第十六話
呪術陣は、降ろした神である彼女を縛るためのもの。神降ろしは、一時的に神を地上へ降ろし、助言や予言を乞う儀式。そう、一時的なもの。だから、呪術陣を描いたのだろう。
魔鏡の用途もほとんど同じだ。神は土地に憑く。そして、自分で場所を移動することはできない。輝音が神社を出ることができたのは、彼女が妖だったからだ。そのため、彼女の中の妖部分を封じ込めるために魔鏡が必要なのだ。
本来、神降ろしにここまで道具は必要としないし、時や場所も選ばない。依代さえあれば、後は必要な手順を踏むだけ。
「足りないわね」
「……名前かい?」
依代だけでは神降ろしはできない。下ろすべき神の名が必要だ。無論、それは実行しようと考えた時点で分かっているはずのものであるが。
「私の名は『輝音』ではないわよ。神としての私の名は」
輝音は妖として自分に与えた名だ。神としての名は別にある。
「もちろん知ってるよ」
「……っ」
心臓を鷲掴みされた錯覚を覚えた。
紅刻の瞳が怪しく光る。
「さぁ、始めようか」
それを合図に、彼は左手に握った刀を掲げた。その刀が、月の光を放つ。
神社内に広がる、目を覆うほどの眩い輝きだが、それは突き刺すような刺激はなかった。
風もないのに、刀から伸びる鈴がシャラシャラと音を立てている。鈴の音に被せて、紅刻はその低い声で神を下ろすための祝詞を詠唱していた。
同時に、空いた右手で魔鏡を彼女に向ける。
「――――――――……っ‼」
自分の中の妖力が身体から抜けていく。身を裂くような痛みに、彼女は声にならない絶叫を上げた。
意識が飛びそうになるのをギリギリで持ちこたえながら、輝音は正面に立つ紅刻を睨みつけた。彼の目はどこまでも楽しそうで、彼の声はどこまでも心地よく、それが余計に腹立つ。
仕上げだよ。そう、彼は祝詞を唱えながら唇を動かした。
「顕現せよ」
祝詞が終わりを迎え、紅刻は彼女の名を紡ぐ。
「――――月映鈴奏」
「――――――――……」
一際大きな絶叫と共に、彼女の身体がさらなる光に包まれた。
輝音を拘束していた蜘蛛の糸は消滅し、呪術陣から重たい鎖が伸び、彼女の両足を縛る。
気づけば、彼女は神へと姿を変えていた。二百年前と寸分たがわぬ姿で。
服は制服から巫女装束へ。白い衣と緋袴、下地を透かす薄絹の着物、そして羽衣。袖や袴は引きずるほどに長く、本来の巫女装束とは違っていた。髪は複雑に結われ、大ぶりの鈴が飾られている。
「……綺麗だね。想像以上だ」
紅刻の言葉に、輝音は屈辱だと言いたげに顔を歪めた。
目的を成し遂げ満足げに彼女の前に膝を折った紅刻に、輝音は自由になった手で彼の頬を叩いた。
「最低」
軽蔑の眼差しを向ける彼女にも、彼は堪えた様子はない。
叩かれて赤くなった頬を押さえることもなく、紅刻は輝音の顎を掴んで上を向かせた。
「これでキミはオレのモノ」
「……あなたは何がしたいの?」
一瞬の間。長く思えるその一瞬の沈黙。そして彼はゆっくりと口を開いた。
「キミが欲しい。身体だけじゃ足りない。身も心も全部、オレのモノにしたい。髪の一筋、肉の一欠けら、血の一滴さえ、キミじゃなく、オレのモノにしたいんだ」
言いながら、彼は輝音の流れる黒い髪に唇を寄せた。
その目には、狂気と呼べる暗い光が宿っている。
もう、彼は狂ってしまっていた。
ゴールデンウィーク中にもう一話投稿したかったのですが、間に合いませんでした。すみません。
話を追うごとにつれて、各回の文章が短くなっているような……気のせいだろうか。




