第四話
「残念だな。もう少し見せつけられてたら、殺すところだったんだけど」
爽やかな笑みを貼りつけて、とんでもない発言をしながら、紅刻は軽やかに地面へ着地する。
誰を殺すつもりだったのかは、聞くまでもない。
「そう。だったら、間に合って良かったわ」
「良かった? キミにとってあの人の子はそんなに大事なの? 妬けちゃうなぁ」
ゆっくりと歩み寄り輝音の正面に立った彼は、その長身を屈め、彼女の耳に唇を寄せる。
それを煩わしく思い、彼女は無造作に彼を押しやった。
「……別に。単なる気まぐれよ」
意味ありげに相槌を打つ紅刻は、輝音の言葉を信じたわけではないだろう。だからこそ余計に怖かった。彼が本当に翔太に何かするのではないかと。
「それで? 何か用なの?」
話題を変えるために、輝音はいつも通り素っ気なく尋ねた。
「用がないとキミに会いに来ちゃいけないの?」
「用もないのに会いに来るなんて、とんだ迷惑だわ」
「酷いなぁ。オレはこんなにキミのことが好きなのに」
それは不意打ちだった。
流れるような自然な動作で、紅刻は彼女の顎を持ち上げ、彼はその滑らかな頬に口付けた。
瞬間、ゾッと全身の血が沸騰し、輝音は反射的に紅刻の頬を叩く。
暴れる心臓があまりに早く脈打ち、彼女は浅く肩で息を繰り返しながら、彼を睨みつけた。
「そんなに怒らないでよ。オレは自分の気持ちを正直なだけなんだからさ」
「あ、あなたが変なことをするからでしょう?」
顔を真っ赤にして睨む彼女の視線を、彼は平然とした顔で受け止める。
「あんまりそんな態度とってると――」
彼女の細い肩に、男の武骨な手が添えられ、彼が耳元で囁いた瞬間――
「キミの大事なもの、壊しちゃうよ?」
「―――――っ!」
一気に、熱くなっていた全身の血が冷めていく。
これが、彼女が彼の想いを受け入れられない最大の理由。
この、命を軽く扱う発言だけはどうしても許せなかった。
発言だけではない。この男は事実、本当に命を何とも思っていないのだ。
実際、命を軽く扱う発言や行動をする妖も少なくはない。
それでも、紅刻の悪名はそんな妖の世界でも有名だ。
――土蜘蛛。
蜘蛛の妖である紅刻の白い糸は、獲物の血で紅に染まる。そこから『紅蜘蛛』の異名が生まれた。
そのことからも、紅刻が命を軽視していることは明らかだ。
「用がないなら帰ってくれる? 私はもう眠いのだけど」
「だったら、オレも一緒に寝ようかな?」
「冗談はやめて。そんな危ない真似をするわけないでしょう」
何が面白いのか、どう返されても堪えた様子は全くない。このままでは、いつまで経ってもこの応酬が終わらないような気がして、彼女は身を翻した。
その手を、紅刻が掴んで引き止める。
「……何?」
「さぁ?」
無意識の行動だったのか、当の本人も珍しく目を丸くして自分の手を見つめていた。
一拍置いて、いつものように笑みを浮かべた彼は、軽い口調で口を開く。
「そうだ。新しいヘッドホン買うのにつき合ってよ」
「はぁ? ふざけないで。私はこれから――――……きゃあ!?」
輝音の反論を無視して、紅刻は彼女の華奢な身体を両腕に抱いた。反射的に振り落とされないよう、輝音は紅刻の首に手を回す。
いくら見えないとはいえ、町中でこんなことをして気分がいいわけがない。
輝音は混乱しながらも、大人しく白旗を挙げて降参することにした。
「分かった、買い物ぐらいつき合ってあげるから! 早く下ろして!」
「喋ってると舌噛むよ」
しかし、彼女の降参を無視して、楽しそうに、人目など全く気にした様子もなく、紅刻は屋根の上に跳び、そこを滑走していく。
輝音はただ、落とされないようにしがみついているだけで精一杯だった。
輝音さん、紅刻くんの正体が明らかになりました。
ついつい、物語の中盤くらいで過去話をしつつ……という癖がついてしまっていたので、この話では最初のうちにバラしておくことにしました。