表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/19

第19話  偽りの代償


 三月、春休み直前の松本市はまだ寒さが残り、街には冷たい風が吹き抜けていた。北アルプスの山々は雪化粧をまとい、澄んだ空気が遠くまで景色を見渡せるような日々が続いていた。長野特有の乾いた冬の空気の中、人々は厚手のコートに身を包みながら行き交っていた。


 放課後、誠は駅近くにある映画館で一人の女子と待ち合わせをしていた。彼女は淡いピンク色のコートに身を包み、少し緊張した様子で立っていた。


 「待たせた?」


 誠が軽く手を挙げて声をかけると、彼女は笑顔で首を振った。


 「ううん、私も今来たところ」


 二人は並んで映画館に入り、上映が始まると、誠の意識はスクリーンではなく、隣の彼女に集中した。彼女が笑うタイミングで、誠も笑う。彼女が息を呑むシーンで、誠も真剣な表情を作る。まるで、テストの解答用紙を埋めるように、完璧なリアクションを演じ続けた。映画が終わると彼女が小さく呟いた。


 「宮村くんって、こういう映画好きなんだね」


 「そうだね。でも君と一緒だから特に楽しかったよ」


 誠は軽く笑いながら答えた。その言葉に彼女は少し頬を赤らめた。


 別の日には、ファストフード店で別の女子と向き合って座っていた。店内には学生たちの笑い声やポップミュージックが流れ、窓際の席からは夕暮れに染まる街並みが見えた。


 「宮村くんって意外とモテるよね」 彼女はストローでジュースをかき混ぜながら、探るような視線を向けてきた。


 「そう見えるだけだよ。俺なんて普通だし」


 誠はニコッと笑いながら答えた。その態度にはどこか思わせぶりなニュアンスが混じっており、それが彼女たちを引きつけているようだった。


 「でもさ、本命とかいないの?」 彼女が少しだけ真剣な表情で尋ねると、誠は一瞬だけ目を伏せ、それから彼女の瞳をまっすぐに見つめて答えた。


 「君が本命に決まっているだろ?」


 その言葉に彼女は驚いたような顔をした後、すぐに笑顔になった。


 「もう……宮村くんってほんと冗談ばっかり!」


 「冗談かどうかは君次第だよ」


 その場限りの軽口。それでも彼女の表情にはどこか満足げな色が浮かんでいた。


 また別の夜、別の女子と松本城近くの夜道を歩いていた。街灯が石畳をぼんやりと照らし、その光景にはどこか幻想的な雰囲気が漂っていた。


 「宮村くんって、将来どうするの? やっぱり音楽の道に進むの?」


 彼女の問いかけに、誠は一瞬言葉を失った。音楽。その言葉は、もうずっと昔にどこかへ捨ててきたもののように感じられた。


 誠はふっと笑みを浮かべ、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。街灯の光が、その瞳の中で小さな星のように揺れている。


 「音楽もいいけど……今は、君とこうして歩く方がずっと楽しかな」


 「え……もう、またそういうこと言って」


 彼女は嬉しそうに、でも照れくさそうに誠の肩を軽く叩いた。その反応に満足しながらも、誠の心は、誰にも見えない場所で静かに凍てついていた。


 「寒くないか?」 誠が話題を変えるように言うと、彼女はマフラーを巻き直しながら首を振った。


 「大丈夫。でも……手とか冷たいかも」


 その言葉に誠は一瞬迷ったものの、自分のポケットから手袋を取り出して差し出した。


 「これ使えば?」


 「えっ……いいの?」


 彼女が驚いたように尋ねると、誠は軽く笑いながら答えた。


 「俺より君が使ったほうが似合うよ」


 その場限りの優しさ。それでも彼女は嬉しそうに手袋を受け取り、「ありがとう」と小さな声で呟いた。


 彼女を家まで送り届けた帰り道、誠は一人、自宅近くの公園のベンチに腰掛けた。雪が残る街はしんと眠っていて、吐く息は白い。さっきまで彼女に向けていた笑顔のせいで、顔の筋肉がこわばっている。ポケットからタバコを取り出し、火を付ける。演じれば演じるほど、本当の自分が誰なのかわからなくなる。鏡に映るのは、知らない男だ。


 ふと、頭の奥深くで、あの囁き声が響いた。


 『お前は、誰だ?』


 その問いに、誠は答えることができない。ただ、タバコの煙が夜空に溶けていくのを、ぼんやりと見つめているだけだった。


誠の物語 第一部了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ