第十話
程なくして輝音と紅刻も、花火が見える場所へと移動した。祭りが開かれている神社と少し離れた、だいぶ前に廃れてしまった神社へ。
長い階段を短時間で登りきる頃、すでに花火は夜の空を彩っていた。ヒュゥ、と音を立てて夜空へ昇り、パァンと大輪の花を咲かせる。火の花、とはよく言ったものだと思いながら、その景色を見つめた。
「キレイだね」
一言、冷たい石の階段に腰を掛けた紅刻が、花火に目を向けたままぽつりと呟いた。
「そう言えなくもないわね」
立て続けに上がる花火の音が、夜の静寂を塗りつぶす。星の灯りさえ霞む絶景に、彼女は捻くれた賛辞しか口にできなかった。
不意に隣を窺うと、紅刻と目が合う。ふっと口の端をつり上げた。
「でも、キミの方がキレイだよ」
「はぁ?」
何を言っているんだ、この男は。
「ん?」
「あなたね、今どきそんなセリフで落ちる女はいないわよ?」
「そ? ホントの言っただけなんだけどなぁ」
あ、そう。
何だか色々なことがどうでもよくなってきた。そう思って軽く息を吐く。
そのとき。
唇に何かが触れた、と思ったときには、彼の顔は離れていった。
「何のつもり?」
突然のできごとに心臓がこれ以上ないほど暴れていたが、それでもなんとか平常心を装いながら、彼女は尋ねる。
大きな手に頬を撫でられ、身体がビクッと反応した。
「ねぇ。キミはオレのこと、好き?」
何を、言っている?
いったいどういう意味なのか、と探る目を向ける輝音に、彼は繰り返した。
「オレのこと好き?」
尋ねる彼の視線は、いつものおちゃらけた態度からは想像できないほど真剣なものだった。あの日、校舎裏で見た瞳のように。
また、この問いだ。
「純羽との話を聞いていたの?」
「何のこと?」
にっこりと微笑む紅刻からは、真実は測れない。
「それで? 答えは?」
「好きではないわ」
純羽のときとは違い、きっぱりと答えて見せる。少なくとも、この男に本心を知られることはできない。
そこまで考えて、彼女の頭に疑問が浮かぶ。
本心? 本心とは何だ?
「本当に?」
紅刻はそう言いながら、再び輝音の柔らかな唇に口づける。
触れるだけの口づけは次第に深くなり、彼女の熱を奪うように激しさを増す。歯列を割って侵入してきた舌は頭の芯を溶かすほどに甘く、いつしか輝音は紅刻の口づけを受け入れていた。
力が抜け、倒れそうになる彼女の後頭部を支えていた彼の手が、くしゃりと輝音の髪留めを外す。はらりとほどけた彼女の髪が、暗い夜に広がった。
とさ、といつの間にか彼女は地面に押し倒されていた。
紅刻は輝音の浴衣をはだけさせ、彼女の白い首筋に口づけた。そこには、彼のつけた傷が未だに生々しく残っている。その傷口を、彼の骨ばった指が、つつ…となぞった。
「ん……っ」
声を漏らした彼女を見て小さく笑う紅刻を、輝音はきっと睨みつける。
「好きだよ、輝音」
そう言った紅刻は、もう何度目になるか分からない口づけを落とした。頬に、首筋に、胸に。数えきれないほどのキスを彼女の身体に降らせる。
「……好きだ」
その言葉しか知らないように、まるで壊れたからくりのように、彼はその言葉だけを繰り返しながら。
花火の音が、遠ざかっていく。
大きくないはずの彼の言葉しか耳に届かない。
どうして、こんなことになっているのだろう。
覆い被さる紅刻の瞳は熱を帯び、同じくらい熱い吐息が彼女の肌をくすぐった。
どうして自分は、この男が触れることを許しているのだろう。
常の自分ならば、こんなことをされて黙っていないはずなのに。
その理由に、彼女は気づいていた。
でも、絶対に言ってやらない。
夏と言えど夜の風は冷たいのに、輝音の火照った身体は一向に冷めなかった。冷たい風が身体に触れたと思った瞬間には新たな熱が与えられる。
「……輝音……」
熱に浮かされたように、彼が名を呼ぶ。
再び口づけてきた紅刻の首に、彼女は無意識に手を伸ばした。




