忘れ物には気をつけよう
『学都』。
正式名称は、『アルサス王国指定魔学都市ハステア』。
平地のど真ん中に建てられた、城壁のごとき白亜の壁に囲まれた円形の都市だ。
王国の魔術研究の要地にして、未来を担う若者たちを育てるための場でもある。
見た目と警備の厳重性から重々しい空気を感じさせる学都だが、そも、ここが都市である以上、中では地方都市や王都と変わらないごく普通の暮らしが営まれている。
……ちょっとばかり魔術の研究過程で派手な爆発が起きたり、生徒同士の諍いでド派手な爆発が起きたり、鎮圧に駆り出された教師によってとんでもない爆発が起きたりなどなど、多少の騒がしさはあるのだが。
そんな学都ハステアに、アルサス王国の辺境……国境としても扱われる東に連なる大山脈の南端付近。
地図にして右下端っこくらいにある、ドが三つほどつく田舎から、今日。
世間知らずの少女、ミナルカが足を踏み入れた……予定よりだいぶ遅く。
◆◆◆
「ふい〜、や〜っと休憩できる〜!」
『ナァー!』
陽が落ちて、街灯が照らす石畳の大路のど真ん中。
私は周りの目を気にせず、存分に空に向かって伸びをした。足下にいるおもちも同意するように鳴いている。
「疲れた〜! お腹すいた〜!」
『ナァ〜』
魔獣を倒したその後、生き残った馬を走らせて『学都』に救助を呼んでもらったり、応急手当てをしたり、護衛として雇われて『学都』まで同行したり。
『学都』に着いたあとも説明とかして。色々と終わった頃には、すっかり夜になっていた。
「都会ってすごいねおもち。夜なのに道が明るいよ」
『ナァ!』
「ね、まだお昼みたい。でもそろそろ休まないとなんだよねー」
『ナ〜ァ』
う〜ん。このまま王都行きに乗るつもりだったけど……一泊するしかないかな。
王都行きの馬車は当たり前だけど無くなってた。この時間だし、そもそも私たちが『魔獣が出た!』って報告したから仕方ないんだけど。
路銀はギリギリを攻めてるから、ここで何日か働かないといけないかもしれない。
まあ、何はともあれ……
「みんな無事で良かった〜」
馬車の下敷きになってた人は軽い捻挫と打撲を。
魔術っぽいなにかをやろうとしていた子は両手に火傷をしちゃってたけど、それ以外の目立った大きな怪我はなし。
馬一頭以外に犠牲は出なかったし、上々だろう。
ホッと胸を撫で下ろすと、思っていた以上に緊張が続いていたのか。なんだが急にドッと疲れが湧いてきた。
……さて、そろそろ宿を探さないと。確か都会は野宿をしたらダメなんだよね?
トーブ……故郷の村を出る前にお母さんから口酸っぱく言われた。
都会は大きくて華やかだからこそ、絶対に油断しちゃダメだって。特に私みたいな田舎娘が一人で夜中に出歩くのは危ないって。
「んー、その辺の賊とかになら負ける気しないけど……うん、やめとこ。宿探そ、宿」
帰った時にうっかり話したりしたら、ものすんごい形相でお母さんに怒られるだろうし。
そうなっちゃったら、私に甘いお父さんの加勢も期待できない。ブチ切れたお母さんには誰も逆らえないのだ。……想像しただけで寒気がする。
ところで、宿って一泊いくらになるんだろ。足りなかったら皿洗いとかで割引きしてもらえないかな……?
なんてことを考えていたら、わりと大きめに腹の虫が鳴いた。
「よし、まずはご飯にしよう!」
『ナ!』
「おもちもお腹空いたもんね」
運良く、というか匂いにつられてこの辺に来たから、道の脇に串焼きの屋台があるし。
あと、宿まで我慢できる気がしないし!
「お財布お財布〜」
鼻の奥をくすぐる美味しそうなお肉の匂いに、私はウキウキで鞄から財布を取り出して…………取り出、取り、と、ととととと——
「へ?」
ふと、両手がめちゃくちゃ軽いことに気がついた。
——ブワッと、全身から嫌な汗が吹き出す。
「…………んん?」
スカッ、スカッと両手が空を切る。
本来ならあるはずの重みは、私の財布とか着替えとか色々入ってる大きめの鞄は、どこにもなかった。
全身から血の気が引いた。
「え⁉︎ なんで⁉︎ いつ⁉︎ どこで‼︎?」
『ナ? ナァ⁉︎』
道のど真ん中で素っ頓狂な声を出す。
ズボンのポケットをひっくり返したり服の上から体をまさぐったりおもちの全身を撫で回してみても当然、鞄は出てこない。
脳内お母さんが『公衆の面前で女の子がそんなはしたないことしちゃダメでしょ!』と怒ってる。あと急にモチモチしたからおもちから抗議の声が上がったけど気にしている暇はない。
「お、おおおおおちおちちちおち、落ち着いて私! 落ち着いて思い返して! 今日、乗り継ぎの時はちゃんと持ってたよね、うん! それで——」
荷馬車に一緒に乗せてもらって、のんびり旅を楽しんで……。お昼過ぎに魔獣と遭遇して、倒すために降りて……………………………あ゙。
——私、荷馬車に鞄、置き忘れちゃってる!
——全財産、荷馬車と一緒に引き返しちゃってるぅ!!
「え…………嘘でしょ?」
頭で理解しても、感情は納得を拒む。
お金、ない。
何も、できない。
つまり、詰んだ。
………………嘘でしょ?
「ほ、本当に……?」
現実を受け入れられない顔面蒼白の私は、道のど真ん中で途方に暮れる。
そんな私を見上げて、おもちは不思議そうに尻尾を揺らす。
「え、嘘……………本当に無一文?」
『………………ナァ?』
——拝啓、故郷にいるお父さん、お母さん。
二人が送り出してくれた娘は調子に乗った挙句、荷物を置き忘れるとかいう大ポカをやらかしました。
出立から半月で、飢え死にの危機に瀕してます。
…………助けて(懇願)。
◆◆◆
——だがしかし、無一文程度で折れるほど私はか弱くないのだ!
「よし! 仕事探すぞー!」
『ナー!』
お母さんと同じ自慢の空色の髪を結び直し、両手で頬を挟んで気合を入れる。
あのあと三十分ほどしっかり絶望したわけだけど、何も今すぐに死ぬってわけじゃない。
ちゃんと働き口さえ見つければ首の皮一枚は繋がるのだ! 多分! きっと! そうであってほしい!
「力仕事でもなんでも来い! やってやるぞー!」
日が沈んでるし、店じまい始めてるけどお店もあるけどまだ行けるはず!
覚悟を決めた私は早速、夜の学都で飛び込み営業を開始した。
「ミナルカです! 炊事洗濯掃除、ひと通りできます! 力仕事も得意です! あと魔獣も倒せるので用心棒にもなれます!」
——結果。
居酒屋「酒の味がわからん小娘に用はねえ!(ガチ拒絶)」
居酒屋2「いやあ、うちの客層って荒っぽい男が多くて……その、ねえ? 女の子に喧嘩とかさせられないでしょ?(やんわり拒絶)」
宿屋「身分は? え、証明できない? それじゃあ無理だねえ(門前払い)」
衛兵「まずは王都で入団試験を受けてね。そこの乗り場から王都行きが出てるよ(正論正拳突き)」
——などなど。こんな感じのを筆頭に、他にもたくさん、ものの見事に全滅した。
「詰んだ……。これ飢え死にコースだ…………」
『ナ、ナァ…………』
翌日の昼下がり、私とおもちは東大通りの一画で途方に暮れた。
具体的には道の端にへたりこみ、青空を見上げてお腹を鳴らして遠い目をしていた。
こんなに大きな街だし、何か一つくらいは仕事があるだろうって思ってたけど……甘かった。
夜にやってたお店も、早朝から仕込みやらで店構えをしていたお店も全滅。
腰にぶら下げた剣以外何も持ってない田舎娘を雇ってくれるお店は存在しなかった。
——都会、怖い……!
自分の両肩を抱いて、青い顔でガクガクと震える。
虎の魔獣なんかよりよっぽど恐ろしい。村に帰ったら都会に憧れるちびっ子たちに現実を教えてあげないと。……生きて帰れるかわかんないけど。
「うう〜、そろそろお腹がヤバいよぉ」
空腹の痛みも超えて、何も感じなくなってきた。
水は、誰も見てない夜中に公園の噴水でガブ飲みしたからまだ耐えてるけど、それだけじゃ当然お腹は膨れない。
ほんの短い時間だったけど魔獣とも戦ったし、もう、今にも倒れそう。
頭がクラクラする。
視界もほんのりぼやけて、世界を遠く感じる。
「——ません。大丈夫ですか?」
「ん……?」
いよいよヤバい、そんな時。
緩いカールのかかった銀髪が視界の中で揺れて、遠慮がちな声が耳に届いた。
「あの、昨日助けてくれた方ですよね?」
「んん?」
なんだか聞き覚えのある声な気がして、私を見下ろす影に目を向ける。
すると、綺麗な紫の双眸と目が合った。
「あれ、あなたは……」
心配そうに私を見る銀髪紫眼の美少女を前に、脳が反射的に昨日の記憶を引っ張り出した。
魔獣に対して、魔術っぽい何かを使っていた子だ。
「確か昨日、火傷してた子?」
「はい。リルファーナ・ウォリックと申します。ところで……」
ぼんやりと紫色の瞳孔を見上げていると、リルファーナは抱えていた紙袋を傍に置いて、腰を落として私と目線を合わせてくれた。
「どうされたのですか? 体調が優れないように見えますけど……」
「ああ、えっとね。昨日から何も食べてなくて……というか、鞄落としちゃったせいで無一文でさ……えへへ」
「なっ……⁉︎」
失態失態、と力無く頬をかくと、少女はまん丸に目を見開いて驚愕する。
「昨日からって。……あの後、何も食べてないんですか⁉︎」
「あ、水は飲んだよ?」
噴水の水だけど。
「それだけじゃ足りないでしょう⁉︎」
素っ頓狂な声を上げたリルファーナが包帯を巻いた両手でガサゴソと紙袋の中を弄る。
「これ、食べてください!」
そして、私の目の前に拳大のパンを、おもちには果物を一つずつ差し出した。
「え、私お金持ってないよ?」
「お金なんて要りません! ほら早く!」
「むぐぐ⁉︎」
そう言って、彼女はパンを私の口に押し付ける。
抵抗する気力もなかった私は、なす術もなくパンを咥えさせられた。
「……ふう。ご馳走様」
『…………(シャクシャクと一心不乱に果物を齧っている)』
なんだかんだ食べてしまった。
お金ないのに、胃袋が誘惑に耐えられなかった……!
「いい食べっぷりでしたね。まだありますけど……」
「いやいや! 流石にこれ以上は貰えないよ!」
袋から新しいパンを取り出そうとするリルファーナの手を止めて、ちょっと元気の出た私は気合を入れて立ち上がった。
そんな私の様子に、なぜか少し不満げなリルファーナも紙袋を抱えて立ち上がる。
「食べてから言うのも変なんだけど、貰ってよかったの?」
「当然です。命の恩人なんですから」
「そ、そう……ありがと」
“命の恩人”という単語にどうにもむず痒さを覚える。
あの時は当然助けるつもりで飛び出したけど、いざ真っ直ぐに感謝を伝えられると、こう……恥ずかしさが勝つ。
「それで、その……」
ムズムズして頬を掻いていると、リルファーナは遠慮がちに紫の眼差しを私に向ける。
「聞いてもいいですか? 無一文というのは」
「ああ、えっとね——」
私はことの経緯を“どこで無くしたか”についてだけぼかして伝えた。
助けようとして忘れた、なんて言ったら罪悪感を覚えられてしまうだろうし、そんな事は望んでないからね。
「……で、お仕事探そうとしたんだけど全然見つからなくって」
「そう、ですか……」
私のおっちょこちょいな経歴に、当然と言うべきかリルファーナの眉間に皺が寄った。
「でもありがとう、リルファーナ! ご飯食べたからまた仕事探し頑張れるよ!」
おかげで、また1日くらい猶予を貰えた。
「それじゃあね! 火傷、早く治るといいね!」
飢え死にラインを先延ばしにできた私は気合を入れて街へ繰り出そうとして——
「待ってください、ミナルカ!」
リルファーナに二の腕を掴まれて引き留められた。
「へ? 私、名前って言ったっけ?」
「昨日、衛兵に名乗っていたのを耳に挟みました。ミナルカ。提案があります」
紙袋を取り落とさないように抱え直したリルファーナは、綺麗な紫眼で真っ直ぐに私を見て、こう続けた。
「仕事の依頼です。私の侍衛……側仕えをやってくれませんか?」
「——やるやる! お仕事やる!」
仕事の詳細も聞かずに、私は二つ返事で承諾した。




