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第八話

お待たせしました。

更新が遅くなり、申し訳ありません。

 一日、二日、三日……。

 どこか浮かれたように指折り数える自分がいることに気づいて、そのことに驚いて、そんな自分が不愉快で。

 そんなことを考えているうちに、祭りの当日は訪れた。

 授業を終えた輝音かぐねは、荷物をまとめて早々に帰路に着く。そんな彼女に、紅刻あかときは「忘れてないよね?」と耳打ちしてきた。その動作が先日、首筋に噛みつかれたときのことを彷彿とさせて、輝音は無造作に彼をはらいのけた。それも、彼女の非力では彼を後退させることもできなかったが。

 意識、しているのだろうか。

 たかだか首に噛みつかれただけ。こんなものは、犬にされたのと同じはずだ。

 だが、その行為に引きずられて、あのときの瞳を思い出す。

 鋭く冷たい瞳と、もどかしく切ない瞳を。

 相反するこの眼差しは、紛れもなく自分への、輝音への想いを湛えていた。

 本気なのかどうか分からず測りかねていた彼の想い。しかし、迷惑だとはぐらかしていたのは、自分の方だったのだと気づかされた。

 今日の、夕方だ。

 おそらく正午には準備が整い、気の早い客はすでに参加していることだろう。それでも、妖の活動時間を考えれば、待ち合わせは日が暮れる頃合いか。

 時間を指定してこなかったのをいいことに、彼女は勝手にそう推測した。

 今日は土曜日。最近の学校は、土日祝日を休校にしているため、翔太の迎えは必要ない。しかし、輝音の通う学校に休校は存在しないため、土曜だろうが日曜だろうが授業はある。祝日にいたっては、人間の世界で定められているものであるため存在しない。

 いつものように、だらだらと翔太の家の屋根の上で時間を過ごす。時折、翔太の母親が水撒きや洗濯物を干しに、庭先に出てきた。

 空は薄暗い色から、澄み渡った青に色を変え、ぼんやりしている間に、だんだんと赤みを帯びた紫色へ変色していく。

 そんな景色を眺めていると、遠くから祭囃子の音が聞こえてきた。本格的に祭りが始まったようだ。

 そろそろ行かなければ、と立ち上がって、時間どころか待ち合わせ場所も聞いていなかったことに今さら気づく。

 あの男は自分と祭りに行く気があるのだろうか、と呆れてため息が出る。

 とにかく祭りに行けばいいのだ。目敏(めざと)いあの男のことだ。適当に歩いていれば、見つけに来るだろう。

 そこへ、一際(ひときわ強い風が吹きつけ、彼女は顔を庇った。その風に煽られた黒絹の長い髪に結わえられた鈴が、ちりん、と音を奏でる。

「輝音」

 澄んだ声が彼女の名を呼ぶ。

 顔を上げると、銀糸の髪を風に(なび)かせた純羽しろはねと、不安そうに眉を下げるよみが立っていた。

「……珍しいわね、あなたたちが山から下りてくるなんて」

 二人とも、滅多に山から下りてこない。詠はその昔、サトリの能力を利用しようとした人間に捕まり、酷い目に遭わされたことからすっかり人間不信になってしまったらしい。純羽も大の人間嫌いで、祭りなどのイベントや、たまの気まぐれ以外で山の学校から出ることはない。

 二人のただならぬ雰囲気に気圧されて、輝音は眉根を寄せる。いや、雰囲気が違うのは純羽だけで、詠はそんな彼女に釣られているだけのように見えた。

「今年のお祭りには……紅刻と二人で行くというのは、本当ですの?」

 去年のように誘って来ないことを不思議に思っていたが、彼女の含んだいい方から察するに、詠から聞いていたのだろうか。

 そんなことを考えながら、輝音は頷く。

「そうだけど……それが何?」

 彼女の心意を測りかねて訝しげな眼差しを向けていると、純羽はきゅっと唇を一瞬引き結んで、輝音を見据えた。

「単刀直入に言いますわ。その申し出、今すぐ断って下さいな」

 いつにも増して真剣な眼差しと凛とした声が輝音を射抜く。銀色の髪は夕焼けに透けて輝き、彼女の美貌をさらに美しく引き立てていた。

 そんな彼女の美しさに息を呑みつつも、輝音は否定の言葉を紡ぐ。

「あなたがどういうつもりで言っているのか知らないけれど、それはできないわ」

「……輝音ちゃんは、紅刻くんに脅されているのです」

 純羽の横に立つ詠が、輝音の答えを補足してくれる。

 そう、これは取り引きだ。

 自分を襲った不良兄弟の命を見逃す代わりに、今年の夏祭りに一緒に行こう、と。

 紅刻は有言実行型。自分が行かなければ、間違いなくあの二人は殺されるだろう。それがなくても、祭りに参加した人間もあやかしも、その巻き添えを食らうことになる。

 しかし、詠の補足を純羽は切って捨てた。

「だから何ですの? 妖の一人や二人、人間の百人や二百人。そんなものどうでもいいではありませんの」

「純羽……?」

 やはり、いつもの彼女とは様子が違う。

 耳を疑っているのは輝音だけではない。詠も言葉を失くしている様子だった。

「そんな見ず知らずの命を助けるために、あなたが犠牲になる必要はありませんわ」

「犠牲って……ただお祭りに行くのに大袈裟じゃないかしら?」

 まるで命を捨てに行くような表現に、輝音は苦笑して見せるが、純羽の目は本気だった。例え話などではなく、本気でそうすることを前提に話している。

「……純羽ちゃん……」

 そう呼んだ詠の頭を一撫でして、再び鋭い眼光を輝音に向ける。

「輝音。あなたは紅刻のこと、どう思っていますの?」

「どうって……」

 そこで言葉を止める。

 友達……ではしっくりこない。かと言って、恋人ではもちろんなかった。

 そんな輝音の心の内を読んだのか、純羽はもう一度質問を投げかけた。

「では、言い方を変えますわ。あなたは、紅刻のことが好きですの? もちろん、一人の男性として」

「それは……」

 今度ははっきりと答えられる質問だった。

 聞かれるまでもない。

 好きではない、これが答えだ。

 しかし。


 ――――キミを取り巻くオレ以外のモノは、みんな消えればいいって思ってる。


 ――――キミがオレをおかしくするんだ。


「…………っ」

 紅刻の言葉を思い出し、輝音は言葉に詰まった。

「答えは?」

 重ねられた問いに、急かすような響きはない。けれど、輝音は早く答えなければ、と思った。

「……好きでは、ないわ」

 絞り出すように、言葉を紡ぐ。

「本当に?」

「本当よ」

 紅刻とは違った、鋭く冷たい眼差し。彼のあの瞳を尖ったナイフと称するなら、彼女の瞳は氷刃だ。

「でしたら、わたくしの言う通りになさい。彼と一緒に行かないで。わたくしと学校で過ごしましょう? 学校が嫌なら、今日はここにいて下さって構いませんわ。人間は好きではありませんが、あなたが一緒にいるなら別ですもの」

「でも……」

 それでは彼との約束を違えてしまうことになる。

 しかし純羽は、言いかけた輝音の言葉の切っ先を制した。

「人間など放っておきなさいな。あなたは命にこだわりすぎですわ。どうせいつかは消えるもの。それが早いか遅いかの違いでしょう? 人間の命がいくつ消えたところで、世界に与える影響など微々たるものではありませんの」

 確かにその通りだが、輝音はそれに頷くことはできなかった。

「……仕方ありませんわね。そんなに気になるのならば、不本意ではありますけれど、わたくしが守って差し上げますわ。紅刻が傷つけて殺してしまうかもしれない妖も、そして人間も。知っての通り、わたくしと紅刻の実力はほぼ互角。決して簡単ではありませんけれど、輝音のためなら本気を出すのもやぶさかではありませんわ」

 輝音は口を開こうとして、止めた。

 そういうことなら、と言うはずだったのに、それが喉から出て来なかったのだ。

 あの男と祭りに行くのに、未練を感じている……?

 そんな疑問が頭を過った。

「もう一度、聞きますわ」

 純羽の声が冷たく感じたのは、気のせいではないだろう。

 その言葉に、ドキリと心臓が跳ね、輝音はの身体が無意識に強ばった。

「紅刻のことを、あなたはどう思っていますの?」

 どう、の意味が分からないはずもない。それは、先ほどのものと全く同じだ。

 今度の問いに、彼女は答えられなかった。

 好きではない、と答えればいいのだ。しかし、ただそれだけのことが言えないのはなぜなのか、彼女には分からなかった。

 彼女の反応に、やや苛立ってきた様子の純羽が、自分の隣で小さくなっている詠を呼ぶ。

「……詠」

 呼ばれた少女が肩を震わせる。その一言だけで、自分が何を強要されているのか理解したようだ。

「だ、ダメですよっ! イヤですっ! 相手の心を他人に教えるなんて……」

「ダメでもイヤでもやりなさい」

「……っ」

「お、横暴だわ! やめてあげて!」

 詠が嫌がっているのをいいことに、彼女はそれに乗っかった。もちろんそこに、詠が可哀相だという気持ちはほとんどなかった。

「何か読まれると困ることでもありますの?」

「それは……」

 別にない、はずだ。

 けれど今は、目の前の彼女に後ろめたいと思うことがある。

 詠が心配そうな視線を向けてきた。そんな少女の目が、自分の心を見透かしていることを知って、輝音は目を背ける。

 きっと詠には、自分でも分からなくなってしまっているこの心を、全て知られてしまっているのだろう。そして、理解しているのだろう。そう思った途端、気心の知れている、自分より幼い容姿をした少女が恐ろしく思えた。

 知っているならば教えて欲しい。けれど、知りたくない。相反する二つの感情がせめぎ合い、息苦しくなってきた。

 陽が、沈んでいく。それはあたかも、自分の心を表わしているようで。

 純羽の背中の奥に見える、赤く染まる太陽に、彼の名前と髪の色を連想した。

 胡散臭いあの笑みを。口元に笑みを浮かべているのに、目は笑っていなくて。

 平気で相手の命を奪う非道さと、それを何とも思わない冷酷さを持つ。

 そして、あの低く甘い声で囁くように呼ぶのだ。

「……輝音」

 ちりん、と鈴が立てた音と同時に、力強い腕が彼女の肩を抱き寄せた。

「紅刻」

 そんな彼を、まるで親の仇でも見るように、純羽が睨みつける。

「あんまり輝音をいじめないでよ。本当に殺すよ?」

「そうですわね。そろそろ、決着をつけるべきかもしれませんわ。勝手な都合で申し訳ないですけれど、これ以上、あなたの存在を看過することができなくなりましたの」

 真夏に不釣り合いなほどの冷たい風が渦巻く。それは純羽を中心としており、やがて雪と混ざり吹雪となる。

「さ、寒いのです。凍えそうなのです。凍死しちゃいそうなのです」

「詠っ」

 パキパキ、と音を立てて、屋根が凍りつき始めた。

 そこでようやく、ここが翔太の家であることを思い出した。

「純羽、やめて! どうして……」

 いくらなんでもやり過ぎだ。たかだか祭りに行くだけ。それなのに、なぜそこまでして引き止めようとするのか分からなかった。

「簡単なことですわ。わたくしはもう二度と、同じ過ちを犯さないと誓いましたの。この名前に……」

 ひゅん、と風を切って飛んで来た氷の刃。それは的確に、そして正確に、紅刻を狙ったものだった。

「怖いなぁ。オレじゃなかったら死んでるよ?」

 それを軽快にかわして、紅刻は輝音を抱えた。こうされるのは二度目だったが、あのときとは違い、彼の広い胸と力強い腕に頼もしさと心地良さを感じる自分に戸惑う。

 あの時と違うことなんて、何もないはずなのに。

「悪いけど、今日はキミと遊んでるヒマはないんだ。もう祭りが始まってるしね」

 だが、それに構わず無数の氷の刃は彼を襲う。それを、どこからともなく伸びた白い蜘蛛の糸がいなしていった。

「それに、これ以上やると、キミの大事な輝音もケガするんじゃない?」

「多少ケガをさせても、あなたと行かせるわけにはいきませんの。今すぐ輝音を放しなさい!」

 純羽が焦っているのだということは手に取るように分かった。そんな純羽を見て、紅刻が楽しんでいることも。

「純羽ちゃん、止めるのです! 輝音ちゃんがケガするのはダメなのです!」

 詠の制止の声が遠くに聞こえた。

 どうして、そこまで私に一生懸命になるの?

 そう考えたとき、あのとき紅刻が示した答えが蘇る。


 ――――キミが、弱いからだよ。


 そんなバカな。

 なぜ自分の弱さが争いの理由になるのだ。

 止まない氷の刃を受けていた紅刻の口元の笑みが深くなる。

 突如、ダンッと紅刻が足を鳴らした。

「きゃあ……っ」

 純羽の悲鳴が上がる。バランスを崩した彼女の足元には、穴の開いた屋根から伸びる蜘蛛の糸が絡まっていた。

「ちょっと、屋根を壊してどうするのよ。あなたが直すわけ?」

「別にどうもしないさ。屋根くらいここの住人が何とかするだろ?」

 何でもないことのように言うが、屋根を直すのにも時間とお金が掛かるし、壊れている間は不便をするものだ。

 もちろん、そんなこと紅刻が気にするわけもない。

「お待ちなさい!」

 言いながら純羽は体制を立て直そうとするが、彼は彼女の足に絡まる糸を引っ張ってそれを制した。ギリ、と音を立てた糸に純羽の鮮血が滲む。

「キミとはまた今度遊んであげるよ」

 そう言って彼は立ち去ろうとした。一度振り返った紅刻の目には、一目見て分かるほどの優越感が浮かんでいる。

「輝音!」

 泣きそうな瞳。

 それはまるで、輝音が死んでしまう、とでも言いたげで。

 しかし、大げさだと笑い飛ばせる雰囲気でもない。

 本当に、ここから何か変わってしまうような。

 そんな予感を覚えながら、遠くなっていく純羽と詠の姿を見つめていた。


そろそろ話が動き出す……?

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