れを成して攻め入っているのだから。馬鹿げた事態に、もはや笑えてくる始末なのだ。
一面灰色、固定された空間の中で、黒板に描かれた達筆な日本語、担任の先生の自己紹介文を凝視することなく、のたくり蠢く巨大兵器の群れをクラスメイトと共に眺めている。
世界は以前と同様に色が亡くなった世界。動いているのはクラスメイトと蟻んこロボットの軍勢、
「真紅の狩人。今回はワタクシ達のお話、是非とも聞いていただきますよ!」
中心にある赤い角の付いた1体に乗り込むサトウさんである。そしてその全てを統べるように、3階教室のベランダ外枠に立つ柊モカが居る。
……サトウさん無事で良かったぁ。
なんてことを今更ながらに私は思う。
視線を前に戻すと、クラスメイトの1人が先ほどまで生徒に語りかけていた教師、その眼前、丸眼鏡の上から手を翳し反応を確かめている。初老の教師は瞬き1つ行っていない。灰色の世界、その一部と為っているのだろうか。
「いいかげんにするでしゅ! 話も何も、巨大な蟻さんをこんなにぞろぞろ連れてきて説得力無いじゃないでしゅか!」
まったくである。私も頷く。
「し、しかしですね……、」
「問答無用でしゅ。行きましゅよ、ふぃーしぃ!」
【Yes,master!】
サトウさんの戸惑いに耳を貸すことなく、モカちゃんの宣言とその剣の柄、フリーシーの声が鳴り響く。ざわざわと校内が騒めいている。
「何これ?」「特撮番組の収録?」「あ、あの子ってモカちゃんなのかな?」「あのおっさん誰だ?」
ともかく色々な憶測が雑音となって飛び交っている。
視線を窓際に移す。
モカちゃんは3階のベランダであっても危なげなく立っていた。頭部にある赤いリボンはゆったりと宙を泳ぎ、その隣には犬耳が切り立つようにそびえている。
一瞬後、その身体は僅かに瞬き戦闘態勢を整えた。
白銀のシンプルコンパクトな胸当て、真っ赤な篭手、右手に構えた一振りの蒼く輝く刀身。
「今日は普通の、ただの高校の入学式だったはず。……なんだけどなぁ」
私の声は誰に届くでもなく風へと溶けた。その流れる先には大気にたなびく犬耳がある。凛々しい瞳が戦う意志を鮮明に表わしていた。
……そもそもどうしてこんなことなったのだろう?
首を捻って考える。意識を少しだけ巻き戻してみた。
※※※
「――……皆さん、この度はこの桜坂西高校にご入学おめでとう御座います。私たちはあなた方新一年生の参入を心から歓迎しています! ……――」
午前9時きっかり。会場となった高校敷地内の体育館で、人一人分高い壇上から生徒会長が白い歯を光らせている。
「先達のあの青白いツラはこの桜壱貫、『柊なゆた花嫁計画』の一抹の脅威ではなかろうか……?」
「へ。な、何のこと?」
モカちゃんと出会って2日後の今日。高校生活の第一業務たる入学式がやってきた。
シン、と静まり返った独特の雰囲気に緊張していた私。そんな私には彼、幼馴染の桜壱貫の戯言を正しく認識する力さえあやふやだったのだ。膝が知らずと震えてしまうのだ。
幼馴染の彼とは反対方向、顔の左側から可憐な声音が耳を擽る。
「なぅ。こゆ時は手に《犬》って書いて飲むといいでしゅよ」
「う、うん。い、犬だね。」
一、二、三、四……。震える身体を抑えつけ、私は右手人差し指で左手のひらに《犬》を書く。手を翳し、口を覆った。……飲み込む。
「って、なんで犬かなぁ」
小声で唸った私に、モカちゃんがふわりと微笑みかけた。私の目の前、抗議のために構えた左手30センチ以内にはモカちゃんの薄紅色の頬がある。
……整った顔立ちに長いまつ毛、小さな鼻、淡いピンクの唇。
緊張に身を硬くしていた現状を忘れ、思わずぼぅーっと見惚れてしまった。やっぱり何度見ても彼女、犬耳のモカちゃんは抜群に可愛かった。
入学式が始まる前、登校の最中から、延長線上にある己を貫いて襲い掛かる視線、遠目からちらちらと遠慮深くそれでも離れることの無い視線を、私は彼女越しに幾度も味わっていた。先ほどまで緊張でそれどころではなかったのだけど、一旦、緊張の枷から離れるとその視線は否応なしに感じられてしまう。
小声で制服の乱れを払っている彼に話しかけてみる。
「も、もしかして。モカちゃんにみんな、み~~んな注目かなぁ」
『情けない』そう言わんばかりに大きく一息。腕を組み替え彼は答えた。ハの字に開いた勇ましい股下はどことなく凝視し辛い。
「そうらしいな。こんな小娘の何処がいいのだか……。俺には理解出来んがな」
憎々しげに鼻を鳴らして言いのけた。
実はモカちゃんと彼の出会いにはちょっとした逸話がある。
先日、彼、『いっくん』に買い物を付き合ってもらった時のことだ。
私の私服を選ぶ際、お互いにどこか交わらぬ空気を感じ取ったのだろうか? 初対面の2人は互いを牽制しつつ、モカちゃんは緑のキャミソールを、いっくんはピンクのカットソーを推してくれた。私は悩んだ末に二人に決定を委ねたのだが、それがよくなかったのかもしれない。2人は各々の主張をしきりに訴え、しまいには口論に発展。それでも決着が付かず、今度は路上での取っ組み合いが始まった。
お互い大した怪我も無く終わったのだが、焦点となった2つの衣類はぼろ布と成り果て、野次馬が群がる中、私以下2名、当然ながら店から来店拒否を仰せつかったのである。
そう。この2人は、お互い第一印象から最悪だったのだ。
頭を抱える私の隣で不意に手を打ち鳴らす音が聞こえた。
しばらく押し黙っていた彼が一転、世界の不思議驚異の大発見と云わんばかりに膝を叩いている。
「そうか。こやつ魔法を掛けたのだな! 己の魅力の無さに業を煮やしたのだ。
飄々とした現状から時を窺い、満を期してその耳に秘めた魅了の魔法を解き放ったのだ。それは下々を己の虜にさせ、後々の世で反逆の牙を向くのであろう。
ということはあの耳は肉食獣のそれに違いない」
意気揚揚、愉快愉快と声を上げるいっくんの肩を教師の1人が気付いて注意を促した。のだけれど、
「エウレカ、エウレカっ(分かった、分かったぞっ)!」
興奮を露わにする彼、その大柄な体躯を止めることは彼の教師には出来なかったようだ。視線を左右に移ろわせ、己を援護してもらえる同僚を探している。
「はあぁぁぁ。……だよ」
私は長く息を吐き出し視線を移した。壇上、御高説を宣う教頭先生の煌く前頭部をしんみりと眺めてみる。
うん。ちょっと、……眩しい。
※※※
「名は桜壱貫。憧れるは日本一の男児、志麻健三郎。己が成るは世界一の漢なり。将来は柊なゆたを幸せにする。それが本懐と云えば本懐。以上!」
入学式を終えて、教室ごとのホームルームが始まった。前述は出席番号11番、桜壱貫のものである。彼の自己紹介にクラスメイトの表情が幾分和らいだようだ。私の周りでも、その逸脱した物言いに便乗するかのように女の子同士の挨拶会が密やかに行われていたりする。いっくんの前後左右では友情を育む握手が行われていたりもする。
そして、――佐藤邦弘。竹内由美。田中正宗。と休み無く続き、ついに『柊なゆた』の番が来てしまった。
先ほどの発言と場の穏やかな空気のおかげで、私には先ほどまでの緊張は存在しない。あの《犬》のおまじないが効いたのかも? なんて考えた。
「柊なゆたです。う~ん、趣味は読書かな? 運動も大好き! 動物も大大だ~い好きっ!! 皆さん、不束者ですが今年1年柊なゆたを宜しく!
ちなみに、いっくんは私の幼馴染で在って、旦那様ではないのです。以上!」
クラス内が笑いで満ちた。額を押さえる彼、『いっくん』のあだ名で呼ばれた桜壱貫が前後の席の友人から弄られている。しかし、柊なゆたの物言いなんて物ともせず、跳ね除けるのが桜壱貫が幼い頃から桜壱貫である所以なのだと思う。
「異議有りだ」
叫んで彼は立ち上がり、
「なゆた、今日の帰りに苺堂のダイナマイトミックスパフェDXでどうだ?」
指を2本、人差し指、中指の順で立ち上げる。それは勝利のサインでは無く、
『パフェ、2つまでなら出そう。だから、少しは考えてくれ』
そういう意味合いではなかろうか。
私は彼の方向に指を1本、人差し指を立ててみる。
『1つでいいよ』では無く。
『なら、こうしよう』という譲歩の意である。
「じゃあ、いっくんは幼馴染その1から彼氏さん候補その1に昇格してあげる! パフェ、忘れちゃ駄目だよ?
皆さんこんなお馬鹿な私ですけど仲良くしてやってください! 今度こそ、いじょう!」
椅子を蹴りあげ、いっくんは左手で力瘤を作った。前後左右の友人から身体中を叩かれている。そして対象となった私にも盛大な拍手が送られた。それはそれで恥ずかしかったり、なのだ。
そして、――お次はこの人。皆の視線を一身に受けての起立である。
柊モカちゃん。私の姓を借り束の間の転入手続きを経て、入学。指定の制服に身を包み、小さくも整った容姿、頭上にたなびく赤茶の犬耳を引っさげての出陣だ。
「柊モカでしゅ。趣味は読書と練武。今年一年宜しくでしゅ。
ちなみに、なぅは『いっか』のじゃないでしゅよ。ボクのでしゅからね」
出陣して早々、犬耳の騎士が雄雄しき巨漢に挑みかかった。ちなみに『いっか』とはもちろん、
「なゆたの手前、今まで事を荒げるつもりは無かったが、よくぞ言った。この場でケリをつけてやろう」
彼、桜壱貫、通称『いっくん』のことである。いっくんは喧嘩上等といった様子で、席を立ち視線だけを斜め後方の犬耳少女に定めている。
教室内の空気が固まっていくのを感じた。皆が、事なきことを、か弱い少女の無事を祈っているようだった。
いっくん、砲門、添え足の向きを四十五度左後方へ滑るように傾ける。……女子供に遠慮が無い、それも彼らしいところであったのかもしれない。
な、……なんでこうなっちゃうのかなぁ。
嘆息が喉の深いところから漏れる。
……私は思うのだ。いっくん、モカちゃん、この2人と出会ってから、私の周りに平穏な時が訪れた試しは無いんじゃないか? って。
静まり返った室内へ担任の高藤先生の声が分け入った。
「モカさん。決着は2人で決めるとして、だよ。本校では付け耳というものは認められていないんだ。もし、特別な理由があるなら聞かせてもらえないかい」
いっくんの視線に脅えるでなくモカちゃんは顔を教室前方、教卓の高藤先生へと立ち向けた。
恐怖ではなく、未練に似た眼差し。その、色香さえかもし出す視線に皆が、そして私も、――彼女の創る空間へ同化をしていくようだった。
「これは」
一息。モカちゃんは淡い意志を吐き出した。
「この犬耳はボクのお母さんの、たった一つの、……形見なんでしゅ」
その姿は儚くて。守ってあげたくて。それには何をどうすればいいのだろうって。どうしてあげればこの子は笑ってくれるのだろうか? って。
先ほどの馬鹿な立会いも忘れて、私はモカちゃんのことを想った。
その刹那、モノクロームのフレームが私の脳、海馬の底に映し出される。
《――ね、まあ……。――》
ほの暖かなノイズが駆ける。ざらっとしていて、それでいて懐かしさを覚えるような。
「――おい、あれ何だよ?!」「誰だ、あのおっさん?」「ろ、ロボット? な、なんで!」
意識を戻すと、教室内、そして他の教室からもざわめきが溢れている。ぼやけた意識から我に返った私の眼差しの先には……、
「――真紅の狩人。いらっしゃいますかぁ? いらっしゃいましたら、当方サトウタカシまで至急ご連絡を頂きたく――」
覆面の男性とそれに連なる正体不明、実態不明なヒトの群れが居たのだ。そしてその人数と同じ数の巨大蟻んこ兵器が在る。
モカちゃんを振り返ると、その頭部にある第2の耳が吠えるように逆立っていて。
「ふぃーしぃ。行くでしゅよ。りみっと20」
【Yes,master! Limit20,afterburst!】
空から届くフリーシーの声で世界は反転。お日様を浴びていた現代日本は鈍色の空間へと移り変わった。真紅の狩人の一狩猟場と為ったのだ。
開いた窓枠に飛び移るモカちゃん。そこには儚い、寂しげな少女はもう居ない。灰色の世界に燦然と輝く凛々しい戦士の表情が在ったのだ。
※※※
――そういう過程を経てこうなったのである。
大気をモカちゃんの赤色が駆け抜ける。彼女を止めるべく巨大な蟻の群れが空間に蜘蛛の巣状の巨大な網を組む。その網の数、校庭、いや冷めた空間の中に幾数、単位は瞬く間に十を超え数百。
そのところ狭しと張り巡らされた鋼の網を掻い潜り鋭角に奔るモカちゃん。3次元を弐、いや壱の次元で踏破する。
サトウさんが部下に何かを命じている。コクピット上から長い手を振って部下の方たちとコンタクトを取っているようだ。しかしモカちゃんの勢いは止まらない。空を駆けながら1つ、逆手の剣で蟻型兵器に蒼い線を引いていた。
瞬間的に機械が爆ぜる。爆風にモカちゃんの髪がたなびく。赤き残像を残すように動き、彼女は再び剣を振るう。
金属を裂く鋭い破砕音。膨れ弾ける白煙は彼女を僅か、コンマ数秒の間だけ押し隠す。モカちゃんが消えた先には3度目の爆発。
皆が見守る中、――そこに日常が紛れ込んだ。戦場に相応しいとは思えない学業を学ぶ為の制服がその裾を爆風に煽られている。
「……小娘。如何な魔法を使ったかは知らんが、この際それは目を瞑ろう」
いっくんが戦場に姿を現したのだ。この非日常に、目の前の黒い爆発に臆することなく、ゆったりと歩を詰めていく。私は固まってしまった。なんでいっくんが? いつの間に外へ? 理解が追い付かない。
教室の扉を叩きつけるよう開け放つ。夢中で走る。途中何度か転びそうになりながらも2階、更に1階へと駆け下りた。昇降口で靴の先へ半端に足を通し、その先を急ぐ。
汗が浮かび流れていくのを感じた。勢いを以って走り抜けた先、鉄臭い煙が渦巻く校庭へ私は辿り着いた。
「――……れ以上にだ。俺の学び舎に危害を加える輩を許す気は無い」
「や、止めてよいっくん! 怪我じゃ済まないよっ! 死んじゃうかもなんだよ!」
目の前には蟻型兵器へ語りかけるいっくんの姿。その足は着実に一歩。確かめるように前へと進んでいる。私の声にも止まってくれない。
彼は片手を振り上げる。その肩には地面を均すT字型の金属片。大柄な彼の腰程の高さもある校具を鉄の武器としと彼のロボットへ振りかぶった。
――金属同士の衝突に校具の先が吹き飛び、半ばから折れ曲がる。誤って落ちた花瓶のように、――それは崩れていく。
あり得なかった。普通の力では弾かれるのが関の山。どちらかが歪むにしろ反動で手が痺れてしまうだろう。しかし、いっくんには弾かれる反発も痺れる衝撃もなかった。無茶苦茶だと思う。
彼が鉄片を叩きつけた機体の搭乗者、この部隊を指揮するサトウさんの声が響いた。
「……貴方、なかなかやりますね。並の高校生の腕力ではない」
何かを見定めるように、サトウさんの指がいっくんの腕を指差す。
「当然だ。並ではなゆたに釣り合わん。俺は何事でも頂点を目指す。阻むものが在れば、俺自身の力で乗り越える」
人を射殺せるのではないか? と思わせるような威圧的な彼の眼差しが私の目には映った。
いっくんの不遜とも思える発言にサトウさんが頷く。もっともだ。そう蒼い瞳が物語っているようだった。
「しかし普通の人間に鋼の巨蟻、時の硬化すら阻むこの兵器を壊すことは出来ますまい。この時代の科学力では尚更です。超越した力の発現体。真紅の狩人が用いる紅狗『フリーシー』や、この、……黒熊『ブロウ』を用いるでもしませんと」
サトウさんが黒毛の耳飾り、クマのそれを懐から取り出し虚空へ掲げた。サトウさんの後方では5度目の爆発。空中ではモカちゃんの体が跳ね蒼い螺旋を描いていた。彼女を阻む壁が一振り毎に縮れ消え去る。私の視界の先に在った体育教師、肉付きの良い中年の男性が笛を吹く格好のまま灰色の世界と同化している。彼が受け持っていたであろう生徒は、いっくんを、モカちゃんを、蟻型兵器を指差し散開、騒ぎ立てている。
――皆が見守る中、いっくんは背後からの爆風にも揺らぐことなく堂々と片腕を伸ばした。
「何処の誰かは知らぬが、それを俺に寄越すがいい」
幾度目かの爆風。減ってゆく同胞の数に焦ることなくサトウさんは答えた。その腕のクマ耳は烏羽のようにシットリと輝いている。
「しかしこの力を手放すこと。それはワタクシ達としても色々とマズイわけです。どうしても、というなら条件が御座います」
機体を飛び降りたサトウさんが直立不動の彼に体を向き合わせ、さりげなくその耳に口を寄せる。サトウさんの目はちらちらと空を駆るモカちゃんへ注がれていたように思う。空では8つ目の爆発音。
「……そんなことか。気には食わんがこの際嫌とは言えんな。で、使い方は如何なものだ?」
「それはですね……」
サトウさんはこう問うた。質問に答えるでなく問いかけた。凛と響くその声は私の耳にもはっきり届いた。
「貴方、クマは好きですか?」
その問いに怪訝な顔をするいっくん。
突然目の前で“戦いの最中”に“覆面の男性”から“クマが好きか”と訊ねられたのなら、それは当然なのかもしれない。
見守る幾多の生徒の先、大幅に数を減らした蟻型兵器を見上げながら彼は逆に問いかけた。幼子のようにその瞳が輝いている。
「そのクマは、強いのか?」
その問いにサトウさんは答えない。灰色の空間の果てからだろうか? そこから目の前の黒毛の付け耳を通して、寝ぼけたような女性の声が答えていた。
【あたし? 強いわよ?】
いっくんは更に問いかける。私が見つめた幼馴染の瞳はいつになく煌いていた。
「1番か?」
質問に、遠い灰色の大気が差し迫ったようにも思えた。クマ耳は強い闇色の輝きで答える。
【当然ね】
いっくんは彼女?へ満面の笑みで応えた。一列に整った乱れの無い歯を、大気に晒して破顔した。
「なら、問われるまでも無い」
灰色の世界の奥でたゆたう黒い大気、その主は彼を認めたのだろうか。サトウさんの手から彼の手に移り激しい黒の輝きを表していく。
【あなた、名前は?】
いっくん。彼の指は空を射した。
「桜壱貫。1番の男だ」
※※※
その言葉に対抗するかのように前方では10度目の蒼き線が描かれひと際強い光が私たちを煽った。
「小娘と同等。否、それ以上の力を寄越すがいい。黒熊ブロウ」
【おーけー。一気に片付けちゃいましょ】
彼の頭に収まった付け耳はその身体と同化するように交わった。そして溶けるように黒のバンダナへと形を変える。彼の片腕に現れたのは青い石を宿す漆黒の篭手。その先から突き出、長く伸び行く鋭い鉤爪。
「部長、引いてくださいっ! っていうかなんで“漆黒の女神”をこんな少年に渡しちゃいますかねぇ」
「そうよそうよ! 部長はいつもそう! 誰彼構わず塩贈っちゃって。言っとくけど事後処理するのあたし達なんだからねぇ~!」
サトウさんの部下の方達が機体内部からスピーカー越しに口ぐちに不満を訴えている。私も頷く。私が同じ立場でもいきなり敵?に武器をあげちゃうなんてやっぱりおかしいと思う。しかもその相手が自分へ刃を向けていれば尚更だ。
大地に根付いた黒い凶器。彼、桜壱貫は視線だけを蟻の機械へと投げ掛ける。私が見つめる先にはいっくんの溢れる程の笑みが在った。
「スズキ、ヤマダ、その他諸々、強制転移っ!!」
――迸る破砕音。――沈むような炎上音。
サトウさんの声と彼が描いた黒き円舞。どちらがどれだけ速かったのか。灰色の世界を認識出来る子供達の何人が確認出来たのだろうか。
ただ、私が認めたのは虚空を描く黒い旋風、それだけ。たっぷりと墨を付けた筆で描く《し》の一文字に似た一撃。
そしてその背後を彩るモカちゃんの剣の青。その乱舞は中学で習った美術の幾何学的な構図にも、……どこか似ていたように思う。
【3,2,1,】
フリーシーのカウントと一際激しい爆風。激しい、核爆発のような瞬き。
【0.Afterburst!】
爆発の直後、世界が色を取り戻す直前に在った著名な絵画を思わせる赤い空間だけが、二人の戦士を強く照らしていた。
そして、――時は長い眠りから目を覚まし、鮮やかな色、日常という名の平穏を取り戻していく。なにもかもが平常。普通という名の別世界。
ピーーーー!
世界と共に色を付けて目を覚ました校庭。そこに笛を鳴らす音が響いた。しかし動き始めた体育教師、その合図に応える生徒はだれ一人としていなかった。私の周りを囲うよう校内、校庭、辺りを覆う全ての子供が吠えた。
「すっげぇーー!!!」「モカちゃんカッコいいっ!!」「うわっ、うぉぉぉぉ!!」
戦場を後にする2人は瞳を通わすことなく大地を闊歩する。
1人はその腕に熊の耳を巻きつけ、尊大に。
1人はその頭に犬耳を宿し、軽やかに。
「小娘。一言言っておく」
「?」
私が見つめる先で、歩を進めつつもモカちゃんは彼を振り返っていた。円らな瞳は、彼の意思を見つめるように春の陽に煌いている。
「なゆたも世界も、全てはこの俺のものだ」
いっくんの訴えに腕のクマ耳が応える。当然♪と云わんばかりにその黒き毛をピンと空へ伸ばした。
モカちゃんの第2の耳も反応する。軽やかに赤茶の綿毛を風に泳がせている。
「それは……、」
彼女は後ろに組んだ腕をそのままに、顔を傾げて微笑んだ。その淡い桃色の頬には薄くススが被せられていて、彼女がやんちゃな娘さんのように愛らしく思えたんだ。 私は校舎の入り口から走り出した多くの学生にもみくちゃにされつつも、ずっとその目を外せずに居た。
「それは、……いずれ解るでしゅよ」
彼女は高い校舎を振り返り言った。窓際で吠えるクラスメイトへ大きく何度も何度もその華奢な腕を振って。
――世界は桜の開花と共に新たな戦士を産み落とした。2つの色は赤を主体に染まるのか、黒を基調に染めるのか。交わるのか、分離するのか。私にはまだ解らない。ただ、
2人の視線はなゆた、こんな私を捉えて微笑んでくれた。幾百、幾千の人たちに埋もれる中で見失う事無く私だけを見ていてくれた。……柊なゆたに向かって微笑んでくれたんだ。
※※※
授業の終了間際、時間を司る2本の針をぼんやりと見つめてみる。この時を計る機械は兄弟機が生まれながらに持つ3本目の針を持ってはいない。その1番速く駆ける針の不在に若干苛立ちながら、私は分の針を見つめている。
「では今日の日程はこれで終わりです。明日からは各種授業があるから皆備えておくように。一同、起立」
スカートを指でいじり頭の中を整理してみる。モカちゃん、彼女は一体何者なんだろう。一体何が起こっているのだろう。そんな事をだ。
前後左右の皆が一斉に立ち上がる。横目で見やると出来たばかりの友人達が皆吐き気を抑えるかのように一点を見据えていた。
「礼」
直後、教室内に波が立った。荒れ狂う人の波は1人の少女の元へと詰め寄っていく。ショートカットの女の子。確か、浪花圭子ちゃんだったかな? 彼女が胸元で手を握り締めながら口を広げた。真紅の狩人へ果敢に声を掛けたんだ。
「も、モカちゃん。ちょっといい?」
戸惑いつつもそう口にしたのだ。
「? どうしたでしゅか?」
狩人は自分を見つめる幾多の視線に揺らぐこと無く大きな瞳をぱちくりさせる。
「さ、さっきの。あ、あれ何だったの?」
という当然の質問にも、
「あぁ、あれでしゅね」
悩むことなく、
「新聞勧誘の人でしゅ」
そう一言述べた。
友人は皆一様に、モカちゃんの答えに首を振った。頭を抱える人も何人か見受けられる。
「なら『すとぉかー』しゃんでしゅ。まったく最近のすとぉかーしゃんは春先に湧くでしゅか? タチが悪いでしゅね」
なんて云っては座席を背にモカちゃんはゆっくりと伸びをする。彼女の戦いの証拠たる赤い犬耳は、頬のススを扇ぐようにゆらゆらと揺れていた。
「なら……、」
と、浪花さん。彼女は顔の向き180度変え、教室前方の大柄な男の子へ瞳を振った。その視線に若干殺気がかったものを感じる。
「桜くん。さっきのはいったい……、」
「……あぁ、あれか」
いっくんはおもむろに持ち上げた指で鼻を擦り左右の目を指圧する。彼は浪花さんを蔑むように見つめ、
「魔法だ」
淡々とそう言い放った。
――桜壱貫、芸の道を解る男である。
いっくんの文句に言葉を失い静まり返る教室内。私の四方では、
「……魔法」「魔法?」「いや、あれは魔法というか……」「ま、魔法かぁ」
悩み悩んで頭を抱える面々。中の1人、掃除用具を仕舞う扉に頭打ち付ける粋な人物に私は好感を覚えた。彼は加藤正、16歳だ。
辺りは皆、うーうーと唸り、宛ら何かの病気に集団感染したようなあり様だ。
いっくんは春の風に腕を晒し空を眺めている。瞳を広げたその姿は今何を考えているのだろう? 私には彼の考えていることがいまいち分からない。悔しくて、うーうー、だ。
恨みを込めた視線を左右に散らす。そこでモカちゃんと目が合った。彼女は私に向かって手を大きく振った。
けど何でだろう。モカちゃんの微笑みを前にしたら、何もかもどうでも良くなってしまって……、
私も彼女に笑いかけた。
気がつくとモカちゃんと私の周りには生徒の波が起きていた。皆が悩み抜いたであろう表情の後に、それでも全てを払拭するかのように笑顔で、
「モカちゃん、私、如月優子。宜しくね」「俺は、――」「わ、私は――」
力強い握手を求めていた。
「好きな教科って何?」「食べ物、何が好き?」
女の子を中心に新たな話題で盛り上がっていた。
私は思うのだ。
みんな単純だね~! って。
奴を視界へ捉える。加藤正、16歳。場の空気を読む事無く歴史の教科書、その中の偉人の画に精巧な『肉』の文字を描いている。――流石は今季期待の新人。かーなーり、ポイントが高い。
「モカちゃん!」
私の呼びかけに皆と笑い合っていた彼女がおもむろに顔を振り上げる。
「さっきは、すごくかっこ良かったよ!」
視界一杯でクラスの皆が一様に頷いていた。モカちゃんの、慌て、そして俯き頬を染める姿に皆で爆笑した。みんなみんなが体全身を使って笑った。
皆のその笑顔は、他のどんな芸よりも心和ますものだと、有り難いものだと、笑顔の海の中で私は思ったんだ。
※※※
時は放課後。全校生徒注目の大海原を、
1人は鋭き眼と逞しい巨躯で弾き飛ばし、
1人は美麗なる面持ちと身軽な体躯で颯爽と歩み去り、
1人は朗らかな笑顔と陽気な言辞で『さよなら』を告げる。
「あやつ等は何ゆえに俺たちを見ているのだ。……大したことではなかろうに」
全く以って何だと云うのだ? そう、私の隣ではいっくんがあぐむように言っている。
「なぅ~。今日のお夕食はなんでしゅか? ボク、すっごく楽しみでしゅ!」
それを意とも解さずモカちゃんが流しかわす。
「う~ん。『さらば! 愛しき級友よ』の方がかっこ良かったかなぁ?」
私は、といえば己が脳内で描いた三者の形容について考えている。私には右脳のキャンバスに描いた文章、3人それぞれの決め台詞こそが重要だったのだ。掛けられた声をぼんやりと意識しつつも、自分が手掛けた言葉を反芻、悩んだ。
思うに、言葉や文章なんてものは個々の主張を重んじるなら絡み合う事のほうが難しいのだ。されどそんな想いを描く自分の腕とモカちゃんの腕は絡み合っている。
「……?」
文筆家の一端を志望する者として若干不思議に思いつつも昼下がりの時分、2人のしもべを伴い帰還したのである(丸)
「たっだいまぁ!」
「ただいまでしゅ!」
私とモカちゃんの叫びにナニかが答えた。
「わんわ」「にゃ~」「きゃんきゃん」「うにゃ~!」「ばうばう」「にゃ~、にゃ」「わんでしゅ」「わんわん」「貴様、畜生の分際で俺の頭の上に乗るとは、……殺されたいようだな」「わん?」
この大合唱(一部除く)は全て柊家一員のものである。
「みんなぁ、なゆちゃん今帰ったよぉ!」
私の掛け声に再び合唱。
「くっ、やめろ! 俺の足を舐めるなパブロフ! やめぬとそのふてぶてしい面をボロ雑巾の如く引き裂くぞ!」
『パブロフ』と呼ばれた犬は私の飼っているセントバーナードだ。パブロフは前足をもたげいっくんの膝をぺろぺろと舐めている。
「ぶっち! ふぃーしぃで遊んじゃ駄目でしゅ! 髪の毛カリカリしちゃ駄目でしゅよぉ!」
その反対側、『ぶっち』と呼ばれた子猫ちゃんも当然私の飼い猫。彼女はモカちゃんの頭に飛び乗りその犬耳を引っ掻いている。
「みんなぁ! 一同整列!!」
私の声に全ての犬猫、果ては外を跳ねていた小鳥までもが動きを止める。
お外の小鳥を含む全ての動物が私の声に応え、返事をしてくれる。
以前いっくんにこの様子をこう表現されたことがある。
『恰も鳥獣使い宛らだな?』
って。
『それは違うんだよ。みんなみんな、私の家族だからだよ!』
答えを返した私の頭をあやすように、いっくんがぽんぽん、としたものだから、その時の私は憤然と手を振り回して抵抗したものだ。
これらの動物は皆、(さすがに小鳥は違うけれど)私の家で飼われている柊家の一員である。私は捨てられた彼らを引き取り、飼い主が現れるまで面倒を見ているのだ。その数は家の中に可能な限り、というか絶対値は既に突破しているのだけど、私には道端で倒れゆく彼らを見過ごすことが出来ない。結果、その数を日にちに増やしていたりする。
私自身、そしてお母さんも喜んで行っていることである。
「みんな居るね。それではお散歩に行きましょうだよっ!」
私の声に家族が吠える。わんわん、にゃ~にゃ~、実にメルヘンなのだ。
改めて云うことではないけれど、私はみんなが好きだ。家族の一員、守るべき存在だと強く認識している。――それは絶対なのだと思う。
――見渡す大地は春。芽吹きの季節。
緑の草々、その絨毯に犬、猫、小鳥、モカちゃん、いっくんの姿が映えている。
黄色の花が咲きほこる川沿いに出る。着替えたばかりのピンクのワンピ姿で私は皆に招集を掛けた。
「みんな~集合っ」
緑が揺れる。子犬が、子猫が、小鳥が、……家族が一斉に駆けてくる。みんなみんなが、私に向かって。
「な、なんと! 皆さんお待ちかねの、おやつの時間なのだぁ!
わんちゃん組は、こっち。猫さん組は、こっち。あ、あれれ? キミ達もついて来たの?」
子犬組は勢い任せにガッツリ食べ始まる。子猫組も基本は同じ。しかしそのスピードは若干遅く上品とも見てとれる。
一緒について来た小鳥達は首をころころ動かして私の指示を待っている。
地面を割ってモグラの親子もやって来た。
「残った皆さんは私と分けっこさんだけど、いいかな?」
了解と云わんばかりにちゅんちゅん、ぴーぴー、ぐぐぐ、と皆が答えた。
胸に飛び込みゆく鳥の羽。子犬、子猫、幾多の抱擁。それは花と緑を撒き散らした。勢いに体が押し倒される。家族、皆の笑顔は、
……眩しすぎた。あまりにも無垢だった。
柊なゆた15歳の春。
誰がどんなことをすればこの幸せを覆すことが出来るというのだろうか?
光を纏った家族は橙色の陽を浴びて緑の中で踊っている。幾多のパートナーと私は草原を走った。息を切らせて空を見上げる。雲から顔を出した太陽が、……私達を見ていてくれた。