二章:死体人形(2)
想像した事があるだろうか。受け取った小包に、第一関節から切断された女性の指。そして、見覚えのある指輪。ジェシーは言葉を失った。デスクに置いた小包の中身を漠然と見据え、投げる事も、動く事もできない。
その指と指輪に見覚えがあった。一週間前――プロポーズした彼女に渡した、婚約指輪。
みるみる内に青ざめていく婚約者の背中は、以上な程小さく、そして誰も寄せ付けない欠乏感を漂わせていた。長身のジェシーの背中が、あんなに小さく見えたのは、これが初めてだった。
そんなジェシーの異変に気付いた同僚が、箱を覗き込んだ瞬間「な、なんだこりゃ! 指だ! 人の指だ!」当然の様に、どよめきが起き、騒ぎ立てる人々から孤立していくジェシーの方に、ベルカは冷静な言葉を紡いだ。
「ジェシー。手紙が入ってるわ」
箱の中にはピンク色の封筒が一枚入っている。ピエロのシールが貼られた、いかにもふざけた風貌の封筒。
「……」
乱暴に封を切り、内容を確かめるジェシー。
「畜生! 殺す! 殺してやる!」
目を充血させ、酸欠状態にも見える程、目に絶望を滲ませて叫ぶ。怒りに身を任せて手紙を破り捨てようとしたジェシーの手を制し、ベルカも内様を確かめる。一瞬だが、人々のどよめきが、止まった。
内容は、こんなものだった。
【親愛なる邪魔者のお二人へ。プレゼントは喜んでいただけましたか? 僕の邪魔をすると、こうなるんですよ。メール、本物と間違えて焦ったでしょ。君は、まだまだ僕の目的を知らないはずだ。
僕は、気狂いピエロ。君達は僕の崇拝者を死なせたから、また一人、君達の大切な人を貰う。これからも楽しい喜劇をプレゼントするから、楽しみにしててね。あ、婚約者さん。君のフィアンセ、綺麗に切れたよ。今度は、胴体と頭を送るから、待っててねー】
馬鹿にしている。文体を見て分かる通り。心の底から、怒りを誘う、極めて馬鹿にした手紙。湧きあがる怒りを抑えきれず、勢いよく手紙を握りしめると、ゴミ箱に放り込んだ。この犯人だけは、なんとしても、捕まえて極刑にしなくてはならない。
先程送られてきたメールも、全てピエロが送ってきた物。その時既に、ルイーナは……殺されていた。
夜が、当然の様にやってきた。
辺りは深い闇に包まれ、街灯の明かりには無数の蛾が群がり舞う。降り積もった雪が足を掴み、なかなか進まない。マフラーに埋めた顔が、身を切る様な風で痛い。いつもと変わらない、冬の夜だ。
だが、一つ違う事がある。ここ一週間、ずっと隣を歩いていたジェシーの姿が、無い。その代わりに、今隣を歩いているのは、コールだった。
「ごめんなさいね……。送らせて……」
「いえ、気にしないでください。俺なら大丈夫ですから」
「……ありがとう」
コールは優しく微笑み、静かに前方に広がる闇を見据える。冷たく、何もかもを呑み込んでしまいそうな巨大な闇。まるで、大きく口を開ける殺人ピエロの狂気の様にも見えた。
「ジェシーさん……大丈夫でしょうか」
「……大丈夫よ。あいつは、以外に強いから」
「ですよね。あの人は強い人だ。きっと、犯人を捕まえてくれます」
「捕まえるだけで済めば良いんだけど……。きっと、殺すわよ、あいつ」
「あ……。俺も、多分、大切な人を殺されたら……そうするかもしれません」
「……」
今日、ジェシーはベルカの家に行かないと宣言するや、そそくさと署を後にして、その後の消息はつかめていない。そして、ジェシーの代わりに護衛を任されたのが、コールだった。
初め、ベルカはそれを拒んだが、上司命令で断り切れず、今に至っている。目指しているのは、ベルカのアパートだ。
築70年のアパートは、冬の夜風に晒されて、到るところから、痛々しい叫びが響いた。赤煉瓦が組まれただけのシンプルで力強い外見とは違い
中は木材でできた、いかにも古めかしい内装だ。階段を上がれば、一段昇るごとに脆い音が鳴り、一部屋一部屋の扉には、無数の傷があった。ベルカの部屋は、アパートの三階、一番端にある。
一番人気がなく、唯一空いていた部屋だった。
「ここで良いわ」
ジェシーの話しをして以降。無言で歩き続けた結果、予定よりも早く部屋に到着した。重苦しい空気が二人の周りを包み、そして締め付ける。薄暗いアパート内は小さな明かりが付いているだけで実に不気味だ。
ベルカは自室の前でコールに向き直り。そう口にすると、部屋の鍵を開けて返事を待たずに入ろうとした。一刻も早く、一人になりたかった。同僚の婚約者が殺されたと知って冷静に振る舞うのはかなり辛かったのだ。いくらクールに振る舞っていようと、女は女。心は、そんなに強くは無い。
「大丈夫ですか? 一人は危ないんじゃ」
「良いから。帰って」
限界だった。もう、隠せない。
乱暴に扉を閉め、鍵を掛ける。
コールは、どんな顔をしていただろう。まだまだ若い青年の、困り果てた表情を想像してみた。みるみる内に、あの優しい顔が沈んでいく。電気も点けづに、玄関の前でへたり込んだ。暗闇の中、窓の外を舞う真っ白な雪だけがくっきりと浮かんで見える。
外は、吹雪になっていた。大丈夫だろうか。歩いて、帰る事ができるだろうか。思わず心配になった。確か、コールの家はここから20キロ先。この時間、電車は無い。今から走れば、間に合う。ベルカの心に、言い表せない程の後悔が、広がっていった。なんと、大人げないのだろう。
慌てて立ち上がり、鍵を開けようと手を掛けた。
――駄・目・だ・よ
背後から、不気味な含み笑いで言葉が紡がれる。そして、勢いよく口を手で抑えられ。右手を空いている手で掴まれた。銃が抜けない。いや――恐怖で身体が動かない。
異常な程冷たい手が、口から首筋へとずらされ、指先で撫でる。口から手が離されているのに、声も出ない。これが、恐怖。殺される人間が何もできないのを、ベルカは、初めて知った。恐る恐る、ドアの横に掛けられている鏡を横目で見据えてみる。
そこには、自身の後ろで不気味に笑う、青白い顔をした、ピエロが確かにいた。