二章:死体人形(1)
真夜中。時は12時。辺りは街灯も何もなく、道を照らす明かりすらない裏路地で、其処に住み着いたドブネズミだけが、
――幼い少女の悲鳴を聞いた。
辺りに漂う、肉の焼ける臭いと、幼い少女の悲痛な叫び。そして、「ははは……ほら、綺麗に切れたよ。今度は左手の指にしようか」不気味に紡がれる殺人ピエロの生温い言葉。少女の悲鳴が冷たい大気を揺らし、ぬるぬるとした真紅の鮮血は下水道へと流れていく。
麻酔も掛けずに切断される痛みを想像した事があるだろうか。それも幼い少女が、その指を焼き鏝で焼き切られる痛みを。ピエロは笑い、行動を続ける。次は左手の指に手を伸ばし、刃渡り15㎝のナイフで、一気に切り落とそうとした。満足げな笑みを浮かべて囁く。
「君は今日……悪い事をしたんだ」
「ううっ……嫌ぁぁ!」
第二関節から人差し指が地面に落ちる。
「嫌ぁぁぁ! 痛い! ママぁぁぁ!」
「君のママはもういないよ。君が悪い事をしたから、君は僕に売られたんだ。だから、叫んでも来ないよ」
第一関節から小指が地面に落ちる。そして、「君は天国には行けない。だって、君は悪い子だから。全身の血を捧げて、悪魔に食われるんだ」少女の首が宙を舞う。綺麗なブロンドだった髪を鮮血で赤く染めて、その白く美しい肌は青白く硬くなっていく。ピエロは少女の身体を二本のロープで電柱に吊るし上げて、両足を切断した。
返り血を浴びて赤く染まった白塗りのピエロの顔は、月明かりで不気味に光る。野良犬ですら恐れをなすその顔に、今日もまた不気味な笑みを浮かべて、気狂いピエロが夜の闇に紛れて走り去っていく。両手に、少女の両足を持って。
「ははは……待っててね、ラドール。これから食べさせてあげるから」
朝。目覚めの悪い朝を迎えたベルカの横にはジェシーが居た。あの日以来、ベルカの部屋に侵入者が相次いだのだ。もちろん上司命令で。それでベルカを守るべく、付き合いの長いジェシーが暫く護衛する事になった。そして、まるまる一晩、ジェシーは寝る事無く傍にいて、朝になると
「おはよう……ジェシー」
「おはよう、ベルカ。朝飯、食うか?」
朝食を作ってベルカを起こしにくるのだった。まるで主夫かと言いたくなる程の朝食を作り。味も悪くなく。コーヒーも丁度いい濃さで入れている。本当に、良い主夫ぶりだ。
朝食を断り、脱衣所に向かうと顔を洗い、寝癖を直し、歯を磨いて、服を着替えると、コーヒーを啜って朝刊に目を通す。家に一人男がいてもたいして変わらないものだと思いながら、いつもの朝の日課を行う。開け放たれた窓から吹き込んでくる風は、既に冬の風だ。そして、朝刊に目を通しながら眉間に皺が寄るのも、男がいても変わらない。
またしても、死体が出た。幼い少女の死体。名前は、ルナ・ハイルベーカー。富豪の一人娘で、歳は10歳。母親と父親は仕事で海外に行っていた。幼い少女は父親の実家に預けられていたようだが、二日前から行方が分からなくなっていたらしい。何故、実家の母親が探さなかったのかについては、こう書いてあった。
「あの子は、沢山の友達がいるので無断で泊ったのかと思った」と。なんと子供に無関心なのだろうか。ベルカは苛立ちを募らせながら朝刊を投げ捨てた。これだから子供が殺されるのだと、眉間に深い皺を寄せて、投げ捨てた朝刊の遺体写真を見据える。
「気づいたか? ベルカ」
向かいの席で朝食を取っていたジェシーがパンを齧りながら問う。
「特徴が無くなったわね……ここ最近の死体」
「ああ。殺しの特徴もなくなった。前までは血を抜いてバラバラに切り刻んでたのに、ここ最近はバラバラにして身体の一部を持ち逃げするようになってる。目玉も残してな」
よく、物を食べながらそんな事が言えるな。ベルカはコーヒーを啜りながら不思議そうな顔をした。とうの相手は対して気にしていないようだが
朝食を済ませ、職場に向かう車内。突然、空気が重くなった。理由は、ジェシーの彼女からのメール。
――私よりその人が大事?
この一言だけの文章に、とんでもない威圧感を感じて、ジェシーは一度彼女に電話を掛けたが……。彼女は出なかった。言い表せない罪悪感を胸に無言の車内で外を見るのは息が詰まる。しかし、書ける言葉は、見つからない。
元はと言えば、いくら上司命令と言えど一週間も女の家にジェシーはいるのだ。婚約相手が黙っている筈がない。ジェシーは、優し過ぎた。一人の女よりも、全てに優しく接する為に問題を招くのはしばしば、その度に彼女と喧嘩して、和解してはまた問題が起きる。今回は、これだ。
家に侵入者があったからと、男女が一つ屋根の下で一週間共にいる。どう考えても、結婚の約束をしている男がする事ではない。なんと、言葉を掛けたらいいのだろうか。
「……ジェシー」
「……ん?」
「これからどうするの……彼女。私、巻き込まれるの嫌よ」
「うーん……今日の夜、夕飯に誘う。それで謝るさ。許してくれるだろ」
署に着いた。ベルカは逃げる様に素早く車を降り、速足で部署に向かい、また、コールにコ―ヒを頼むと、コートを脱いで席に座った。「はぁ……これだから男は」一人呟く、すると。
「男がどうかしたんですか?」
コールの声が後ろから響き、そっとコーヒーが差し出された。妙に早い。コーヒーを頼んだのはさっきだ。驚いて、コーヒーとコールを見比べていると、目の前の若い青年は、満足そうに笑って
「いつも、ベルカさんはこの時間に来て、コ―ヒーを頼みます。だから、先に入れておきました」
青年は、不思議な程、純粋な瞳をしてこちらを見据えてくる。思わず、目を逸らしてしまった。突如「お前ら何見つめ合ってんだよ」と、ジェシーのからかいが飛んでくる。助かった……内心思ってしまう。「あ、すみません。お邪魔しました」と、コールは一例して去っていく。
その後ろ姿を、何とも言えない心境で、目で追ってしまった。
コールは、20歳でここに来て、二年ここの手伝いをしている。現在は22歳。ベルカとは4歳違う、まだまだ子供な青年だ。さっぱりとした茶髪のショートヘアーに、すらりと高い身長。簡単に言えば、平凡な青年。性格は大人しいが優しく、気がきく。ジェシーとは真逆の優しさ――甘い?
なんというのだろうか、この心境は。ジェシーには言えない、言えば、「それは恋だ!」と、笑われるに違いない。しかし、こんな感情からずっと逃げてきたベルカには、もはや聞ける相手はジェシーししか、いないのだ。
「ジェシー、ちょっと良い?……」
話しかけようとした瞬間。
――ジェシー捜査官に小包です! 署に届いた荷物を配りに来る総務の女性が、元気よく声を張った。
呼ばれた本人は「はいはい。何かなー」と、楽しそうに席を立ち、いそいそと受け取りに向かう。タイミングを、完全に逃してしまった。
小包を受け取った、ジェーシーが後ろを通り、席に戻る。
「ん?……今。何か嫌な臭いが……」
一瞬。嗅いだ事のある臭いが鼻孔に飛び込み、脳を刺激した。先月から嗅ぎ続けている、人間が焼けた臭いと、強烈な腐敗臭だ。いや、そんなはずがない。小包の中に、そんな物が入っている筈がない。
だが、何故臭いが。気になり、手早く小包を開けるジェシーの手元を見据える。妙に、胸騒ぎがする。
「さて、何が来たんだ? 送り主は……ルイーナか。態々小包で、うーん。まさかな……」
「……」
箱が開く。
予感が、当たった。