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人間社会はもういやだ、婚約破棄されたので獣になって森で暮らします〜王子との恋なんてお呼びではありません〜

作者: 川上桃園
掲載日:2026/06/14

 ここは魔法のある世界。

 令嬢リリアはみんなの前で婚約破棄をされました。

 婚約者は、見知らぬ令嬢と抱き合い、真実の愛がどうたらと語っています。

 好きで婚約したわけでもありませんから、それは良いでしょう。

 父と母はリリアそっちのけで、婚約者の両親に詰め寄って、まぁ、夜会は大騒ぎです。

 もう知らないわ。

 リリアは他人事のようにそう思って、ひとりで屋敷に戻りました。

 屋敷の宝物庫には、先祖伝来の魔法のかかったマントがあります。

 『獣の衣』。かぶれば、獣の姿になれるのです。

 リリアはだれにも見つからないうちに、『獣の衣』を掴んで屋敷を出ました。

 屋敷近くには隣国をもまたぐ広大な森があります。

 その入り口でリリアは『獣の衣』を纏いました。

 するとほっそりとした四肢はあっという間に毛むくじゃらとなり、どこもかしこも大きくなっていきました。

 頭は獅子、胴体はヤギ、尻尾は蛇。醜い獣になりました。

 これならば、だれもリリアとはわかりません。みんな怖がって、だれも近づいてこないでしょう。

 不気味な梟が、ホウホウ、と鳴く中、リリアは獣の姿で深い森に分け入っていきました。

 人間の世界なんて、もう知らないわ。

 リリアは人間こそがわずらわしかったので、そのまま森で暮らすことに決めました。

 もう令嬢ではありません。名も捨てましょう。

 わたしは、『醜い獣』です。



 それから何度か月が満ち欠けして、『醜い獣』もいちいち数えなくなったころ。


「あなたはつよそうだなあ」


 人の言葉で話しかける者がありました。

 それは『醜い獣』からしたら、とてもとてもちいさく、踏み潰してしまいかねないほど、可憐な子鹿でした。


「ぼくは呪いにかけられているが、元は隣国の王子だ。呪いを解きたい。あなたは強いと聞くし、魔法の力を帯びている。助けてくれないか」


 『醜い獣』は面倒だな、と思いました。

 呪いにかけられた隣国の王子を助けたところで何になるでしょう。

 御礼だなんだと言われるだけならまだよくても、本来の素性を相手に知られてしまい、勝手に運命を感じられても困ります。

 初対面で、べらべらと自分を語る姿勢も気に入りません。

 気の毒ですが、放っておきましょう。

 しかし、王子な子鹿は、何日も何日も『醜い獣』の周辺をうろちょろします。


「あなたは僕を食べようとしないからとても助かる」


 そう言って、すうすうと寝息を立てはじめる始末です。

 『醜い獣』は呆れました。しかし、脅して追い払うのも趣味ではありません。

 仕方ないので、森の魔女の元へ連れていきました。

 森の魔女は年齢不詳ですが、魔法にとても詳しいのです。


「おやまあ珍しい呪いがかかっているね。しかも古い」


 森の魔女はふむふむと子鹿の毛並みを撫でました。


「厄介だ。ちょっと時間がかかる。とりあえず、おまえさんは居残りね」


 魔女は子鹿の皮をぎゅむっとつかみました。王子な子鹿は、ぎゃっ!!と飛び上がりました。

 あとのことは魔女に任せることにしました。


「え、あなたはどこにいくの」

「だって、わたしには用がないので」

「せっかく仲良くなれたのに」

「仲良くはないです」


 『醜い獣』は、寄ってこようとする子鹿をしっしっ、と追い払いました。魔女がにやにやしています。


「なんだい、おまえさんたちお似合いなのに」


 そんなことは知りません。

 わたしは獣でいたいの、人間社会なんて知らないわ。


「フフフ……『醜い獣』よ。そろそろ家族の様子を観に行ったらどうかね。面白いものが見られそうだぞ」


 それこそどうでもいいこと。

 『醜い獣』は魔女の家を出ました。

 鬱蒼とした森の中、『醜い獣』が進むたび、ほかの獣たちが怯えて逃げ惑います。

 こそこそこそ。行こう、行こう、こわいから行こう。

 声にならない声が聞こえてきます。

 ブルブルッと、『醜い獣』は獅子の頭を震わせました。

 『醜い獣』は、森の出口まで行くと、『獣の皮』を脱ぎました。

 令嬢リリアがドレス姿もそのままに、現れます。

 丘を下って、かつての屋敷に行きました。


「リリアっ!」


 リリアはすぐに屋敷の者に見つかりました。

 父と母のもとに送られて、目の前でおいおいと泣かれます。


「わたしたちも反省した。おまえになにもかもを押し付けすぎた。頼むから戻ってきておくれ」

「これからはあなたの幸せを考えるから。だから、せめて、この夜会だけは出てちょうだい」

「……でもわたし、森で暮らして幸せなんだけど」


 そこでも父と母はなぜかいっそう号泣しています。

 頼むから、後生だから、と背中をぐいぐいと押され、気づけば、夜会に放り込まれていました。

 まあ一度だけ、義理を果たすと思えば。

 両親の魂胆は、ここでリリアが新たなお相手を見つけることにあるのでしょう。無駄なのに。

 あれほど派手に婚約破棄されておいて、恥をかかされているのです。その後は出奔していますし、だれも相手にしないでしょう。

 そう思いながら壁際にいますと、元婚約者と婚約破棄の原因となった女がやってきました。周囲も困惑している様子です。どうやら呼ばれていないのに来たようで。


「こんなところへよく来られたな。泣いてふせって、もう社交界へ出てこられないと聞いていたのに。さすがだよ、冷血女」

「ええ、すばらしいですわ、リリアさま! わたくしならとてもとてもできません! 感動いたしましたわ!」


 一拍置いて、リリアは「はぁ」と相槌を打ちました。

 どうやらリリアの出奔は、世間体を気にした両親ががんばってひた隠しにしていたようです。

 傷心して、寝込んでいる。婚約破棄された令嬢の振る舞いとしては王道です。

 リリアは対応に困りました。みんなの注目も引いているので、面倒です。

 どうして放っておいてくれないのでしょうか。

 元婚約者も、その相手の女も。

 恋をするなら好きにすればいいし、婚約破棄も穏便にできたのに、自分たちに酔っ払って、他人を振り回すだけで筋も通せない。心根が醜いのです。

 リリアは、ここで『獣の衣』を纏ったらどうなるだろうと夢想しました。

 リリアの手足に剛毛が生えて、筋肉が発達して、人間のものでなくなり、己を見上げるほどの怪物になったなら、離れてくれるでしょうか。

 それもいいかもしれない、と思っていると。


「――失礼します」


 リリアと元婚約者の間に、別の人影が割って入りました。

 見慣れぬ顔。育ちが良さそうで、気高さがある。ただ大きくうるんだ黒目には、見覚えがありました。


「あなたが、リリア嬢?」

「はぁ、まぁ……」


 男はうれしそうに破顔します。真っ直ぐに向けられた眼差しは、たしかに魅力的でした。

 リリアが、出来のいい絵画を眺めるように男を見上げていますと、元婚約者は、あっ、となって礼を取りました。


「シャルル王子殿下! こちらの国にいらしていたのですか……!」

「お忍びでね。内緒で頼むよ」


 王子は軽く元婚約者をあしらうと、リリアの前に跪きました。


「一度、踊ってみませんか……この、仮初かりそめの姿同士で」


 意味深な言い方に、リリアははっとなりました。

 彼はリリアがだれかを知っていて、リリアも彼がだれかを察したのです。

 まさに森の魔女のおせっかいな策略でした。

 くるりくるりとリリアは軽やかなステップを踏みました。王子のエスコートは完璧です。

 守られていただけの子鹿の時とはちがいます。それがなんとも不思議で、リリアを戸惑わせました。

 元婚約者は退散しましたし、便利だな、この人は。


「解呪には時間がかかるそうだ。……でも、やり方を教えてもらったんだよ」

「そうでしたか、よかったですね」

「……リリア、と呼んでも」


 リリアはとても嫌な気持ちになりました。さっと手を引き、かつかつ、と会場の外に出ようとします。

 後ろから追いかけてくる気配がします。

 様子をうかがっていた両親が、正面からやってきて、頼むから戻ってくれ、と懇願します。

 また、すべてがわずらわしくなりました。

 リリアは彼女に触れようとしてくるすべての手を払いのけました。早足が、駆け足になって、靴も脱ぎ捨てました。

 外のバルコニーに出ます。

 リリアはかろうじて、貝殻に入っていた魔法のマントを抜き取り、手すりから飛び上がりました。

 小さなマントは、リリアの肩にかける中で、元のサイズに戻り、纏えば。リリアのほっそりとした総身を、『醜い獣』に変えるのです。

 『獣の衣』で姿を変えたリリアは、地面に着地し、暗がりに身を踊らせました。




 森の魔女の元に行くと、大きな住まいに、荷物が散乱していました。足の踏み場もありません。

 魔女は、片足をかけて荷物を固定し、縄で縛り上げているところでした。


「おや、だめだったようだね」

「あんなことはやめてほしい。ずっと隠しておきたかったのに」

「そうかい。なら、おまえさんの望みってなんだい? 魅力的な男と出会って、恋に落ちる以外にさ」

「望みはなければならないのですか? わたしは静かに暮らしたいだけです」

「フフフ。そりゃあ、悪いことをしたかもねぇ」


 魔女は笑いました。


「実は引っ越そうと思っていてね。これからも若い身空でひとりこの森に暮らすのもよくなかろうと、王子をせっついてみたのだが……」


 後ろでぎい、と扉が開く音がしました。

 とことこと、子鹿が入ってきます。頭がずっとうなだれています。


「まぁ、いいよ。だが、静かな環境を望むなら、もうこの森はよくないね」


 ほら、と魔女は親指で背後を指差しました。

 よく耳を澄ませれば、いくらでも獣たちの雄叫びが聞こえてきました。


「森を統べる魔女がいなくなると知って、自分こそが王になろうと色めきたってる。王になりたい獣が、最初にだれを襲うか知っているかい?――森で一番大きくて、奇妙な姿をして、強い生き物だよ」


 片眼をつむる魔女。

 『醜い獣』は、もはやこの森が安息地ではないことを悟りました。




 『醜い獣』は旅に出ることにしました。住める森を探すのです。その前に、『醜い獣』は後ろをついてくるちいさきものを振り返りました。


「ついてこないで」

「いや、ぼくもいっしょに行く。あなたならわかるだろう、あそこにいたら、ぼくは真っ先に食べられてしまう。まだ呪いは完全に解けていないんだ」


 どうやら人間の姿に戻ったのは、一時的なもののようです。今はまた、子鹿の姿になっていました。


「それに令嬢がひとりで旅するのは危ない。ぼくなら昼間、護衛もできる」


 意地でもついていこうというらしい。

 『醜い獣』はいろいろと考えたのですが、結局、諦めました。

 自分が追い払ったせいで子鹿が食べられてしまっては、後味が悪すぎます。

 それに、森の外に出るには、人の姿をとらなくてはなりません。何かを連れていたほうが都合がいいでしょう。

 『醜い獣』と王子な子鹿は組むことにしました。森から森へと旅します。

 『醜い獣』は、森の外では『獣の衣』を脱ぎました。

 子鹿は、呪いの解呪中なので、昼間は人の姿、夜は獣の姿を取っています。

 夜は、獣姿の王子が芸を見せてまわることで、路銀を稼ぎました。

 育ちのよさそうな娘と、それに忠実で賢い子鹿。娘が餌をぽーんと投げてやると、子鹿は器用に口で咥えてみせますし、上りようもないようなちいさな足場もなんなくのぼって、娘の声かけに応じてお辞儀します。

 なにより、子鹿はいつも娘にぴったりくっつき、いじらしいほど後をついていきます。

 ふたりはすぐに人気者になりました。

 そうして、町から町へ回るうち、領主に招かれることになりました。

 領主はでっぷり肥えた中年の男です。子鹿よりも娘のほうにご執心のようです。子鹿の芸より、娘のほうをねっとり見ていました。ずっと子鹿はいらだたしげに前脚で地を掻いていますが、気づく者はおりません。


「ご領主さまが、寝室でお待ちとのことです」


 控室にいた娘は子鹿と顔を見合わせました。泊めてくれるとの話でしたが、魂胆が明らかです。

 しかも娘の抵抗を予想してか、複数の使用人が入り口を固めています。


「ならまぁ出ていきましょうか」


 リリアが言うと、こくりと子鹿は頷きました。

 リリアは子鹿を抱き上げ、バルコニーに出ました。


「あ、あの、なにを……?」


 戸惑う使用人たちは、そのとき、目撃しました。

 娘の姿が大きな布に覆われたと思ったら、その総身がみるみるうちに見上げるほどの化け物に変わっていくのを。

 獅子の頭は、子鹿の首筋を咥えました。

 バルコニーの手すりが、ギシィ……と聞いたことのない音を立てました。

 身を乗り出した怪物が、三階からひらりと跳躍しました。

 わずかに月の光に照らされた、獅子の頭にヤギの胴、気ままにくゆらせた蛇の尾。

 それらは眼下の深い闇に溶け込んで、すぐに見えなくなりました。

 使用人たちは何が起こったのかわからず、ただ慄然と立ち尽くすことしかできなかったのです。



「やっぱり、そうだと思った! 断ったほうがよかったんだよ! あいつはリリアの体が目当てだった!!」


 少し離れたちいさな森の中。子鹿は大きな怪物の前でぷんすか怒っています。

 『醜い獣』も、結局子鹿が言うことが正しかったので心の中で肩をすくめました。


「謝礼に目が眩んでしまったわね。結局、もらい損ねてしままったし……もったいない」

「リリア!」

「まぁいいじゃないの。ちゃんと逃げられたから。懐が心許ないけど、目当ての森まではあと少し。なんとかなるわ」

「あなたというひとは……自分がどれだけ人を魅了するか、わかっていないんだ」


 王子な子鹿はそっぽを向きました。


「ぼくの呪いが完全に解けていたなら……正々堂々とあなたの隣にいられるのに」


 王子の呪いは、中途半端な状態のままでした。

 人でもなれけば、獣でもない。どっちつかずの存在感でした。どういうわけか、解呪が、止まってしまっていたのです。



 しばらく経って、新しい森に来ました。

 旅をする中で新しい住処になりそうな森を探していたのですが、今回は本命です。

 なにせ、広大な魔物の森です。それでいて、森の主が統率を取っていて、旅人に悪さすることも少ないのだとか。

 『醜い獣』が森に分け入れば、すぐに森の動物たちが森の主の元へ案内してくれました。


『森の主が呼んでるよ』

『こっち、こっち』


 大木のむろに、森の主の巣がありました。

 森の主は老いた梟の姿でしたが、今はその姿が気に入っているだけで、本来の姿はだれも知らないそうです。


「この森に入ってきたのは、すぐにわかった。だがここは人の住むところではない。人ならば人の森に帰れ」


 『醜い獣』と子鹿の本性は、森の主が持つ強大な魔力でとっくに見破られてしまいました。

 

「お邪魔はしません」


 『醜い獣』は言いました。


「わたしたちは、静かに暮らしたいだけです」

「ならぬ」

「交渉をさせてもらえないだろうか、森の主よ」


 子鹿は前に出ました。


「ふさわしくないのであれば、ふさわしくなれるよう、証を立てる。そちらからすれば、我々は侵入者で、信用できないのももっともだ。……そこで、試練を与えてもらえないだろうか」


 長い沈黙の後、森の主はぱちぱちと瞬きをしました。


「よかろう。――試練を与える」


 森の主には滅多に味わえない魔法の蜂蜜がありました。

 極上の甘さを持つ蜂蜜で、森の主の大好物です。

 その蜂の巣は、森の地下に広がる空洞にあるそうですが、地下を守るドラゴンのせいでほとんど手に入らないのだとか。


「わしが地上の森の王とすれば、あやつは地下の王なのだ。普段は不可侵で暮らしている。だが、あの蜂蜜の味は忘れられぬ。ドラゴンはケチだから、滅多に分けてくれないのだ」


 森で暮らす権利を勝ち取るため、『醜い獣』と子鹿は試練に挑戦することにしました。

 ふたりはまず、森の外に出て、ワインの入った酒樽を調達してきました。

 荷馬車まで奮発して、よっこいしょ、と王子が地下の入り口まで運んでいきます。

 リリアが酒樽の蓋をあけました。

 ぷうん、とワインの芳醇な香りが、地下の洞穴へと流れ込んでいきます。


「待ちましょう」


 近くの茂みで身を隠していますと。

 重たい地響きとともに、硬いウロコを持ったドラゴンが姿をあらわしました。

 ふんふん、と酒樽を嗅ぎました。次の瞬間、ざぶん、と頭から突っ込みました。

 ドラゴンはものすごいスピードでワインを啜っていきます。

 ひとつ終われば、また次へ。次が終わったら、最後まで。酒樽を飲み干したドラゴンは、ぷはぁと満足そうに天を仰ぎました。


『ギャッ!!』

 

 それは久方ぶりの日の光だったらしく、普段闇の中にいるドラゴンにはひとたまりもない攻撃でした。ドラゴンは目を焼かれ、のたうちまわります。でも、酔っ払った巨体はいうことを聞いていないようで、洞穴の入り口で、あっちへこっちへよろよろと、尻尾はぱたんぱたんと落ち着きません。

 行くなら今でしょう。

 リリアと王子はドラゴンの前に飛び出して、まくしたてました。


「まあ、ひどい! うちのワインを盗み飲みされているわ!!」

「本当だ! これは困った! どうすればいいんだ!」

「だれがやったのかしら! とっちめなくてはいけないわ!」


 これを聞いたドラゴンは、空の酒樽に頭をもう一度突っ込みました。


「やや、どこだろう! 悪いこそどろめ!」

「ああもう! 許せないわね!!」


 ぐるぐるとドラゴンの周りを回りながら、ふたりはなおも言い続けました。


『うぅ、うぅ……』


 ドラゴンは身悶えしています。空の樽はがたがた震えます。


「あっ! そこに!」

「盗人のドラゴンがいる!! やっちまおう!」

「そうね!!」


 ドラゴンは気の毒なほどに震えました。

 このドラゴンは、酒にめっぽう弱いのです。それにおつむも少々……いや、だいぶ悪いのでした。

 リリアは急にやさしくなって言いました。


「ねぇ、あなた。思ったんだけど、このドラゴンをゆるそうと思うの」

「許す? なんでだよ、奥さん」

「だって、目を痛めて苦しんでいるみたいだし……かわいそう」


 ドラゴンは、きゅうううん、と精一杯かわいく鳴いてみせました。


「ほら! かわいく鳴いてるじゃない!」

「いや! ぼくのほうがかわいいぞ!」

「そこは張り合うところ!? 打ち合わせとちがうこと言わないで!」


 閑話休題。

 リリアは思い出したように告げました。


「そうね……でも、こちらもワインがなくなって大変だから、どうしようかしら。しばらく暮らしに困ってしまうもの」

「そうだな……本当に困る。そう、なにか代わりになるものはないだろうか。たとえば、甘くてとっておきで、みんな食べると喜ぶような……」

『蜂蜜だ!』


 ドラゴンは樽から顔をあげました。目は瞑ったままですが。


『蜂蜜をやろう! とっておきだ! うまいぞ!!』


 まあ助かるわ、とリリアはにんまりしました。


「とってもうれしいわ! やさしいドラゴンさんっ! これで我が家もなんとかなるわね! そうだわ、あなた!」

「なんだい、奥さん」

「お礼にドラゴンさんの目に効くような薬をあげましょう! これでおあいこになるかしら……?」

『なる! なるぞ!』

「なら、蜂蜜を、くださいな?」

『喜んで! 蜂蜜用の壺はあるか?』

「ええ! すごく偶然だけど、あるわ!」

『なら来い!』


 ドラゴンとリリアと王子は地下に降りました。

 そして、びっくりするほどあっけなく蜂蜜を手に入れたのです。

 この顛末を聞いた森の主は、ややおおげさなほどに驚きました。


「よくあのドラゴンの弱点を知っていたな」

「昔、書物で読んだことがあって」


 王子は答えました。


「ドラゴンは酒に弱いもの。そして、乙女にも弱い。地下に住むなら日の光にも弱いでしょう」

「やり方を考えたのは?」

「それはわたしです」


 リリアは言いました。


「酔わせて前後不覚すれば、こちらからお願いすればあっさり聞いてくれるかも、と」


 ただ、ドラゴンは想定よりおばかだったな、とリリアは思います。

 念のために、と軟膏を準備していた王子の慧眼は正しかったのです。

 王子は残った軟膏を森の主の前に置きました。


「軟膏の作り方も差し上げます。火傷によく効きます。ドラゴンにもよく効きましたので、これを対価に今後は魔法の蜂蜜を手に入れることができるでしょう」

「……よいのか、作り方まで」

「森の主へ献上いたします」


 ほぅ、と森の主は伸びをするように焦茶の翼を広げました。


「うむ。十分だ。……この森に住むことを許そう」

「ありがとうございます!」


 リリアも王子も礼を言いましたが、続いた、「だが」の言葉に顔を上げました。

 森の主は、器用に王子を翼で指し示しました。


「呪いの匂いは取り除いてしまおう」


 そう言った時です。リリアは、隣の王子からなにか黒いものがふっと消えたのを感じました。

 王子自身も感じたのでしょう。自分の体を確認するように身をよじらせています。


「心配しなくてもよい。少し残っていた呪いを解いただけだ……おまえは、もう獣の姿でいる必要もないが、どうする?」


 つまり、子鹿な王子が、王子のままでいられるようになったわけです。

 リリアは喜んで言いました。


「これで呪いが解けたのですね。よかったです。ならここでお別れですね」

「……あなたはそれでいいと思っている?」


 静かに問われて、リリアは、戸惑いました。

 真剣な眼差しを注がれて、リリアは自分の中にほんのちょっとだけあった、もやもやとした気持ちに気づかざるを得ませんでした。

 もやもやした気持ち。それは、恋ではありませんが、間違いなく親愛ではありました。

 リリアは、彼のことをちゃんと仲間だと思っていたのです。


「ぼくはたとえ呪いが解けたとしてもあなたとだけは別れがたいと思っているんだ」

「わたしとだけ?」

「そう。その気持ちが、最後まで解呪できないことに繋がっていたんだろう」


 聞き返せば、王子は淡々と言いました。


「あなたは嫌がるだろうが、あなたへの感情を言い表せるのであれば、それは愛のようなものだとおもう。これからどうすれば一緒にいられるかわからないが、一緒に考えてほしいんだ」


 リリアは息を飲みました。でも。

「一緒に」。その言葉の響きは、とても気に入りました。

 彼のように愛と言えるかはわからないけれど、情はあります。ふたりでいることが、自然な流れではありました。だって、今までもそうしてきたことですから。


「森の主よ」


 リリアは王子に頷いてみせてから、おおきな梟に告げました。


「夫婦になるかわかりませんが、ひとまず祝ってくださいませんか。ここに住める権利も得られましたし、いまは騒ぎたい気分で」

「大騒ぎは好きではないが」

「たまにはいいのではないですか?」


 はぁ、と森の主は呆れますが、よかろう、と了承しました。

 森の主の号令で、魔物の森では宴が催されました。

 魔物でも魔物じゃなくても、命があればみんなが出席です。

 やさしい魔法が飛び交って、幻のように森の奥を照らします。どんなものも――たとえドラゴンだって、夜に招かれ、どたどたとダンスを踊ります。

 手製の打楽器がだれもいないのに叩かれて。

 奏者がいなくとも笛は吹かれる。

 輪の中心で、リリアと王子は踊っていました。

 何度でも、何度でも、繰り返し。

 ふたりがくるくるとターンをすれば、残像に、人と獣が交互に混じって。気にする者はいません。

 姿が気まぐれに変わったとしても、それは自然なこと。どっちだっていいのです。ふたりがふたりである限り。

 幸せは、繋いだ手から伝わっていました。たまに目が合えば、くすくすと微笑み合います。それで十分でした。

 素敵な夜はこれからも続きます。

 ふたりの未来は、まだわかりません。

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