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第3話 俺たちならなんとかなる


 夕食が終わると、誠は自分の部屋に戻りベッドに横になった。天井を見つめながら兄の言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。


 「つまらないと思うなら、お前自身で面白くすればいいだろ」


 その言葉には確かに説得力があった。篤はいつも冷静で、どこか達観しているような存在だ。東京で就職し都会での生活を送っている篤は、誠にとって「成功者」のような存在だった。


 「でも、俺が変わる必要なんてないだろ」


 誠は小さく反抗するように呟いた。自分自身に対する無力感はまだ消えていない。それでも、「自分が変わるべきだ」とは思えなかった。むしろ世界の方が変わるべきだ、そう感じていた。


 深山高校へ行けば何かが変わるかもしれない。そう思う反面、「どうせ何も変わらないんじゃないか」という諦めも心の奥底に残っていた。その時、ノックの音が聞こえた。


 「入っていいか?」ドアの向こうから篤の声がした。


 「……ああ」


 ドアが開き篤が部屋に入ってきた。手にはコーヒーカップを二つ持っており、そのまま誠の机に腰掛けた。そして無言で一つを誠に差し出す。


 「……あんがと」


 誠は素直にそれを受け取った。兄が淹れてくれるコーヒーは、いつも不思議と心が落ち着く。カップから立ち上る湯気と苦い香りが、ささくれた心を優しく包み込むようだった。


 「さっきの話だけどさ……」篤はコーヒーを一口飲んでから静かに言った。


 「お前、本当に高校に行かなくてもいいと思っているのか?」


 誠は答えず、ただ天井を見つめたままだった。


 「俺さ、お前が何考えてるか大体分かるよ」


 その言葉に誠は少しだけ驚いて兄の方を見た。篤はいつもの冷静な表情で続けた。


 「お前、自分には何もできないとか、このまま大人になっても変わらない――そう思っているんだろう?」


 誠は黙ったままだったが、その言葉には確かに心が揺れた。でも、それでもなお自分自身を変える気にはなれなかった。


 「世界がおかしいんだよ……俺じゃなくて」


 心の中でそう呟きながらも、その言葉を口には出せなかった。それでも兄の言葉が心に届いたことだけは確かだった。


 「深山高校なら、お前と似たような考えを持つ者もいるはずだ」


 篤はそう言って立ち上がり、部屋を出て行こうとした。


 「……でも、本当に何か変わるんだろうか?」


 その声は小さくて篤には届かなかった。


 それでも手元に置かれたコーヒーの温もりと共に、兄の言葉は心に残り続けていた。


 

 誠はもともと高校受験をするつもりはなかった。どうせ何も変わらないと思っていたし、進学する意味が見いだせなかったからだ。しかし、兄の言葉が心に残り続けていたことと、キヨシが同じ深山高校に行くと言っていたこともあり、次第に「まあ、受験してみるか」という気持ちになっていった。


 だが担任の先生は誠が県内一の進学校である深山高校を受けることに反対していた。


 「お前には無理だよ。もっと現実的な進路を考えた方がいい」


 否定された、と誠は感じた。いや実際に否定されている。自分の可能性を全否定されたような感覚だった。


 「深山高校以外には行く気はありません」


 誠はそう言い切って進路指導室を出た。その瞬間、自分でも驚くほど冷静だった。半ば反射的に出た言葉だったが、それでも「これでいい」と感じた。受験まで残り半年。誠には「俺ならやればできるだろう」という根拠のない自信があった。それは自信と呼ぶにはあまりに脆く、むしろ「他に道はない」という強迫観念に近い。そうでも思い込まなければ、足元の地面が崩れ落ちてしまいそうだった。


 そして迎えた合格発表の日。誠は一人で深山高校へ向かい、掲示板に貼られた合格者番号のリストを見上げた。周囲には同じように番号を探す受験生やその家族たちが集まっていたが、誠はその光景をどこか遠く感じていた。


 「……あった」


 自分の番号を見つけた瞬間、胸の奥で何かが動いたような気がした。しかし、それでも大きな感情の波は押し寄せてこなかった。ただ、「これで良かったんだろうか?」という疑問だけが心に残った。


 「まあ……これでいいんだろう」


 そう自分に言い聞かせながら、その場を後にした。深山高校への進学が決まったものの、それでもなお心の奥底には何か重たいものが残っているようだった。その後、誠はキヨシといつもの溜まり場で落ち合った。お互いの合格を祝うというよりも、ただ淡々と結果を報告した。


 「お前も合格か。まあ、当然だな」


 キヨシはタバコを吸いながらニヤリと笑った。その軽口にもどこか安心感が漂っている。


 「お前も一緒だからな」


 誠は肩をすくめて答えた。キヨシが同じ高校に行くことになったことで、胸の奥で張り詰めていた糸がわずかに緩むのを感じた。それでも、「本当にこれで良かったんだろうか?」という疑念はまだ心の奥底に残っていた。


 「ま、深山高校なんて大したことねぇよ」キヨシは軽く笑いながら言った。


 「俺たちならなんとかなるさ」


 その根拠のない言葉に、誠は少しだけ笑みを浮かべた。どうなるか分からない新しい生活への不安はあったものの、キヨシが一緒なら――「最悪、今と何も変わらないだけだ」と思えたことで、不思議な安心感が広がった。


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