第8話 宮村くんらしいなって
部活帰り、誠は校門を抜けると、いつもより少し早足になった。梅雨明けの陽射しが容赦なくアスファルトを焼き付け、立ち上る熱気が肌にまとわりつく。遠くで蝉の声が途切れ途切れに響く中、影はやけに長く引きずられ、自分の心の迷いと焦燥感そのもののようだった。
「明日こそ言おう」
その決意を何度胸に刻んだだろう。一週間前にそう心に決めたのに、毎日は空回りの連続だった。部活中は他の部員がいる手前、何も言えず、帰り道も沙良と二人になる機会は訪れない。言葉に詰まる自分が情けなくて、ため息ばかりが増えていく。
(俺って、本当にダメだな……)
思考が堂々巡りする中、またひとつ息を吐いたその瞬間、不意に背後から声が飛び込んできた。
「宮村くん!」
振り返ると、白いブラウスの袖をまくり上げた沙良が、小走りでこちらに向かってきた。腕に浮かぶ日焼けの跡が陽光に輝き、汗に濡れた髪が頬に張り付いている。
「歩くの早いよ、宮村くん。追いつけないかと思っちゃった」
軽く息を切らしながら、「一緒に帰っていい?」と笑顔で言う。
一瞬、誠は耳を疑った。まさか沙良の方から声をかけてくれるなんて。胸の内側がぎゅっと縮み、頭の中が真っ白になる。
「……ああ、もちろん」 声が上ずりそうになるのを堪えながら答えたが、内心では歓喜の渦だった。
(僥倖! なんという僥倖!)
沙良が隣に並ぶ。沙良が隣に並ぶ。彼女の動きにつられて、誠も歩き出した。ふと横顔を盗み見ると、彼女の頬に光る汗の粒が夕陽に反射している。その一瞬にさえ、心がざわめいた。
「宮村くんってさ、本当に真面目だよね」
「そうかな? 自分じゃ全然そんなふうに思わないけど」
「いやいや、ちゃんと部活も頑張ってるし、この前も先輩に褒められてたじゃん」
「……それは、言われたことをやっただけだよ」
沙良は小さく笑って、「そういうところが真面目なんだよ」と軽く肩を叩いた。その何気ない仕草に、誠は全身が固まる。肩越しに彼女を見ると、その無邪気な笑顔がどこか眩しかった。
二人が歩き続けると、道は分岐点へ差し掛かった。一方は商店街へ続く賑やかな通り、もう一方は静かな住宅街へと向かう道。沙良はそこで立ち止まった。
「じゃあ、ここでバイバイだね」
振り返った沙良が笑顔を見せる。その瞬間、誠の中で何かが弾けた。
「澤村」
思わず呼び捨てにしてしまい、慌てて付け足す。
「……さん」
「ん? どうしたの?」
沙良が首を傾げる。誠は深く息を吸ってから口を開いた。練習したセリフを言おうとするが、緊張で頭が真っ白になる。
「さ、澤村さん。き、君は太陽の匂いがする!」
言ってしまった。言った瞬間に、全身の血の気が引いた。(違う、そうじゃない! 「おひさま」だ! なんで「太陽」なんだよ!)
「え? 太陽……?」
沙良が不思議そうに首を傾げる。その純粋な瞳が、パニックになった誠の心をさらに抉る。
「い、いや違う、違うんだ! その、つまり……」
もう後には引けない。練習も、理屈も、何もかもが吹き飛んだ。
「澤村さんのことが、好きです! 付き合ってください!」
結局、出てきたのはありきたりで、何のひねりもない、ド直球の告白だった。
(ああ、また俺はやってしまった……)
訪れた沈黙が、永遠のように感じられた。俯く誠の耳に、くすっ、と小さな笑い声が届く。おそるおそる顔を上げると、沙良が口元を手で押さえ、肩を震わせていた。その笑顔には、戸惑いと、何かどうしようもなく温かいものが混じっている。
「ごめん……。でも、なんか、宮村くんらしいなって」
そして、照れたように視線をそらしながら、小さな声で呟いた。
「私もね、宮村くんと一緒にいると楽しいなって思ってた。……これから、よろしくね」
その言葉と笑顔が、張り詰めていた胸の奥の糸を、ぷつりと断ち切った。今まで止めていた息を、ようやく吐き出せる。吸い込んだ夏の夕暮れの空気は、少しだけ甘い味がした。
(救われた……)
短い沈黙の後、それぞれの道を歩き出す。沙良の背中が小さくなるにつれ、誠の胸の中には言いようのない温かさが広がっていった。ふと振り返った沙良が手を振る。その仕草があまりにも可愛くて、誠は思わず叫んだ。
「気をつけて帰れよ!」
声が裏返ったかもしれない。でも、そんなことはどうでもよかった。
沙良は軽く頷いて再び歩き出す。その背中が完全に見えなくなるまで、誠はその場から動けなかった。
夕焼けのオレンジ色が、世界で一番美しい色に見えた。




