第六話
「酷いですわ! わたくしを差し置いて二人でデートに行くなんて‼」
輝音の右腕に自分の左腕を絡めながら、純羽は空いた左手で彼女の頬をなぞる。正直凍えそうではあったが、純羽の気持ちを慮って、今はしたいようにさせていた。
「デートに行ったんじゃなくて、買い物につき合っただけよ」
「つれないなぁ。デートしてたって思っていたのはオレだけだったってこと?」
横から口を挟んできた紅刻に、その通りだと無言で返してやる。
「紅刻くん。無理やり連れて行くなんて男らしくないのです。デートしたいなら、ちゃんと申し込まなきゃダメなのです」
輝音と紅刻の心を読んだのだろう。昨日の一部始終を察した詠が彼を叱責するが、純羽の背中に隠れて、適度に距離を保っている辺り、本当は怖いのだろう。それでも口にするのは、彼女の正義感ゆえか。
「買い物だろうと無理やりだろうと、どちらでも構いませんわ! 年若い男女が二人きりで出かけるのを、デートと言わずして何と言いますの⁉」
「……年若いって……私たちに人間のような年齢の概念なんてないでしょう?」
呆れたように彼女はため息を吐く。
永遠に近い年月を生きる妖は、自分がいつ頃生まれたのかさえ曖昧になってくるものだ。何年何月何日に生まれたのかを覚えている方が稀だ。正確な年齢すら把握していない。年齢を聞いても、おそらくこれくらいのだと思う、という返答しか返ってこない。
「そうだな……オレも自分の歳なんて覚えてないなぁ。確か、気づいたときには、人間の世界がかなり慌ただしかったけど。妊娠の乱とか言われてるやつかな? かなり大変そうだった」
「妊娠ではなく、壬申の乱ですわ。わたくしも、その頃は王朝の近くに住んでいましたし、少し詳しいんですのよ。それにしても、下品な勘違いを口にしないで下さる? 輝音の耳が汚れてしまいますわ」
壬申の乱と言えば、六七二年の夏に起こった反乱。千年以上も前のことではないか。そんなに昔から生きているのか、この目の前の二人は。
あまりの数字に絶句する輝音の心中を読んだらしい詠が、「えっと……」と言いながら、励ますようにピョコ、と前に出て大きく身振り手振りを交えながら口を開く。
「わたしはですね。あまりよく覚えていないのですけど、幼い頃、安倍晴明さまに助けて頂いたことがあるのです」
一生懸命な姿が愛らしい、と思うのと同時に、今度こそ輝音は固まる。
ちなみに安倍晴明が活躍していたのは主に平安中期。希代の陰陽師の名に、紅刻が反応する。
「安倍晴明か。昔戦ったことあるけど、めちゃくちゃ強かったな。死ぬかと思ったよ」
「あら、残念。そのまま祓われてしまえば良ろしかったのに」
「そこはさ、天才陰陽師さまより、オレの方が強かったってことじゃない?」
バチバチ、と何度目かの火花が散るが、輝音は驚愕の事実に言葉が出ない。
「安倍、晴明って……」
何ということだ、と輝音は詠の言葉に衝撃を受けていた。だが、彼女の表情からそれを読み取れる者は少ないだろう。
「ちなみに、キミはいくつなの?」
紅刻が水を向けてきた紅刻はおそらくそれを読める一人だろう。それなのにこんな質問をしてくるのは、もはや嫌がらせだとしか思えなかった。
確かに、この流れだと自分も暴露しなければならないが、輝音としては、少なくとも紅刻にだけは知られたくない。
「だ、だから、年齢なんて覚えてないって……。そもそも、年齢の概念がないという話ではなかったの?」
そうだ。そういう話をしていたはずなのだ。
「はぐらかしたってダメだよ。オレたちにだけ話させて、自分だけ言わないのはフェアじゃないよね?」
お前たちが勝手に話しただけだろう、と思ったが、彼女は口をつぐんだ。
「仕方がないな……ねぇ、サトコちゃん、教えてよ」
「え、えっと……」
ちらりと輝音を見た。申し訳なさそうに眉を下げている。
すでに自分の心の中は読まれているだろう。
「その……」
「言いたくないの?」
おもむろに上げた紅刻の右手に、ボゥッと青い炎を喚び出し、面白そうに口端をつり上げた。
「まさか、輝音の秘密を独り占めにしようなんてこと、しないよね?」
紅刻の目が妖しく光る。
「そんなことしたら、オレ、サトコちゃんのこと殺しちゃうよ?」
口では笑いながら言っているが、その瞳には冷酷な光が宿っていた。それは明確な意思を持っていて、彼の言葉が冗談ではないことを表している。
「ひっ……」
身を竦めた詠が、怯えて純羽の座る椅子の後ろに身を隠す。
そんな少女を見て輝音は、はぁ……とため息を吐いて口を開いた。
「やめなさい、紅刻。話すから」
「そ?」
短く相槌を打って、彼は驚くほどあっさり炎を消して、机に腰を掛ける。
内心でもう一度息を吐いた。
「私が生まれたときは、確か……豊臣秀吉が天下統一して間もない頃だったかしら」
当時の記憶を辿り、静かに説明しながら、さりげなく純羽の腕を解く。それに純羽は「あんっ」と反応した。
「ははっ! じゃあ、キミ、サトコちゃんより年下なんだ! あははははっ」
手を叩いて大爆笑する紅刻を輝音は冷たく睨みつける。だから言いたくなかったのだ。
「そんな可愛い顔して睨まないでよ。首絞めるよ?」
「このわたくしがそれを許すと思って? あなたが輝音の首に手を掛けるより先に、わたくしがあなたを殺して差し上げますわ。それより……」
言いながら、純羽は白魚の様な細い指を、紅刻の首に掛けているヘッドホンを示した。指で示された、壊された前のものより大きく、やや斬新なデザインのヘッドホンを彼は軽く持ち上げた。
「そのデザイン、あなたの趣味ではありませんわよね?」
今度はその細い指を顎に移動させる。その仕種が妙に艶めかしく思えるのは、彼女の容姿のせいだろう。
「あ、それは……」
その話題に触れてはダメだ、と言うように詠が声を上げたが、遅かった。
「これは昨日、輝音が買ってくれたんだよ。いいだろう?」
子どもが買ってもらったオモチャを自慢するように、紅刻がヘッドホンを見せつける。
この後の展開を予想して、輝音は頭を抱えたくなった。
「輝音が、買った……?」
「そうそう、輝音が選んで買ってくれたんだ」
「選んで……」
「そういえば、コーヒーとケーキも奢ってもらったなぁ」
彼の嬉しそうな言葉に、純羽の柳眉が徐々に吊り上る。
「何ということを……っ。もう我慢できません。やはり、あなたは生かしておけませんわ!」
やがて寒波に見舞われた教室の生徒たちは、授業が一時間分潰れるという幸運に恵まれた。だが同時に、生きた心地がしないという不運に見舞われ、これなら退屈な授業を受けていた方がマシだとクラス全員が思ったのだった。
そろそろ話を展開させたいなぁ、と考えています。