第二話 現代に生きるくノ一(後編)
海は忍装束を身に纏った少女が唯だという事を知り、両者狼狽の色を隠せずにいた。
だが質問に答えなければいけない、海はそう思い立ち、素直にこう答えた。
「バイトだっつの、ピザの配達の帰り!!」
「………じゃあ、偶然ですね………よかった、追っ手じゃなくって……」
唯が安堵して胸を撫で下ろしたかのように、少し声高に返す。
しかし海はこんなにも動揺をしていた唯を見るのは初めてだったので、どうすればいいかが分からずじまいだった。
だが“追っ手”というワードがどうしても耳と脳に引っ掛かっており、嫌な予感を察知し、唯にこう提案した。
「乗って行くか? 追っ手………だか知らねーが、困ってんなら助けてやる。」
「え………こ、困ります、先輩!! お気持ちは嬉しいですけど、先輩だって仕事が………!!」
「関係ねーよ、人助けに仕事中だのなんだの、言ってられねえっての。いいから乗ってけ。」
「ところで先輩………免許はあるんですよね??」
「取ってなきゃスクーターなんぞに乗ってねえっつの。」
「………じゃあ、お言葉に甘えます。」
「分かった、しっかり捕まってろよ!!」
唯を後ろに乗せ、海はアクセルを思い切り踏み、夜の街を駆け抜けていく。
そして海のシフト時間が終わるまで、唯を一時的に店の事務所で匿うことにしたのであった。
海の仕事が終わったあとの帰り道、2人はファミレスへと立ち寄り、海が唯に問い正したいことを聞くことにするのであった。
無論、奢りは海の財布だ。
なぜ人気のない歩道にいたのか、なぜ追っ手に追われていたのか______問いたかったのはこの二つだった。
しかし生真面目な唯は、開口一番謝罪の言葉を口にした。
「先輩、すみません………先ほどはお騒がせしました。」
ただ海自身は善意での行動だったので、謝られる理由が分からなかった。
そのため、少し戸惑ってしまった。
「い、いやぁ、いいんだけどよ、何してようと。お前さ、さっき追われていた………って言ってたよな? そんな命懸けのこと、やってたのか?」
「うーん………まあ、ある意味は………」
唯は少し回答に困ったような声色で海に返した。
ただ逆に謎が海には深まった。
「ある意味、っつーかなんつーかよ、命のやり取りみてーなヤツなのかな、と俺は思ったんだが? そこはどうなんだよ??」
「そうですね………何処から話せばいいのやら………」
唯はそう呟いて、水を一杯口に含んだ。
コップをコトン、と置いて海にこう忠告した。
「先輩。今から私が言うこと………誰にも言わないですか?」
「はぁ???」
海にはまるで意味が分からなかった。
海が秘匿しなければならない事とはなにか、口にすることすら憚られるような仕事を唯はしているのか、そう考えると唯のことが海は余計分からなくなっていた。
話を聞いて、口を固くすればいいか____そう決意して直後、唯がズイ、と海を睨むように詰め寄り、強調するようにこう言った。
「い・わ・な・い・で・す・か・?」
………先述の通り、海には唯以外に親しいと言える間柄の人間がいるわけではないので、告発する理由がまったく持ってなかった。
というより、唯が碌でもないことをやっていると噂を流したところで信じる人間はおそらくはそういないだろう。
喋る気は元よりなかったが、尚更決意を固める他ない。
「あのな、川上………俺ぁダチがいる方じゃねえしよ、大体。そんなに俺が誰かに喋る理由、なんかあんのかよ??」
「む、言われてみれば。」
冷静に思い直した唯に、海はそこは否定してくれよ、と思わずツッコんだ。
2人だけの秘密、と唯が告げたところで、唯は一息吐いて重い口を開いた。
「実は私………『くノ一』、なんです。」
一瞬、海の思考回路が止まった。
まるで何を言っているか分からなかったからだ。
くノ一など、一昔前の女忍者の総称であり、現代における存在がいる、だなんて受け入れようにも脳が拒絶してしまうのが海だけでなく誰しも普通のことだろう。
「……………は??? 頭打ったか、川上?」
「打ってなんていません、だいたい大雑把で考え方がクルクルパーな先輩に言われたくはないですね。」
嘘ではないことを否定した上で、唯はサラッと毒を吐いた。
「………お前、それは悪口じゃね??」
海は図星を突かれた恰好になり、半ば呆れたような声を出す。
しかしここで会話を切らないのが唯、説明に移る。
「それはいいじゃないですか、とにかく私の話に戻しましょうか。_____これ、今誰もいないから言えますけど、私は公安直属の人間なんです。『公安警察直属非公開組織』の『くノ一部隊』。今対象に入っている公安監視対象団体や汚職疑惑のある企業から重大機密事項を抜き取る組織なんです。今回はある企業に潜入して、データベースを写し取って本部へ送る、という感じです。」
要するに、海はその矢先に唯と会ってしまったわけだ。
運良く帰り道が店とのルートと重なっていたのもあるにせよ、唯としては少々想定外のことだったようだ。
しかし海にはスケールが大きすぎて、脳がショート寸前だった。
だが唯は小柄な部類だし冷静沈着だし、潜入事には向いているのだろうなと海は思い直した。
「お前さ、なんで俺を“追っ手”と思ったんだよ? まあ、機密がバレたら黙っちゃられねーのは分かるけどよ、アッチの言い分として。」
「仮に潜入がバレて追っ手が来る、というのも無論想定しています、その上で任務には臨んでいます。ただ………ライトに照らされた時に先輩を追っ手と勘違いしてしまった、知らなかったとはいえ私にも落ち度がありますからね、そこは。それに………」
「それに?」
唯はまだなにかあるようで、海は唯の熱い想いを目から感じ取っていた。
「私は2年前に母を亡くしたんです、奇しくも今日の私がこなしているような任務で命を落とした、いわば殉職です。母も公安の人間でしたから。母を殺したのは私がさっき言ったターゲットの団体のひとつです。だからその時に誓ったんです、母の分まで、日本の秩序を守るために戦う、と。父にくノ一を紹介されて、目的を果たすために今はそこに所属しているんです。」
海は色々苦労しながらも唯は誰かのために戦える強さを持っているのだな、と思い直した。
生真面目で生意気な後輩と思っていた海は、妙に納得したような、そんな表情になる。
「そうだったんだな………じゃ、尚更言えねえな。今日のは黙っておく、約束するぜ?」
「ありがとうございます。もし破ったら………その時は、消しますから。」
急に目が据わった唯、こればかりは本気だと海は怖気を憶えた。
「こえーよ!! ったくよ、分かってるっての、守ってやるよそれくらい!! とにかく帰って寝るぞ、朝早えんだから。」
「冗談ですよ。本当に、面白い人ですね、先輩。」
「あ? なんか言ったか?」
「なんでもないですよ。そろそろ、行きましょうか。」
そもそも秘匿主義の公安なのだから、唯のさっき言ったことは冗談には到底聞こえなかったし生真面目な性質のため本当に殺されかねない、海はそう感じていた。
ただ海にはそれ以前に友人がいるわけではないので告発する理由も特になかったし、人望や人脈が彼にはあるわけではない。
やっぱり変わったヤツだな、海はそう思って唯と共に帰路に着いた。
翌朝。
「「あ。」」と同時に声を出して目を合わせた。
同時に家の玄関から出てきた、しかも示し合わせたかのような偶然で。
「お、おはよう、川上」
「おはようございます、先輩。」
ややぎこちなく挨拶を交わす海、対照的に唯は前日よりかは明るい声で挨拶をした。
「一緒に行くか?」
「いいですよ、もうそういう仲ですし。」
「そ、そうだな………」
抗えない事実を突きつけられ、海の声が濁った。
一緒に行くことになったのはいいが、いつにも増して気不味い、そう思っていると唯が何やらスッと包みを差し出した。
「これ、お弁当です。先輩のために作ったんですよ?」
「へ??? 俺に??」
昨日の今日とはいえ、海にはどういう風の吹き回しなのか、理解不能な行動に唯の行為には映った。
だが好意を断るわけにはいかないので受け取っておくことにする。
「あ、ありがとよ………けどよ、なんで俺なんかのために弁当なんて____」
「ふっふー♪ それは秘密でーす♪」
…………小悪魔的にはぐらかされてしまった。
だが海も弁当を持ってきているので、バッグから弁当を取り出した。
交換のために。
「ホラよ。折角だから俺のをやる。」
「………いいんですか?」
「作ってもらって礼も返せなきゃあよ、男が廃れるってモンだ。つべこべ言わねーで受け取っとけ。」
海なりの考えもあったが、互いに知って知られての関係になった以上、こういう小さなことでスキンシップを深めていった方がいい、そうとも判断したが故だった。
「じゃあ………お言葉に甘えて。」
唯は少し照れた顔をしながら、海の作った弁当を受け取ったのである。
昼休み、快晴の屋上、唯の作った弁当を海は開けた。
海の弁当のような冷凍物ばかり、というわけではなく、手作りで作られたような唐揚げだったり卵焼きだったり、可愛らしく均等にカットされたタコさんウィンナーだったりが、見た目だけで食欲をそそられるかのように綺麗に盛り付けられていた。
箸を持って食べようとしたその時、ドアを開く音が聞こえてきた。
唯が来たのである。
「なんでここが分かったんだ?」
「教室に行ったら先輩が居なかったので。伝手で聞いたら屋上にいる、そう聞きましたから。」
「あー………そうですかそうですか。」 (さよなら、俺の聖域……)
折角なので2人で互いに交換した弁当を食べることにした。
海は唯なら屋上に来られてもいいか、と割り切っている節があったのだが。
それにしても唯の弁当はしっかりと冷めても味が浸透しているように舌に濃い味が広がる感覚がして見た目通りに美味しかった。
「先輩、一つ聞きたいのですが。」
「なんだよ………??」
今朝からやけにグイグイ来るな、そう思いつつ質問を海は待った。
「なんで先輩は……昼休みの時、いつも屋上にいるんですか?」
「そんなことか?」
「はい。」
「まー、大した答えじゃねーんだがな………」
「構いませんよ?」
「そうだな………風がな、気持ちいいんだよ、ここに居ると。クラスで騒々しいのは俺は苦手でさ、1人の時間をゆっくり過ごせる、だから昼の時はいつもここに居るんだよ。」
「フフっ………似た者同士、ですね。私も騒々しいの、苦手ですから。」
「お前、馴れ合いが嫌いとか言ってたもんな。そりゃあそう思うわな。」
海は同情するように薄く笑う。
が、唯は何故か海の腕にピトっとくっついた。
海は突然のことに思わず紅潮する。
慣れていないシチュエーションに困惑する海とは対照的に、唯はニヤニヤと見上げながら海の目を見やる。
「いいなぁ、って思ったんですよ、“2人だけの秘密”って。だから………」
「だ、だからなんだよ………??」
「こうやって先輩といっぱいイチャイチャして………先輩の心、盗み取っちゃいますから♪」
急なベタ甘宣言に、海は流石に取り乱す。
「ちょ、ちょっと待て川上、急にどうした?? そういう仲じゃねえだろ、俺らはまだ_____」
「私は逃しませんよ、ヘビみたいに。絶対にその気にさせますからね?」
川上に気に入られたのか俺は、海は率直にそう思わざるを得なかった。
だが逃げる気は更々なかったし、仲違いでもしようものなら冗談抜きで公安に消されかねない。
とりあえず、海は唯にこう言っておいた。
「分かった分かった、俺なんかでよかったらさ、いつでも一緒にいていいからさ。」
「ハイ!!」
満面の、嬉しそうな笑顔を唯は浮かべた。
しばらくはヨイショしていけばいいか、海はそう考えていたのであった。
しかし海はまだ、この時は気付いていなかった。
唯が立ち向かおうとしている「日本社会に潜む闇」の想像以上かつ想定外の重さに、唯の海に抱いている「純粋な気持ち」を理解しているわけではなかったその事実に。
次回は新章・『相互理解と玄斎工業編』です。