第12話 渡せなかったプレゼント
高松演奏旅行二日目。
昼間の演奏会は無事に終わり、部員たちは達成感と疲労感を抱えながら旅館へ戻ってきた。誠は演奏会本番も心ここにあらずで、昨晩の出来事や沙良にどうやってプレゼントを渡すかばかり考えていた。演奏会後の自由時間には観光や買い物を楽しむ者も多く、旅館内は夕方になってもどこか賑やかだった。自分の部屋で布団に腰掛けた誠は、リュックの中から小さな箱を取り出した。指先で箱の角を撫でながら、早く渡したいという思いが胸の奥で膨らんでいく。沙良が笑顔になる瞬間を思い浮かべると、期待と緊張が入り混じり、呼吸が浅くなるのを感じた。
意を決した誠は立ち上がり、共有スペースへ向かった。彼女が先輩たちと談笑している姿が視界に入る。
沙良は誠に気づいたようだったが、一瞬だけ視線を逸らした。その仕草にはどこか迷いが感じられる。それでもすぐに表情を整え、小さな笑みを浮かべながらこちらへ歩いてきた。
「あ、宮村くん」
その声には柔らかさがあったものの、微かな緊張感が混じっているようにも感じられた。
「どうしたの?」
沙良が首を傾げながら尋ねる。その問いかけに背中を押されるような気持ちになりながら、「少し話せるかな?」と声をかけた。沙良は一瞬だけ躊躇したようだったが、「うん」と頷き、二人で旅館の中庭へ向かった。
中庭には提灯の明かりがぼんやりと灯り、夜風が心地よく吹いていた。二人は縁側に腰掛ける形で並んだ。誠は指先が少し冷たく感じながらリュックから小さな箱を取り出した。
「沙良……誕生日おめでとう」 言葉を発した瞬間、自分でも驚くほど声が震えていることに気づいた。それでも、その震えすら今の自分には特別なものに感じられた。
「これ……君に渡したいと思って」
沙良は箱を見つめた。その瞳には一瞬だけ戸惑いと気恥ずかしさが浮かび、すぐに何か言いたげな光が宿る。
「これ……私に?」 その反応に少しだけ安堵しながらも、誠は頷いた。
「うん。沙良のために選んだんだ」
沙良は、おそるおそる箱を開けた。
中には、誠が選んだシンプルなネックレスが収まっている。沙良はしばらくそれを見つめていた。やがて、彼女の瞳から光がすっと消え、表情が曇っていくのを、誠はただ見ていることしかできなかった。
「ごめん……受け取れない」
「えっ……?」
思わず漏れた声は、自分のものではなかったみたいだ。その一言を境に、さっきまで聞こえていたはずの沙良の声が急に遠ざかり、代わりに、ちりちりと鳴く虫の声と、遠くで木々を揺らす風の音だけが、耳の奥で大きく響き始めた。何を言われているか理解できない。ただ、沙良の顔に浮かぶ微かな陰りだけが目に焼き付いていた。
「本当にごめんね。でも……今は受け取れない」
沙良は視線を落としたまま、小さな、しかし有無を言わせない声で繰り返した。その言葉には明確な理由が含まれていない。だからこそ、それはどうしようもない、絶対的な拒絶に聞こえた。
「どうして……? 俺、一生懸命選んだんだよ」
自分でも驚くほど強い口調になってしまった。すがるような、ほとんど悲鳴に近い声だった。
それでも沙良は顔を上げず、ただ小さく首を横に振るだけだった。その仕草は、誠には議論の余地すらない、冷たい最終宣告にしか見えなかった。
二人の間には気まずい沈黙が流れた。提灯の明かりがぼんやりと揺れ、その光が二人の間に深い溝のような影を落としている。誠は何か言葉を絞り出そうとしたが、言葉が心に閉じ込められたまま出てこない。ただ、小さな箱だけが手元に残されていることに気づき、その冷たい感触が現実味として残っていた。
視界の端で、縁側に落ちる自分の影が、一瞬だけ、別の生き物のように蠢いた気がした。
(どうして……? 俺、何か間違えたことをした?)
(それとも……沙良はもう俺のことを好きじゃないのか?)
考えれば考えるほど答えは出ず、不安だけが胸元で膨れ上がっていく。その一方で、「付き合っている」という確信すら揺らぎ始めていた。




